閑話3 チョコの渡しかたは人それぞれです

 二月の上旬にあるイベントと言えば、何を思い浮かべるだろうか。節分? 春一番? 建国記念の日? それとも猫の日?


 とまあ、冗談はほどほどにしておいて。そう、バレンタインデーである。


 こと僕の彼女である水上さんが、その手のイベントを見逃すはずがなく、二月に入ったあたりからちょくちょく僕に会うたびに好みのチョコレートを尋ねてきたわけで。


 ……いや、まあ。期待はしているよ? 中・高・大とチョコは義理しか貰ったことがないから。期待はしているんだけど……。

 なんせあの水上さんが、普通にバレンタインデーを迎えてくれるのかどうか……。そこだけが不安。


 そしてやって来た二月十四日。この日は珍しく僕と小千谷さん、さらに宮内さんという野郎三人組だったのだけど、

「バレンタインデーだから、虎太郎クンと太地クンにもチョコレートあげるわあ」

 と、袋いっぱいに入ったチョコを手渡された。……こ、これは友チョコなのか? 宮内さんが渡すと意味深にしか思えない。


 そして、お店を出てそれぞれ家路につこうとすると、「あっ、こっちゃん待ってたよ。さ、行こっ」と問答無用で小千谷さんが津久田さんに連れ去られたし。


「えっ、ちょっ、かっ、佳織っ? え? 何? 俺今日は何されるの? 俺何も悪いことしてないよね?」

「今日はバレンタインデーだからね。美味しいお酒でも飲みに行こ―」

「おっ、お酒──俺っ、明日も出勤なんだ、それだけは勘弁してええええ!」

「それじゃ、八色君、じゃあねー」

「お、お疲れ様です……」


 ど、どうやら小千谷さんも平和なバレンタインデーは過ごせないみたいですね……。お互い大変なことで……。

 さて、僕も僕で……。


水上 愛唯:チョコ、八色さんの家に用意しておきますね


 スマホに届いていた一通のラインを見て、軽く冷や汗を流す。

 僕の家に用意しておく……? ポストに投函しておきますね、とか、そういう感じなのかな……? 水上さん、用事があるとか、なのかな……?


 電車に乗って家に帰り、ひとまずポストを開ける。

「……何もない」

 ……あれ? 何もない? いや、そんなことある……? 僕の家に用意しましたってラインを送ったんだよね?


 少し不安になって、家のドアを開ける。

「…………」

 三和土には、見覚えのある女性用の靴がひとつ。

「み、水上さーん。い、いるの……?」


 台所を通過して、部屋に入ってはみるけども、そこに水上さんの姿はない。荷物は置いてあるけど。

「……い、いない……」


 ど、どこにいるんだろう……。とりあえず、お風呂でも沸かすか……。

 台所で手を洗ってから、そのまま浴室のすりガラスでできたドアを開くと──

「んんんんんっ! みっ、水上さんっ?」

 そこには、湯船の縁に裸になって座っている水上さんが。


「なっ、なんでここに……!」

 ただ、普通と何が違うかと言うと……。

「……あ、おかえりなさい、八色さん。お待ちしていました……」


 彼女の身体のあちこちに、溶かしたチョコレートらしきものが塗られている、ということだ。……胸の先端の、本来は桃色が映るところが、チョコのブラウンに染まっていたり、唇だったり、指先だったり、足元だったり。


「バレンタインのチョコ、普通に渡すのも面白くないんで……ちょっと裸チョコに挑戦してみようかなって思って」

「なっ、ななななんでそういう知識にはほんと詳しいの」

「……八色さんが喜ぶかと思って」

「そ、そっ、そんなはずっ」


 後ずさりして、浴室から離れようとするけど、大事なところもしっかりチョコで隠した水上さんに手を引かれ、捕まってしまう。

「チョコ、食べてくれないんですか……? 八色さん……。頑張って、みたんですけど……」

 ちょっと悲しそうな表情で上目遣いしないで……。


「いっ、いやっ、そ、それはさすがに特殊すぎるというか……」

「……チョコ、食べちゃえば……色々できるんですよ……? 八色さん」

 そうして、グイグイと押される僕。


 結局、その後どうなったかと言うと。……誤解を恐れずに表現するならば、美味しくいただきました、ってことになると思う。


「……うう……ぼ、僕はなんてことを……」

 二時間後。全部が終わって、ついでにお風呂も入ってさっぱりはしたけど、心のうちは全然さっぱりしていない。……そりゃそうだ。あんなアブノーマルなこと、やるだけ精神がすり減るに決まっている。


 部屋のベッドに力なく座り込んだ僕に、隣から水上さんがそっと微笑んでくる。

「ふふふ……あんなに子供みたいに色々なところを舐める八色さんも、なかなか可愛かったです……」

「ら、来年は普通にチョコを作っていただけると、非常に嬉しいです……」

 毎年毎年これをやるってなると、身がもたなくなってしまう。


「では、来年はローションの代わりにチョコを──」

「それは絶対にやめて」


 ……水上さんの普通って……。彼女のスタンダード、あまりにも僕のためってベクトルに振れ過ぎじゃない? いや、知っているけどさ……。知っているんだけどさ……。


「……それより八色さん。私、明日一日中空いているんですよね……?」

「な、何が言いたいの……?」

 僕が聞き返すと、水上さんは着替えたパジャマの胸ポケットに忍ばせていたリップクリームを取り出して、唇に塗る。……ただ、普通のリップではなかったようで……。


「まだ……チョコ、食べたくないですか……?」

 今度は僕をふかふかのベッドの上に押し倒した水上さん。うっとりとした目で僕を見下ろしては、ポチポチとパジャマのボタンを外していく。


「え、ちょっ、ぼっ、僕ちょっと休憩したくてっ、うあっ」

「……こうでもしないと、八色さん、全然私のこと、求めてくれないんですもの……」

 訂正しよう。全部終わってなんかなかったんだ。……あくまでハーフタイム。僕がようやく穏やかな寝息を立てることができたのは、それから二時間後のことだった。


 次のイベント、何があるかだけ確認しておかないと……。ホワイトデーは……さすがに水上さん側から何かしてくること、ないよね? 大丈夫だよね? 信じていいよね?


 ……ホワイトデーは二倍返しってよく言うけど……まさか、これの倍返しを要求するってパターンは、あり得ないよね?


 思いついたひとつの未来に、軽く恐怖を覚えつつも、すぐ側で安らかに休んでいる水上さんの顔を見て、二月十五日の朝を迎えていた。

 多分、こんな日々が続いていくんだろうなあ……。これからも。

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