記憶 忘却の狂喜
Case:ケンジ
それはもう、今から10年以上も昔の事。
当時の俺はまだ学生。
ちょっと遅れてやってきた思春期を引きずっていたと言っていい多感な時期。
同時に、半年後には受験、卒業が待ち受けている大事な時期だった。
例年以上に講習などで勉強した夏休みが終わり、残暑というよりも猛暑真っただ中で久しぶりの面々に弛緩する空気や、迫る受験や別れに緊張したり、来たる学園祭に胸躍らせてとドギマギやてんやわんやで始まった長月。
その後半に差し掛かって。
その日、俺は家で勉強するのも億劫ですでに引退した部活へ久しぶりに顔を出した。
丁度翌日からは祝日が相まって4日もの連休があって、それじゃあ今日は息抜きにと、放課後に足が向いたのだ。
まだ引退して間もないくせに久々なハンドボールで、ついつい楽しみ熱中していた。
なので、帰るころにはすっかり日は暮れていた。
その岐路の途中での事。
辺りは街灯が照らす中、空腹をこじらせて歩いていると、突然近くから、
「きゃあっ!」
という声が聞こえてきた。
あまりに真に迫る悲鳴だったので、俺は声のした方へ向かって駆け足で進んだ。
そして、曲がり角を曲がった先の街灯の下で、女性が倒れているのを見つけた。
「俺は荷物を放り出して、大丈夫ですか! 何があったんですか!」
と叫びながら慌てて駆け寄った。
しゃがみ込んでうつ伏せになっている女性の上体を起こし、仰向けの姿勢に反らして抱きかかえるようにして容態を窺う。
黒髪が肩まで伸びている日本人然としたスーツ姿の、華奢な女性だった。
ただし、その口やのどからはつーと血が伝っていた。
更に、女性に触れた手から生暖かいぬめっとした奇妙な感覚に気づいて、女性を支えている腕とは逆の手の平を見ると、その手一面に血がべったりと付着していた。
そして気付いた。
女性のお腹周りから大量の血が流れ出している事に。
俺は驚きつつも、このままじゃヤバいと思い、慌てて傷口に手をあてがう。
すると、目はほとんどつむっていた女性が痛みで顔をしかめうっすらと目を開ける。
「大丈夫ですか! しっかりしてください!」
俺は呼びかける。
女性は息も絶え絶えで唇が微かに動いた程度で、声を出すことは無かった。
ただ、今にも力尽きそうな瞳が俺を捉えたかと思うと、女性は――笑った。
俺は絶句した。
そして同時に見惚れた。
その、血の気が引いた容貌。唇から伝う赤い線。優しい目で、穏やかな笑みが、あまりに甘美だった。
俺はその、今にも消えそうな儚い女性の表情に魅了された。得も言えぬ興奮が駆け抜けたのだった。
それからどれ位時間が経ったのかわからなかったが、やがて人が駆け寄って来て女性は担架に横たえられて連れていかれた。
俺はというと、パトカーに乗せられて向かった留置所で勾留された。
道中、そして留置場でも、取り調べによる質問が投げかけられたが、俺はその一切に動じず興味を示さず反応を返す事はなかった。
女性がどうなったのかは分からないが、俺の頭の中は今際の際の女性の表情が焼き付いて離れなかったのだった。
夜が明けて朝日が顔を出すころに、俺は釈放された。
なんでも、現場のすぐ近くに血塗られた包丁があったとか。指紋を鑑定した結果、この少年は無関係のようだとか。
名も知らぬ誰かが頭を下げて俺を見送るのも気にせず、俺は放心のまま家に帰った。
自室にたどり着くと俺はすぐさまパソコンを立ち上げ、あらゆる死の淵を検索した。普通のブラウザでは飽き足らずに、裏サイトやダークウェブにも手を出して。
そうやってあらゆる死期、その画像や映像、時にテキストや音楽で、足りない場合は想像で補って、狂喜に震え舞い上がった。命の絶たれる儚さ、この世から消える直前の阿鼻叫喚な絵図。
そして何と言っても、死を悟った時の安らかな笑み。それらを堪能した。
休みの間中、休みなく、いつまでも、いつまでも。
そしてあっという間に連休が明けて、登校日。
部屋の戸の前に、どこかで投げ置いた鞄一式が用意されていた。
俺は力無くそれを掴んで登校していく。
だが、ふらふらと覚束ない足取りで学校へと向かい、教室にたどり着いたところから先は……覚えていない。
気が付くと俺は保健室のベッドで横になっていた。時刻はもう夕暮れで、下校時間が差し迫っている頃合いだった。
ただ、この時の俺は、何故自分が保健室で休んでいたのかということだけでなく、そもそも今日が何日なのかすら覚えていなかった。
保健室の先生に話を訊いて、どうやら部活に参加してからの帰路より4日間の記憶が完全に抜け落ちた事を理解した。
連休中、何をしたのかが全く記憶に残っていなかった。
翌日、いつものように学校に行くと、なんとなく教室の空気が重く感じた。
この日はいつも仲良くしているメンバーが揃って休みだった。
それから程なくして今まで通りの日常が戻ってきたが、周囲の俺への態度には少し違和感を覚えた。
ほんの僅かだけど、避けられているかのような感覚。
警戒心を感じ取った。
それは残りの半年の間で消えることは無かった。
俺は、なんとなく居心地の悪さを感じて、気丈に振る舞うも親しい友だちたちにすら話しかけるのが億劫になって、徐々に周囲との接点が少なくなっていった。
何度か訊こうかと試みたが、皆一貫して、何の事? とのらりくらり躱された。まるでひとり仲間外れにされているような感じに似ていた。
そうして記憶に靄がかかったまま人間関係も昔より希薄になって来た頃、
俺は卒業した。
次の新たなる旅立ちの前の僅かな春の休みの間で、俺は、ふと立ち寄った家電量販店で、シューティングゲームの映像に目を止め、食い入るように見た。
何がそんなに気がかりだったのかは分からなかったが、新生活の息抜きにでもなるだろうと、俺は軽い気持ちでFPSのパッケージを手に取り、レジへと向かったのだった。
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