第3話 旅団の新ルール


 ガタゴトと馬車が揺れ、南方旅団は南へと進んでいく。


 後ろ窓から王都の外壁が離れていく様子を見て、本当に王都から出るんだなとヒルネは感慨深くなった。


(王都以外の場所に行くのはこれが初めてだな……美味しいものあるかなぁ)


 美味しいものを食べて、いい気分で寝たい。

 そんな願望が見え隠れしている大聖女ヒルネである。


 だが、星海のような瞳で窓の外を眺める横顔は、世界を憂いているようにしか見えなかった。ハァと彼女がため息をつけば、草木も釣られてため息をつきそうである。周辺警護をしている騎士はヒルネの顔を見て、より一層気を引き締めた。


(あとで苺パンを食べてお昼寝をしよう。そのあとはジャンヌの膝枕でごろ寝だね)


 伸び切ったパンツのゴムよりもゆるい気構えの大聖女。

 騎士はあまり気を引き締めなくていいと思う。


 ちなみに、教育係のワンダは別の馬車に乗っている。他に、メフィスト星教の役職付き聖職者である司教一人と司祭三人がこの旅に加わっていた。さらに聖歌隊、聖徒、メイドなども随伴している。


(向こうの馬車は大きいね。ちょっと乗り心地悪そうだけど)


 ヒルネが窓から顔を出して旅団を眺める。

 三頭立ての馬車は大きいが、左右に揺れているように見えた。


 ぼんやり外を見ていると、白馬に乗った茶髪の騎士が馬を馬車へ寄せてきた。

 切れ長の瞳の美丈夫だ。


「馬上にて失礼いたします。此度の南方旅団、団長のジェレミー・スケットと申します。我々が快適で安全な旅をお約束いたします」

「はい。ありがとうございます」


(うんうん、異世界のイケメン悪くないね。布団のほうがいいけど)


 そんなことを考えながら、ヒルネは笑顔を作った。護衛してもらえるのはありがたい。


 自分はいいとしても、ジャンヌやホリーに何かあったら大変だ。

 団長ジェレミー・スケットはヒルネを笑顔を見て、まぶしい光を見るかのように目を細めた。


「大聖女さま……お近くで見ると神々しい……」


 彼は気を取り直し、マントを手ではねて馬上で聖印を切った。


「我々は昼夜問わず、大聖女ヒルネさまをお守りいたします。夜も安心して眠れるよう部下もやる気ですので、今宵の安眠にご期待くださいませ」


 大聖女ヒルネ。別名、居眠り大聖女。


 団長ジェレミーはヒルネが睡眠を愛していると知って、笑みを浮かべた。

 ローテーションで不寝番を立てる予定だ。


 ただ、喜ぶと思ったヒルネの顔がみるみるうちに曇っていく。

 二人のやり取りを馬車内で聞いていたジャンヌとホリーも、ヒルネの様子が変わったことに気がついた。


「団長ジェレミーさま。昼夜問わずというのは、徹夜する兵士さんがいるということでしょうか?」

「左様でございます」


 団長ジェレミーが肯定する。


 ヒルネはそれを聞いて、なんてこった、と天井を見上げた。


(徹夜は人を本当にダメにするよ。私がそうだったから……私の護衛で徹夜させるなんてかわいそうだよ……)


 前世で三日徹夜を体験したヒルネは、徹夜がいかに身体に悪いか知っていた。

 意識が朦朧とするし、何を考えてもマイナス思考ばかりが頭に浮かんでいたように思う。身体にかかる負担も大きい。


 ヒルネはしばらく考えた。


 団長ジェレミーは心優しい大聖女の不興を買ってしまったかと、涼しい顔をしながらも、手綱を持つ手に力を込めた。


「ヒルネさま、大丈夫ですか?」


 ジャンヌがヒルネの顔を覗き込む。

 鳶色の瞳に見つめられて、ヒルネはうんとうなずいた。


「大丈夫ですよ、ジャンヌ。今、いい方法を思いつきました」


 そう言って、ヒルネは窓から身を乗り出して、団長ジェレミーを見つめた。


「私の旅で徹夜をする人を出したくありません。今日は野営をする予定ですか?」

「はい。次の村も遠く、野営の予定です」


 団長ジェレミーが背筋を伸ばして返答した。


「それなら、私が全員を守る結界を出します。ジェレミーさん、必ず午後十時には就寝してください。いいですね?」

「それですとヒルネさまがお眠りになる時間が……」

「私なら大丈夫です。自動で結界を維持できます。王都全体をカバーするよりも遥かに簡単ですよ?」

「いえ、しかし……」


 団長ジェレミーは大聖女ヒルネの優しさに胸打たれたが、やはり護衛の役割もある。任務を全うするのは軍人の役目だ。しばし煩悶して、ヒルネへ視線を戻した。


「大変ありがたい申し出ではございますが、やはり我々が不寝番を出して警護いたします。これも王国兵の勤め。大聖女さまに快適な旅を提供せよとの命令がございまして――」

「皆さんが起きていると、私は気になって仕方がありません。どうかお願いです。徹夜はやめてください」


 睡眠に人一倍思い入れのあるヒルネは、キラキラと輝く碧眼で団長ジェレミーを見上げた。


(お仕事だってわかるから申し訳ないけど……でも、ちょっと聖魔法使うだけだし……)


 申し訳なさからか、ヒルネは自然と上目遣いで彼を見つめた。


「……ッ」


 女性関係で百戦錬磨の団長ジェレミーも、大聖女のお願いには抵抗できなかった。


 後ろで見ていたホリーが「ああ、これ絶対に断れないやつだ」とつぶやいている。ジャンヌが深くうなずいていた。


 団長ジェレミーは「くっ」とか「ああ」などと葛藤していたが、まだ自分を見ているヒルネの視線に負けて頭を垂れた。


「承知いたしました……。では、ひとまず今晩はヒルネさまに聖魔法の結界を使っていただくという形で……ただ、やはり不寝番を置かないというのは……」

「ダメったらダメですよ」

「うっ」


 ヒルネが頬をふくらませると、団長ジェレミーがたじろいだ。

 いつも眠そうな瞳もこのときばかりは見開かれている。

 自分の睡眠も大事であるが、せっかく旅をするならみんなにも快適でいてほしい。そんな思いが強かった。


「聖魔法で全部防御します。瘴気も野盗も誰も入れないようにします。あ、私たちは出入り自由ですよ」

「……承知いたしました。本日は大聖女のご提案をちょうだいいたします。ただ、私だけでも不寝番に立ってはダメでしょうか? 結界が問題ないか見届けたいのです」

「……大丈夫だと思ったらジェレミーさんは寝ますか?」

「はっ! 女神ソフィアに誓って、このジェレミー、必ず就寝いたします!」


 団長ジェレミーが装備しているシルバープレートに手を当て、深々と馬上で一礼した。

 馬もヒヒンといなないた。どうやら賛成らしい。


 就寝を女神ソフィアに誓う。

 そんなおかしな行動をした団長は今まで一人もいなかったであろう。彼もヒルネも、お互い真面目に話しているため、なんとなくまぬけな会話になっているのに気づいていない。


 ジャンヌとホリーが顔を見合わせている。

 大聖女ヒルネの南方への旅路は後世まで伝えられるのだが、本人たちはそんなことを知るよしもなかった。


 ヒルネは決意の固い団長ジェレミーの顔を見て、ゆっくりと首を縦に振った。


「それならば仕方ありませんね。わかりました。ジェレミーさんは結界を確認してから、おやすみになってください」


(かえって迷惑になっちゃったかな?)


 ヒルネが無理を行ってごめんなさいと、眉を寄せて笑みを浮かべた。

 その表情がどうにも儚げで、団長ジェレミーは胸が熱くなった。


「かしこまりました。大聖女さまとのお約束、お守りいたします」

「結界は何時頃に使うのがいいでしょうか?」


 ヒルネの質問に、団長ジェレミーは軍人らしく思考を切り替えて、即座に答えた。


「野営地に到着次第、使っていただくのがよろしいかと思います。旅団には一般人も含まれているため、ヒルネさまのご加護をいただけると皆も安心するでしょう」

「わかりました。ではそうしますね」


 にこりと笑って、ヒルネが言った。

 団長ジェレミーが一礼して馬をあやつり、ゆっくりと下がっていく。


(あとで結界使おう……そろそろおやつの時間かな?)


 出発してまだ三十分も経っていない。おやつの時間にはいささか早い。

 旅団を祝福しているのか、空は晴れ渡っている。


(馬車の中は……一段と眠くなるねぇ……)


 ザクザク、ガタゴトと馬や馬車の移動する音が響き、規則的な揺れが眠気を誘う。


 ヒルネは大きなあくびをして、ジャンヌとホリーに向き直った。

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