現代に生きる鬼、ダンジョンを攻略す。
ぽち
第一章 鬼、S級ダンジョン『殺し間遊戯』を攻略せんとす。
第1話 鬼、ダンジョンと遭遇す。
三重県と滋賀県の間――古来より鈴鹿山と呼ばれるその土地は、今年も緑蒸す夏の盛りを迎えていた。姿なき空気は陽炎として揺らぎ、草いきれが充満する森の中で、ごそりと草葉が揺れて焦げ茶色のアナグマが顔を出す。
彼、もしくは彼女だろうか、はキョロキョロと辺りを見回した後で、じっと一点を見つめると、やがて何かを察したのか、すぐさま草葉の影へと身を隠す。
そんなアナグマと入れ替わるようにして、山中を駆けて来る人物があった。
「大変だ! 大変だ! タケちゃん! 大変だよー!」
土くれを蹴飛ばし、駆ける小さな影はセーラー服を着た少女だ。肩まで伸びた黒髪を頭の両サイドで括り、小さな体躯を一生懸命伸ばして野山を駆ける姿は、とても花も恥じらうお年頃の少女には思えない。
そんな少女はスカートを翻して走るはしたない自分の姿を気にする素振りもなく、一直線に目的の場所へと向かっていた。
「タケちゃーん! 居る~? 居るよねー!」
それは、古い造りの武家屋敷だ。
高い木々に周囲を囲われ、ともすれば朽ちた屋敷にも見られがちな建物は、だが近くで見れば丁寧な掃除が行き届き、今も普通に使用されていることはすぐに分かるだろう。
少女は当然のように滑らかに動く引き戸を開け、屋内へと嵐のように飛び込んでいく。靴を脱ぎ捨て、走っていこうとして、戻ってきて靴を揃え、そしてまた廊下を走り出す。タッタッタッと足音を隠しもしない移動は焦っているのもあるのだろうが、少女の顔は焦りよりも何よりも興奮の色が濃かった。
「タケちゃん! 大変だよ! 世界中にダンジョンが発生したよ! 凄いよ! モンスターだよ! 魔法だよ!」
大声を上げながら少女が辿り着いたのは屋敷の最奥。板張りの床が大きな面積を占める部屋の中でポツンと置かれた四畳半の座敷牢の手前だ。その中では一人の少女が、最新のゲーム機のコントローラーを持って画面を食い入るように見つめていた。
長く艶やかな黒髪を首の後ろで一束ねにし、男女共に見惚れるような綺麗な顔を持ち、線は細く、手足が長いため、全体的にスレンダーに見える人物だ。
だが、残念かな。
タケちゃんと呼ばれたその者はお洒落にはとんと無縁で、上下共に黒のジャージ姿で座敷牢の中であぐらをかいて過ごしていた。なまじ美しいだけに、そのアンバランス差がより残念感を引き立てる。
「そろそろクライマックスシリーズに突入しそうじゃから黙っててくれぬか?」
「またパワスピ? 現実逃避は良くないよ? 応援球団が弱いからって選手を強く作ってペナント回しても何の意味もないからね?」
「分かっとる! でも、そうでもしてウサを晴らさんとやってられんのじゃ!」
遂にタケちゃんはコントローラーを放り投げた。自分でも意味が無い行為だということは薄々気付いていたのだろう。畳の上に倒れて『の』の字を描き続けながら、彼女は哀愁を纏わせる。何とも哀れである。
「うぅ、頑張れペンギンズ……」
「そんなことよりもさぁ、ダンジョンだよ! ダンジョン!」
「そんな事とはなんじゃ、小鈴! 妾にとっては超重要なことじゃぞ!」
「だって、凄いんだよ! 昨日から世界の各地でダンジョンが出来たって大盛り上がりなんだから! しかも、中には魔法が使えるようになったって人もいるんだって! ほらほら、スマホ見てよ! はいこれ!」
「別に、妾が教えた修験の秘奥を使えば、小鈴も
周囲の自然の中でセミの鳴く声が喧しく響く中、ややあって小鈴と呼ばれたセーラー服の少女はコテンと首を傾げた。
「あれ? そう考えると実は凄くない?」
小鈴は冷静になって落ち着いてから、自分の今の環境を考える。
元々の始まりは、小鈴も知らぬ三百と余年も前の出来事だ。小鈴の祖先にあたる強い力を持った修験者が、自分の力を更に磨く為、血族の幼子に『鬼の魂を定着させた』のがそもそもの始まりだ。
その幼子は十年経っても二十年経っても姿形が変わらず、このままではいずれバケモノだと噂が立ち、討伐されてしまうかもしれないと考えた修験者は、幼子を座敷牢へと匿い、人知れぬ山奥の修験者たちの隠れ里でひっそりと育ててきたのだ。
幼子はやがて
そして、それから三百と余年。
幼子はすっかりと十代半ばの姿へと美しく成長し、今ではすっかりと俗世に染まりきっていた。
だが、その神通力は歳を経る毎に強力になっており、今暴れ出せば国が滅びるのではないのかというのが、里共通の見解である。
そして、そんな現実よりもファンタジーな存在の御世話係というか、遊び相手に指名されている少女……
要するに、彼女も魔法が使えるのである。
そう考えると、ダンジョンの存在とはそこまで大した出来事ではない気がしてきた。小鈴はあからさまにガックリする。
「なんだぁ、凄いワクワクする日常が始まるのかと思って期待しちゃったよ~」
「妾たちにとっては大して変わらんじゃろうな。そうじゃ、小鈴よ。此処まで来たついでにパワスピで対戦しよう。ワシ、ペンギンズな」
「えー。タケちゃん弱いからなぁー」
「言ったのぅ! 吐いた唾は飲めんからな!」
いそいそと二個目のコントローラーを用意する大竹丸。そして、二人してコントローラーを握っていざ勝負といったその時である。
ぶぉん――。
という重低音と共に座敷牢の奥に大きな洞窟の入り口のようなものが現れたのは……。
「なんじゃこれは?」
「あれ? もしかして?」
「むむ、もしや……」
「「ダンジョン!」」
その時、二人の意識は確かにシンクロしていたことだろう。事実、言葉が重なる。
「「――タイミング悪ッ!」」
なんという空気の読めぬ迷惑な輩かと、大竹丸は憤慨するのであった。
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