少年は酸蟻の女王と邂逅する

 中心へ向けて歩き進めていくと次第に異変に気が付いた。

 先程までは僅かながらだが確かに見えていた辺りの様子が完全に見えなくなっているのだ。中心部に近づけば近づくほど霧は濃く、深くなっている。

 今では眼前に何があるのかすら見えず、辛うじて足元の岩肌が覗く程度だ。


 この階層の広さがどれほどのものなのかが分からないだけに何とも言えないけど、そろそろ中心部に辿り着いてもいい頃合いだと思うんだけど……。


「いっ!?」


 その時、僕の脛に何か固いものが激突した。視界が霧によって遮られているため、そこにあった何かに気づくことができなかったのだ。

 僕はジンジンと痛む脛を抑えながら、屈んで僕の脛にぶつかったそれを確認した。

 霧のせいでとても見にくいが、どうやら膝丈程の石碑のようなものがその場に建てられているらしい。石碑にはこう彫られている。


 汝、先へ進まんとするならば階層に蔓延る大いなる災厄を討ち祓え。


「階層に蔓延る大いなる災厄……? 多分これが次の層へ進むためのヒントなんだろうけど、階層に蔓延る大いなる災厄って何のことだろう?」

「うむ……恐らくこれまでに戦った酸蟻アキドゥス・アントのことではないだろう、大いなる災厄と呼ぶには些か矮小すぎる。ならば、別の何かがこの層に居るということになるが――」


 アレクの声が突然止まり、その直後頭上から金切り声が鳴り響き、地面を震わせた。


「っ……!?」


 あまりの騒音に耳を塞ぎ、上を仰ぎ見ると頭上の霧が晴れていき次第に視界が広がった。

 視線の先には天井から垂れ下がる巨大な鍾乳石。そして鍾乳石に張り付いた蜂を想起させる羽を持った巨大な蟻の姿がそこにはあった。


【鑑定】……っ!

 奴の名は“アキドゥス・アント・クイーン”。LVは30、今の僕よりも高い。多分こいつが石碑に書かれていた大いなる災厄だろう。


 酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンは耳を劈くような鳴き声をあげ終えると、羽をはばたかせてこちらへと近づいてきた。

 その巨躯から伸びる羽も同様に大きく、羽がはばたく度に深く広がっていた霧が晴れていく。

 迫る酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンを前に、僕は背中に差した大剣に手を伸ばした。


「僕が【覇王剣術】を会得してから初めて戦う格上の敵……か」

「KISYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」


 剣を構えながら、僕は自分の胸の中に渦巻く感情に目を向けた。

 魔物に対する恐怖? 格上の敵と戦う苦難? 確かにそういう思いもあるが、今僕の中で一番強い思いは酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンを一刻も早く倒したい、これに尽きる。

 一分一秒の時間すら惜しい、だから初めから僕の全力で迎え撃つ。


 徐々に、されど確実に酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンとの距離は縮まっていき、酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンが間合い寸前に入った瞬間、地面を蹴った。


 通常大剣という武器は両手持ちで使うことを前提として作成されるため、その重量は片手で扱うには重すぎる。しかし、LVアップを繰り返し、筋力が上がった僕にはそれが出来る。

 だが、片手で扱えるからといっても片手で大剣を扱うことは馬鹿のすることだ、とアレクは言った。しかし、そのあとに続けてこう言った。


「ならば普通じゃなければいい」と。


 僕は地を駆けながら背中に背負った黒輝剣アーテル・ニテンスを右手に握る。間合いに入り、飛翔する酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーン目掛けて飛び掛かろうとした瞬間、地面から現れた三匹の酸蟻アキドゥス・アントが大口を開けて僕の身体に噛みつかんと飛び出してきた。


「っ……!」


【軽業】の効果もあり、僕は空中で姿勢を変え、酸蟻アキドゥス・アントをいなしながら滅茶苦茶な態勢で大剣を振るった。

 本来であればそんな態勢から放たれる斬撃など欠片も威力を発揮できない。しかし――。


「「「GISYAAAAAAAAAッ!!」」」


【覇王剣術】ならば可能だ。斬撃を受けた酸蟻アキドゥス・アント達はその身体を綺麗に両断され、その場で息絶えた。

 その場に着地し、黒輝剣に付着した黄色い血液を振り払いながら改めて【覇王剣術】の出鱈目な強さに脱帽する。


 アレクが編み出した【覇王剣術】、これが他の剣術と異なる点は、この剣術には型というものが存在しないというところだろう。では、型が無いならば何を学ぶのか。

【覇王剣術】において最も重要なのは体重移動にある。昔格闘技の番組を見たときに聞いた話だが、普通にその場で殴るのと、足を捻り、その捩じりを足から腰へ、腰から肩へ、肩から腕へと伝え、体重を乗せて殴るのでは雲泥の差が生まれるという。


【覇王剣術】とは何時如何なる状態であっても自身の体重を100%刀身に乗せて放つ剣術なのだ。そして、自身の体重が100%乗った一撃は容易く頑強な鎧を砕き、紙切れのように両断する。


「KISYAAAAAAAAAAAAAAAAッ!!」


 目の前で我が子を殺されたためか、酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンはその巨体を揺らし、大顎をガチガチと鳴らしながら猛然と羽を羽ばたかせた。


 来るっ……!


 酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンが接近してくると確信し、大剣を構えた瞬間に酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンはその姿を消していた。

 視界からあの巨体が消えたことに驚愕し、一瞬焦りを覚えほんの少し生まれた隙、その隙を奴は見逃さなかった。


 突如背後に寒気を感じ、振り返るとそこには尾の針を振り下ろす酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンがあった。咄嗟に大剣を構え、振り下ろされる針を大剣で受け止めた。

 しかし――。


 重いッ……! とてもじゃないけど、弾き返すなんて無理だ、ならッ!


「ふんっ!」


 大剣を横にずらし力を逸らして針を受け流す。何とか完璧に攻撃を防ぎ切ったと思ったが、ふと腹部にちくりとした痛みが走った。視線を下げるとそこには先程まで受け止めていたはずの針が脇腹に突き刺さっていたのだ。


「なっ!?」


 驚愕したのも束の間、途端に身体の平衡感覚が失われ、その場に立っていることが苦痛に感じるようになった。加えて酷い頭痛に激しい倦怠感、視界にも異常をきたしている。

 恐らくこれは毒、でも一体どうやって? 僕は確かに針を受け流したはず、脇腹に針を受ける隙なんて与えていない。


 そう考えながら朦朧とする視界の中、奴の針が再生していく様を見た。

 まさかとは思うけど……。

 確信は無いが、この針のからくりは解けた。問題はこの状態でどうやって酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンに勝つかだが――。


 僕は黒輝剣アーテル・ニテンスを支えに立ち上がると無理やりに笑みを浮かべた。


英雄ヒーローはどんな苦境でも乗り越えるものだ。それに、こんなのはエミリーの苦しみに比べれば……!」


 眩暈もする、勿論頭痛も倦怠感も収まっていない。いや、収まるばかりか増しているだろう。それでも僕は背筋を伸ばし、毅然と黒輝剣アーテル・ニテンスの切っ先を酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンへと向けた。


「さあ、第二ラウンドの開始だ」


 酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンは酸を口から吐き散らし、辺り一帯の地面を溶かしながら僕の方へ向かってくる。飛散する酸を避けつつ酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンに接近すると、地面を蹴って飛び上がり、大剣を振りかぶった。


 必中の間合い、そう確信したが奴はそれほど甘くない。巨大な羽を羽ばたかせることで突風を生み出し、僅かだが僕の身体が動き、剣閃は横にずれる。


「くぅっ……」


 すぐさま追撃を加えようとしたが、身体に思うように力が入らない。【覇王剣術】を習得していたおかげでこの状態でも何とか戦えているが、どうしても決め手に欠ける。

 長期戦になれば不利なのは明白、毒が身体に回り、先程よりも余程重篤な状態だ。

 その時だ、目の前に見慣れた半透明の表示が現れた。


 スキル【毒耐性】を獲得しました。


 その表示に目を見張ると、同時に先程までの症状がかなり緩和された。これくらいであれば普段通りとはいかずとも酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンを引き摺り落とすことは可能だろう。


「どうやら勝利の女神は僕に微笑んだみたいだ」


 変わらず酸を吐き散らし続けている酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンとの距離を一気に詰め、足に力を籠め飛び上がると巨大な羽目掛けて大剣を振り下ろした。刃は絹を裂くように容易く羽を切り落とす。


 酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンの絶叫が階層に響き渡り、階層全体を揺らす。

 痛みを感じているのか、小刻みに震えながら酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンは確かに殺意の込もった眼差しでこちらを睨みつけてきた。


 残った片翼をはためかせ、これが最後とばかりに全速で突貫してきた酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンの動きをなんとか視界の端に収めると、僕は先程と同じように背後から迫りくる針を大剣で受け止め、横に受け流した。


 先程は何が起きたのか理解出来なかった。だが、同じ手は二度食らわない。

 受け流され、地面に倒れた尾の先端、毒に濡れた針が僕目掛けてされた。


 予想通りだッ!


 僕は針を大剣の刀身で弾くと、隙を見せた酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンに切迫し、大顎を思いきり切り上げた。

 その刃は容易に顎を砕き、酸蟻アキドゥス・ア女王ント・クイーンの頭部を巨体から切り離した。


「やった……?」


 先程まで忙しなくはためき続けていた羽は地面に落ち、その巨体は伏していてピクリとも動かない。

 その様子を見て思わず安堵の息を漏らした。


「よかった……なんとか勝てたけどギリギリだった」

「ジン、大丈夫か?」

「これくらいだいじょうっ……」


 大丈夫だ、と伝えようとした時に突然身体から力が抜け、その場に膝から崩れ落ちた。身体を襲ったのは頭痛や眩暈、倦怠感など先程感じた不調だった。


「そう、か、僕が獲得したのはあくまでも【毒】、完全に毒、を、身体から排除出来るわけじゃない……」


 クソっ、こんなところで倒れている場合じゃないんだ。まだこの下の階層が残っている、そこを乗り越えなければエミリーを救うことが出来ないんだ。


 重たい身体を引き摺るようにして次の階層へ向かうため、下層へと降りるための階段の方へ進んでいくと【気配探知】に複数の反応が現れた。それが酸蟻アキドゥス・アントのものであると数秒と経たずに理解した。そして、今この状況が非常に不味いということも。


「く、そっ!」


 餌を前にした金魚のように群がる酸蟻アキドゥス・アント達に対抗しようと黒輝剣の柄に手を掛けるが力が思うように入らない。

 そうしている間にも酸蟻アキドゥス・アント達との距離は縮まっていた。

 絶体絶命、このままでは酸蟻アキドゥス・アントに食われると確信した瞬間、遠方から何かが飛来し、酸蟻アキドゥス・アントの頭部が弾け飛んだ。


「ジンッ! 無事かっ!?」

「ぐれ、いっ……」

「……っ! 待ってろ、今すぐに片づけてやる!」


 グレイが繰り出す拳は酸蟻アキドゥス・アントを容易く叩き潰し、その蹴りは酸蟻アキドゥス・アントの身体を吹き飛ばした。そのどれもが以前見た時とは一線を画すものであり、僕は感嘆の声を思わず漏らした。


 一息に僕を取り囲んでいた酸蟻アキドゥス・アントを屠ると慌ててグレイが近寄ってきた。グレイは苦々しい顔をしながら小瓶に入った緑色の液体を僕の口に注ぎ込んだ。ゆっくりゆっくりと流し込まれる謎の液体を飲み干すと不思議と身体が楽になった。


「ふぅ……ありがとう、グレイ」

「いや、礼なんていらねえよ。お前一人に重荷を背負わせちまったみたいだな……」

「そんな……これは僕達が選んだ結果だ、それに僕は公開なんてしてないよ」

「ジン……そうだな、今は一刻も早くこの迷宮ダンジョンを攻略しないとな!」


 差し伸べられた手を掴むと立ち上がり、下層へと続く階段を下っていく。目指すは迷宮ダンジョンの最奥、守護者ガーディアンが待ち構える最下層。


 待ってて、エミリー。僕達が必ず、君を救ってみせるから……っ!

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