ユズキクリーンサービス

平田明

1

 全員の素顔を知っているのに、後部座席に座る六人の男たちは誰が誰だかさっぱり見分けがつかなかった。

 身に着けている服は全員揃いのツナギ。薄い灰色とも薄緑ともつかない、よくある曖昧な色だ。その上に、釣り人か魚屋のような黒い胴長。手にはゴム製のこれも黒い手袋。黒いニットのバラクラバのせいで、魚屋でバイトしている工務店の従業員が銀行強盗を企んでいるように見える。

「もうすぐだ」

 新海しんかいが言うと、一人だけ、左腕に喪章を巻いているやつが頷いた。顔は見えないが、喪章なんかつけてるのはいつでもそいつしかいないので、柚木ゆずきだと知れた。

 目的の住宅──というか、邸宅──に到着する。閑静な高級住宅地というやつで、二十三時前だというのにあたりは静まり返っていた。一区画が嘘みたいに広くて、こんな敷地をどうやって管理するのかと思わざるを得ない。多分、ハリウッド映画で見る庭師なんかがいるのだろう。

 事前に連絡があったとおり門扉は開いている。そのまま通り抜け、手入れされた庭を突っ切る私道を進んだ。玄関に後部を向け――つまり、出ていく方向に頭を向けてバンを停める。タイヤが停止しきらないうちに、ドアから一番近い場所に座っていたやつが取っ手に手をかけドアを引き開けた。それぞれ仕事道具を手に、無言で次々とバンを降りていく。

「きれいにして来い」

 声を掛けると、最後に車から降りた柚木が振り返り、バラクラバの奥で微かに笑った。

「はいよ」

 奴らは強盗団でも魚屋でも、工務店でもない。

 手に持っているのはモップや漂白剤、各種洗剤、折り畳んだシート、大量の布や紙のロール。

 ユズキクリーンサービスは、依頼されればどんな現場でもきれいに片付ける。

 何の痕跡も残さずに。



「これ、もらったから食おうぜ」

 新海の住居スペースにお邪魔しますも何もなく勝手に入ってきた柚木は、紙に包まれた四角くて平たい折を差し出してきた。団子でも入っていそうだと思って開けたら、団子ではなく焼き鳥だった。

「誰にもらったんだ?」

「先生」

 放り出すように言って、柚木は勝手にソファに飛び乗り、俯せになった。そのソファは業者から廃品を譲り受けたもので、豪華とは言い難く、オフィス家具らしくサイズも小さい。柚木の背丈は百八十を超える新海よりは五センチ以上低いが、その柚木でも両足がひじ掛けより向こうにはみ出していた。

「ほんとに鶏肉だろうな?」

「ええっ!?」

 柚木はソファの上で跳ね起き、新海の持つ折に疑わし気な目を向けた。

「知らねえよ、焼き鳥って言われたから鶏だと思い込んでたけど検査したわけじゃねえし!」

「ふうん」

「いや、鶏だって! 鶏だよな!?」

 先生というのは、柚木が回収したもの、特に有機物、言ってしまえば死体や、死体のうち原形をとどめた部分の処分を頼んでいる元医師だ。どういう手段を使ってか、それらは献体されたことになって解剖だかなんだかに使われたり何だりしているらしい。

 まあ、それ以外の使い方をされていたとしても、別に新海の知ったことではないが。

「なあ、鶏じゃねえってことあると思う?」

 俄かに不安に駆られたらしく、柚木は真剣なツラだった。

「まさかとは思うけど、先生が──」

「柚木、これは鶏だ。間違いなく」

 新海が真顔で言うと、柚木は一瞬ぽかんとした顔で新海を見て、そして仏頂面になった。

「何だよ、からかいやがって」

「子供でも真に受けないような冗談に乗せられるお前が悪いんだろ。ビールでいいか?」

 新海は焼き鳥を手に、ソファの柚木を見下ろした。

「それとも、先に洗う?」

「いや、食った後で」

 了解、と答え、新海はビールを取りに冷蔵庫へ向かった。



 三ヶ月ほど前のことだ。掃除を終えたバラクラバ帽の集団やら、奴らの荷物やらを積み込んで「先生」のところに送り届けた新海は、車を普段通りの場所に戻して自宅に戻った。ただ、自宅といっても今の住居は雑居ビルの中にある管理人室の一角だが。

 至極真っ当な会社を辞めてこんなところにいるのには色々理由があるが、とりあえずそれはさて置き。

 通常、柚木を始めとするメンバーは先生のところで装備も身体もきれいにして自宅へ戻るらしい。しかし、その日は水回りにトラブルがあったとかで、柚木は試合後とりあえず着替えた運動選手みたいな状態で新海のところ──つまり、ビルの管理人室にやってきた。

「なあ、ここ、シャワーあるって言ってたよな?」

 ちなみに、ユズキクリーンサービスはこの古ぼけたビルに入っている数少ないテナントのひとつである。

「あるけど、狭いぞ。後付けしたユニットバスだから、まあしょぼいビジネスホテルくらいのもんだ」

「シャワーからお湯が出りゃなんでもいい。悪いけど借りられねえかな」

 どこに住んでいるのか柚木に訊いたことはなかったが、汗だくになったのに流しもせず帰路につくのは嫌だろう。別に部屋に他人を入れたくないとか思う繊細な質ではないから頷くと、柚木はほっとした顔をした。

 柚木がシャワーに飛び込んで十分ほど経っていただろうか。用を足したくなった新海がドアを開けたら、シャワーカーテンが開いていて、素っ裸の柚木が洗面台の鏡の前に立っていた。

「あ、悪い」

「いや、ああ、別に。なあ、ちょうどいいや。悪いけど首んとこ取れてるか見て」

 酷い有様の現場だったらしく、見えないところが気になったらしい。三助じゃねえんだぞとかぶつぶつ言いながら、それでも新海はタオルを持ち出し、柚木の首筋に残る汚れを拭いてやった。

「悪ぃなー。うまく洗えなくてさ」

 そう言って柚木はへらりと笑う。

 柚木は右利きだが、見ていると、時々右手の指がうまく動かせなくなることがあるようだった。煙草を吸おうとパッケージを取り出したものの、よれた包装の中から一本摘み出すことができずにいるのを何度か目にした。

 そういうときの柚木は別人のように険しい顔をする。最初に気が付いたときは咄嗟に手を出して取ってやったのだが、向けられた視線の射抜くような鋭さと背筋が凍るような冷たさを新海は鮮明に覚えていた。

 手の甲にある大きな傷が原因だろうが、そんなわけで、新海の方から傷ができた経緯を聞き出そうとしたたことは一度もなかった。

「……そうか」

 それ以上何も言わずにタオルを動かす新海を一瞥したものの、柚木も何か言おうとはしなかった。

 それから、柚木は仕事の後には必ず新海のところに寄るようになった。

 自分たちの痕跡を残しては本末転倒だから、やつらは毎度重装備だ。だから、血糊やその他諸々が肌や髪に付着していることはまずないが、先生のところではゆっくりもできないのだろう、細かい皺や窪みに入り込んだ汗や埃や薬品はまた別だった。

 毎度母親よろしく意外に細い首筋やら、シャープな顎の線やらを拭ってやる。こざっぱりした柚木が酒を飲んでそのまま丈の足りないソファに転がり泊まっていくのが当然になるまですぐだった。

 相変わらず新海は、柚木の自宅がどこかも、何故こんな仕事をしているのかも、右手の傷の原因も、それから左の鎖骨下から肩にかけて入っている翼を広げた猛禽の刺青の意味も、何もかも知らないままだったが。

「そういえば」

 焼き鳥と新海が作ってやったつまみでビールとジンのロック数杯を聞こし召しほろ酔いになった柚木に向かって、ソファの逆の端から声を掛けた。

「ん?」

「今日の夕方宅配便が届いてた」

「カイシャに?」

「いや、お前に」

 新海は送り状を頭の中に呼び出した。きれいな字で書かれた宛先と差し出し人。

「個人宛だったから預かってる。持ってくるか?」

「いや、明日でいいよ」

「柚木って本名だったんだな」

 柚木は唇を歪めて煙草を銜え、煙を吐き出した。

「何で?」

「何で分かったかって意味で訊いてんなら、差し出し人が柚木さんだったから」

「それも偽名かも知れねえぞ」

「かもな」

「──興味あんの?」

 柚木は顎を上げて煙を吐きながら、紫煙を透かして新海を見つめた。

「さあな。分かんねえよ。ただ──」

 詮索したいわけではなかった。ただ、生身の、素っ裸の柚木を目にする回数が積み重なるうち、知らずその背景を考えるようになったというだけだった。傷や刺青、その他諸々。一見しただけでは分からない何かを抱えているらしい、この男の背景を。

「ただ、何」

 作業着にバラクラバ。個性を敢えて排除した扮装に、何故かいつも付け足される喪章。あれは単にまとめ役という記号なのか、それとも柚木の中にある何かの象徴なのか。

「掃除完了した後、お前には何が残るんだ? 金以外に」

 柚木は何故か目を細めて微笑み、何も答えず新海を眺めたまま煙草を最後まで吸いきった。グラスの中で氷が溶けて、からりと澄んだ音を立てる。柚木は煙草を灰皿に放り込み、立ち上がって伸びをすると、着ていたTシャツを頭から脱ぎ捨てた。薄いが引き締まった筋肉の動きに合わせ、猛禽の翼がざわりと動く。

「シャワー貸して」

「──ああ」

 柚木は残りの衣類もすべてその場で脱いで、新海の膝の上に次々と放り投げ、素っ裸になった。

「新海」

「何だ」

「何ヶ月も一番近くで俺を見てんのに、あんたは知らねえんだな」

「──何を?」

「俺は空っぽだよ」

 柚木の身体は均整が取れていて、健康な青年のそれだった。年齢は知らないが、多分いくつか年下──三十前後だろう。若者特有の自虐的な思考なんか卒業して久しいはずで、だったらそれは、柚木の実感であり、事実なのか。

「俺自身を掃除してるようなもんかもね」

 よく分からないことを言って、柚木は風呂場に消えた。新海は煙草を取り出し火を点けて、暫くの間、灰になっていく穂先を見るともなしに見つめていた。



 普段通りシャワーを浴びる柚木の首筋や耳の裏を拭ってやって、それがいつどうしてそうなったのか、新海にははっきり分からなかった。

 向かい合った時に向けられた視線のせいなのか。

 それとも、最初からそうするつもりだったのか。

 空っぽだと笑った柚木の、決して虚ろではない表情のせいだったのか。

 シャワーの湯が重なる唇の隙間から入り込み、絡み合う舌も濡らす。柚木の手が水気を含んだTシャツの裾から潜り込んで新海の肋を辿り、うなじを掴んで引き寄せた。

「……何でこんなことしてんだろうな」

「あんたが言うなよ。仕掛けてきたのはそっちじゃねえか」

 面白がるように言った柚木の身体は当たり前だが濡れていて、温かかった。

「お前だって勃ってる」

「そりゃ──」

 何なんだと思ったが、柚木はそれ以上は言わずにまた小さく笑った。

 狭苦しいスペースで壁に押し付け、柚木のものと自分のものをまとめて握り擦りながら、新海は、実のない睦言を囁いた。空いている方の手の指を柚木の尻の間に割り込ませる。濡れそぼっているせいか、指はすんなり柚木の中へ潜り込んだ。出し入れを繰り返したら、握った柚木のものがひくついた。

 粘つく体液は溢れる端から湯に流され、それでも密着した肌の間でまるで咀嚼音のように生々しく、悩ましく響く。

 力の抜けた柚木の身体を半ば抱え、ベッドまで引き摺るように歩かせた。意識がないわけでも何でもないが、柚木は文句も言わず抵抗もしなかった。

「濡れるぞ──」

 ベッドに転がし圧し掛かったら、柚木が続けた。

「シーツとか」

「後で替える」

「でも」

「どうせ汚すんだ。濡らすくらい気にすんな」

「……新海」

 い、という音が掠れて消える。

 その音を発した柚木の顔は普段とそう変わるわけでもなく、しかし潤んだ目元には思いがけず鮮烈な色気があった。

「俺、野郎とはしたことねえ」

「俺だってねえよ」

 耳介を噛みながら言ったら、柚木は喉の奥で低く呻いた。

 柚木の口角をべろりと舐め上げる。シャワーで濡れたままの肌は、水道水の味がした。


 首筋に浅く速く吐き出される息が当たる。身体中に触れ、舌を這わせる。喉元に歯を埋めると、柚木は荒い息をつきながら何か言った。

「柚木──?」

「何でもいい」

「何……?」

「何でもいいから……好きとか、そんなんじゃなくていいから……何かくれよ新海──」

 がらんどうなんだ、なにかいれてくれ

 聞き取れないくらい掠れた声で囁いて、柚木は新海の肩に爪を立てた。

 シャワーの下で指を入れただけで放置していた場所に再び触れる。柚木は身動ぎしたが、制止の言葉は口にしなかった。

 そういう「入れて」ではないのは分かっている。多分、二人とも。それでも分からないフリをして、何度も指を往復させた。柔らかくなったそこに先端を宛てがったら、柚木の腰がびくりと跳ねた。

 ゆっくり入れ、引き抜き、また戻す。抜き差しを始めたら、柚木は甘ったるい声を漏らして新海の首に縋った。

「ん……っ!」

 硬くなった己の一部が、空っぽの柚木をいっぱいにしているのだと思ったら、どうしようもなく興奮した。

 こいつの身体に開く穴すべてを自分の何かで塞いでしまいたい。目も鼻も、口も耳も、柚木が身の内に抱える空洞をすべて。

「欲しけりゃいくらでもくれてやる」

 聞こえているのかいないのか、柚木は喉を反らして身悶えた。

「だからお前も──」

「新……あ、んな深いとこ、嫌だ……っ」

「まだ全部入れてねえ」

「でも──でももう、これ──あ、怖えんだって!」

 腕を掴み、縋るような目で見上げてきたが、今更だ。

「傷つけたりしねえよ。それに、中に欲しがったのはお前だろ」

 頭に血が上ってくらくらした。嫌がる柚木を宥めすかして根元まで入れ、腰を掴んで更に押し付け奥深く侵入する。どこまで入ってくるんだと涙を浮かべた柚木の尻の奥を小刻みに突きながら、繋がった部分に無理矢理指をねじ込み掻き回した。

「うあ! あ、新海──! やっ、裂け……っ」

 柚木が開かされた腿を震わせ顎を上げて喘ぐ。

「ちゃんと飲み込んでっから心配ねえってケツが言ってる」

「はあ? 馬っ……鹿野郎、ケツの持ち主は俺──、あっ、あ……!」

「ほらな?」

 感じまくった柚木はそれ以上何も言えなくなって、新海の動きに合わせて腰を揺らし、悲鳴を上げながら爆ぜて身体を突っ張らせた。


 何度目の挿入か、後ろから攻められ乱れる柚木の耳の中に、舌も言葉もまとめて押し込む。

「お前が空っぽじゃなくなるまで俺を詰め込んでやる」

 いっぱいになって破けちまうくらい、と付け足したら、柚木の中がきつく締まった。

 我に返ったら、そこにあるのは洗濯が必要な寝具と汗まみれの身体だけかもしれない。欲望にもみくちゃにされ垂れ流した体液は、埋めた隙間からすぐに流れ出、何を残すこともないだろう。

 それでも、ほんの僅かな残滓は柚木の中に残るはずで、それこそ何の痕跡も残さず掃除されてしまうまでに、掃除が追いつかないくらいに積み重ねてしまえばいいだけだ。

 しなる背中に口づけながら、新海は白昼夢のような何かを見た。もう掃除をする必要はないのだと、俺は満たされているのだと、晴れ晴れと笑う柚木の姿を。

 恋だとか愛だとかに夢を見る年頃はとうに過ぎ、いつ変わるか知れない人心というやつにもとっくに諦めはついていて、それでも何故か、柚木に──運転手とか三助としてだけでなく──必要とされたいと強く思った。

 


「信じらんねえ、まったく」

 散々翻弄されて起き上がることもできない柚木は、それでも、寝転がったまま新海の脇腹に思い切り蹴りを入れてきた。

「痛えな」

「何遍やりゃ気が済むんだよ」

「さあ? 数えてなかったから分かんねえな」

 柚木は何か言いながら唸ったが、何を言っているかは聞き取れなかった。吸いさしを灰皿に捨て、柚木の隣に寝転がる。頬杖をついて見下ろしたら、真剣な顔で見つめ返された。

「新海」

「何だ」

「──今ならまだ」

「馬鹿じゃねえのかお前は」

 柚木の頰に触れながら囁く。

「お前の中には俺がごっそり入ってんだ。掃除し終えるまでは、俺はお前の顧客だぞ」

「……金もらってねえ」

「欲しいのか。欲しけりゃいくらでもくれてやる」

 最中に言ったことを、柚木の目を覗き込みながら繰り返す。

 頰を辿る指を掴んだ柚木は一瞬泣き出しそうな顔をして、すぐに何でもない顔に戻って言った。

「ウチは高えぞ」

「構わねえよ──お前にはそれだけの価値がある」

 新海は、今度こそ固まった柚木の頰を撫でながら、喉を鳴らして低く笑った。


 

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