32 ラケル・オルブライト
「兄さん!? 兄さんですよね!?」
「違うぞ、俺はお前の兄じゃない」
「死んだって聞かされてたのに……生きてたんですね!?」
「話を聞け」
「むぐ」
いきなり俺に向かって抱き着いてきたラケルの口を抑える。
誰が聞いているか分からないのだから、あまり大声で兄さん兄さんと呼ばれては困る。
そもそもラケルに正体が、俺がアーク・オルブライトであるとバレたのは完全に誤算だ。これ以上広めるわけにはいかない。
「俺はお前の兄じゃない。俺は……ノア・メイスフィールドだ。いいな?」
「あれ? ノア……ですか? レオンハルト・ダールブラックっていうのは?」
「それは偽名の偽名だ」
「よく分かりませんが……ともかく、あくまでも別人として扱えってことですね、分かりました兄さん!」
本当に分かってるのか……?
満面の笑みでこちらを見つめてくるラケルに対し、俺は嘆息した。
「まあいい。少なくとも、誰かに聞かれる恐れがある場所では俺のことはノアと呼んでくれ」
「はい、ノアさん……でいいですか?」
「ああ」
ラケルの頭を撫でる。昔の癖だった。さらさらの黒髪が揺れる。
「ふふ、懐かしいですね。昔はこうしてよく兄さんに頭を撫でられてました」
「そうだな」
呼び方が兄さんに戻っているが、もう諦める。
今のところ周囲に人の気配はないため、多分大丈夫だろう。
「けれど、どうして兄さんは生きていたんですか? 私、兄さんは死んだって聞かされていたんですけど……」
ふと、ラケルが疑問を投じる。
当然の疑問だろう。世間的には、俺は死んだことになっているのだ。
死亡報告をしたのは誰だか分からないが――まあ、恐らくは俺を『
「死んだというか、『
「えっ!?」
ラケルが目を見開く。
「『
「ああ。それでしばらくは『
「『
「運が良かっただけだ」
これは本当にそう思う。
もしも俺が本当に魔術の才能が一切なく、時空魔術を使えなかったのなら、俺はとっくの昔にあの場所で死んでいた。
「なるほど、そうだったんですね……それで偽名を使って正体を隠しているんですね」
話が早くて助かる。
「そういうことだ」
「となると――兄さんを『
「……あー、まあ、そうだな」
ラケルの目が据わっている。
あの男、というのがジュリアンを指しているのだろう。
嫌な予感がしたため、咄嗟に否定しようと思ったが、否定しても意味がないことは明らかだった。
俺が何を言おうと、既にラケルは確信しているようだったからだ。
「あの男……殺してやる」
「はい落ち着け」
粘りつくような殺気を撒き散らし始めたラケルの頭を軽く叩き、我に返らせる。
「いいか? 俺はそもそも……誰にも正体を明かすつもりはなかったんだ」
「私だけが特別ってことですね? 分かりました兄さん!」
何も分かっていなかった。
「違う。ラケル、お前にも明かす予定じゃなかったんだ」
「え? けど、兄さんは私の前に現れたじゃないですか」
「ああ、そうだが……?」
「つまり、私に正体をバラすつもりだったってことじゃないんですか?」
あっさりと、なんてこともないように、ラケルは言う。
「だって私、いくら成長して姿形が変わって、名前を変えたところで、一目見れば兄さんが兄さんだってことくらい分かりますし」
「……そういうものか」
「ええ、双子の兄妹の絆です」
嘆息する。とはいえ、もうバレてしまった以上は仕方ない、か。
ラケルは誰かに話したりはしないだろうし、信頼するしかない。
「けど、大丈夫ですよ。双子の兄妹でないレア姉さんやあの男なんかは顔を見ただけじゃ多分気付かないでしょうし」
「そうだな、ジュリアンも気付いた様子はなかったし、レアの奴も前に会ったが気付いてなかった」
「ただ、兄さんが学園に通ってるなら……そうですね、アイリス様辺りには気をつけた方がいいかと。恐らく一目で気付かれると思いますよ?」
もう何度も顔を合わせているが、気付かれた様子はなかったが?
一応訊ねる。
「どうしてそう思う?」
「女の勘です」
「……そうか」
よく分からないが……まあ、今のところ気付かれていないようだし、注意すれば大丈夫だろう。
それに、アイリスの場合はもし正体がバレたとしても、その性格からして、口止めさえすれば周囲に吹聴することはないだろう。それほど警戒する必要はなさそうだ。
「でもきっと、アイリス様は兄さんの正体を知っても吹聴はしないと思いますよ」
「そうだな、それについては俺もそう思う」
「ですから、兄さんさえよければアイリス様を助けてあげてくださいね? あの男と結婚させられるだなんて、可哀想すぎますから」
「酷い言い様だな……」
「虫と結婚する方がまだマシなくらいです」
「…………」
ラケルが心底からジュリアンを嫌っていることはひしひしと伝わってきた。
と、ジュリアンで一つ思い出す。
先程のラケルとジュリアンの会話の中で、一つ気になる内容があった。
「そうだ、ラケル。お前が無能っていうのはどういうことなんだ? 確か、魔術の才能は俺らの中でも一番高かったはずだろ」
俺は論外としても、他の兄弟がそれぞれ二属性に適性を持つ中で、ラケルだけは唯一、四属性全てに適性を持っていた。
これは非常に希少かつ優れた資質である。
英雄と呼ばれるような魔術師が持つレベルの才能だ。父のカーティスなど、俺の無能が発覚した後だったこともあり、ラケルのその才能が発覚した日は狂喜乱舞していた。
加えて、ラケルの魔力の量も平均よりは多かったはずで、その才能は優秀な魔術師の血脈であるオルブライト家の中でも群を抜いていた。
「それ、は……」
俺の疑問に対し、ラケルは笑みを消して俯いた。
彼女はしばらく逡巡した後に、言った。
「……実は私、魔術を使えなくなったんです」
あの日から――兄さんが死んだと聞かされた日から、と。
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