18 喫茶店


「じゃあ、今日のところは俺は帰るぞ」


 ひとまずの方針は、正体不明のもう一人の襲撃者を待つということになった。つまり護衛は継続だ。

 当初の予定通り、学園内では俺が、学園外ではナタリアがそれぞれ護衛することになる。


「その、今日はありがとう……一応感謝してあげるわ」

「どういたしまして。だがまあ、感謝するのは全部終わってからにしてくれ」


 屋敷の玄関口。見送りに出てきたナタリアとリリーに対して俺は言う。


 話し合いを経て、当面の指針こそ定まったものの、結局のところなにか進展があったわけではないのだ。

 第四王女、ローズがまだ生きているかどうかすら定かではない。


「とりあえず、あんたには護衛を続けてもらうわよ」

「面倒だがそうするしかないだろうな」

「この私を守る権利をあげるんだから、感謝なさい」

「はいはい」


 リリーとしてはできる限り早く『牢獄世界コキュートス』に行きたいだろうし、俺としてもそうしたいのは山々なのだが、そのためには『深層アンテノラ』の保有する結界の出入り口の位置を知っている刺客がこちらに攻撃を仕掛けてくるのを待つ必要がある。

 もどかしいが、どこにいるかすら定かではない刺客をこちらから見つけるのは現実的に考えて厳しい。


「しかし、妹ね……」


 妹のことを心配しているリリーの姿を見て、俺は自分の家族について思い出していた。

 

 父親、カーティス・オルブライト。

 母親、サーシャ・オルブライト。

 長男、兄のジュリアン・オルブライト。

 次男、つまりは俺、アーク・オルブライト。

 三男、弟のルイ・オルブライト。

 長女、姉のレア・オルブライト。

 次女、俺の双子の妹であるラケル・オルブライト。


 他の奴らは今となってはどうでも良いが、俺のことを慕ってくれていた妹のラケルだけは心配だ。

 俺は今更オルブライト家に自身の存在を伝えるつもりはない。ラケルの奴も、俺のことなど忘れてくれていると嬉しいのだが。


「あれ、ノア君!」


 家への帰路。背後から声を掛けられ俺は振り返った。気配は感じていたため、動揺はない。

 ニーナ・シンフォニアがこちらに近付いてきた。横にはメリル・エンケファリンを伴っている。


「なんだお前ら」

「今私たち街を適当にぶらぶらして遊んでたんだけど、良かったらノア君も一緒にどう?」

「いや、遠慮しておく」


 断った。俺は家に帰りたかったからだ。


「何か用事でもあるのかな?」

「用事は別にないが……」

「私たち二人が美少女で気後れしてるからって、遠慮しなくてもいいんだよー!」

「はっ」

「鼻で笑われた!?」


 面倒だから帰りたい、という感情を込めてニーナを睨む。


「そんな見つめられたらちょっと照れるねー」


 が、どうやら伝わらなかったみたいだ。


「俺は帰るぞ」

「ちょっと、女の子二人が一緒に遊ぼうって言ってるのよ?」

「あー、じゃあ俺は用事があるから」

「ついさっきないって言ってたばかりだよね!?」



 □



 帰ろうとしたが、結局ニーナに押し切られる形で街を散策することになった。


 ……仕方ない、ちょうど気になることもあったことだし、この機会に訊ねるとするか。


「お前とメリルは仲が良いのか?」

 

 あまり相性が良いようには見えないが。


「仲良しだよー。学園に入って以来の付き合いかな?」

「仲良し」


 ニーナがメリルの顔を覗き込むようにして笑みを浮かべる。メリルは表情を変えずに答えた。


「それで、どこに行くつもりなんだ?」

「下着を新調したいと思って」

「帰る」

「あー冗談冗談! じゃあ喫茶店にでも寄ってお話でもしようよ」

「面倒だな」


 俺は帰ろうとしたが、ニーナに止められる。


「じゃあお茶くらい奢ってあげるから」

「何してるさっさと行くぞ」

「ええ……」


 仕方なく、先導するニーナに着いて行く。金がないのだ。

 『暗躍星座ゾディアック』の仕事で支払われる給料はすでに使い切ってしまっているため、少なくとも来月までは極貧生活である。


 俺は周囲を見渡してお金を落としそうなチンピラを探してみたが見当たらなかった。

 しまったな……先程のチンピラをラヴィニアに押し付ける前に、財布があるかどうか確認しておくべきだったか。痛恨のミスだ。


「ええ……まあいいや。こっちね」


 ニーナは釈然としない表情を浮かべた。

 横を歩いていたメリルが俺の服の袖を引っ張る。


「……大丈夫?」

「ああ、どうせ暇だったのは確かだしな」


 屋敷での護衛はナタリアに任せているため、俺にやることはない。

 『暗躍星座ゾディアック』が使用している通信用の魔道具アーティファクトはナタリアも持っているため、何かあればそれで連絡をしてくるだろう。


「何を話してたのかなー?」

「いや、とっとと帰りたいなって話をしてただけだ」

「酷い! と、着いたよー。ここ学園生の間ですごく人気らしくて、一度来てみたかったんだよねー」


 ニーナに続いて店に入る。中々に小洒落た喫茶店だ。

 見渡すと、店内の席は八割ほどが人で埋まっている。人気というのは嘘ではなさそうだ。紅茶や砂糖菓子の香りが漂っている。


「ここの紅茶が美味しいらしくて」


 空いている席に腰掛けると、店員が来たので注文する。


「珈琲を一つ」

「スパゲッティ」

「キミたち私の話聞いてないね!? じゃあ私は紅茶でお願いします!」


 注文を終え、一息つく。


「今更だけど大丈夫だった? わりと強引に連れてきちゃったけど」

「本当に今更だな。まあ用事があったわけじゃないから大丈夫だが」

「ならよかった。あ、そうだ、ノア君の方は街で何をしてたの? 学園を出るときはリリーちゃんと一緒にいるところを見たけど」

「あー、帰る前に少し話しただけだ」

「そう、残念。てっきりリリーちゃんと一緒に仲良く下校したんじゃないかと思ったのに」


 注文した珈琲や紅茶が到着した。

 スパゲッティは来なかったので、メリルが無表情の中に僅かな悲しみを滲ませた。


「何でお前は俺とリリーがくっついてることにしたがるんだ……」

「ごめんごめん。けど、私たちの年代にとって恋愛って一番の娯楽だし。ね、メリル」

「パンケーキ、追加で」


 メリルはスパゲッティを持ってきた店員に追加注文をしていた。


「――まああの子は色気よりも食い気みたいだけど」

「そうだな」

「とはいえ、冷やかしすぎかな。リリーちゃんにも怒られそうだし、そろそろやめとくよ」

「そうだな」


 珈琲を一口飲む。

 中々に美味だ。他人の金で飲んでると思うとより美味い気がする。


「けど、私としてはやっぱり恋愛って憧れるんだよねー。同級生とかが付き合ってる話を聞くといいなーってなるし」

「なら人の恋愛を見て楽しむよりも自分ですればいいだろ」

「うーん、そうなんだけどねー。けど、自分が誰かとそうなってるところは想像できないんだなーこれが」

「んなこと知るか」


 それこそ俺には関係のない話だ。


「あ、そうだ。じゃあ私とノア君で付き合ってみない?」

「遠慮しておく」

「えー、残念」

「そもそもお前は俺のことが嫌いだろ」


 ニーナの笑みが凍りついた。


「……どうしてそう思ったのかな?」

「ただの勘だ」

「うーん、それは勘じゃなくてただの気のせいだと思うな」

「そうかもな」


 幼い頃にはオルブライト家で家族から悪意を向けられ続けた。

 追放されて以降も、『牢獄世界コキュートス』という悪意に満ちた環境で生き抜いてきた。

 そういった経験もあり、こと自身に向けられる悪意には敏感だった。


 その俺の感覚は、ニーナがこちらに向ける殺気を感じ取っている。

 ニーナは相変わらず笑みを浮かべているが、目の奥は笑っていない。


「気のせいだよ」

「そうか」


 最も、俺の感覚でしかないので気のせいだと言われたらどうしようもないのだが。


 ――俺がわざわざニーナの誘いに乗ったのは、ニーナの向けてくる殺気について直接確認したかったからだ。決して紅茶の奢りに釣られたわけではない。決して。


 ともあれ、直接的に斬り込んでみたものの、その結果は微妙だ。


「チョコレートパフェ、追加で」

「滅茶苦茶食べるな、お前……」

「もぐもぐ……、お前じゃなくて、メリル」


 俺が知りたかったのは、ニーナ・シンフォニアが『深層アンテノラ』の刺客か否かである。

 俺に対する殺気は、しかし彼女がリリーを狙っていることには結びつかない。それに少なくとも、ニーナはリリーに対しては別段殺気などを向けている様子はなかった。


 そうなると、こいつは俺個人を恨んでいるということになるのだが……正直心当たりはない。

 ニーナと知り合ったのは学園入学後で、それまでは面識はないはずだ。


 尤も、『暗躍星座ゾディアック』の仕事柄、人から恨みを買うことも多いため、知らぬ間に憎まれていても不思議ではないのだが。


「ねえノア君」

「ん、なんだ?」


 ふと、考えごとをしていると、ニーナがじっとこちらを見つめていたことに気付く。

 その目には相変わらず殺気が見え隠れしているが、その声色は柔らかい。

 そのちぐはぐさが不気味だ。俺を嫌っているのは明らかなのにあえてこうして近付いてくる以上、警戒せざるを得ない。


「今、楽しい?」

「まあ、この珈琲は中々美味いな」

「そうじゃなくて。えっと、今の生活……学園生活は楽しい? って聞いてるの」

「そうだな……」


 俺は少し考え、答えた。


「正直退屈じゃないと言えば嘘になるが――まあ、悪くはない」


 『牢獄世界コキュートス』に居たころほどではないにせよ、刺激的な出来事も多いしな。リリー関連やら、目の前のこいつやらといい。


「チーズケーキ、追加で」


 俺たちの会話をよそに、メリルはひたすらデザートを注文しては食べ続けていた。



 □



 事が起こったのは――敵が仕掛けてきたのは、その翌日のことだった。

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