第25話 誰かの為の正常処理
アリスは、少しだけ好奇心が強い、正義感の強い優しい女の子だった。
そう、今のセーラの様に。
私がリュウやフィンとの会話で自分自身の感覚に最初に違和感を抱いたのは、彼女の言葉遣いである。
アリス様は、本当の身分はさておき、産まれて間も無くすぐに教会で育てられている。
勿論、教会といっても、学園長の息がかかった教会だ。
そこらにある教会よりはずっと質がいいものでは間違いないだろう。
だがしかし、それは他と比べての話。教会内で貴族レベルの教育をさせるには無理がある。
故に、高貴なお産まれであられるアリス様とて、平民とは変わらぬ物であった事はゲーム内の言動を見れば推測出来るものだった。
逆に、ローラはどうだろうか。
あの時、あの時代で私が瀕死の傷を負わされる度に出会ったあの少女は、正しく貴族だった。
悪役令嬢、自分を令嬢と呼ぶに相応しい姿勢に言葉。
自分が令嬢として生きていた時と照らし合わせれば、最もな対応の数々。
産まれて直ぐに王子の妃になる為の教育は始まっていた。私がそうなら、恐らくゲームのローラも。その教育は、骨の髄まで染み込んでいてもおかしくない。
となると、今のセーラは可笑しいのだ。
あの時代に飛んだ私を導いた悪役令嬢とはどう見ても異なる言動。明らかに、染み付いているものが異なる様に感じる。
でも、彼女もその記憶を持っているのは間違いない。
私の瀕死の時、出会った記憶も彼女は間違いなく持っている。
最初は、人の心が宿った為の人格の改変。恋に目覚めた事による気の乱れ。
生身の人間もそうだが、恋に浮かされれば、普段からは考えに及ばない変換が起きる奴は少なからずいるものだ。
だが、それにしては些か。そう、些か。不意に落ちない事がある。
それは、彼女の記憶だ。
確かに、彼女は私がローラだった事を知っている。
あの時、あの場所で、何が起こったか。
その結果が、どうなったのか。
ある記憶だけが、あの彼女の中で欠落しているのを私は先程確信した。
いや、欠落していると言う文面は正しくないのかもしれない。私が確認を持ったのは、ある記憶を欠落している故に彼女は明らかに思い違いをしている。
私が会ったローラと、物事においての随分と認識の違いがあるのだ。
つまるところ、彼女は恐らく私とローラの会話を聞いていた。聞ける立場っであった。そんな所だろうか。
そして、彼女自身もその事についつは未だ気付いてすらいないと言う現状。
これは些か厄介だ。
正すのも肯定するのも、どちらもハイリスクローリターン。
出来れば、杞憂でいたかったものだ。
そして、以上の事を配慮すれば私達の選択肢はぐっと狭くならざる得ない。
フィンの態度も少し気になる。
彼女が私の計画を過敏に感じ取っているのだろか。それとも……、ただの裏切りか。
目的はさておき、何方にしろ、私を出し抜こうとしているのには違いがない。
そうなると、こちらも些か厄介だ。
唯一の私の敗因になり得る不安要素に他ならないのだから。
私は考えながら自室に戻ると、窓が揺れる音がする。
「……ああ、お早いお付きだことで」
私がテラスの扉を開けると、ぱっと花が咲く様な笑顔が見える。
実に私には理解し難い生態だ。
「ローラ」
「声を抑えて。誰が見ているか、聞いているか分かりませんから」
「自分の愛する婚約者に逢いに行くのを咎める者がいるとでも?」
そう言って、王子は私の髪に触れようとするが、此方は正気なんだよ。
昔の何の蟠りもない……、嘘だ。滅茶苦茶あった。蟠りばかりだったが、今と違って生理的な嫌悪がない頃にされたら、少しばかり頬を赤らめたりはしていたかもしれないが……。
自分の死体を保有している事実がある今は、その事実を思い出す度に自分の体温が一度下がる感覚である。頬なんて赤らめられる訳がない。既に凍りつく前だ。
「問題あるに決まってるでしょうに。説明聞いてましたか?」
「ああ。だから、君の騎士の前では曲の主人公さながらの迫力であっただろ?」
「まあ、それは、まあ」
確かにフィンの前で私に迫る時は意外にもまともな演技派かとは思ったがな。
その事実は認めよう。
「だが、ここで気を抜いて良い言い訳にはなり得ないでしょうに」
「だが、君の騎士は今は不在だろ?」
「ええ。予定通りに事を運んでおりますよ」
「なら、問題ないだろうに。君の一番の気掛かりは、自分の騎士だろう?」
「勿論。私の一番賢い子ですもの」
そう、フィンは私の愛すべき完璧な騎士。
この計画に不可欠であり、そして、もっと凶悪な障害である。
「だが、これとそれとは話が別だ。一時的とは言え、私の計画に乗ったのだからある程度は私の趣旨に沿う様に行動していただきたい」
「以後気を付けよう」
「以後気をつける前に今気をつけろと言ってるんだよ」
私はため息を吐く。
「それとも、あの話を全て信じた訳じゃないからその態度か?」
私は、王子を睨みつける。
残念ながら、今までの彼を見る限りでは、その選択は彼の中で唯一でもあり最上級に、そして最高級にまともな判断である。
あんな与太話にすらなり得ない絵空事の過去や未来を混ざった混沌話。
私でも信じない。
だが、私の周りには酷く人の良い人達しか居なかった。
彼らは皆、私の話を全て信じて私の手を取った。
でも、わたしから言わせて貰えばそれが最早異常なのである。
「信じる信じないは、必要なのかい?」
そして、いつもは異常な癖にこんな時ばかりは正常な判断が出来ている王子は首を傾げた。
うんざりする。
イレギュラーだと何度言えば分かるんだ。
まさか、こんな時こそ異常の判断をすべき時に……。
「信じてない奴の言葉に従う奴なんていないのでは?」
信頼関係がものを言う。
連携、連帯、同盟に置いて、信頼関係とはハンバーグで言う所のつなぎであるわけだ。
繋ぎのないハンバーグは、ポロポロと崩れ落ちてしまうだろう?
しかし、こいつにいくらハンバーグの原理を説いたところで馬の耳にハンバーグの説明を延々と説いている様なものなのは間違いない。
「困っている民がいたら助けるのが王の役目だと思わないかい?」
「真意はどうでもいいって? 惨めな私に力を貸してくださるなんて、王様は随分とご寛大な方であるな」
「勿論」
嫌味も通じない。
馬の方がまだ顔を歪めてくれる事だろに。
「それに、信じていなくても僕にもある程度の興味があるだ。君に」
嘘をついているかもしれない人間にか? 矢張り、こいつサイコパスの気があるな。
「死体と寝てるクソ野郎の興味なんて、想像するに碌なことなどないだろ? こちらからしてみれば気味が悪くて致し方ないが?」
「君が意外にも傲慢な所があるんだな」
「昔からでしょうに。貴方もよく言っていたじゃないか」
「アレは、アレこそが、偽りの君だった」
「偽った覚えは一度もないのだけど?」
「僕は、君自身に興味があるんだ。ローラ・マルティスと言う令嬢はどんな人間なのか。掴もうとした瞬間、君は居なくなってしまった」
「前回はうまく逃げ切れたのに、今回は間抜けにも足が止まっていた様だ」
「間抜けな所もあるのかい?」
「素直に嫌味か?」
まったく。
暖簾に腕押し、糠に釘だ。
「君は嫌味がわかる人間?」
「残念ながら、散々貴方に嫌味を言っているつもりだけど?」
「そうか。君は少し意地悪なんだな」
はぁ?
何だ、この教育番組さながらのクソみたいな言葉は。
君は少し意地悪だ?
馬鹿な事を言ってるんじゃない。
矢張り、こいつを引き込んだのは間違いだったか?
「そんな話は置いておいて。フィンはいつ戻ってきても可笑しくない。本題に移るぞ」
「そして、少しせっかちだな?」
本当、ぶん殴りたいな。こいつ。
しかし、相手にした時点で私の負けだ。
ここはため息一つで聞き流そう。
「この学園を散策して、どうだった?」
「随分と自分たちの学園とはかけ離れている箇所があるな」
「ああ。そうだな……。何かおかしな事は?」
「可笑しいなら全てが」
「特に可笑しかったことは?」
「特に? 例えば具体的な事をあげてくれると此方も助かる」
「特に……、そうだな。教室の中身とか」
「それは特に何もない」
矢張り、か。
「暗闇もなかったか?」
「ああ」
最初にセーラが言っていた虚無の空間。アレがなくなっている。
王子に教室に詰め込まれた時も、あれは看板が掛かっていない教室だったのに中身があった。
あそこが例外かと思っていたが、そうではないのか。
「少しだけ此方からいいか?」
「どうぞ」
「この世界は、何処まで続いているんだ?」
こいつ……。
クソイレギュラー野郎かと思っていると、すぐに足元を掬いにきやがる。
「本来なら、恐らくこの学園の周囲だけだろうな。私自身も確認した訳じゃないが、ゲームの中ではアリス様が街で買い物される描写がある。恐らくは、そこ迄だと思っていたが……」
「違う、と?」
「ああ。恐らくだが……、この世界は急速なスピードで広がっている」
まるで足りないところを補填する様に。
「そこは今迄無かったのかい?」
「ああ。王子はすっかりわすれられていると思うが散策の時には看板のかかっていない教室にはくれぐれも注意してあけてくれと頼んだだろ? あそこは本来ならば何もない虚無の空間だったんだ。この目でそれは確認している」
「成る程、すると、この世界を作っているのは僕たちと同じ学校に通っていた誰がだな」
「……は?」
私は顔を上げる。
なんだって?
「どうしたんだい?」
「その問いに答えるつもりはない。今は何故、そう断言するかと貴方の脳みそを疑っている顔を作るのに忙しいんだ」
「答えじゃないか。君は少しだけユーモアに溢れているね」
「少しだけは余分。根拠がない。説明したと思うが、この世界は全てプログラムによって作成されている。プログラム自身が私達の時代を知っていると言いたいのか?」
「まず、僕は君の言うプログラムと言うものがわからない前提だが……、可笑しいとは思わないか?」
「回りくどいな。はっきりと言ってくれ」
「君は回りくどい言い回しが好きだと思っていたけど?」
「時と場合による。今はその時じゃない。どう見ても」
「成る程、君は君の尺度があるんだね」
「他人の尺度よりは随分と信用できるからな」
一々癪に触る教育番組だな。
「簡単な話だよ。何故、そのプログラムとやらは補填が可能なんだい?」
「……は?」
「そのままの意味だよ。僕はそれが何かは知らないが、君の説明を読み解くところ、『人間の代用品』だと感じた」
「人間の代用品……。言い得て妙だが、全くの的外れじゃないな。あと、恐らくそれはプログラムの事ではなくプログラムを動かす……、いや、今のはいい。これ以上ややこしくするのも頭が悪いな。で、その人間の代用品がどうした?」
「人間の代用品は、知らぬ事を出来るのかい? それとも、我々と同じ知らぬ事は知らぬ事で済ませれるのかい?」
「いや、プログラムだからな。書き綴った様にしか動かん筈だが……。今は、それから酷く逸脱している」
「逸脱した者は知らぬ事さえも知る事が出来るのかい?」
「は? だから回りくど……」
知らぬ事?
「……何で、プログラムは知らない情報を補填出来るんだ……?」
勿論、何処かから情報を取ってくると言う点に置いては、可能かもしれない。
しかし、だ。
「王子が違和感を持たない空間を、何故プログラムが知っている……?」
「そうだよ。矢張り、君は賢いね」
「……随分と時間は掛かったけど、成る程」
あながち、的外れではない全ての配置。外の世界さえも作れる情報。
「あの時代に生きた奴が、あちら側にいるって事か」 「恐らく。僕はそう思うよ」
矢張りだ。
矢張り。
「……食えない男だな」
可能性は限りなく高い。
「物の配置を考えると、王子たち同様にあの時代以外の時間を経由していない奴が居るはずだな」
「他の時間を経由しているとダメなのかい?」
「この歪かつ醜悪な空気は貴殿の弟殿と悪友であるタクト殿が作り上げた空間だ。彼らはここを作る間に一度私の時代を経由している」
「その説明は覚えているよ」
「全部覚えてやがれよ。さて、貴方の弟殿と親友殿はどんな方々だったかな?」
「良き人間だった」
「頭は?」
「勿論。全て」
私は鼻で笑う。
全ては些か言い過ぎだろうに。まるで、自分がその中に入っている様な口調を思わず小馬鹿にしてしまう。
「その御聡明なお二人は、何故こんな空間を作った?」
「所々は合っているところを見ると、二人ともそれ程覚えていないのでは?」
「そうだ。時代の経由は記憶力にも直結する」
要は、トランプの順番を何処まで記憶できるかだ。
時間の経過と共に莫大な情報を取り込む事になる事により順番をよりアバウトにしてしまうわけだ。
「もし、彼らと同じようにぼやけやテイストで世界が進めば王子が違和感を持たない空間は無理だと言う事になる。ならば、犯人側は王子と同じ時間軸だと思った方が辻褄は合う」
「君の話は一理ある」
「ああ。貴方の言う様に私は賢いんだよ」
犯人とは些か早合点し過ぎだが、向こう側には明らかにあの時代の人影がある。
「プログラムとは、難しいね」
「何だ突然」
「僕たちの知識では到底理解し得ないものだ」
「……まあ、随分と遠い未来の話だからな。理解しろと言う方が無理だろ。今の時代でも理解していない奴の方が多いんじゃないか?」
「そうなのか。残念だね。君は、賢い方の人間なんだ」
「何だ? 今のはわかる。わざと言っているな?」
「君は、本当に賢いね」
王子は薄く笑う。
「でも、君よりも賢い過去の人間がいたら、どうだろう?」
何が?
何が如何だろうだ?
何が……。
「プログラムを、使う側の人間……」
一人だけ、可能性がある人間がいる。
あの時代の、あの時に。
「まさか……」
私は顔を上げて王子を見た。
「君は、賢き人だね」
彼はただ、そう呟いた。
次回更新は1/13(水)となります。お楽しみに!
そしてここまでお付き合いして頂いた皆様、良いお年を! 来年もよろしくお願い致します。
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