第2章 第23話「到来」
願ってもいないチャンスが到来した。本居の意図は全く見えてこなかった。国内外での成功を収め、またその成功は常に変化する中で行われてきた。そしてその成功は常にプレイングの活動規模の拡大に比例していた。再結成をしてからはその傾向が顕著に出ている。次の公演は一体どんなものになるのだろうかと人々は期待する。今さら小さくまとまった芝居を作るわけにもいかないし、彼らは一度プレイングとしての活動を休止して個人での特化した活動に集中していた時期がある。今更同じ環境に戻るわけにもいくまい。
そんな風にして動向が注目された十ヶ月後、一年ぶりに公演を行うとの告知が出た。新しい芝居のスタイルは二人芝居。出演者は本居と折口の二名だ。講演会のようなテイストになるらしいのだが、それは一度私と行っている。その結果は好意的に受け止められてはいるものの、私たちの間での評価は今一つと言った所だ。稽古の時とは異なる空気を作り出したことにその要因はあるのだが、そこには確かに神の存在があった。
次の公演は何か神に纏わる公演なのかもしれない。そんな可能性を感じた。本居からその公演の招待が来た。神の存在をはっきりと口にしないし、そんなものは存在しないというスタンスを貫いている。現に私が問い詰めても良い返事はやって来ない。それなのに今回の公演に招待をしてくれたというのは一体どういうことなのだろうか。本居の意図はつかめなかったが、とにかく公演には足を運ばせてもらった。
そこには神がいた。本居が演じているのか、それとも本物の神なのかはわからない。
舞台に立っている人物は二人いて、そのもう一人が折口だ。折口は演出家としての側面しか知らないけれど、想像以上に堂々と演技をする。役者上がりの脚本家は多いけれど、恐らく折口は役者としてもある程度のところまではいけたのではないかと推測する。何でもできる万能型ではないが器用で小回りは利くのでその大柄な体躯と合わせて多くの重要な役割をこなせることだろう。
一方で本居も器用ではあるし知的なキャラクターを演じることは想像に難くなく、溌剌とした役柄をこなすこともできる。この二人が同時に舞台に立っていること自体が初の試みなのだろうが、流石は長年一緒にやってきているだけのことはあって舞台上でも息が完全に合っている。ここにいるのが例え神であったとしても。
これはもしかするとプレイングとしての挑戦ではなく、本居個人の儀式なのかもしれない。コンビとしての二人舞台という別のベクトルへの挑戦、折口にとってのプロとしての初舞台という挑戦。そういったものに見せかけて、実は神を降臨させるための本居のための儀式なのかもしれない。そんな疑念が持ち上がった。もちろんこの後に本居の所に行ってもはぐらかされるだけだろうし、当然神が宿っていたとしてもその答えは返って来ない。本居の器用さが神の存在を私に見抜かせない。
「俺たちがここに立っていること、それは奇跡のようなものだ。大学時代からずっとプロを目指して進んできた。どうすればプロに近付けるのか。役者やスタッフを抱え、ある程度の規模の劇団を作るという発想もあったけど、常に挑戦していけるような体制を作りたい。それぞれが個人でやり繰りするというプランもあったけれど、俺には俺の足りない部分、円には円の足りない部分を補い合う為にもコンビを組む必要があった。ご存じの通り一時休止していた期間もあり、その期間にある程度の活動もできたにはできたけれど、やはり一つ上のステップに進むためには分業という形を取る必要があった。俺にとっては強力な脚演が必要だったし、円にとっては地続きの世界線を持った制作が必要であった」本居が言う。
「そんな話もしたな。できないことはないけれど、いつか可能性の拡がりが縮小していくことになる。一人でやっていく際には限界がすぐ目の前に立ちふさがっていたが、二人で進めばその壁はずっと遠くなった。後はその遠い壁に迫るまでにいかにして方向転換をしていけるかが最大の課題であったけれど、俺たちは壁に近付くずっと前に新しい場所を目指して行けた。そしてここ数年は少し駆け足気味になりすぎていた。学生時代と比べると拡大ペースが信じられないくらい速いものになって行った。俺たちは次にどこを目指すべきだろうかと自問自答した。少し休憩も欲しかったしな」折口が笑って言う。
彼らにしては珍しい程に平たんな台詞のやりとりであった。もしかすると、これは公演ではなく単なる講演会のようなものなのかもしれないと思いもした。丁度私と鴨間が演じたような。
しかしそれでも本居が神のような演技をしている理由がわからない。やはり実際に神が宿っているのだろうか。
「その休憩を挟んで辿り着いたのが今回の舞台だ。世界のでかい舞台で公演を行いたかったが、日本で名前を大きくして海外に飛んだところで、それはガチガチの商業ベースとしての飛び込みになる。俺たちは何も名前で海外公演を成立させたいわけではなく、実力で認められたかった。そのためにまずは名の通っていないアジアの国で観客を獲得する必要があった」本居が言う。
「不安がないと言えばそれは嘘になる。雨の少ない乾期に準備期間から公演日までが収まるように動いてみたはいいものの、とにかく暑かった。日本と比べてじめじめしていなかったから多少過ごしやすくはあったけれど。後は言葉が通じないことについては演出のやりようがなかったっていうのも大きな壁となった。通じないなら通じないなりに意志を伝達しないと芝居が成立しないからこそ、演出としては何が何でも俺たちのやりたいことを伝えたくなった。これまで日本でやってきたことが何も通用しないという焦りもあった。それでも根気よく教え続けていたら少しずつ伝わっていったみたいで、公演日が近づくにつれて着実に演出の意図を掴んでもらえるようになった」折口が言う。
「そもそも舞台を知らない人たちに、これから真新しいことをやるからついてきてくれということ自体、ハードルが高かったな。スタッフ陣については殆ど俺と円とで賄って、当日の設営は役者たちの手を借りられればそれで問題はなかった。裏方仕事は直感で全て決まったけれど、残る問題は中身だった。どういった人を集めて、どうやって人々の気持ちに訴えかけるか。基本的にみんな仕事があるから、暇そうな人を捕まえる必要があったけれど、経済成長の真っ只中にある国だからそう簡単に人員を集められない。それでも若者の人数が圧倒的に多い国だったからやはり何人かは落ちこぼれになる。舞台作りに大いになる貢献をしてくれた彼らを落ちこぼれ呼ばわりするのもどうかとは思うけれど。そういった人たちに積極的に声を掛けたら、彼らは彼らでどこかくすぶったエネルギーを抱えているようで、俺たちの取り組みに理解を示してくれ、仲間になってくれた」本居が言う。
「最初はお互いビビりながら稽古してたよな。一人英語を話せるやつがいて、そいつに翻訳をしてもらいながら舞台の説明をしていった。とにかく盛り上がるものにしよう。そんな話をしたよな」折口が言う。
「最初から脚本を準備していたけれど、言葉や文化が通じないのだから最初こそ殆ど意味がなかったよな。脚本は言葉の通じるやつとのみ共有をして後は全部身振り手振りで教え込むしかなかった。君はこっちに動いて、君はあっちに行く。何となくこんな感じのことを喋ったら次はこっちに動く。まるで踊りを教えているみたいだったし、初めての試みだから中々上手くいかなかったけれど、大きく動き出したのは円の言う通り、GoProで撮影してからだな」本居が言う。
「自分たちの姿を客観的に眺めることで、自分が今何をしようとしているのかを見せる必要があった。舞台に立っている人間はつい自身の役割に気を取られて忘れてしまいがちになるけれど、客観視をすると自分たちのしていることがよくわかる。何をどうすればより見栄えがするか、どうすれば面白いものになるか。そして自分たちがどれだけ面白いことをしているのかを知ることができる。その為の撮影だった。やはり効果は抜群で、彼らの演技はそれを皮切りにどんどん良くなっていった。最初こそ動きの確認程度が関の山だったけれど、どう見えているかを理解してからは動きの入れ込みのスピードが上がったどころか、その動きにもキレが出始めた。台詞も意味は込めていないにしても発し方に緩急が付き始めた。彼らは大きく変わることになった」折口が言う。
「演出もつけやすくなったって言ってたよな。飲みこみが速くなったし、役者サイドからアイデアが出てくるようになった。逆に統一感を持たせる為にアイデアの取捨選択に苦労した程だった。緩急をつけることこそが美しさだと教えるのに苦労したけれど、これも映像で見せることができたからこそ説得させることができた。全てを大袈裟にしてしまうと見ている側が疲れてしまうけど、所々を大袈裟にして後はのんびり動くことによって観客を疲れさせることはない。そんな説明は映像を見せる以上の効果を持つことはなかった」本居が言う。
「正直、最初はこの集団を日本に引き連れて行くことに結構な抵抗があったよな。言ってみたは良いものの日本公演が成功する勝算はなかった。ショーとしてではなく文化交流の一環ということで逃げの姿勢でツアーを行おうという意見もあったくらいだ。それでも公演日が近づいてからは日本公演にも希望が持てるようになっていった。そして現地向けと日本向けの公演でテイストを変えるのは良くないという意見が出た。世界で戦うと決めたんだから、一度行った公演をその土地ごとに手法を変えてしまうのは違う。それは演者にも観客にも失礼なことだ。何より俺たちの方針に反する」折口が言う。
「一度冗談でミュージカルをやってみるという案が出たよな。台詞は全て発しないで、音声は全て声優さんに依頼しちゃうっていう感じで。俺は斬新で面白いと思うし、それはある種の試みではあるけれど、それはまた今度にしようっていうことになったな」
「どこからそんな発想が出てくるんだっていう感じで驚いたけど、それくらいぶっ飛んでいかないと次には進めないっていう話もしたな」折口が言う。
「そうだな。何だかんだでそのアジアでの公演は成功したし、その後の東欧での公演も無事に成功した。東欧の公演は手探りで始める感覚こそアジアでの動きと似ていたけれど、現地に演劇文化が根付いていたことが唯一にして最大の違いだったな」本居が言う。
「劇場があって、演劇についての理解もあって、だからこそ台詞が重要になった。西欧の文化も持ち合わせていたからその辺りで手を抜くとえらい目に会いそうで、その辺りは必至になって語学を学んだよ。指示は通訳に任せれば良いにしても、脚本なり設定なりはきちんと合わせて行かないと演者たちも違和感を覚えるしね。ある意味でアジアの時よりも気疲れしたな」折口が言う。
「この辺りについては違和感の埋め合わせだけできていれば、元々の理解があった分、順調に進められていたよ。親日国ということもあって感触もかなり良かった。日本での凱旋公演も文句なしの成功だった。これについてはアジア版の前評判があったからこそっていうところもあったけどな。日本公演は基本的に資金集めの側面も強かった。現地だけだと蓄えができずに次に進めない。映画なんかでも監督が本当に撮りたい作品に取り掛かる前に資金や評判を集めるために大衆受けする作品を撮影するっていうしな」本居が言う。
「まぁそれの逆バージョンだな。お金がないと公演としてはどれだけ成功しても次に続かない。アジアでは思いっきり赤字を出して、その分を日本で取り戻そうっていう発想だった。俺たちの基地という意味合いでも是非とも日本で見せる必要もあった」折口が言う。
「東欧の国についてはそこまでの赤字ではなかったにせよ、移動費なり現地での活動費なりでそれなりの打撃はあったな。それも結局は日本公演で取り返すんだけど」本居が言う。
「全部日本公演ありきで組んでいたから当たらなかったとしたらまずかったよな。冷静に考えて経費がめちゃくちゃ掛かるから一回一回が命がけなところはあるんだよね。その辺りは制作を担ってくれている翔の方が把握しているんだろうけど」折口が言う。
「扱う金額は大きいけれど大半は経費だね。役者やスタッフへのお給料もそうだし、劇場に支払う金額も馬鹿にならないし、美術系統も相当かかる。一人芝居をしていた時は美術が最小限で済んだし、劇場も大掛かりな所を使うまでもなかった。衣装も自前だったから殆ど経費は掛からなかった。だけど準備期間を考慮するとそこまでの儲けにはならなかった気がするな。演出業はどうだった?」本居が尋ねる。
「演出もピンキリだったね。作品の大小で決まることはもちろんあったよ。商業ベースだったらバックが大きいからそれなりの金額を頂けたけど、個人がやっている場合はその大元の懐の大きさで決まっていたね。前の公演で蓄えておいたからこれだけ払えますって感じで商業ベースの時くらいの報酬の時もあったし、資金は準備できなかったけど是非折口に演出を付けて欲しいっていうような場合は規模が大きく見えても安い時はあったな。それでも演出一本でやって行くということに関しては初心者だったから仕事の大小問わず来た順番にやらせてもらったし、その為にお断りした商業ベースの大きな作品もあった。例えば・・・」そう言って本居に耳打ちする。観客にはわからないだろうが、演劇関係者ならば大抵の者が知っている話である。
海外で人気を博した脚本の日本国内での上演許可が降りて、それが大々的に開催されたのだが、演出は国内で最も有名なベテラン演出家が演出を付けることになった。脚本家の要望ではこの先に日本を引っ張っていくであろう演出家に是非演出を付けて欲しいとのことであり、プロデューサーサイドからは是非とも折口にとのことで話が進んでいたのだが、折口の日程が全く合わずに仕方がなくベテランの演出家をトップに据えて、その他の若手演出家数名をサブに付けて行われた。演出助手というポジションは要するに制作のカバーしない範囲の雑用というイメージなので演出と付いているのは名ばかりで何かを学べるというものもない。稽古のスケジュールを管理したり稽古場のスタンバイをしたりと、完全なる下積みである。そういう経緯もあり大元の脚本家が納得したかどうかまではわからないが、彼らの公演は大成功を収めることになったし、実際に脚本家も来日して何度か稽古を見学したり、本番を観劇したそうだが何の問題もなかったようだ。
「そんなこともあったみたいだな。業界自体が狭いから噂はいくらでも入ってくる。一人芝居をやっていた時はなるべく円の情報が入って来ないようにしていたけれど、嫌でも情報が入って来たよ」本居が言う。
「俺のことを避けてたのか? 俺は逐一翔の情報が入ってくるようにしてたし、いつ活動を再開することになっても空気を合わせられるように考えてたんだけどな」折口が言う。
「確かに再開した時に噛み合わない部分が出てくると色々と不都合だろうとは思っていたけど、新鮮な気持ちでもう一度組んだ方が良いって考えたからこそリアルタイムの円を知らないでおくことにしたんだ。活動を休止したのは自分たちのポジションやできることを再確認した上で別々の高みに到達するっていう意図があっただろう。そんな中でお互いの情報を共有してしまったら休止した意味が薄れてしまうと感じたんだ。だから全てをリセットして孤独の中で戦うことにしてみたんだ」本居が言う。
「なるほどな。既に俺は演出一本に絞ることが孤独だったからこそ、せめて情報だけでも新鮮に保っておこうと考えていた。これまで翔に頼りっぱなしになっていた部分もあるから、そういったところも含めて一度自分だけでやり繰りしようと考えるようになった。そうなると必然的に情報戦で勝利していかないといけない。何も量で勝負するっていうわけじゃないんだけど、ある程度の量を仕入れておかないと選別だってできないだろう。その中で翔の情報の優先度が高かったっていうことだ」折口が言う。
「そう言ってもらえて嬉しいよ。円の情報だけを選りすぐってシャットアウトするのは無理だからな。俺だってこの業界の情報は常にアップデートしておかないと、いつか一人芝居を中断することになった時に世の中についていけなくなるだろうっていう不安があった」本居が言う。
「じゃあ逆に、今度またいつか一人芝居を再開する可能性があるってことなのか」折口が言う。
「可能性はどこにだって誰にだってどのタイミングでも訪れる。それも突然にな。活動休止も突然だっただろう。言い出しは円だったかもしれないけれど、俺たちの中では殆ど同時に決めたようなもんだよな」本居が言う。
「何か通ずるものがあったんだろうな。一人で戦わないといいけない理由みたいなものが突然芽生えたんだ。このままの環境でいればめちゃくちゃ居心地が良い。工夫次第ではどうとでも戦っていける気がした。だけどここにしがみつかない世界もあるんじゃないかっていう考えが、翔を役者として採用したあの公演の稽古期間の中でどんどん大きくなっていった」折口が言う。
「そうなんだよな。理由はわからないけれど段々とそんな気持ちになっていった」本居が言う。
「そして今回またチームに戻ることになったのも翔の二人芝居の時だった。なんとなく稽古の様子を他のスタッフから聞いていたりしもした、本番さえこっそり観に行った。その過程のどこかに強烈に翔と組む必要性を感じた。翔を一人芝居という枠から抜き出すだとか、俺がこのままじゃ上がっていけないとかそういうことじゃない。ただぼんやりとそう思わせて行くものがあった」折口が言う。
「まるで何かが乗り移ったみたいにな」本居が言う。
「今もそんな感じがしているよ」
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