第22話 風が呼んでいる


 ヒルネは本教会にある聖女専用の宿舎から出て、広い教会内を歩いていた。


 メフィスト星教の本拠地であるため静謐な空気が流れている。大理石調のひんやりした廊下に、聖句が刻まれていた。聖職者はヒルネを見ると必ず一礼して通り過ぎていく。聖女の地位は一般職よりも上だ。


(西教会と違うよね)


 本教会は静かだった。

 こうして廊下を歩いても、誰の足音も聞こえない。


(静かだと眠くなってくるんだよねぇ)


「……あふっ」


 小さくあくびをするヒルネ。


「ヒルネさま、あくびをするときは言ってください。隠しますから」


 ジャンヌが後ろから注意してくれる。聖女があくびまじりに歩いているのは問題だ。


「すみません。あくびは自己申告制でしたね……ああっふぁ……」

「……あの、ヒルネさま? 聞いてました?」

「あくびは先に言えるものではありませんね。困りました」


 ヒルネがちらりとジャンヌを見る。


 メイド服をきっちり着たジャンヌが困ったように眉を下げた。マイペースすぎて、いつか偉い人に叱られないか心配だ。


「そういえば、今日の朗読会は何時間ですか?」

「本日は三時間です」

「三時間……オーマイガーです」

「おうまいがあ?」


 聖女の仕事は多岐に渡る。

 見習いの頃よりも責任が増え、王国貴族との関わりも多くなってきた。


(本教会の朗読会……長いんだよな……本当にご勘弁願いたいよ)


 大司教監督のもと、貴族たちの前で聖書を朗読する会だ。

 これは新米聖女の役割で顔見せの意味が大きい。


「どうにか辞退する方法はないでしょうか。聖女になってから二ヶ月、忙しさで眠気が最高潮です」

「眠気はいつも最高潮な気がするんですが……えっと、お役目なので無理だと思いますよ?」

「せめて、人をダメにする椅子がほしいです。座りながら朗読をしましょう」

「そんな椅子ありませんよ。でも、ワンダさんに椅子に座ってもいいか聞いてみましょうか?」


 ジャンヌが鳶色の瞳を瞬かせた。


 実は、教育係ワンダは聖女の相談役に抜擢されている。大司教ゼキュートスの肝入りで、主にヒルネとホリーの教育をメインとしていた。二人ともまだ十歳だ。ゼキュートスが二人の少女に配慮した結果だった。


「ホリーさまも疲れたと言っていましたし、ワンダさまに聞いてみるのはいいかもしれませんね」

「ホリーも一緒ですか? それなら今日は彼女に朗読をお願いしましょう。来月、私が受け持ちます」


(そうと決まれば部屋で寝よう)


 ヒルネは自室に戻ろうとした。

 あわててジャンヌがヒルネの手を取った。


「ヒルネさま、とりあえず控室に行きましょう? ワンダさんに聞いてみますから」


 ジャンヌが手を離し、ヒルネの肩を持って控室の方向へくるりと回転させた。


「ね?」

「ジャンヌにそう言われては行くしかありませんね」

「よかったです。椅子のことはちゃんと聞きますから」

「ジャンヌ、人をダメにする椅子ですよ。普通の椅子ではいけません。それも伝えてください」

「よくわかりませんけどわかりました」


 ジャンヌが苦笑してうなずいた。正式な聖女付きのメイドになって、苦労は耐えない。それでも楽しそうなのはヒルネと一緒だからだろう。


「では、行きましょう」

「わかりました」


 二人は朗読会の控室へ向かった。


 数分で到着した。中には誰もいかなった。

 簡素な部屋で調度品はほとんどない。古めかしい椅子と長机が置いてあり、姿見が何個が設置されている。衣服に乱れがないか確認するためだろう。


「ヒルネさま、少々お待ちください。ワンダさんに聞いてきますね?」


 ジャンヌがポニーテールを揺らして軽快な足取りで部屋を出ていった。


(一人になってしまいました……)


 ヒルネが持っていた聖書を長机へ置いた。

 窓を見ると、やわらかい木漏れ日が部屋の中に落ちていた。

 冷たい風が吹いていて心地いい。


(風が呼んでいる気がする。今こそ人をダメにする椅子を作るときだと……!)


 ヒルネはよくわからない直感に突き動かされた。

 窓に近づく。

 二階から飛び降りるわけにもいかない。階下は生け垣と芝生がある。


(こんなときこそ――聖句を思い出して……浮遊の聖魔法)


 ヒルネが聖魔法を唱えた。

 魔法陣が足元に展開され、星屑がヒルネの身体を包み込んでいく。数秒でヒルネの身体が浮いた。


(おおっ、なんかふわふわして気持ちいい。右、左〜、自分が思った方向に動く感じね)


 何度か試して、ヒルネは窓から外へ出た。


(窓枠を越えてー、そのままゆっくり下に行ってね)


 純白の聖女服をはためかせ、ふわふわと控室から脱出した。



        ◯



 何食わぬ顔で本教会から抜け出した。

 正面入口から行くと衛兵に何か言われそうだったので、手薄な裏口から「ごきげんよう」と門兵に言って出てきた。滅多に聖女が通らない場所なので、門兵も「どうぞどうぞ」と言った態度だ。彼らの立場だと、聖女を見ることもめずらしい。


(王都だ。さて、風はどこへ連れて行ってくれるのかな)


 ふあっ、と大きなあくびを一つ。


 ヒルネはのんびりと歩き出した。

 暑くなり始めた陽気に、冷たい風が吹き抜ける。

 聖女服が舞ってヒルネの金髪をふわりと浮かせる。


(気持ちのいい午前の空気だね。このままどこかでごろ寝したい)


 あふ、あっふとあくびをしつつ、ヒルネが王都の路地を進んでいく。


 運がいいのか誰にも見られていない。

 国民に見つかったら人だかりができるだろう。ましてや居眠り聖女ヒルネの名前は王都中が知っている。あの、大きな聖光のせいだ。


 ヒルネの見目麗しい姿絵も王都中に貼られている。

 ヒルネを見た有名絵師が描いて、それを複製したものが出回っていた。ホリーの絵姿も同じく出回っている。


 そんなことを知らないヒルネはあてもなく進み、路地から商店街にぶつかった。


(商店街の終わりの場所って感じかな? ちょっと寂れてる?)


 王都は広い。

 流行り廃りにも敏感だ。


 この商店街、数十年前は人で賑わっていたが、とある時期を堺に客足が遠のいていた。原因はわかっていない。


(あ、家具屋がある。あそこにお邪魔しよう。人をダメにする椅子を作ってもらおう)


 ヒルネは完全な思いつきでふらりと家具屋に入った。


 店内は商品の家具がところせましと置いてあり、綺麗に磨かれている。だが、値段のかかれた木札が変色していた。長い間売れていないらしい。


「こんにちは。人をダメにする椅子がほしいのですが――」


 ヒルネの声に、中から若い女性の声が響いた。


「お父さん、お客さんだよ!」


 そんな叫びが店の奥からし、どたどたと勢いよく女性が出てきた。

 若草色の髪をした、素朴な雰囲気の女の子だ。年齢は十五、六歳に見える。


「いらっしゃいませ! 家具をお求めです…………か?」


 彼女はヒルネを見て言葉を失った。


 人気のない家具屋に、時の人である聖女ヒルネが立っている。何かの見間違いかと女の子は目をこすったが、やはり聖女は入口に立っていた。金髪碧眼、整った容姿、魔力を増幅させる純白の聖女服。間違いない。


「人をダメにする椅子を作ってほしいんです」

「……??」


 ヒルネの眠たげな碧眼と、女の子の瞳が交錯した。


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