22 職員室での戦い
ナタリア・アッシュベリーは弱冠二十歳ながらにして、王家の懐刀、強力な魔術師の集まる『
中でも、彼女は『
母親はとある貴族の邸宅で働いていたメイドの一人で、その家の当主であった男に孕まされた挙句に捨てられ、元々身体の弱かったナタリアの母親は、
――彼女が貴族のような華美なドレスを身に纏い、口調をお嬢様のようなそれにしているのも、ある種のコンプレックスのようなものだ。
母を、自分を捨てた貴族が許せないという想い。
だからこそ、妹のために全てを賭して『
ノアに対する親しみにも、同じく貴族の家から理不尽に追放された者であるという共感の要素が多い――無論、それだけではないが。
ともあれ、ナタリアはそのようにして十歳のころ、同じく当時十歳であったラヴィニアによって
そんな風に多くの戦闘経験を積み重ねた彼女だからこそ、すぐさまその違和感を察知した。
――空気がおかしいですわね。
登校までの道のりにおけるリリーの護衛を終え、職員室に近付いたところで、ナタリアはその違和感を感じ取り、警戒を強める。
何が起こっているのかは分からないが――何かが起こっていることだけは理解できた。
「ノア様に報告しておきましょうか……」
懐から通信用の
「ノア様ですの? こちらナタリアですけれど、なにやら学園内で異常が発生しているみたいですので確認してまいりますわ」
「――ああ、
「……? はい、了解ですわ」
通信を切断する。
僅かに違和感を覚えたものの、ナタリアはその違和感に気付くことがなかった。
そうこうしている間に職員室に辿り着く。内部は不気味なほど静かだ。
ナタリアは恐る恐る職員室への扉を開いた。
「な――」
そして、絶句した。
異様な光景だった。
職員室の机などは全て脇に寄せられ、空いた地面に教員たちが一心不乱に何かを書き殴っている。
赤いインクで――否、教員の一人がぺティナイフを取り出すと、躊躇いなく自身の腕を切り、溢れ出た血を用いて床に文様を描いていく。
おぞましく、冒涜的な景色だった。
虚ろな眼差しをした教員たちは、入ってきたナタリアに見向きもせず、ひたすらに血を用いて床に巨大な魔法陣を描いている。
「なんだかよくわかりませんが――止めた方が良さそうですわねッ」
魔法陣の効果は分からない。
魔法陣は既に大方完成しているが、しかし魔法陣を一目見てその効果を判別できるのは、よっぽど深く魔術に精通している者だけだ。
ナタリアは魔術――特に座学はそれほど得意ではなかったため、術式を正しく把握しているのは、自身が戦闘に用いている魔術くらいのものであった。
ナタリアは懐から薔薇の造花を取り出すと、「
造花が一瞬光り、白銀の
その様子を見て、虚ろな目をした教員の一部がナタリアに攻撃を仕掛ける。
「――『
「――『
「――『
「――『
無数の魔術が発動。ナタリアへ飛来する。
ナタリアはひらりひらりと踊るような仕草で、迫り来る攻撃の全てを回避。同時に、細剣を
「――『
それはルーン魔術という、詠唱魔術とは異なる魔術の一形態。
刻んだ
その意は氷、静止、凍結。
空中に描かれた
そしてこの氷はただの氷ではない。
囚われた者の魔術発動を阻害する効果もあるため、魔術を利用して脱出したり、拘束された状態から魔術で攻撃を仕掛けてくるようなことを防げるのだ。
「ふう……」
これで大半の無力化が完了した。
できることなら、このまま職員室を抜け出してリリーの様子を確認しに行きたいところだが――そうもいかないようだ。
何者かに操られてナタリアに襲いかかる教員のうち、六人ほどが『
彼らは連携を取りながらナタリアに攻撃を仕掛けてくる。
教員の一人がナタリアに手を翳すと、莫大な雷光が迸った。
ナタリアは再び『
しかし、教員の一人が氷塊に触れて詠唱をすると、氷塊は粉々に砕け散った。
物質破壊の魔術――『
氷塊が砕け散る際に、氷塊に囚われていた教員は解放された代償として全身に裂傷を負って倒れ伏したが、しかし誰一人として気にする様子はない。
更に一人の教員が『
「――『
ナタリアが即座に虚空に新たな
庇護を示す『
効果は防護結界の生成。
ガリガリガリッ――という氷片が結界を削る音が響くものの、結界は壊れることなく攻撃をなんとか防ぎきった。
『
一番近くにいた男の教員に向かって駆け出す。
同時に『
男は迎撃のために魔術を乱射するが、碌に狙いもせず闇雲に撃っただけの攻撃に被弾するようなナタリアではない。ほとんど速度を緩めることなく全て避けきると、大きく踏み込み、男の肩を細剣で貫いた。
即座に抜き取り、痛みで動きを止める男の脇腹に回し蹴りを叩き込む。男は壁に寄せられていた机などを盛大に巻き込んで地面を転がり、気絶した。
残り四人。
だが同時に再び氷塊が『
「全く、しつこいお方は嫌われますわよ?」
返事はない。相変わらず瞳は虚ろで、洗脳は簡単に解けそうにはない。
残念なことにナタリアは魔術が苦手だった。唯一使えるのが戦闘用にラヴィニアによって叩き込まれたルーン魔術だが、生憎、その中に洗脳を解除できそうな
「まあ、全員ぶちのめしてしまえば同じことでしょう――?」
教員の一人の指先から熱線が射出される。
氷塊では防げないと判断し、回避。膨大な熱量の余波が肌を焼く。床が僅かに蠢く、ナタリアは弾けるように後方へ跳躍する。床に亀裂が走り、隙間から無数の棘が飛び出す。
飛び散った床の断片がナタリアの柔肌を傷付けた。
更に壁側へ下がり距離を取ったナタリアに対し、魔術の一斉掃射が加えられる。回避する隙間すらない密度の弾幕だ。
『
魔術の一斉掃射は必然的に術者側の教員たちの視界を遮っていた。
ナタリアは
「――
頬の掠り傷から流れ出る自らの血を用いて、自己の身体にルーンを刻む。
ナタリアの足がいっそう加速した。
身体強化の
加速したまま教員の一人に接近する。迎撃の魔術を
残り三人。
しかし彼らは躊躇なく、味方を平気で巻き込む軌道で魔術を乱射する。
だがそれはナタリアからすれば、味方ごと氷塊を『
ナタリアは即座に跳躍すると、投げ飛ばされて宙を舞う教員の身体を踏み台にして更に再び跳躍、更には天井を蹴り、地面に着地。
三次元的な機動で以って強襲を仕掛ける。
「――『|氷(Isa)』」
敵はあくまでも操られているだけである以上、できるだけ殺さずに無力化したい。
そのため
けれど、これで残る敵は二人だけだ。
――だがここで、彼らはナタリアの予想外の行動を取った。
「――なっ」
残る二人のうち、片方、男の教員が自らの首をナイフで切ったのだ。
頚動脈から鮮血が溢れる。驚いて動きが止まった隙に、もう一人、女の教員がナタリアに魔術を放つ。ナタリアは慌ててそれを避けた。
不味い――と思った時点で既に手遅れだった。
男が溢れる血液を床に塗り、魔法陣を完成させる。慌てて止めようとしたナタリアだが、女がそれを阻む。
そして――魔法陣が完成した。してしまった。
「ふ――ふふ、ふふふふふふふふふ」
どこからともなく笑い声が聞こえる。不気味な、女の声だ。
次の瞬間。
床に描かれていた鮮血の魔法陣が――怪しく光った。
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