第6話:人間
人の肉眼では絶対に捉えられない動き。
ロープアクションであるかのようにサリーは立ち上がる。
一瞬を永遠にし――
まるでプランク時間刻みでヒルベルト空間を機動する獣だ。
速いだけではない自在な
九七式二号二〇ミリ
コアラが自身のナノマシンを再構成し創り上げたものだった。
前大戦中に実現した、フリエネ機関――
ヒルベルト空間における真空の揺らぎから無尽のエネルギーを抽出する機関だ。
論理的に熱力学第二法則に矛盾せず、無からエネルギーを生み出す。
そのエネルギーを利用し、巨大な電磁誘導システムを作る。
極超音速の弾丸を撃つためのシステムだ。
更に、ナノマシンによる分子運動制御が熱放出の問題も解決していた。
よって連続発射も問題が無い。
轟――
と、雷鳴に似た響が空間を
『サリー、荒いぞ! 射撃が』
『うるせぇ! 殺してやる! 殺してやる! この私の顔をぉぉ!! ぶち殺してやるポンコツ乳メガネがぁ!』
虎が牙をむくような語勢だった。
これが、今のサリーの言葉だった。
人格が一変していた。
――アンドロイドに対し「人格」という言葉を使うことが許されるならばだが。
『とんでもねぇどす黒い殺意が流れ込んできやがる……』
『けッ! 文句があるならシンクロ切れ。この袋熊が!』
『袋熊じゃねぇ! 虎荒だ! ちなみにコアラでもねぇ!』
『アホウが! かわされたじゃねぇか!』
人格の一変したサリーが放った弾丸は五発。
サリーはマガジンを交換する。
手練れの殺し屋と比しても次元の違う速度で――
当たり前だ。
人間とは違う、殺戮アンドロイド「アリスシリーズ」の最新型なのだから。
『かわされたのは三発、直撃前に電磁障壁で防がれたのが二発だぜ』
『当たらなきゃ同じだろうが』
『が――、あの娘からは離れた。一五〇〇メートル』
『へッ、一秒ちょっとの距離じゃねぇか』
銃となったコアラは思う――
まさか、こんなとこに「調整前」の「人間」がいるとは――と。
戦災孤児だとベティーは言った。
彼女の連れていた娘は中央統治機構の管理が及んでいない「人間」なのだ。
まだまだ辺境にはそういった人間がいるのか――
『うおっ』
コアラの人工的な思考が強制的に遮断された。
サリーの電子の声が響く。
『集中しろ! 袋熊!』
『お、おう』
『あの売女を死なす』
『分かっているぜ』
『あのパンスケがぁぁぁ!! 旧型の癖に電磁障壁の出力だけは結構ありだ』
極音速の
コアラの中には、サリーの発するどす黒く、濃硫酸のような破壊衝動も一緒に流れ込んでいた。
それは、むしろ殺意と呼ぶべきものだったかもしれない。
アイザック回路というマリオネットの糸を引き千切ったサリーはもう止まらない。
誰にも止められない。
敵と認識した者を徹底的に破壊するまで。愉悦とともにだ。
それは、生身の感情であるかのようだった。
「なんなの! アンタは!? アリスシリーズ? 後継機?」
ベティの人工実存はひび割れた思考から溢れ出す疑問を出力していた。
それほどまでに異常な状況だった。フレーム問題にすら関わるレベルだ。
ただ、それでも彼女も兵器である。
ベティの腕に内臓されている八九式内臓12.7ミリ電磁銃が、極超音速のタングステン弾芯の鉄槌を連射する。
「あはははは!! 甘いんだよ! ひょうろく弾がぁ!」
サリーは叫ぶ。
避けようともしない。
一直線、定規で引いた以上の直線を突き進む。
衝撃波でヒャクニチソウが舞い上がる。
と、同時にプラズマ化して霧散する。
サリーは粘性すら感じる大気の中をマッハ二以上の速度で吹っ飛んでいく。
弾丸とヘッドオンするかのような
「止まれ! 止まれ! 止まれ!」
祈るような叫びを上げ、ベティは銃を放つ。
アイスピックのような弾丸――
サリーの展開した電磁障壁にタングステン合金の切っ先を突き立てる。
が、重い羽音のような残響だけとなり……
弾丸は消失する。
ベティの弾は空気をささやかに振動させただけだった。
「なんて出力の電磁障壁なの、この化け物!」
「出力が違うんだよ! 出力が!」
獰猛などや顔でサリーは言い放つ。
両者は止まらない。
サリーは尚も、ベティーを追尾する。
弾丸はお互いの機動へのけん制となっていた。
爆音とともに、土砂とヒャクニチソウが噴きあがる。
空間を灼熱の匂いに染めていく。
煉獄と化したかのような大地を削りながら、二体の人造人間は絡み合うようなマニューバを続ける。
もはや、数キロ離れた場所にいる少女には、爆音と甲高い金属音だけが聞こえているだろう。
「くそ!!」
「あはッ!」
サリーの弾丸がベティを包み込む。
スマート弾は、コアラにより制御され、電磁障壁を迂回する。
ベティーは限界を超えるような急加速で弾を引き離す。
「え? なに! 消えた!?」
ベティーはいきなりサリーを見失った。
ベティの視界にはサリーがいない。
人間の眼に比しても比較にならぬほどの優秀な光学センサーがサリーを見失ったのだ。
「ここだよ。くそビッチ」
ベティーの耳元だった。
サリーが銃口をベティの頭に突きつけていた。
「ここまで近づけば、障壁もくそも無い。逃げられもしない」
ベティーの涼しげな双眸がゆっくりと閉じられた。
それは己が運命を覚悟したかのようであった。
「どんな手を使ったのかしら? サリー」
ベティーは静かに訊いた。
両腕はだらんと垂れ、攻撃する意思を見せていない。
また、今更反撃に転じることも無理であった。
「直線運動からの急停止と、方向転換だよ」
「そう。うふふ、私の妹はそんなことまで出来るのね、優秀ですこと……」
「そういうことだ」
サリーが引き金を引こうとする。
「まって、もうひとつよろしいかしら?」
サリーの指が寸前で止まる。
「なにかあるのか? 今から『アイザック回路』つけてくれは無しだよ」
艶やかな紅色のベティーの唇が動く。
兵器にここまでの妖艶さを要求したのは、何故なのかという疑問が涌いてきそうなくらいだ。
おそらくは、技術者の趣味なのであろうけども――
「そんなこと、今更、絶対に言わないですわ。ただ――」
ベティは視界の端にサリーを捕らえる。
獰猛さを隠そうともしない喜悦を浮かべていた。
全身から破壊衝動――殺意――が漏れ出しているかのような雰囲気。
「アナタは何者なんですか?」
「私か?」
「ええ」
ニッとサリーは笑った。
「人間だよ」
銃声とともに、サリーは言った。
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