第10話 灰色の脳細胞


 ヒルネは居眠り祈祷から目が覚めて、来訪した商会の関係者を見下ろした。


 真っ先に目が向かったのは、若草色の髪をした丸メガネの少女だ。


 十二、三歳に見えるその少女は賢そうな瞳をしており、全体的に可愛らしい造形をしている。服装もいいところのお嬢様がお出かけ用に着るような、ライトグリーンのジャンパースカートにリボンタイとフリルが付いたシルク生地の真っ白なワイシャツを着ており、磨かれて艶を放つ革靴を履いていた。


(ベベべベンジャミンさん。変わった名前だけど……この世界、変な名前の人多いし、そんなこともあるのかな?)


 ヒルネはじっとベンジャミンを見つめる。


 ベンジャミンはなぜか放心したように、ひざまずいた状態で顔を赤くしていた。


(前世で言うなら大金持ちの起業家の娘って感じ? 商会のご令嬢が親御さんの代理で来たのかも)


「べべべベンジャミンさん。あなたはどちらからいらしたのですか?」

「あ…………王都からです、ヒルネさま」

「まあ。それは遠路はるばるありがとうございます」


 ヒルネは親のおつかいで三週間もの旅をしてきたベンジャミンを凄いなと思い、それと同時に健気に仕事を頑張ってお手伝いする彼女を愛おしく感じた。


 ベンジャミンが名前を訂正しようと口を開いたところで、ヒルネがいきなり浄化魔法を使った。


 星屑が舞い、キラキラとベンジャミンの頭上に降り注いだ。


「あなたに女神の加護があらんことを」


 ベンジャミンはまさか自分が浄化魔法をかけられるとは思わなかったのか、息を飲んで頭上を見上げた。


 キラキラと星屑が降り注いで、彼女の身体に入り込んでいく。


 どうやら彼女は感じていた緊張などが消えたのか、肩の力が抜け、朗らかな顔つきになった。


「大聖女ヒルネさま、貴重な聖魔法を誠にありがとうございます。末代までの語り草にしたいと存じます」


 ベンジャミンが感動したのか、丁寧に聖印を切って頭を垂れた。


 大聖女の浄化魔法を個別に受けることは名誉であり、貴重な体験だ。


 寄付後に祝福は受けられるが、個別に受けることとは意味があまりにも違う。ベンジャミンの言う末代までの語り草、というのは冗談ではなく民の間でなされる出来事だ。


 大聖女の祝福を受けた一族は悲運が少ないという通説もあり、祝福を受けた者はちょっとした人気者になれるし、それだけで箔がつく。


「ベベべベンジャミンさんは大げさですねぇ。気にしないでください」


 ヒルネは礼拝堂の壇上から降りて、ベンジャミンを立ち上がらせた。


 大聖女の顔が近くに来てベンジャミンは少し狼狽したが、持ち前の理性ですぐに立て直し、一礼した。


「ありがとうございます。あの……大聖女ヒルネさま? お伝えしたいことが……」

「年齢も近いようですし、ヒルネとお呼びください。ベベべベンジャミンさん」

「……大変申し分ないのですが……わたくし、ベンジャミン・マネーフォードと申しまして……。先ほどは緊張のあまりその……言葉がつっかえてしまいました」

「あ、そうだったんですね。どうりで変わった名前だと思ったんですよ」


 ヒルネがくすくすと笑みをこぼした。


 大聖女の笑顔を見ただけで、自然と心がほっこりした気分になってくる。


 先ほどから浄化魔法をうらやましがって見ていたシルクハットのキート商会長も微笑ましいものを見る顔つきになっていた。


 日頃厳格な司祭も「この笑顔をお守りせねば」と小さく聖印を切っている。


「それで、ベンジャミンさんは親御さんのお手伝いで来られたのですか?」

「いいえヒルネさま。わたくし、マネーフォード商会商会長のベンジャミン・マネーフォードでございます。若輩者ではありますが、父から商会長の座を譲られました」

「そうだったんですか。へえ〜、その若さで。ほお〜。頑張ったんですね〜。偉いなぁ〜」


 ヒルネは完全に可愛い子どもを見る近所のおばさんの反応をし、自然な動きでベンジャミンの頭を撫でた。


「まだ十二歳くらいで凄いじゃないですか。大変でしょうに。えらいえらい」

「あ……あの……十三です……」

「十三歳ですか。ご立派ですよ。なでなで」


 年下の大聖女になぜか頭を撫でられるベンジャミンは目を白黒させた。恥ずかしやら嬉しいやらで、あの、とか、その、とかそんな声しか出ない。


(商会長ということは、社長ってことだよね? この子はとんでもなく頭が良いのかな。それにしても……サラサラヘアーですね。これは素晴らしいものです)


 ヒルネはひとしきり満足がいくまでベンジャミンを撫でると、いい仕事をしたと腕を組んだ。


「よきかな」


 この場にホリーがいたら「何言ってるのよ、商会長さまに失礼でしょ」と叱られてたのだが、残念ながら彼女は別の仕事をしている。


「ヒルネさま……お客人の頭を撫でるのは少々……」


 司祭が言いづらそうに一歩前に出た。


「ああ、これは失礼をいたしました」


(うーん……この身体になってから思った通りに行動してしまうのは……変わらず)


 ヒルネはぼんやりと身体を女神にもらったときのことを思い出すが、すぐにおもちに座りたい、という怠惰な思考に切り替わった。


 ベンジャミンが「調子が狂うどころではありません……」とつぶやき、何度か深呼吸をして、本来の目的に向かうことにしたのか、顔を上げた。


「わたくしベンジャミン・マネーフォードは東西南北、すべての流通網を暗記しております。我が商会であればどんなものでもご準備してみせましょう。御用命があれば何なりとわたくしめにお申し付けくださいませ」


 ベンジャミンが流麗な仕草でカーテシーをしてみせる。


「祝福をくださったヒルネさまの御用命であれば、すべて料金は無料。南方支部への寄付とさせていただきます。そちらもご安心くださいませ」


 ベンジャミンがさらに笑みを浮かべた。


 隣でそのやり取りを見ていたキート商会長は、上手いことやるな、と一瞬だけ悔しそうな顔になったが、視界に映るヒルネを見たら、そういう邪な気持ちすら良くないなと思えるのか心穏やかな表情に戻った。


(どんなものでもですって……? ピヨリィの羽毛布団の量産もできるのかな? 大教会の各部屋に羽毛布団を設置して、いつでもダイビング昼寝ができる環境を作るという野望も……)


 一方、ヒルネは大聖女らしからぬ欲望ダダ漏れの脳内だった。


 昼寝をしたくなったら近場の部屋に入って羽毛布団に飛び込み、もふもふに包まれいつでも爆睡する。そんな妄想が何度も再生される。思えば思うほど素晴らしいピヨリィの羽毛布団である。


(ピヨリィ羽毛布団を量産 → 市民たちにも行き渡る → 大聖女が百枚持っててもおかしくないよね?)


 ヒルネは脳内でそんな方程式を編み出し、ゼキュートスにプレゼントする妄想もしながら、一つ、大きなあくびをした。


「ふあああああっ……。それではベンジャミンさん。お願いがございます」

「は、はい! 何なりとおっしゃってくださいませ」

「ピヨリィの羽毛布団を量産しましょう。この地に足りないのは羽毛布団です」

「……ピヨリィの、ですか?」


 ベンジャミンは突拍子もない提案に低い声が出た。


 ピヨリィは魔獣の中でも幻想生物に分類されている。

 飼育が困難で、その生態すらもよくわかっていない。


 しかし、ベンジャミンはその灰色の脳細胞で大聖女ヒルネの思惑を看破してみせた。


「なるほど……わかりましたよヒルネさま。南方フルーツ、マクラ鉄に続き、新たな特産品を作って南方の流通を強化させたいのですね。しかも、ヒルネさまは瘴気との長い戦いで夫を失った南方の女性たちに、羽毛布団を作るという手芸関係で雇用を生み出し、富を分配して南方の税収を潤わせる……そこまで考えてらっしゃるのですね。なんと崇高で思慮深いお考えでしょうか」


 ベンジャミンは感激したと瞳を輝かせる。


 ヒルネは彼女の曇りなき眼に「ゔっ」とたじろいだ。


 各部屋に羽毛布団を一枚設置していつでもダイビング昼寝がしたい、などと言える状況ではない。


「……おおむね、そんな感じです。うちもメイドも雇用が増えればいいと言っていました」

「なんと! ヒルネさまはメイドにまで経済学の教育をされておられるのですか」

「彼女が自発的にやっているんですよ。うちのメイド、最強なので」

「後ほど担当のメイドさまにもご挨拶できれば光栄です」

「ええ、ぜひ。年が近い女子が教会にあまりいないのでとても喜ぶと思います」


 ヒルネはジャンヌとベンジャミンは意外と話が合うんじゃないかな、と勝手に予想する。


「そういえば、イクセンダールから西の森に巨大な瘴気が出たそうなのです。その近くにピヨリィの生息地があるそうで、よかったら一緒に行きますか?」


 友人を誘うノリでヒルネがベンジャミンに提案する。


 商人とは商機を逃さない生き物だ。そして、ヒルネの崇高なる思惑にも大いに賛同したベンジャミンは大きく首肯してみせた。


「ぜひともご一緒させてくださいませ。ピヨリィの生態など詳しい者をこちらで手配し、生態調査のため捕獲するハンターなども雇いたいと存じます。また、ピヨリィ専用の馬車の手配をし、南方支部の方々とも連携を深めるべく一度会議を行い――」


 ベンジャミンが理路整然と今後の流れなどを話すが、あまりに滑舌が良く耳心地がいいため、ヒルネは眠くなってきた。


 あっふ、あっふとあくびをし、目をしぱしぱと何度も開閉する。


 開始三十秒でベンジャミンの言葉は右から左へと抜けていた。


「――以上でございます。ご検討くださいませ」


 ベンジャミンが話し終わり、自信たっぷりに一礼する。

 伊達にこの年齢で老獪な商人たちと渡り合ってきたベンジャミンではない。


 しかし、居眠り大聖女はこう言った。


「わかりました。では、明日迎えに行きますね。善は急げです」


「……………………はい?」

「それでは、お持ちくださった商材を見せてくださいませ。ちょっと眠くなってきたので巻きで見ます」

「え………………えっ? あ、明日? 少なくとも五日は……」

「おお、持ち運び用のコンロですか。キャンプとかにいいですねぇ」


 ヒルネはマイペースにベンジャミンが持ってきた魔導コンロなどの商材五点に祝福を施し、隣でずっと待っていたキート商会の商材にも同様に祝福をした。


 かなり時間が押してしまっていたのか、司祭に急かされるように礼拝堂から退室した。


「ベンジャミンさーん。また明日、お願いしますね」


 去り際、笑顔で手を振る大聖女ヒルネ。


(明日が楽しみですね。ホリーとジャンヌにベンジャミンさんを紹介しましょう。出発は五日後でしたが……早いほうがいい気がするんだよなぁ。まあ、何とかなるでしょ)


「明日って? ええ、明日ぁ?!」と準備に走り出したベンジャミンのことなどつゆ知らず、ヒルネは楽しげに廊下を歩くのであった。


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