09 追跡
本日最後の授業が終わった。
教室から教師が去っていくのを横目に、俺は大きく息を吐いて机に突っ伏した。
初めの頃こそ、今まで学園というものに通ったことがなかっただけあって新鮮さを感じてはいた。
だが結局のところ、既に知っているような事柄についての授業を受けるだけなのだから、退屈なのは当然だった。
「…………」
視線を感じる。といっても、それは今に限ったことではなく、授業の最中もずっとなのだが。
最初のアリシアの授業から、やはり俺のことを疑っているのか、俺の席の三つ横に座っているリリー・エントルージュが、じっとりとした眼差しでこちらを睨み続けていた。
当然、授業中にずっとそんなことをしていれば目立つのは当然で、クラスメイトにも注目されていたが、リリーの方は意にも介していない。
俺の方にまで注目が集まるのは困るのだが、無視していればそのうち諦めるだろうと考えていた俺の失敗だった。
「……なんだよ」
「いいえ、ただ見ていただけよ」
「ああ……そう」
としか言えない。
俺が嘆息するのと同時に、リリーは立ち上がり、すたすたと教室の外へ向かって歩き出した。帰宅するらしい。
……さて、どうするか。
これでも護衛である以上、帰路も同行するか、或いは若干以上に変質者めいているが、陰ながら見守るべきなのだろうが……正直、面倒臭い。
初めての学園生活で疲れたと言えばラヴィニアも許してくれないだろうか、くれないだろうな。
どうせこの教室内にも俺以外にラヴィニアの手駒が紛れ込んでいるんだろうし――あの女はそういう狡猾な慎重さを持っている――、俺があんまりにもサボっているようだともっと面倒なことになりかねない。
「随分と疲れている様子ね」
ふと、机に突っ伏したままの俺の背後で立ち止まり、リリーが俺の頭上に声を掛けてきた。
「学園ってのが慣れないんだよ、面倒臭え」
「慣れないって……ならあんた、ここに編入してくるまではどうやって魔術を学んだのかしら?」
「あ? んなの師匠に教わったんだよ。別に珍しくもないだろ」
「まあ、そうね……」
貴族は基本的に子弟をここのような魔術学園に通わせるが、学園に入るための費用――この学園の場合は特別優れた資質を持つ場合は奨学金も出るらしいが――を捻出できないような平民が魔術の才能を有していた場合、在野の魔術師を師として魔術を学んでいることも多い。
「じゃああんたの師匠ってのはなんて名前の人なのかしら?」
「なんでそんなことまでお前に話さないといけないんだよ……あれか? お前、俺に興味でもあるのか? いやー、モテるって辛いな。けど悪いな、もっとスタイルが良くなってから出直してくれ。具体的には姉のアイリスくらいに」
「死になさい!」
鞄で頭を殴られた。
……随分とまあ、露骨に探りを入れてくるものだ。
或いは、これは私はお前を疑っているぞという言外の主張なのかもしれない。どちらにせよ面倒なことに変わりはないが。
「ふん、あんたみたいなのを弟子にする師匠なんて碌な奴じゃなかったんでしょうね」
「全くだ」
挑発のつもりだったのだろうが、つい深々と頷いてしまったため、リリーは怪訝な表情になった。
全く、あの女は本当に最悪の師匠だった。
「はぁ……まあいいわ。それで、私はもう帰るけれど、あなたはどうするのかしら?」
「あ? んなこと、帰るに決まってるだろ」
「そう? じゃあ、私と一緒に帰る栄誉をあげてもいいわよ。感謝なさい」
「はいはいありがとう、遠慮しとくわ。じゃあな」
「ちょっ……」
戯言をのたまう金髪女を放置して立ち上がり、俺は彼女よりも先に教室を後にした。
「……違うのかしら? いや……」
……背後からの視線は相変わらず俺の背中に突き刺さり続けていた。
□
一緒に帰るなんて提案は明らかに罠である。
恐らく俺が王国から派遣された護衛であることを疑っているのだろうが、一方でそうなると、どうしてあの女はそこまでして護衛の存在を拒絶するのだろうかという疑問も湧いてくる。
とはいえ、俺の任務はあくまでもリリーを護衛することであって、それ以外は管轄外である。
逆に言えば、護衛の仕事はしなければいけないということだが。
――というわけで、今は少し離れた位置からリリーの後を追跡している真っ最中である。
「やれやれ、面倒だ……とはいえ、寄り道する様子がないことだけは幸いか」
リリーは一人でまっすぐとした足取りで、学園に在学中の王族が利用している王家の別邸へと向かっている。そこら辺はラヴィニアから渡された資料に記されてあった。
彼女の基本的な素行についてもその資料には纏めてあって、下校時はいつも寄り道をせずに帰宅しているらしい。
護衛としては楽でいいが、逆に言えば、もしも彼女のことを狙う刺客がいるのならば、行動を読みやすいために絶好の襲撃機会になるだろう。
――そう、刺客だ。
少なくとも王家やラヴィニアなどは、王家ではなくリリー個人を狙う何者かが存在すると予測している。
王国の最暗部である『
「チッ、やっぱ面倒だな……」
任務である以上やらないわけにはいかないが、そもそも護衛など俺の性に合わないのだ。もっと単純に対象の暗殺などといった仕事の方がよっぽど楽である。
何しろこの任務には終わりが見えない。敵がどういった存在なのかすら曖昧なのである。
「――こんな面倒な任務を俺一人で片付けて良いものか、いや良いわけがないな」
『
正直仲が良い奴よりも仲が悪い奴の方がずっと多いけれど、仲間である以上、苦難だけは共に分かち合わないといけない。他ならぬトップのラヴィニアもそう言っていた。
俺はリリーが別邸に辿り着くのを見届け終えたら、ラヴィニアに追加人員の要請をしようと決意した。
先日はラヴィニアに丸め込まれてしまったが、よくよく考えてみれば、学園内はともかく、登下校中の護衛ならば別に学生になれる年齢である必要はない。
俺としてもこんな変質者じみた真似はあまりしたくないので、学園内は俺が担当するとして、登下校中の護衛を担当する別の人員が欲しいところである。
「おっと、悪いな」
考えごとをしながらリリーの後を尾けていると、通行人と肩をぶつける。
軽く謝罪して先を行こうとすると、肩を掴まれた。振り払おうとしたが、思ったより強い力で掴まれているため振り払えない。
仕方なしに肩を掴んでいる奴の方へ振り返ると、猿みたいな顔の大男がいた。
「おいおい、ぶつかっといてこっちの顔を見もしないってのはどういう了見だよ、ああ?」
「何だお前」
「あ? てめえからぶつかってきたんだろうが!」
「声が大きいし息が臭いぞ、お前」
「てめえ舐めてんのか!? ぶっ殺すぞ!?」
「落ち着けよ、俺はバナナを持ち合わせていないんだ」
これがキレる若者という奴だろうか。怖い。俺は恐怖で肩を震わせた。
俺が猿に絡まれている間にも、こちらの様子に一切気付くことなく、リリーはすたすたと足を進めている。
今のところはまっすぐ大通りを歩いているために見失っていないが、かなり距離が離れてしまった。早く追わなければ。
「おい、さっさと放せ」
俺の肩を掴む猿の腕を逆に掴み返し、思い切り握力を込める。
「痛ッ、やめろ!」
「ああ、やめてやるよ」
俺が突然手を離すと、全身で力を込めて腕を引き戻そうとしていた男は、勢い余って後方にたたらを踏んだ。
そこに足払いを仕掛けて体勢を崩させる。どすん、という音を立てて男が石畳の上に倒れた。ついでに男の服から財布らしきものが転げ落ちる。
「慰謝料だ。貰ってくぞ」
中を確認する。
大した額は入ってないが、今日の夕食分くらいはある。帰りに何か買って帰ろう。
戦利品を確保した俺はリリーの姿を探す。
いた。今まさに角を曲がろうとしている姿を発見した。「おい待てッ」という背後からの声は無視して、俺はリリーに気取られない程度に足早に走りながらリリーと一定の距離にまで接近し、リリーの尾行に戻った。
――しかし、これは当たりかもしれない。
あの猿みたいな男は恐らく雇われか何かだ。
あれの目的が俺、つまりはリリーの護衛を足止めすることならば、本命――リリーを狙う刺客はこの先にいるのだろう。
まさか護衛初日からこれとは。
全く――ついているのかいないのか。
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