第十九話 本気
ぎこちなく言葉を詰まらせながらも、彼女はそう言った。言い終えるとともにその顔はますます赤さを増し、耳の先まではっきりと色づいて見えるほどだ。
頭の片隅で、どこか他人事のような気分でそんな感想を泳がせる一方、残る大半の思考をほぼ完全にフリーズさせた陽一は、半開きの口から、
「ぇえ?」
と、言葉にならない声を漏らしてしまっていた。
ある意味自分の緊張と対極的なその反応が気に障ったか、鬼頭は真っ赤な顔を歪めて、唐突に両手で陽一の机を叩いた。べち、と意外に締りの悪い音とともに、彼女はがなり立てる。
「その反応はなくない!? 私、正直自分でもびっくりするくらい緊張してるんだけど! そんな反応返ってくると何ていうか、すっごいもどかしいんだけど!?」
「え、あぁ、なんか、すまん……」
軽く手を挙げて謝る陽一だったが、彼自身も激しく動揺していた。鬼頭の言及に、「理不尽な」という思いもあった。
困り果てた彼の顔に、鬼頭も少し冷静さを取り戻したらしい。赤らんだ顔はそのままに、頬を膨らませながら軽く目を逸らした彼女は、催促するようにぽつりと零す。
「それで。どう、かな?」
怒りの表情から一転、憂いを帯びた横顔で、不安そうに言う彼女を前に、流石に陽一も尋ね返すことはしない。それでもすぐに返事を言葉にすることは躊躇われた。苦い面持ちで押し黙った彼に、鬼頭の視線がちらちらと向けられる。
そんなやり取りも聞こえていたのだろう、まだ残っていた数少ないクラスメイトたちも、固唾を呑んで二人を見守っている。将也もだ。あの謎のジェスチャーは止めていたが、青い顔をしたままおろおろしていた。
注目が集まる中、陽一はやがて細く、だが重たい吐息とともに、声を出した。
「いや、いきなりそう言われても、あんま実感湧かなくて。信じられない、って言い方すると語弊があるかもしれねぇけど、そんな感じでさ」
「いきなりって……!」
鬼頭が激しく食って掛かろうとした。が、勢いはすぐに鎮火し、再び目を伏せた彼女は小声で、
「ってまぁ、春日くんからしたらそうなるか。今年に入ってから話しかけたの、ゴールデンウィークのあとだもんね……」
呟いたあと、少し自嘲っぽく微笑んで、彼女は続けた。
「去年からずっと、きっかけ掴めずにうじうじしてたのは私だけだもんね。しょうがないか……じゃあ春日くん、改めて一個お願い」
彼女はそう言うが、陽一はまだ戸惑ったまま、すぐには反応できなかった。そんな彼に、鬼頭は返事を待とうとはしない。大きく深呼吸をしたかと思うと、机についた両手に身体を預けるようにして、前のめりに陽一へと顔を近づけた。
「すぐに決めなくってもいいから。まずはお試しって感じでもいいから、お付き合い……の準備っていうか、今までよりも、仲良くできないかな?」
そう囁く彼女の顔を見つめた陽一は、時間が引き延ばされたような感覚に陥った。
薄く開いた瞼の隙間から覗く、潤んだ瞳。緊張を堪えながら笑みを刻んだ唇。恥ずかしさで赤く染まった肌と、そこに薄く浮いた汗。微かに揺れる、艶のある髪。それらを具に観察しながら、同時に彼の脳裏に浮かび上がったのは、星奈の顔だった。今年初めて鬼頭に話しかけられたあの日に感じたのと同じ既視感だ。
「……ああ、そっか」
我知らず、陽一の口からそんな声が滑り落ちた。ぴくりと鬼頭が肩を跳ね上げ反応したが、陽一は上の空だった。
唐突に理解した。あのとき感じた、星奈と鬼頭の間に感じた相似と、微かな違いの正体を、ようやく彼は掴むことができた。
自然と口元が緩む。笑みの形に。そして、苦笑の形に。
気づけば、気分は落ち着いていた。平静そのものとさえ言える表情で、陽一は肩を竦めた。
「悪ぃ鬼頭。でも、俺はお前とは付き合えない」
きっぱりとそう断る。誤解の余地が生じえないほどはっきりとそう告げて、なお陽一の面持ちは変わらなかった。
予想していなかったのだろう、鬼頭は呆気にとられた表情で二度、三度と目を瞬かせた。それから、ハッとしたように気を持ち直して、
「な、何で? 今すぐに決めなくてもいいって、私言ったじゃないっ」
「そうだな。聞いてなかったわけじゃねぇけど……」
詰め寄る彼女を制するように手を掲げ、陽一は変わらず穏やかな口調で告げる。決して強くはないはずのその声に、しかし鬼頭は気勢を削がれた様子で口を噤んだ。
それを確かめてから、陽一は改めて言う。
「鬼頭。多分今からすごく失礼なこと言うから、気に障ったら殴るでも蹴るでも好きにしてくれ」
「えぇ? しないわよそんなこと」
陽一の言葉が、鬼頭には冗談に聞こえたらしかった。彼女は未だ戸惑いながらも、ぎこちなく笑みを浮かべてそう応える。
ごくわずかに首を縦に振って、陽一は告げた。
「鬼頭さ、あんまり本気そうに見えねぇんだよ」
間違いなくその瞬間、空気が音を立てて凍りついた。
周囲からは驚愕と非難の眼差しが降り注ぐ。一方、陽一の意識は目の前の鬼頭だけを捉えていた。彼女は完全に感情を失った顔で、陽一をじっと睨みつけている。
彼は目を逸らさなかった。
「――本気に見えない、か」
ぼそりと、低い声で鬼頭が呟く。幽鬼の如き気配を漂わせる彼女と向き合いながら、それでも陽一は微動だにせず、彼女のさらなる言葉を待った。
果たして、彼女は険しかった表情をくしゃりと歪めて、
「はぁぁ……一応、春日くんと付き合えたらいいなって思ったのは、本心だったんだけどな」
絞り出した声は、怨みを匂わせるものではなかった。同時に思いきり吊り上げた口角からは、はっきりとした諦めが見て取れた。
彼女は頭を振ってなおもぼやく。
「でも、そう言われたら否定もできないかな。「どうしても春日くんじゃなきゃ」っていうような必死さは、確かになかったから」
「…………」
苦笑いと呼ぶには清々しい微笑で話す鬼頭にかける言葉が、陽一にはなかった。
根拠があって言ったことではない。薄ぼんやりと感じたままに、シンプルに言葉にしただけの一言だった。きっと怒らせるだろうと思っていた。
だから余計に戸惑う。覚悟していた以上に胸が痛む。ほんの一瞬、何かを堪えるように震えた瞼に、気づいてしまったから。
無言の陽一目掛けて、鬼頭はなおも言い募る。
「でも意外だったな。春日くん、色恋沙汰には疎そうだったのに、まさかそんな一途で重たい愛情をご所望だったなんて」
「悪いかよ……」
からかいの台詞に、ようやくそう悪態を絞り出して、陽一はそっぽを向いた。彼の横顔を目で追いながら、鬼頭はさらに細い笑い声とともに、這うような声で囁いた。
「それとも――私より先に、「本気の」告白を受けたことでもあった? だとしたら尚更、フラれたのも納得だけど」
陽一が思わず息を詰まらせる。弾かれたように鬼頭に視線を戻すと、彼女は厭味ったらしい笑みで見つめていた。
「……別にそういうわけじゃねぇけど」
「ホントかなぁ~」
ムスッと吐き捨てる彼に疑念の言葉を浴びせつつ、鬼頭は陽一の机から手を離した。曲げていた腰を伸ばし、一歩下がって距離を取る。
意図に気づいた陽一が眉を揺らす中、彼女は両手を腰の後ろで組んで背筋を真っ直ぐ伸ばしながら、
「でもさ。フラれたのはやっぱり残念なんだけど。でも、中途半端に先延ばしにしなくて、かえってよかったかもしれないな」
「そうかな」
「うん。私から言っといて、おかしいとは思うけどね」
陽一が曖昧に相槌を打つと、鬼頭は首を竦めてそう言った。そして、さらに一歩下がる。短く深呼吸をした彼女は、そこで改めて陽一の顔に焦点を合わせた。
淡く微笑み、言う。
「じゃあね、春日くん。また明日」
「……ああ」
「ありがと。それと、ごめんね」
いつも通りの別れの挨拶に、陽一も努めて平然と頷いた。鬼頭はそんな彼に、もう一言付け加えた。わずかに眉根を寄せ、陽一が唸る。
「何の「ごめん」だ?」
訝る陽一の問いかけが聞こえなかったわけではないはずだ。鬼頭は微笑のままで首を左右に振ってから、くるりと踵を返して彼に背中を向けた。そのまま足早に教室から出ていく。
成り行きを見守っていたクラスメイトたちは、彼女を追うこともできず茫然と見送ったあと、陽一に目をやる。中には非難めいた眼差しもあったが、直接彼に声をかけようとする者はいなかった。
ただ一人を除いて。
「――陽一!」
「……おう、どーした?」
陽一に小走りで近寄るなり、鋭い声で名前を呼んでくる将也を、陽一は幾分疲労の滲んだ目で見上げた。一方、将也は驚きと感心の入り混じった表情で、陽一をじっと見下ろす。
「お前……よくあの流れで断れたな」
賞賛の思いが込められた言葉を手で払いのけ、陽一は大儀そうに立ち上がる。
「付き合うか付き合わないか、はっきりしないままってのも不誠実だろ。お前とは違うんだよお前とは」
「うるせぇよ……ってかそうだ、妹ちゃん!」
軽口を叩く陽一に、一時は緩んだ笑みを浮かべかけた将也だったが、そこで急に声を荒げた。
焦った様子の彼にちらりと目を走らせ、陽一は小さく頷く。彼の指摘したいことは分かっていた。
「分かってる。あっちの方走っていったのは見えた」
鞄を残したまま、軽い足取りで教室を出ようとする彼を、将也は目を丸くしながら追いかける。
「気づいてたのか?」
「お前が気づいて俺が気づかないわけないだろ」
「いや、なんか泣きそうな顔で走ってったからさぁ、妹ちゃん。の割に、お前はあんま心配してなさそうだなぁと」
意外そうな口ぶりで指摘する将也を伴って、陽一は廊下を歩く。廊下の端は階段しかない。
星奈が走り去っていった方向は、昇降口とは逆側。ということは、下ではなくて上のような気がする。大雑把な予想を立てながら、陽一は将也を振り返らないまま、微かな笑みとともに頷いて言った。
「そうだな。実際あんまり心配してねぇ。すぐに学が追いかけていってくれたのも見えたから」
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