わかったよ



 群青が一級軍学校に入学したのは、彼が十三歳の時だった。だが、別に入りたくて入ったわけではない。家に金がなく、軍学校の奨学金を受け取らなければまともな教育(一級真民の威厳を保つ)を受けられなかったからだ。そう言う経緯だったため、必然的に群青は上位の成績を取らなければならなかった。自分の意思とは関係ない理由で努力を強いられるのは、はっきり言って苦痛だった。

 だが、そんな群青にも希望はあった。《銀翼の閃隊》への入隊である。


 ーーあそこなら、日がな一日突っ立っているだけで金が貰える。


 超エリートだけで構成された特別部隊、《銀翼の閃隊》。軍学校から入隊できるのは、三百人の同級生の中でも上位数名だけと言う、超高倍率の部隊だ。

 軍学校時代、群青は確実に《銀翼の閃隊》に入隊するため、二番手の成績を維持し続けた。一番を取ってしまうと「その年の顔」にされて面倒だから、それを除いた最上位である。

 十六歳の冬、とうとう卒業の日がやって来た。群青は当然、《銀翼の閃隊》への入隊希望を提出した。


 そして、書類選考で落とされた。


 その年の入隊者は四名。常に二番をキープしていた彼は落とされ、三、四、五番、七番手の者達が入隊した。

 理由は二つ。まず、《銀翼の閃隊》が募集人員を減らしたこと。

 確かに彼らは超エリート部隊だ。だが、実際のところ、その仕事は警護とは名ばかりの非常に無意味なものだった。名目上は宙の層エリア・コスモへ繋がる昇ゲートの守護なのだが、この高さまで地人が攻め込んでくることは現実的にあり得ない。つまりはやることがないのだ。朝から晩までただゲートの前で立っているだけの彼らは、他の一級真民達からすれば許し難いものだったのだろう。《銀翼の閃隊》は無駄な金食い虫だと、あらゆる方面からの強い非難に晒された。

 エリートだ一級真民だと自慢げに自称していても、所詮彼らは日本人。《銀翼の閃隊》は周囲の同調圧力に耐えきれなくなり、募集人員を減らした。これも実に日本人らしいと言えるだろう。

 そして二つ目。群青が一般家庭の出身者だったこと。彼より下の成績で入隊した者達は皆、名家、名門の出身者だった。

 このことが、何より群青の心を掻き毟った。


 ーーふざけてる。


 群青は軍学校の校門に唾を吐いた。何が名家か。何が名門か。真民社会が始まったのはつい五十年前のことだ。まだ三世代にも至っていないのに、そんな区別がつくものか。真民は穢人との差を明確にするため、人間だった頃の記録は消しているのだから。

 だが、群青が何を言っても無駄だった。と言うより、声を上げる気力すら湧いてこなかった。結局、彼は軍学校次席と言う無駄に豪勢な肩書を持って討伐部隊に入るしかなかった。

 ここで少し、「群青」と言う彼の苗字について語らなくてはならない。これは、元から日本にあるものではない。彼の先祖が一級真民になった時、それまでの苗字を捨て、新たに名乗り直したものだ。


「良いか。何があっても元の苗字は知られてはならんぞ」


 父は口を酸っぱくして群青に言い聞かせた。何でも、親類にとんでもない犯罪者がいたらしい。その罪状は、血の繋がりを世間に知られれば自分達の生存権すら脅かされるほどのものだったそうだ。


 ーー苗字だ名門だ身分だ、つくづく下らない。


 だが、幸か不幸か、彼のこの苦い経験は、彼の地人に対する「フラットな視線」を生む土壌となった。それは、地下社会で穢人を殺すことを生業としている者達において、非常に稀有かつ、異常なものだった。

 仕事として地人は殺す。だが、無駄な虐殺はしないし、彼が効率的だと判断すれば、対等な立場での話し合いにも応じる。老若男女、地人は分け隔てなく殺し、同僚が殺されても他の者のように報復に執着はしない。

 彼はこの常軌を逸したスタンスを、何と十五年間も貫き通した。そしてその年月は、奇妙な出会いに繋がった。


「群青さん。貴方の考え方は僕の理想にとても近いものな気がします」

 

 群青に《銀翼の閃隊》の隊長助監になって欲しいと申し出てきたのは、皇ゆずきと言う名家出身の男だった。















 皇のサーベルが老婆の左肩を擦る。皇の手には分厚いタイヤを突いたような感触があった。


「ぬぅんっ!」


「が、は!?」


 血を吐きながらの老婆の掌底が皇の鳩尾に入る。互いに血を吐きかけ合った瞬間、老婆が少女を奪い取った。ここで再び喀血。極端に鈍る動き。群青が残った右手を振るう。皇が振り向き様にサーベルを突き出す。

 風の刃は老婆の右手を落とした。サーベルの切っ先は老婆の腰の辺りを貫いた。だが、それだけの負傷をしても、老婆の次の動きは的確だった。


「伏せて!」


 察知した群青が皇に覆い被さる。0.1秒後、手投げ弾が炸裂した。だが、それに群青が危惧したような殺傷力は無かった。代わりに強烈な閃光が辺りを満たす。


「……やられたな」


 二人の目が回復した時には、老婆は跡形もなく消えていた。追跡の手掛かりになりそうなものも無い。


「流石に、鮮やか、ですね……!」


「はーい、君は喋っちゃだめ。かなりキツいの入ってるんだから、しばらく安静」


「ですが、群青さんも……」


 群青の左腕は二の腕より先がなくなっている。蛇口を捻ったみたいな量の血が滴り落ちていた。


「あぁ、僕は大丈夫。超回復薬リジェネがあるから」


 群青が隊服のポケットから注射器を取り出し、断面にぶっ刺した。ぐちゅ、と言う生々しい音に皇が目を瞑る。そして次に目を開けた時、群青の左腕は元通りになっていた。


「でも、これが最後だ。今後は労災出すことになるね」


 超回復薬リジェネとは、脳内のウイルスを活性化させて細胞を増殖させる劇薬だ。遺伝子やウイルスの質は個人によって異なるので、多くは作れない。群青が持っていたのは四本で、そのうちの三本は過去の戦いで消費している。これが最後の一本だった。


「あの傷だ。そう遠くまでは逃げられない。追跡隊を出す」


「はい。私も、行きます」


「はいぃ? その怪我じゃ無理でしょ。せめてもう少し回復してからじゃないと」


「ですが……」


「僕が動ける者だけが率いて出発する。負傷者はここで待機。上との連絡を試みて」


 《十一人の指導者》の生き残り。ここ二十年で一番の発見だ。群青に出世欲などなかったが、それでも事の大きさはわかっている。大葉明を捕らえられるかどうかで、今後の真人と地人の関係性が大きく変わる。


「酒井隊長! すぐ出るよ!」


「申し訳ございません! 酒井は麻酔でやられています!」


 五十人程の隊員の中で、麻酔針でやられているのは十三人。そのほとんどが隊を動かす上で何かしらの役割を担っている者達だった。さらに、


「ですが、運良く死者は出てません!」


「……やってくれるなぁ」


 群青は歯噛みする。あの老婆は手加減していた。手加減した状態で、《黒鉄の英》を圧倒したのだ。
















「はぁっ、はぁっ、ぐぁ……!」


 血を滴らせる右肘で少女を抱え、大葉は走っていた。左手は腰の傷口に当てている。飛行服の袖をちぎって簡単に手当てをしたのだが、思ったよりも傷は深かった。動くたびに血が溢れ出す。


「鈍ったもんだ……!」


 少しでも遠くへ。あの一級はすぐに追ってくる。途中からは出血の処理ができていない。頭のキレるあの若者は、確実に血の足跡を辿って追いかけてくるだろう。


「あ……」


「目を覚ましたかい?」


「な、え、え……? あの……?」


「もう少し、辛抱して、おくれ。安全……な、ところへ」


 少女の検査服は朱に染まっていた。


「け、怪我をしてるんですか……!?」


「なぁに。こんなの大したことはないさ」


 顎を伝って落ちた血が、少女の頬にポタポタと当たる。少女が手を伸ばそうとしたその時、


「ぐ、うぐ!? が、はぁっ!!」


 大葉は倒れた。自分の身体のことだから、わかる。とうとう肺がその機能を完全に失った。大葉の肺はもともと黒化が進んでいて、かなり危険な状態だったのだ。それがここに来て一気に悪化した。先程の戦闘でカルマを使い過ぎたせいだ。


「お、お婆ちゃんっ!」


「あぁ、そうだよ。あたしは、あんたのお婆ちゃんだ」


「傷を、傷を塞がないと!」


「大丈夫さ。少し、休めば……元気になる、さね」


 流石に二百歳うんぬんを言う気力はなかった。負傷した側の腰を上にするために、大葉は横向きになった。視界がチカチカする。血の味を感じ取れなくなった。いよいよマズいらしい。ならば、まだ身体が動くうちに、せめて娘が隠れる場所を、探さなくては。何とか起き上がろうとして、


「あぁ」


 大葉は笑った。


「三十五分……。あんた、ホントに強くなったねぇ……」


「うるせぇ喋るな!!」


 隼士は唾を飛ばして叫んでいた。殆ど怪我らしい怪我をしていないのを見て、大葉は心の底から安堵する。


「くそ! くそ!! 血が!」


 飛行服をナイフで切り取り、傷口を確認する。結果、見なかった方が良かったと思いかける。が、隼士はその気持ちをすぐに振り払った。包帯を、包帯を巻いて、そして、鎮痛剤を打つかどうかを、迷う。鎮痛剤を打てば呼吸が弱くなる。大葉の肺がそれに耐えられるか!?


「もう……良いよ」


「黙ってろ!!」


 隼士は大葉からある程度の医療知識を授かっている。だがそれは「ある程度」に過ぎない。瀕死の重傷者を救えるようなものではなく、また、そのための道具も持っていなかった。彼の「門」と繋がっているのは、武器庫、食糧庫、防具庫、新生種の檻、そして、切り札を隠した特別な保管庫。

 そのどれもが、生物を殺すための物だけを詰め込んだものだった。


「……なんでだよ」


 喉が引き潰されたみたいな声で言う。


「あんたが死ななくちゃいけない理由なんてないだろう!?」


 涙混じりに血溜まりを叩くしか、隼士にはできなかった。まだ熱さの残った血が飛び散る。それは隼士と少女の頬に斑らを作った。


「あんたが、最後に来てくれて……良かった」


「……おい」


「これで、安心して」


「待て……待て! 終わりみたいな言い方するな! もう少し、もう少し頑張れ!」


 頑張ったところで、どうにもならない。それがわかっていて、隼士は叫ぶ。


「ふは……。安心して、いけるねぇ」


「ばか! 逝くなんて言うな! 待って、くれよ……。まだ何も返してない! 俺はまだ、あんたに何も返してない!!」


「そんなことは……ないさ」


 大葉は左手を伸ばし、少女をそっと抱き寄せた。


「あたしの娘を、守ってやっておくれよ」


 大葉の目から光が消えていく。すでに隼士も少女も見えていないようだった。隼士が何か喚いていたが、よくわからない。隼士も、よくわからないまま喚いている。


「あぁ、すまない。佑月……。母さんは、あんたを……」


 それは、隼士が初めて見る大葉の涙だった。


「すまない……すまない……許しておくれ……」


 鋼のようだった筋肉が萎んでいく。出血が少なくなっていく。身体から力が抜けていく。


 顔の皺が、深くなっていく。


 最期の力を振り絞って伸ばした右手は、肘から先がなかった。

 だが、それを、少女が胸に抱え込んだ。


「大丈夫だよ。お母さん」


「あぁ、佑月。……そこにいるのかい?」


「うん。いるよ。ここにいるよ」


 少女の声は震えていた。だが、手だけは離さなかった。


「そうか……あぁ、そうか……」


 大葉はそう言うと、眠るように命を溶かした。最期の表情は、もしかすれば微笑みだったのかもしれない。

 この時、不思議なくらいに辺りが静まり返った。少女は大葉の肘に縋り付くように固まっていたし、隼士は呼吸すら忘れて目を見開いていた。

 今の隼士は、よくわからない真っ白な感情に支配されていた。


「おい」


 口が、勝手に動いている。


「お前だよ、お前」


 少女は顔を上げない。


「聞こえてんだろ」


 真っ白が、突如として激烈な赤に変わった。


「ババァに触るな!!」


「っ!」


「離せ、離せよ! お前が触るんじゃねぇ!!」


 少女は激しく首を振る。


「ふざけるなよっ!! ババァがどうしてそうなってんのかわかってんのか!!」


 この時の隼士の行動は、まるで幼い子供に戻ったみたいだった。


「お前のせいだよ! お前のせいで死んだんだよ! なんだよそれ! わけわかんねぇよ! ババァは空の層エリア・スカイで暮らすはずだったんだよ! それが、それが……ババァを殺したくせに、ババァに触ってんじゃねぇよ!!」


 渾身の力で少女を突き飛ばした。少女がそれに耐えられるはずもなく、血溜まりに肩から転がる。

 隼士は、ナイフを握った。


「殺してやる」


 初めて、憎悪で人を殺そうとした。少女はよろけながら、またしても大葉に縋り付いた。その行動に、隼士の血管が弾けた。ナイフを振りかぶる。その時、


「……すか」


 少女が、小声で何か言った。


「どうして、そんなことを言うんですか……?」


 まるで煽るような言葉が、何故かナイフを振るう手を止めた。少女が充血した目で、初めて、隼士の瞳を見た。


「あなたは今、誰よりも傷付いていて……。誰よりも苦しんでいて……。誰よりも、打ち拉がれていて……」


 真っ赤だった感情が、少女の言葉で折れていく。


「誰かに、優しくされたくて泣いているのに。そして……それよりも、もっとずっと、ずっとずっと強く、誰かに優しくしたくて泣いているのに」


 隼士は、己が泣いていることを自覚していなかった。自分の頬に手を当てて初めて、それが涙だと気付いた。

 気付いしまったら、もう止められなかった。


「あぁ……あぁ……!」


 崩れ落ちるように、膝を付いた。ナイフなど、とうに取り落としていた。


「なんで、死んじゃったんだよ……。俺には、俺には、あんたしかいなかったのに!」


 脳が枯れそうなほど、ひたすら泣きじゃくった。大葉の胸にしがみつく。


「母さん……。母さん……!!」


 何度そう呼びかけても、大葉は目を開けてくれない。硬直するそれは、紛れもなく死体だった。

 だからだろうか、隼士は身体を起こすことができた。


「わかったよ……」


 大葉の最期の言葉を、無視したくはなかった。それが母の頼みだと言うのなら、受け継ぐ以外ありえない。


「俺が、まもるよ」

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