第8話 鉄と煙の街
南方旅団は三週間の旅路を経て、無事に辺境都市イクセンダールに到着した。
丘陵を越える街道からは外壁がよく見える。
都市のそこかしこから、黒い煙が立ち昇っていた。
魔石炭を燃やす煙だ。
魔物から都市を守る無骨な外壁、もうもうと上がる黒い煙――王都とはまったく違う街の姿に旅団のメンバーは目を奪われた。
「着いたぞ」「おお、ここがイクセンダールか」など、面々は辺境都市を眼下におさめ、互いに長旅をねぎらった。さらに、「大聖女ヒルネさま万歳」とヒルネの功績を称えている。
街道の要所にはヒルネの結界が張られ、近年稀に見る快適な旅であった。
一方、大聖女ヒルネは……皆から感謝されているとは知らず、馬車内で大きなあくびをしていた。
「ふああぁぁっ……あふっ」
(長かったような短かったような、あっという間に着いたなぁ……)
ホリーに膝枕をしてもらっているヒルネが、ぼんやりと馬車の天井を見上げた。
「ちょっと、いつまで寝てるのよ」
ホリーがヒルネの肩を揺らす。
「ジャンヌと違った弾力がいいんです。むにむにのもちもちという感じですね。ということで、あと一時間お願いします」
「人様の太ももを比較しないでちょうだい」
大きな吊り目を細め、ホリーがヒルネのほっぺたをむにーと引っ張った。
「ほひーのふとほほはやわらはいんでふ。ふはふはでふ」
「お肉がついてるって言いたいの?! 苺パンがおいしいのがいけないのよっ」
「ほひーはふいひんぼうでふへぇ」
「うるさいわよ。このっ、このっ」
「ひはいっ、ひはいでふ」
大聖女のほっぺたをわりと本気で引っ張る聖女。
メイドのジャンヌがくすくすと笑っている。
馬車内は平和であった。
膝の上の攻防がしばらく続くと、馬車の窓がコンコンとノックされた。
素早い動きでホリーが両手を引っ込め、聖句を唱えてヒルネのほっぺたを治癒する。キラキラと星屑が舞い、ヒルネの頬から痛みが引いた。さらにヒルネを起き上がらせて、クッションにもたれさせる。早業であった。
「いいわよ」
ホリーがジャンヌに目配せをした。
ジャンヌがホリーの合図で窓を開けた。
「はい、なんでしょうか?」
「お話し中のところ失礼いたします。南方旅団団長、ジェレミーでございます」
馬上からイケメン騎士団長が一礼した。
ジャンヌも礼を返す。
「大聖女ヒルネさまにご報告を差し上げたく、参上いたしました」
「少々お待ちくださいませ」
ジャンヌが振り返ると、ヒルネが起き上がって、窓から顔を出した。
「これはこれは、大聖女ヒルネさま――」
団長ジェレミーが聖印を切る。
ヒルネは微笑を返し、ちらりとジェレミーの太ももを見た。あぶみに足が置かれている。鍛えられた太ももは筋肉質だった。
(この膝枕は硬そう。不合格)
勝手に審査をしているヒルネ。
「ヒルネさま。長旅お疲れ様でございました。ヒルネさまのご加護のおかげで、誰一人欠けることなく旅を終えることができ、こうして感謝を申し上げたく、参上した次第でございます」
「兵士の皆さまがいたからこそ、皆さんも安心して旅ができたと思います。私のほうこそありがとうございました。感謝いたします」
「もったいないお言葉でございます」
団長ジェレミーが恐縮して一礼した。
微笑を浮かべているヒルネは、女神ソフィアの化身そのものである。宝石のような碧眼に長いまつ毛、可憐な唇は小さな弧を描いている。
ジェレミーはヒルネの神々しさに、また聖印を切った。
(ベッドベッドおふとぉん! やっとちゃんとしたベッドで眠れるよ。南方のご飯も楽しみだなぁ〜。わったしの神殿♪ わったしの神殿♪)
大聖女の脳内はお見せできない。断言しよう。
何も気づかない団長ジェレミーが白い歯を見せ、片手を上げた。
「ご覧くださいヒルネさま。眼下に見える街が辺境都市イクセンダールです」
「大きな街ですね」
「はい。王国の重要拠点でございますから」
ヒルネは碧眼を前方へ向けた。
ジャンヌとホリーも反対側の窓から外を眺める。
(分厚い壁に囲まれてるね。空気が重い……もくもく煙が上がってる。たしか、鉄とか銀とかを鋳造する都市なんだっけ?)
ガタゴト、ザクザクという旅団の足音を聞きながら、ヒルネはじっとイクセンダールを見つめる。
(瘴気が近いかも……)
ヒルネは目を閉じて、聖魔法で探知をかけた。
キラキラと星屑が舞い、ヒルネの頭の中に情報が入ってきた。
(かなり近いところまで瘴気が来てる……。これは聖女が何人も派遣されるわけだよ)
ヒルネが目を開けると、静かに様子を見ていた団長ジェレミーが聖印を切った。
「いかがいたしましたか?」
「瘴気の多い土地ですね」
「はい……。我々も国王から辺境都市への常駐の任を受けております。都市の安全は我々が守ります。ご安心を」
「はい。頼りにしております」
「はっ、おまかせください!」
団長ジェレミーが敬礼し、にこやかに笑った。
「辺境都市の民がヒルネさまを今か今かと待っております。まずはお姿を皆にお見せいただければと思います。ヒルネさまの御威光に民は感服し、明日への希望を見出だせるでしょう」
「かしこまりました。私でよければいくらでも」
(安眠のため、ほどほどに頑張ろう……!)
ヒルネが答えると、団長ジェレミーは恭しく聖印を切り、手綱を操って前方へと戻っていった。
辺境都市イクセンダール――別名、鉄と煙の街。
潤沢な鉱石、肥沃な大地が人々を魅了して止まない、王国最大の未開拓地である。
ヒルネが着任したことにより『鉄と煙の街』がどう変貌していくかは、誰にもわからなかった。
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