第6話 ジュエリーアップル


 ヒルネが転生してから半年が経過した。


 ジャンヌとはあれ以来ずっと一緒に眠っており、最近ではジャンヌが疲れづらくなったと喜んでいた。ヒルネも嬉しかった。これもジャンヌの努力のおかげだろうと思う。


 もちろん努力もあるが、ヒルネが寝ている間に加護を与えているとは二人とも気づいていない。


 青髪のホリーも、時間があればヒルネの部屋へ来ている。

 聖句の練習を二人でするのだ。


 聖女見習いのヒルネとホリーが真面目に取り組んでいる姿を見て、ジャンヌが嬉しそうに見守っているのが、ここ最近の日常であった。


 もっとも、ヒルネがなし崩し的に「ホリーさんも一緒に寝ましょう」と誘い、それが何度が見つかって教育係ワンダに怒られているのも常であった。聖女見習いが別の部屋で寝るのは規則違反である。


「また叱られたわ。ヒルネ、次はないからね」

「でも、三人で寝るとふかふかですよ?」


 ヒルネとホリーは千枚廊下をモップで掃除していた。


「それは認めざるを得ないわ……あなたと寝ると妙に目覚めがいいのよね」

「女神さまの加護ですよ」


 さも当然とヒルネが言う。


 ホリーがうろんげな目をヒルネに向け、あながち間違ってなさそうだと肩をすくめた。


「それにしても、掃除の罰も手慣れちゃったわね。誰のせいかしら」

「布団が気持ちいいからですね」

「あなたが誘ってくるからでしょ」


 ホリーは紫色の瞳を背後へ向けた。

 千枚廊下は聖句を千枚壁に貼っている、長い廊下である。


 駆け足も許されないため、モップで丁寧に往復すると時間がかかった。少女にはつらい作業だ。皆、やりたがらない。


「ハァ……まだ半分もある……」

「……むにゃ……なんですか?」


 モップの柄に頬を乗せて夢の世界に旅立とうとしていたヒルネが、薄目を開けた。


 ヒルネは聖魔法で自分の持ち場である左半分を浄化してしまっている。

 ヒルネ側はピカピカになっていた。


「あ〜、まだズルしてるじゃない」

「ズルではないですよ。これも立派な力です。ワンダさんは聖魔法を使ってはいけないとは言っていませんでした」

「そりゃあそうよ。掃除の罰に聖魔法を使う聖女見習いがどこにいるの?」

「ここにいますよ」

「まったくもう……私は認めませんからね」


 ホリーは生真面目にモップに力を入れ、廊下を進んでいく。


「仕方ありませんねぇ……」


 ヒルネが大きなあくびを噛み殺し、ホリーの隣へモップを寄せて歩き出した。

 何だかんだ言いながらも付き合ってくれるホリーには感謝している。彼女を手伝おうとヒルネは思った。


 ホリーはヒルネを見てじとっとした視線を向けると、小さくため息をついた。


「あなたって本当にマイペースなんだから」

「そうですかね?」

「自分が聖女見習いと街の人になんて呼ばれてるか知ってるの?」

「私、名前以外で呼ばれてるんですか?」

「居眠り姫よ」

「おお、姫さまですか。それは素敵です」


 ヒルネはモップが汚れてきたので、さっと聖魔法で自分とホリーのモップに浄化をかけた。


 それを見たホリーが何か言いたげな表情をしたが、「ん?」と首をかしげるヒルネを見てあきらめ、「ありがとう」と言った。


「あなた本当に残念な美人よね。お祈りは聖魔法で肉体操作してぐーぐー寝てるし、街へ巡回に行けば布団屋とか、雑貨屋の店主とおしゃべりしてるじゃない。挙げ句に勝手にもらった串焼きを食べてるし……信じられないわ」

「街の人と話すのは大事な情報交換ですよ。いつか布団をお布施でいただけるかもしれません。串焼きは……美味しかったです」

「ワンダさまも心配するはずだわ……」


 ヒルネの聖魔法への適性は抜群だと、教育係ワンダは評価している。

 半年の成果か、聖句も暗記しており、聖女へ昇格してもいい実力だろうとのことだ。


 ただ、居眠りの常習犯であるのが残念であった。


 常日頃から細々こまごまとヒルネを注意しているホリーとセットにして、もう少し成長してから昇格させる腹積もりらしい。ホリーも優秀な子だ。切磋琢磨できる仲間がいるのは成長に一役買うだろう。


「ワンダさんにあなたのことをくれぐれもよろしく、と言われてるの」

「はい。くれぐれもよろしくお願いします。頼りにしてます、ホリーさん」


 本人はこんな調子である。


(ホリーさんは八歳なのにしっかり系女子だよね。助かるよ、ホント。転生してからどうにも眠くて、身体が自動でのんびり&楽ちんな方向へいってしまう……)


 ヒルネは感謝を込めてホリーを見る。


 星海のような曇りのない碧眼に見つめられ、ホリーは「困ったものね」と目をそらした。

 ホリーは近頃、ヒルネの話題でジャンヌと盛り上がることが多かった。


「ああ、そういえばですけど」


 ヒルネがモップへ視線を戻して声を上げた。


「どうしたの?」

「夕食に果物が出なくなりましたね。あれだけが楽しみだったのに……なぜでしょうか?」

「あー、魔物が活発になってきてるみたいよ」

「魔物ですか」

「うん。果樹園の多い南方地方にまた被害で出てるみたい。大変なことよ」

「南方ですか……南方は重要な街があるんですね」

「もちろんよ。大きな街はないけど、果樹園、穀倉地帯があるの。北、東、西に大聖女さまがいるけど、南方にだけいないのが問題よね」

「そうなのですか?」


 ヒルネがモップに力を入れつつ、ホリーを見た。


「北、東、西も手一杯なんですって」

「南方はジャンヌの故郷なんですよ。平和になるといいんですけど……」

「そうだったの」


 ホリーがモップを操る手を止め、悲しげに眉を寄せた。


「なんにせよ、私たちが早く聖女になって、世界に貢献しないとね」

「そうですね。世界が平和にならないと、のんびりお昼寝もできませんから」

「……理由がどうあれ、目指すところは同じね」


 ホリーはくすりと笑って、掃除を再開した。


「それにしても食べたいなぁ……果物……」

「ですねぇ……」


 二人は少女らしく甘い果実を思い浮かべた。



      ◯



 その夜、ヒルネはこっそり聖女見習い宿舎の裏庭に来ていた。


 裏庭は洗濯などに使われる場所で、大きな枯れかけのジュエリーアップルの木が立っている。


 樹齢二百年、実をつけなくなって十年は経っているそうだ。

 一昔前は甘い果実を実らせ、聖女見習いの少女たちを笑顔にしてくれる存在だった。元聖女の教育係ワンダはジュエリーアップルの木に毎朝祈りを捧げている。


「ヒルネさま、こんな夜遅くに出歩いたらまずいですよ……」

「私はあなたが寝ないことに驚きよ」


 どうしても行くと言ってきかないヒルネに、ジャンヌとホリーがついてきていた。


 空には半欠けの月が浮かんでいる。

 宿舎は眠りの中にあり、静かだった。


(みんなのためにもジュエリーアップルさんには元気になってもらわないと……私も果実を食べたいし。だって……ほろ甘くて香り高いって言われちゃったら、もう食べたくて仕方ないよね。宿舎の食事は本当に質素だからなぁ……食べれるのはありがたいけど)


 ヒルネは樹齢二百年の木に手を当てた。

 目を閉じ、生命感知の聖魔法で診断する。

 病人の診察に使う魔法だ。


(ふんふん……地下の栄養があまりないのかな? 生命反応が木の中央あたりですごく細くなってる。原因は土と木の幹か……)


 ヒルネの脳内に、樹木の生命が淡く映し出される。

 光は根から上へ伸び、中央で止まっている。枝まで行き渡っていない。


 ヒルネは振り返ってジャンヌとホリーを見た。


「診断しました。土に栄養がなくて、ジュエリーアップルさんに元気がないようです。治癒魔法を栄養剤っぽいイメージで注入してみます」


 それを聞いた二人は、瞬きを何度もする。


「あの、何をするおつもりですか?」

「聖魔法ってあなた……」


 ヒルネはできているイメージを逃さないように、両膝を地面について、目を閉じた。


 体内に眠っている魔力を目覚めさせ、治癒の聖句を脳内で唱え、さらに自分の身体を注射器のようにイメージしていく。


 すると、ジュエリーアップルから「もっと生きたい」という声が聞こえてきた気がし、ヒルネは小さくうなずいた。


(そっか……もっと生きたいんだね……ありがとう、教えてくれて……)


 聖魔法が発動した。

 ヒルネの足元に直径三十メートルほどの魔法陣が現れ、周囲が一気に明るくなった。ヒルネから膨大な星屑が舞い始める。


 その美しい輝きを見て、ジャンヌとホリーが魅入られたように互いの手を取り合った。


「ヒルネさま……」

「すごいわ……なんて大きな聖魔法なの……」


 魔法陣には精緻な聖句がびっしりと刻まれている。

 舞い上がった大量の星屑がヒルネの周囲で渦を巻き、今か今かと出番を待っている。


(お願い……!)


 ヒルネが目を見開くと魔法陣が光輝き、星屑がジュエリーアップルを包み込んだ。


 治癒の聖魔法は木に行き渡ると、次は地中へと潜り込んでいく。土が歓喜するようにぽこぽこと気泡を吐き出して、色が濃く変化していった。


「あっ、果実が――」

「すごい勢いで成長しているわ!」


 ジュエリーアップルがざわりと動き、早送りのように葉が生え、枝が伸び、果実が実りだした。


 サクランボほどの大きさから一気にリンゴのサイズへ巨大化していく様は、世界の神秘に見える。


 いくつもの赤く熟れた果実が聖魔法に照らされ、その重みで枝が沈んだ。


(もう大丈夫……だね)


 確かな生命の脈動を感じ、ヒルネが魔法を閉じた。

 役目を終えた魔法陣が消失し、星屑が宙へと消えていく。

 ジャンヌとホリーがそれを見届け、興奮した様子でヒルネに駆け寄った。


「ヒルネさま! 果実ができました!」

「大聖女さま並の聖魔法よ!」

「うまくいったみたい、だ、ね……」


 ヒルネは立ち上がろうとし、足がふらついて目の前が暗転した。


(あれ……力が入らない……ダメだ……このまま……寝ちゃおう……)


「ヒルネさま? ヒルネさま!」


 ジャンヌが滑り込んでヒルネを抱きかかえた。

 ホリーがあわてて顔を覗き込む。


「顔が真っ青……魔力欠乏症ね」


 ほっと息を吐いて安堵した。


「急激に魔力を使うとなる症状。慣れてない聖女見習いがよくなるのよ……寝ていれば治るわ」

「よかった……よかったです……」


 ジャンヌは泣きそうになってヒルネを抱きしめた。


「ワンダさまを呼んでくる。さすがに報告しないとね。あなたはここでヒルネを看ていて!」

「はい!」


 返事を聞くと、ホリーが宿舎へと走っていった。

 ホリーが去ると、がさりとジュエリーアップルの葉がこすれた。まるで、いってらっしゃいと言っているようだ。


 ――ぽとり


 ふいにジャンヌとヒルネの真横に、赤い果実が落ちた。


「あっ……」


 ジャンヌが果実を小さな手で拾い上げ、緑に茂ったジュエリーアップルを見上げた。


 ジュエリーアップルの葉の隙間から、半欠けの月が見え隠れしている。肌寒い風が吹くが、ジャンヌは奇妙な興奮で身体が熱く、夜風が心地よかった。


「ヒルネさま……ジュエリーアップルさんも、喜んでいるみたいですよ」


 ジャンヌは微笑み、寝ているヒルネの前髪をゆっくりと耳へかけた。

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