少年は平穏な日常を送る?
身体を温めるため校庭を三周走ったのも束の間、再び笛の甲高い音が響いた。
ぞろぞろと集めってきていた生徒達の視線が誘導される。
「それじゃああっちのスタートラインから番号順に二人ずつ走るように」
鈴木先生の言葉に従い、クラスメイト達が移動を開始した。
出席番号順ということは僕が一緒に走るのは城所君のはずだ。
そう考えていると、背後から肩をとん、と叩かれた。振り向くとにやりと笑みを浮かべる城所君の顔がそこにはあった。
「よ! 俺が一緒に走るのは風間だろ? よろしくな!」
「う、うん。よろしくね」
彼は一年生なのにその実力を買われてサッカー部のレギュラーとして試合に出ている。言わずもがな彼は運動が出来る人だ。
そんな彼と一緒に走るなんて以前の僕ならば緊張のあまりに胃が締め付けられていたこと間違いなしだ。
でも、今の僕は緊張を感じていなかった。寧ろ、どこか自分の力がどこまで通用するのか試してみたいと考えていた。
列を成し、待っていること数分。あっという間に順番が周ってきた。
遠く、ゴール地点で鈴木先生が合図を送ると、スタート地点に立った体育係がピストルを上に向ける。
「それでは、セット!」
身体を低く屈め、神経を耳に集中させる。
ゆったりと静寂が流れ、次の瞬間、炸裂音が鳴り響いた。
「「ッ!」」
足に力を籠め、走り出す。
低く屈めていた身体で前傾姿勢をとりながら、徐々に上体を起こしていく。
一身に風の抵抗を感じながらゴールだけを見据えて一直線に駆け抜けた。
時間にすれば僅か数秒、しかし走っている時間がとても長く感じた。
胸を押し出し、最後まで力を緩めることなく全力で駆け抜ける。余裕が無くて気づくことが出来なかったが、前に城所君の姿は無い。
慌てて振り返ると、城所君が丁度ゴールラインを踏み越えたところだった。
「二人共凄いぞ! 中学一年生とはとても思えない良いタイムだ」
そう言って鈴木先生が掲げたタイマーには5.7秒と6.6秒、そう表されている。
「城所のタイムもまるで陸上部みたいに速いが、風間のタイムは他を圧倒しているな。どうだ? お前陸上部に入ってみたら。多分お前ならすぐに試合に出られると思うし、ゆくゆくは全国大会も夢じゃないぞ」
「い、いやぁ……。僕はいいですよ」
顔を引きつらせながらも苦笑いを浮かべてやんわりと断る。
僕はミュートロギアでやらなくちゃいけないことが山程ある。とてもじゃないけど、部活と両立なんて出来ない。
僕が断ると鈴木先生は残念そうに「そうか」と頷いた。
少し申し訳なさを感じながら、木陰に移って切り株に腰を落ち着けると城所君が物凄い勢いで砂埃を立てながらこちらに駆け寄ってきた。
「すげぇな風間! お前って確か帰宅部だったよな?」
「え? うん、そうだけど……」
「なんでそんなに足が速いんだ!? ちょっと前まで確か運動苦手だっただろ? もしかして秘密の特訓法があるのか!?」
機関銃のような勢いで話し続ける城所君を引き離そうとすると、両肩をがしりと固く掴まれ簡単に逃げ出せないよう固定された。
「おっと、そう簡単には逃がさないぞ! 俺の質問に答えてもらうまではな!」
「ちょっ!? じゃあ、その……最近武術を始めたんだ、多分それが原因だと思うよ」
「ほう? 武術か」
これで満足してくれるだろう。
そう思い、肩に乗せられた城所君の手首に手を掛けようとすると、再び城所君は詰め寄ってきた。
「具体的にどんな武術を習い始めたんだ? 俺もその武術をやって風間みたいになれるのならどんなに辛かろうとやり遂げてみせるぞ!」
「うぐっ……それは……」
思わず言葉に詰まる。城所君からはとても向上心を感じるし、純粋に全てサッカーのためなんだろう。でも、もどかしいけれど僕にはこんなにも足が速くなった理由を話すことが出来ない。
その理由を話すということはつまり、僕が異世界に行ったということを伝えなければならないということだからだ。
そんな話を誰も信じてくれるとは思っていないし、このことを誰かに話すつもりもない。
肩を揺さぶる城所君をどうしようかと思っていると、いつも城所君と仲良くしている東郷君の姿が視界に入った。
正直東郷君のことは苦手ではあるが、今は
「東郷君!」
僕が大声で呼びかけるとぴくりとした東郷君がこちらをちらりと
(そ、そんなぁ……)
頼みの綱が
「それじゃあ授業終了にはまだ少し早いが、今日の授業はこれで終わりとする。以上、解散していいぞ」
校舎の外壁に備え付けられた時計を確認すると、確かに授業終了時刻よりも五分程速い。そのことにクラスが喜色を浮かべている。
それは城所君も同じで、皆のように喜びを
(今が
「あ……!」
その場に屈むと、すっぽりと城所君の拘束を潜り抜け、そのまま昇降口目指して駆け出した。背後から城所君の声が聞こえてくるが、僕はそれを聞こえないよう
♢♢♢
「なぁなぁ、そろそろいいだろ?」
「はぁ……」
僕の席があるのは教室の後ろ、最も左端の窓際の席だ。
城所君はあろうことか自身の椅子を僕の机の左側に設置し、休み時間の間延々と話しかけてきていた。僕が聞こえないふりをしようともお構いなしといった様子で話しかけてくる城所君にほとほと困り果てていた。
「城所君、風間君が嫌がってるんだから止めてあげたら?」
この声は……。
僕が顔を上げ、声がした方向に頭を向けるとそこには案の定早川さんがいた。
早川さんは僕の右隣の席で、丁度今席につくところだったようだ。
「い、いや……だってさ……」
「だってもなにもないでしょ? 体育の時間からずーっと風間君に付き纏って」
「う……」
早川さんの言葉が胸に突き刺さったのか、城所君は言葉を詰まらせていた。
「早川さん僕の代わりにありがとう。でも、大丈夫だよ。別に嫌じゃないからさ」
意気消沈とする城所君を見兼ねて早川さんに声をかけた。
しかし、すると今度は早川さんの少し怒ったように吊り上がった瞳が僕を映した。
「もう! 風間君も風間君よ? 嫌なら嫌ってはっきり言わないと駄目じゃない」
「本当に嫌じゃないよ。城所君はちょっと熱が入りすぎただけなんだって」
笑みを浮かべて宥めようとするが早川さんは中々引いてくれない。
すると、背中をつんつんと突かれた。
振り返るとバツが悪そうな顔をした城所君が頭を少し掻いていた。
「その……悪かったな、風間。誰にだって言いたくないことはあるよな……」
「いいんだよ、僕は気にしてないから」
「ありがとな」
にしし、と笑みを浮かべる城所君に釣られて自然と僕の顔からも笑みが零れた。
「早川さんもわざわざありがとう」
「別に……」
そう言って早川さんはそっぽを向けてしまった。
何か気に障るようなことを言ったかと考えていると、城所君がちょいちょいと手招きをしていたので顔を寄せる。
「なあ、さっき早川の奴体育の時間からずっとって言ってただろ? それってつまり――」
その先に何を言おうとしたのかは分からない。ただ、何かを言いかけたところで城所君は飛び上がっていた。
「いってぇぇぇ!?」
良く見ると城所君の足の上から早川さんの足が食い込んでいた。
何故早川さんが城所君の足を踏みつけたのかは分からないけど、城所君には同情するばかりだ。
そうこう騒いでいるうちに、騒がしい教室の中にチャイムが鳴り響いた。
クラスメイト達は自分の席に着き、城所君も慌てた様子で自分の椅子を持って自席に戻っていった。
二時間目の授業は英語。正直に言ってあまり気乗りしない。
僕は運動と同じくらい英語が苦手なのだ。
内心溜息を吐いていると、教室前方の扉が開き、中に入ってきたのは二人。
一人は英語の担任の先生で、もう一人はALTのジェイムズ先生だ。
『こんには皆さん』
(えっ?)
どういうわけか、ジェイムズ先生は流暢な日本語で僕達に向けて挨拶をした。
それに皆が応えるが、それは日本語だった。
英語の授業だというのにだ。
違和感を感じながらも授業はそのまま進行する。
どうやら今日は急遽英語での自己紹介をするみたいだ。
『それでは出席番号順に発表をお願いしますね』
ジェイムズ先生の合図で始まった自己紹介は何とも面白みのないものだった。全員が同じようなことしか言わないのだ。
名前を言って、あと何か一言二言日本語で言って終わりなのだ。
どうして英語の授業なのに皆が日本語で自己紹介しているのか疑問に思っていると自分の順番が周ってきてしまっていた。
『えーと、風間塵です。趣味は
淡白な自己紹介を終えて席に着くと、誰もが僕の方を見るばかりで拍手を返してくれなかった。それまでは自己紹介を終えると全員が拍手を送っていたのにである。
(そんなに僕って嫌われてたのかな……)
内心傷付いていると、ただ一人ジェイムズ先生が盛大な拍手を送ってくれた。
『素晴らしいですね、塵君。とても綺麗な発音でしたよ。それに、まだ一年生だから習っていないような単語も知っていて凄いと思いました』
正直ジェイムズ先生が何を言っているのかよく分からなかった。
綺麗な発音も何も、日本語は母国語なのだから話せなければ困る。
「ジン……、おいジンッ!」
「うわっ!? 急に大声出さないでよ……! それに人のいるところでは話しかけないでって言ったでしょ」
突如背後から声を掛けられ、思わず大声で叫びそうになったが何とかそれを飲み込んだ。息を潜めて、その聞きなれた声に答える。
「恐らく、あの男はジンの言葉とは異なる言語で話しているぞ。だが、お前の
「あ……なるほどね……」
アレクの説明でようやく理解した。
何故皆が英語の時間だというのに日本語で話していたのかを。
改めて実感させられた。
僕が持つ固有スキル【
このスキルが僕の全てを変えてくれた。
僕に数多の恩恵を授けてくれた。
多くのスキルを、この【多言語理解】だってそのうちの一つに過ぎない。他にも
だからこそ、僕はいつも努力を重ねている城所君よりも速く走り、しっかりと勉強をしている人たちよりも簡単に英語を理解し、話せてしまう。
それは不公平で、不平等で、あまりにも酷すぎる。
本当の僕は惨めで、ちっぽけで、弱っちくて。皆の方がよっぽど凄いというのに。
僕は今日の体育の時間、自分の力がどこまで通用するのかと、そんなことを考えていた。
罪悪感で潰されてしまいそうだった。
凄いのは僕じゃない、このスキルだ。
決して僕は誇れるような人間じゃないんだと、僕は自分の心に刻み込んだ。
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