【第12話】猫屋敷八花
目を疑った。
実は普段緋天にばかり指示して自分ではほとんど動くことがなかった八花を心の底からずっと侮っていた。
十夜の眼の前で翡翠色の瞳がユラユラと残像を残していく。それしか目で追えなかった。
四方八方から襲い来る青い炎を軽業師のような身のこなしで避けていく。時には雨のように降り注ぐ炎すらも先読みでもしているかのようにしてどんどん避けて偽神に迫っていく。
「小癪な」
舌打ちを溢し、偽神はパチンと指を鳴らした。
すると八花が踏み込んだ地面から前触れもなく青い火柱が上がった。
「八花君!」
直撃した。
火柱で見えなくなった八花を助けようと身をよじるが「いけません」と緋天に止められる。
「どうして止めるんですか八花君が!」
「大丈夫ですよ」
ほら、と指を差した先には火柱の影に八花が立っていた。
服の端の至る所が焼け焦げてはいたがどうやら無事なようだ。
「チッ」
偽神は様々な方法で追い詰めるが小柄な体を活かし右へ、左へと青い炎を器用に避けては偽神を翻弄していく。それはどこか緋天の身のこなしに似ていた。
(――まるで人間の動きじゃないみたい)
「もしかして八花君も緋天さんと同じ?」
これまで見てきた八花の動きといい、どことなく緋天に似ていることが気になった。口を滑らせた質問は「同じではありません」とすぐさま緋天に否定された。
「あの人は私と違って正真正銘の人間ですよ。八花さんだけが持つ
あれだけの緋天にそれほど言わしめる八花の実力は相当のものなのだろう。
「信じられませんか?」
「あ、えっと」
「そういえばもう一つありましたね、八花さんが強いのは――もう一つあれがあるからです」
「あれって?」
突如偽神が炎を消した。
「どうした? もう燃料切れ」
小馬鹿にする余裕すらあった。
「黙れ小賢しい小童よ。ちょこまかと猿のように、じゃが威勢がいいのはそこまでだ」
今までと桁違いの巨大な炎の渦が轟轟と偽神の頭上で異様な音をさせていた。マグマがあたかもそこにあるような、近くにいないのに十夜達のところまで熱気が伝わってくる。
あれはヤバイ、と本能的に十夜にも分かった。
それまで炎を避けていた八花がピタッと足を止めた。
「そうであろう、お主は身のこなしだけは猿のように素早いがこれだけの範囲は避けられまい? それにお主が避ければ後ろにいる者どもは我が炎によって焼き尽くされような」
さあどうする、偽神が笑った。
「避けるつもりはない」
構えを解いた。
刀を鞘に納め無防備な状態で偽神と対峙した。
「舐めた真似を、灰すら残さず死ぬがいい。これで終いじゃ小童共!」
全てを燃やし尽くすその炎は以前の黒いもやのように蛇の形を成し、十夜達に向けて放たれた――
「う、嘘……」
目は閉じなかった。閉じられなかった。
炎の蛇が八花を襲う瞬間に目に留まらぬ速さで刀身を引き抜いた。
縦に一閃、斬り伏せた。
青い炎の蛇は真っ二つに割れ、その巨大な体躯を霧散させた。わななく偽神に八花は刃を切り返し、再び目にもとまらぬ速さで偽神の懐に迫った。
そして。
偽神と八花が重なった。
刃が偽神の……真莉の体を深々と貫いていた。
「――…は?」
ゴフッ、と偽神の口から真っ赤な液体が零れ落ち、屋上の地面を濡らしていく。
八花越しに偽神と目が合った。その目は見開かれたままでおそらく自分の身に何が起こったのか理解出来ないといったところだ。しかしそれは十夜も同じだった。
ぐらりと体が傾いた。
十夜は走った。いつの間にか緋天の拘束は解かれていた。
「真莉!!」
地面に伏している体を起こすといつの間にか髪も、服も、体も、何もかも元に戻っていた。
「真莉、目を開けてよ!」
やっと真莉の姿に戻ったのに。
「い、息は? 心臓は?」
真莉の胸に耳を当てた。
トクン、トクン、トクン
正常な心臓の音。微かに口から息をする音が聞こえた。
「………~ったあああああああ」
十夜から溜息とも取れる安堵の息が零れた。
「……ッふは…まさか、妾が――祓わ、るとは」
十夜は顔を上げた。
(え)
八花が貫いた刃には実体のないはずの偽神が
刀身を引き抜いたと同時に偽神の口からゴプッと黒黒とした血を吐き出し、紅い単衣をさらに濃く色付けしていく。
何とか立っているといった様子で、もう青い炎を出す余力すらない。
「おまえ……、その刀……もしや――」
「悪いけどこれに名はないよ。昔は大それた名前があったみたいだけど、今は歴史の闇に消えた。名も失き刀だ」
すで夜の空に昇っていた月を背にその刀を偽神に振り上げた。
「ふはは、は、結局、妾は不要…か。ただ、救うと、思った。神が見捨てた社も、人も、全てを、憎もうぞ」
偽神、元神使から浴びせられる呪いの言葉を一心に受けた。
「……――今からお前を祓う」
凛とした八花の声が聞こえる。
「深淵の縁に消えなさい」
一気に刀を振り下ろした。
キィィンと響くような甲高い音、偽神の体にピシッとひびが入った。
ピシッ、ピシッとひびが増えていき次の瞬間、ガラスが割れるように砕け散っていった。
「消えたの?」
「ああ」
「最期の偽神……なんか」
「そこまででよしなよ」
八花が止めた。
「また言わせるのかい?」
恨むなら恨めばいい、蔑みたければ蔑めばいい。これが私の仕事、妖それぞれに慈悲なんてかけていたらこちらが死ぬ。妖と人の価値観は違うんだ
この仕事に慈悲は必要ない
「そ、だね」
何も言い返せずギュッと真莉を抱き締めた。
『可哀想』
それこそが傲慢というものだ。
⁂
静かになった屋上で十夜は今起きたものを全て問い詰めた。
「依り代になった相手ごと切るって言っていたのに」
粉々になって風に散っていったのを見届けてから八花がアホな奴を見るような目で言った。
「そんなの嘘に決まってるだろう。もしかして本気にしたの?」
(んなの分かるわけないでしょ!)
イラッとした顔を見ても八花は意に介さず、手に持っている刀を十夜の眼の前に晒した。それは普段どころかテレビでしか見たことないのような小振りの日本刀が握られていた。
「私の……師匠から貰ったものだ、けして人は切らず妖だけを斬る刀。勿論、妖から放たれた攻撃も呪術も何もかも跳ね除ける。だから君の友達は無事だよ」
確かに真莉の腹部を貫いたと思っていたが実際には傷一つなく、偽神だけを捕えていた。
(すごい)
小柄な八花に丁度良く手になじむそれ。刃には刃紋と呼ばれる模様がまるで花のように散りばめられていて、目の前で妖を斬った冷たく鋭い刃と正反対の花模様が一緒に存在している様が何故か八花に似合うと思ってしまった。
八花は刀を地面に向かって薙ぎ、鞘に納めた。
「さあ撤収しよう、緋天二人を運んでくれる?」
緋天は言われた二人、ではなくつかつかと八花に近寄った。何故かその顔は険しく怒っているようだった、八花の制止も聞かずその手を掴んだ。
「怪我、なさってますね」
緋天の言う通り手の甲には擦ったような傷があり血が滲んでいた。
目敏いな、と小さく舌打ちした。
「当たり前です私を何だと思ってるんですか。匂いですぐにわかります」
どうやら見つからないようにポケットに突っ込んでいたがバレていたようだ。
「お前今日は輸血してきたんだろう腹は満たされてるはずだ」
手を引こうとしたが強く握られて逃げられなかった。
「それはそれ、これはこれです。それにこのままじゃ化膿して病気になるかもしれませんよ。いいんですか八花さんの嫌いな病院に行くことになっても?」
臭いものでも嗅いだような顔で「痛いのは嫌だ」と駄々をこねた。
「そんなこと言っても怪我は治ってくれませんよ。それに――…こんなにいい匂いをいつまでも私の前に晒させないでくださいよ」
「え……」
次の光景に十夜は釘付けになった。
緋天の赤い舌が八花の手の甲を這った。
「っ!」
痛みに顔を歪め引っ込めそうになる手を緋天が強く掴んだまま離さなかった。
我慢してください、と容赦なく傷口を、血を舐め取っていく。
「…………………」
背徳じみた艶めかしい衝撃に目を逸らすことも忘れ、目の前で繰り広げられる突然の行為に魅せられた。
最後に垂れた血の一滴を舐めとって「御馳走様です」とほくそ笑んだ。
口元を拭いやっと手が離された。
微かに艶肌の良くなった緋天と反対に八花はぐったりとしていた。
「痛いんだけど……。もう少し優しくできないのかい?」
怪我した方の手を振った。
「でもお陰で治ったでしょう」
遅れて八花の指示に従い亮平の元まで戻っていった。
面白くない、とブスッとした顔のままそっぽを向いた。誤魔化すように矛先を十夜に変え、目線を合わせるように目の前に屈みこんだ。
「君、怪我は?」
翡翠の目が覗き込んできた。
「ひえ!? あ、大丈夫でした! 御馳走様でした!」
直視できずに慌てて目を逸らした。
なんで君まで、と呆れられてしまったが十夜は頬が赤くなるのを止められない。
「いえ、何というか、見てはいけないようなお二人の光景を見てしまったと言いますか」
クスクスと忍び笑いが聞こえた。
(あれ絶対にわざとだ!)
十夜に見せつけるようにやったのだ、と。その理由は分からない。
でも。
(本当に吸血鬼だったんだ)
唐突に思い出される今までの光景。
跳躍力、脚力と人以上の力を目の当たりにしてきたが今回は特別だった。緋天が本当に
「まあよく分かんないけど、無事ならいい」
八花が立ち上がった時に目に入ってしまった。手の甲に確かにあった筈の傷が無くなっていた。
「そうだ、君の両手の怪我も何とかしないと破傷風になって大変なことになるよ?」
「何のこ……と…」
言われて自分の掌を見た。
以前の火傷の怪我、フェンスを思い切り掴んだ拍子に血と肉が抉れ返ったように悲惨なことになっていた。
忘れていた掌の痛み。意識するとズキズキと激痛が増していき、そのまま指の一本も動かせなくなって固まった。
「緋天お荷物が3つになったよ」
散々な言われようだがその通りだから反論しなかった。
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