第十話 深夜の訪問者

『連休前日に星奈と電話で話してたとき、何言ったんだ?』

 電話するかどうか悩んだものの、陽一は結局メッセージアプリで父親に問い合わせることにした。連休も残り二日という夜のことである。

 時間も遅いし、すぐに返事が来るかどうかも怪しかったが、殊の外早くスマホが震えた。

『特に何もー?』

 とぼけた返事である。苛立ちをどうにか抑え込みながら、陽一はさらに言い募る。

『何もってことはないだろ。親父の電話の翌日は妙に塞ぎこんでたぞ』

『え、マジで? どんな風に?』

 星奈の状況を伝えた途端、父親の食いつきが変わった。誰に聞かせるでもなく嘆息する陽一だったが、それはそうと、具体的にどう説明するべきか、躊躇が浮かぶ。

 自分の腕にしがみついた星奈。弱り切った表情で縋りついてきた星奈。胸に顔を埋めて、やがて元気を取り戻した星奈。一方でその笑顔に感じた不安。そして、今日に至るまでの出来事。

 それらの記憶を具に回想した陽一は、遅れて画面に指を滑らせる。

『俺と一緒にいられなくなるのが怖いって。もう一回聞くけど、星奈に何言ったんだよ?』

 それだけ書いて送信した。

 既読はすぐに付いたが、返事が来るまでには少しかかった。じれったい思いで画面を眺めて待つことしばし、タイムライン上に新たなメッセージが表示される。思わず息を呑んで、陽一は文面に目を走らせた。

『まず、「陽一と何話してた」って聞かれたから適当にはぐらかしたあと、俺の方から「陽一に彼女ができたりしてないか」って聞いた』

「マジに何話してんだあのアホ……」

 ぽつりと呟きが漏れるが、まだメッセージは続いている。

『んで、「作る予定ないって言ってた」って星奈が答えたから、俺が「残念だなぁ」とか何とか、そんなようなこと言ったな』

 つくづく頭の痛くなる内容ではあるが、普段の父ならここまで赤裸々に答えず、適当に誤魔化すだろう。その点でいえば、陽一の抱いた違和感を、父もまた重く見ているということかもしれない。

『それだけか?』

 陽一が短く打ち込むと、ややあってもう一度父から返事があった。

『そのあと星奈に、「いた方がいいの?」って聞かれたから、「いなきゃ駄目とは言わないけど、いた方が安心だな」とか答えたかな。それくらいだな』

「ふむ……」

 再び誰にともなく唸り、陽一はそれまでに届いたメッセージをもう一度読み返した。

 星奈が父との会話以前に話していた内容と照らし合わせる限り、こういうことだろう。

 陽一に、或いは星奈にいつか恋人ができたら、今ほど兄妹で一緒にいることはなくなるだろう。そして父の方はそれを望んでいる。周りが言う当たり前に従う限り、望むように進む限り、いつかは陽一と星奈の距離は離れていく。

 一方、小さい頃からずっと、陽一と星奈は傍に居るのが当然だった。その当然が壊れるのが怖い。そう思うのは、理解できないわけではない。

 ただ――

(それが原因だとして、どうしてああなった?)

 結局、その謎は解けない。その不安、もどかしさが苛立ちとなって、陽一は意識せぬまま鋭い目つきで壁を睨む。

 服を見立てて欲しい、と言ってきたことだけではない。今日は早速その服を着たうえで、一緒に出かけていた。場所は水族館、昔から星奈が好きだった場所だ。が、それはまだいい。問題なのは、ところ構わず、以前にも増してやたらと引っ付いてくることだ。

 外を歩くときにも、以前から腕に抱きついてくる癖はあった。けれど以前のそれは、ただ抱えているだけ、手元にあると落ち着くものを手繰り寄せるだけのような、邪気のない接触だった。

 だがここ数日は違う。身体の熱や柔らかさがはっきりと感じ取れるほど、強く抱きついてくる。かと思えば、腕を放して手を繋いでくることもあるし、身体に抱きついてくることもある。妙に落ち着きがなく見えるのだ。

 一人物思いに耽っていた陽一だったが、スマホの振動音で我に返る。

『で、何か分かりそうか?』

『親父が妙な圧力かけたせいだろ。アイツ俺より生真面目だから、恋人いた方が安心とか言われて混乱したんじゃないか?』

『えー、まじかー……』

 父からの問いかけに、陽一は本心にはない答えを入力して送信。案の定、微妙に落ち込んだ調子の文面が返ってきた。続けて、

『分かった。俺もう彼氏とかの話は絶対しない』

 そんなことを言ってきた。とりあえず面倒が減りそうだと、内心胸を撫で下ろす。

『そうしてくれ。それ系の話、俺にも振らないでくれよ』

『え、駄目?』

『めんどい』

『いいじゃん。付き合えよ』

『うるせえ』

 短文の応酬を繰り広げる傍ら、星奈の話も一段落だろうなと、陽一は胸中で呟く。取り敢えず、あの電話以降の星奈の異変の一因は知れただけでも善しとするべきだろうと、自らに言い聞かせる。

 そんなとき、また少し間を空けて、父からのメッセージが届いた。真剣味の欠片もなく画面に目をやった陽一が、意外そうに瞬きした。

『星奈のこと、無理に一人でどうにかしようとか考えるなよ』

『どういうことよ?』

 父の言わんとすることが分からず、馬鹿正直に問い返す。すぐに返事がないのは、長文でも打っているからだろうか。

 口元をへの字に曲げて、陽一は漫然とスマホの画面を睨む。と、不意にそこで、部屋の外に気配を感じた。間を置かず、ドアがノックされる。

「陽一、今いい?」

「あー、ちょっとだけ待ってくれ」

 星奈の声。平静を繕って声を張り上げながら、陽一はまだ返事の来ないアプリに、素早くメッセージを入力して送信した。

『星奈が来た。またあとで確認する』

 送信完了を確認して、画面をロック。それから腰かけていたベッドから立ち上がり、陽一は部屋の扉を開ける。

「どした?」

 招き入れた星奈はパジャマ姿で、手ぶらだった。少し上目遣いに陽一を見つめ、

「ちょっと、眠くなるまで話せないかなって思って」

「あぁ、まぁいいけど、ちゃんとそこそこで寝ろよ? あと三十分で日付変わるぞ」

「陽一が言う……って、もしかしてもう寝るとこだった?」

 陽一の言葉に、星奈は苦笑を見せかけたかと思えば、一転して申し訳なさそうに表情を曇らせた。自然と陽一の手が星奈の頭に伸びる。

「まあな。でもまだあんま眠くないのは一緒だし、ちょっと話すくらい付き合うよ」

「ありがと。お邪魔します」

 いつものように、軽く頭を撫でてやると、星奈の機嫌はすぐ元通りになった。ひょっとして、撫でられたくてわざと落ち込んだふりをしてるのだろうか、ともたまに疑うが、それならそれでいいかと陽一も思っている。

 それはそれとして、部屋に入るなり急にきょろきょろしだした星奈には不信感を抱かざるを得なかったが。

「何か探してんのか?」

 訝しげに陽一が問えば、星奈は視線を巡らせるのを止めないまま、

「いや、私がすぐに入るの止めたから、ひょっとして何かやましいものでもあるのかと思って。ベッドの下とか?」

「探すなンなもん、何もねぇっ」

 そのまましゃがみ込もうとする彼女の肩を、陽一が慌てて掴んで止めた。微妙な体勢で動きを止められた星奈が困惑の声を上げる中、陽一は掴んだ肩を力いっぱい引っ張り上げる。

「そんな必死に止めながら言われても説得力ないよ。何、そんなにやばいもの持ってるの?」

「だから何もねぇって。はしたないからやめろっつってんの」

「ふぅ~ん」

 刺すような細い目で追及の眼差しを向けてくる星奈に、陽一も重苦しい眼光で対抗した。星奈の口の端から、へっ、と乾燥した声が漏れる。

「まぁそんなに嫌がるならいいけど」

 明らかに信じてはいなさそうな捨て台詞だが、陽一もそれ以上反応はしない。陽一の手を離れた彼女はそのままベッドに腰を下ろし、陽一もその隣に腰かける。

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