【第19話】倉稲魂命大神


『まだ生きておったとは中中にしぶといのぉ、十夜?』

 もう一度名前を呼ばれた瞬間、寒気だったものは鳥肌へと変わった。

「なん、でアタシの…名前」

 愕然とした十夜の表情に満足した少女は口に手を当てニンマリと目を細めた。

『知っておる知っておるよ十夜、わらわはなあんでも知っておる。この社の神だからの』

 この得体の知れない少女が喋るたびに言葉では言い表せない感覚に陥る。

 まるでそれが不吉な存在だとこの場にいてはいけないと十夜の第六感を刺激する。

「か、神様?」

 まさか昼間に現れた少女が噂通りに神様だと思わなかった。

『この前はが今回はいないようじゃな。して十夜、お主は何を叶えて欲しさに再び妾を訪ねた?』

「この前? 叶えてって、一体何を」

 何も叶えてもらうつもりはない。ここに来たのは――。

 「耳を貸さないで」

 その言葉に咄嗟に耳を塞いだ。 

 無駄じゃぞ、とクスクスと少女の笑い声が

『足を元に戻すことか? それとも学友との輪にまた入れるようにしてやろうかえ?』

 十夜の肩が震えた。

(嘘)

『嘘ではない、それに十夜ここは神の社。人の子が願いを叶えてもらうがゆえに足を運ぶ場所ぞ。そんな妾にとって人の子の心を知ることなぞ造作もない』

(嘘、だってそれは貴女が勝手に、アタシを呪ったせいなんでしょ。神社のすぐ近くまで行ったのにアタシがお願いしないまま帰ったから……)

『妾が?』

 心根を読んだ少女が目を丸くしていたがすぐに『十夜』と幼子に言い聞かせるように優しく話しかけた。

『妾は願いが無ければ何も出来ぬ身。願わぬからといって人を呪うなぞ、神である妾がするはずなかろう』

(願いがないと何も出来ない?)

「でもそれじゃあ、なんで……」

わけは話せぬ。ただ、お主がそれを願わば必ずや願いを聞き届けよう。どうじゃ十夜?』

 紡がれる言の葉はまるで毒のように甘い。簡単に十夜の消したはずの願いが浮き彫りになる。その誘惑ねがいに手を伸ばしたくなる。


 願えば、足は治る?

 また走れるようになる?

 本当に――?


『妾のもとへ、作法はもう分かっておろう』

 差し出される手に導かれるように十夜も手を――

「神様とやら、内緒話はもっと人がいないところを選んだ方がいい。それに悪いがこれ以上この子を誘惑するのは止めてもらうか」

 十夜の肩にポンッと手が置かれた。

 その瞬間、ハッとした。

「あ、れ? アタシどうしたの?」

 翡翠色の目をした八花が盾になるように前に出た。

『誰じゃ貴様?』

「私は猫屋敷八花、隣町で祓い屋を営んでる者だ」

 聞き慣れない言葉に眉を潜めた。

『猫屋敷? はてどこかで聞いたようなうじじゃが――…まあよいか。して、その祓い屋風情が妾に何用じゃ』

「用と言うのは他でもない私に依頼が来たから祓いに来た、ただそれだけ。三十木みときやしろに巣食う、噂の元凶である貴女を」

 翡翠の瞳が標的である少女を捉え、余裕すらあった少女から表情が消えた。

『この妾をか? 祓う? まっこと面白いことをいいな』

「冗談ではないんだけどね、神をかたる罰当たりなさん?」

 その瞬間、瞳がカッと見開かれた。

『貴様!』

 怒気を孕んだ言の葉が社の周辺だけに再び不自然な風を吹かせた。

「どういうこと化け狐って、あの子神様じゃないの?」

 八花が肩越しに振り返った。

「違うね、ここにはもう神はいない」

 それじゃあどうして、と口に出す前に

「ここに来る道中沢山の狐の像をみただろ」

 と言った。

「ここは稲荷神を祀った神社だ」

「稲荷って狐の神様のことだっけ?」

 そういえばお店でもそんなようなことを言っていたような気がする。

「あとで緋天辺りに詳しい話を聞くといい。結論だけ言うとあの少女の正体は神に仕える動物、神使」

「しんし?」

「まさかここで神使が神の真似事をしているとは思わなかったよ。それにちゃっかり幻術まで使って人を騙すなんて……これじゃあ野干と大して変わらない」

 神使が聞いて呆れる、と肩を竦めた。

『ならば問おう人の子よ。そこまで言うのならお主も知っておろう、神使は神の眷属であるが神ではない。もし妾が一神使だったとしてこうも人の願いを叶えることが出来ようか?』

 確かにこの神の言う通り噂になるくらいこの神社の力は絶大だ。何人も叶ったという話を十夜が通う学校でも聞いているし、話題になるほどだった。

「そう……普通の神使はそんな力なんてない」

 それ見たことか、と勝ち誇ったような笑い声が境内中に響き渡った。

『妾は本物の倉稲魂命大神うかみたまのみことおんかみ。神使風情と間違われては困るわ』

 賽銭箱から優雅に降り立った。

『分かったであろう十夜、妾は本物の神。お主の一番の願いを言ってごらん』

 近付いてくる存在に底知れないものを感じ一歩後退った。

『怖がることはないお主はただ願いを言えばいいだけ。作法も特別に見逃してやろう、じゃが叶ったことを妾に言うのだけは忘れるな』

「う、ちょ」

 思わず八花を見た。

『そこの祓い屋もお主自身が願えばもう何も言いはしない、何せ認めたも同然なのだか――』

御霊晶みたましょう

 ピタリと足が止まった。

「取り込んだのでしょう、三十木のを」

 ずっと十夜だけを捉えていた目がぎょろりと八花に移り、途端にわなわなと体を震わせた。

『……何故それを――何故お前が知っておるのだ、たかが人間風情が!』

 激昂と突風。

 それが答えだと言っているようなものだった。激昂する偽神の様子に満足そうな八花がにやりと笑った。

「言ったでしょう祓い屋だって。緋天!」

 待ってました、と待機していた緋天が偽神目掛けて懐中電灯をぶん投げた。

 勢いよく飛び退いた偽神の脇を掠め、そのままこの神社の御神木に盛大にぶつかった。懐中電灯が粉々に壊れる大きな音に十夜は身を竦めた。


 ⁂


「みたましょう?」

 何度目かになる疑問にも八花は苦も無く説明してくれた。

「御霊晶は現世にある神社に必ずある神の一部から生まれた欠片。神はずっと神社にいるわけじゃなく普段からいない神の代わりに神使がいる。神と神社、神使の3つを繋ぐのが御霊晶。その神の一部を取り込むということは簡易的にその力を得ることになる。あの偽神が願いを叶えられるのはそういうこと。あれからは神の気配は視えなかったから」

「そんな大事なもの神社にあって大丈夫なの? 盗まれたりしたら大変じゃん!」

「生憎と普通の人にはまず見えないし、教科書みたいにご丁寧に伝わってるわけじゃない。それに使は主人である神に背くような真似を絶対にしない。そういう風に作られてないからね」

 見えない?

 伝わってない?

「え、じゃあ貴方はなんで知ってるの?」

 何度も言ってるようだけど、と偽神を捉えたまま。

「私が祓い屋だからだよ」

 その表情は言葉で言い表せないほど大人びていた。









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