第二部

【第1話】敗北目覚


 茜色に染まった誰もいない教室。

 いや、誰もいないと思っていた教室には窓際でお互い向かい合った一組の男女の姿がみえた。

 ■■は咄嗟に教室の扉の影に隠れていた。


 どうして?

 どうして二人だけで?


 二人が幼馴染なのは知っているし、友達とも家族とも少し違うその距離感はその関係によるものだとずっと思ってた。でも今見えるのは幼馴染で片付けられるものの距離ではない。


 二人は付き合ってる?

 まさか嘘だ

 そんな話は聞いてない


 ここからでは二人の話の内容までは聞き取れない。西日で目を細めなければ見えない中で辛うじて教室から伸びた二人分の影が廊下に映し出される。

 二人は第三者の存在には気付いていない。そんな中で男が女を手招きする。さらに近付く距離。

 影が重なる。

 だけは顔を背けた。再び教室を覗くと口元を押さえ小さく肩を震わせてる女と恥ずかしそうに照れた顔の男がいた。

 見たことのないはにかむ笑み。

 優しげに微笑む姿はまるで恋をしてるよう。

 これ以上見ていられなくて廊下を駆け出した。


 ―― ええのか最後まで見ずに?


 聞こえてくる声を無視した。


 ―― フフフ、寂しいのぉ。でも今見たのが真実よ■■、二人を祝福しなくてよいのかえ? 一番身近で見てきたお主が


「うるさい!!」


 誰もいないのをいいことに■■は廊下の真ん中で叫んだ。


 ―― 口が過ぎたか。じゃがの事実から目を背けても何もならん、お主はこれからどうする?


「どうもしない、いつも通りにする」


 ―― 本当にそれでええのか?


 もう無視した。何を言われても無視するつもりだ。


 ―― 陸み合う彼等の邪魔になるのにか?


 足が止まった。


 ――お主も本当はもう分かっているのだろう? 

 ――分かっているのに認められずにいるのだろう?


「そんなこと…二人はそんなこと、しない」


 邪魔者扱いするとは思えない。でも絶対とも言い切れない。普通に考えれば付き合った男女の間に、空気を読まずに入るのは無神経にも程がある。


 ――そうじゃ■■、家にも学び舎にもどこにも居場所がない、それに友と思っていた者も、好いた者さえもお主を一番には選ばない、誰も。邪魔だとさえ思うだろうな


「ち、違う、そんな筈……」


 ――妾は、妾だけがお主の心の根の痛みを理解してやれる。自分の事のようによぉく分かるぞ。妾も奪われた側の者ゆえな、居場所がないのは辛いことよ


「……」


 名前を呼ぶ。


 ――辛かろう


 辛くない


 ――悲しかろう


 悲しくない


 ――苦しかろう


 違う、違う違う違う!


 ――……あやつらが憎かろう?


 心の奥底にある触れたら壊れてしまいそうなガラスにピシッとヒビが入った気がした。


 ――憎ければ憎めばよい。それはヒトとしての本能、誰が責めよう。どうしてお主だけが我慢をする必要がある? いつもいつも。お主は我慢して、諦めて、奪われて、実の親にすら何も言い返さずお主ばかりが傷付いていく。そんなお主を妾は見ていられない、お主も自分の為に願いを言ってもいいのじゃぞ。はけして悪いことではない、皆が皆同じことを言の葉は違えど願っている


「……」


 ――居場所がないのなら奪ってやろう、好いた者の前では友情なぞ儚きもの、奪われたものは奪い返せばよい


「奪う…」


 視界が歪んでいく。もうこれ以上は自分を保っていられなかった。


 ――おいで


 ――おいで


 ――妾のもとへ、作法はもう分かっておろう


 甘い甘い悪魔のような誘惑ささやき。分かっているのに抗えない。廊下の向こうで手招きしてくるあれは誰?


「貴女は一体…」


 ――叶えたいおもいがあるのなら、誰にも奪われたくないのなら、自らの足で妾を訪れよ。妾は三十木の社に住まう神、倉稲魂命大神


 ――■■、お主のその願い妾が叶えてやろう


「あれは……」



 ――――

 ―――

 ――


 ⁂


「ッ!」

 それは見知ったいつもの天井。

 額にびっしょりと汗を掻き、髪が張り付く気持ち悪さに八花はベッドから体を起こした。

(また、あの夢)

 最近落ち着いていたのに。

「はぁ」

 忘れかけていた記憶ゆめを無理矢理追い出した。

 キシッと音を立てたベッドを下りる。

 2階の自室から開け放たれたままだった窓の外は夜の帳が降りてくる時間。もうすぐお店を開ける時間がやってくる。

(熱い)

 急に熱を帯び出した瞳を落ち着かせる為に目を閉じた。

 八花の目は時折独りでに熱を持ち、鏡を見ればいつものように翡翠色のものへと変化しているのだ。

 この眼は先代あやかし堂の店主から【真実眼トゥルーアイズ】だと教えられた。過去や未来を見透すことも、ましてや千里眼のような特殊な眼をしているわけではない。

 妖の気配が、声が、存在が。眼を通してのだ。

 稀に取換チェンジリングえ子が持つとされる特別な眼。幼少の頃に妖世界の空気に長く触れてしまったためだと云われているが実際の所不明な点が多い。チェンジリングに合った者全員が真実眼が備わるわけではないらしい。

 何のために?

 それにどうして自分が?

 そう思ったことも一度や二度ではない。今はもう慣れた。他の人からは首をかしげるような非日常でも八花にとっての日常になっているからだ。



 熱が引いていく。視界の闇と窓から入る心地好い風が鬱々とした気持ちを拐っていってくれる。


 トントントン


 この控えめなノックは緋天だ。吸血鬼の聴覚は相手が壁の向こうにいても衣擦れの音だけで起きたのかすぐに解ってしまう。

「すぐに行くよ」

 返事をしてから汗で湿ったシャツを脱ぎ始めた。その音に緋天は慌てながら階下に逃げていった。

 普段から感覚を研ぎ澄まさないよう訓練させているが、まだまだのようだ。

「……まだ終わってない、か」

 唐突に思い出される半月前の依頼。善狐の最後に言った言葉が今でも耳に残っていた。


(夏目十夜に関する依頼にはまだ何かある)


 確かに腑に落ちないことが多かった。

 ふむ、と八花は上着に袖を通しながら自室を出ていった。窓の外には白い月が昇っていた。

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