領域・白【アルバレア】


「このままだと連れ去られたあの女の子の命が危ない……とにかくアイツキシナリを追いかけよう。ギリギリだったけど追跡魔術の印を付けておいたから、どこに逃げても追いかけられるよ」


 奈留は突き破られた窓の側に立ち、男の跳び去っていった先を指差した。彼女の指先からは細くうっすらとした光の筋が伸びていた。追跡魔術――その光の筋は、男の逃げ去った経路ルートに沿って伸びているようだった。


「追いかける――というより、僕らの方が誘き出されているような気もするけど」


 訝しげに呟く翔真に、瑞穂も頷いた。


「同感です。『この場所では不利』……というようなことを言っていましたし、あの人の有利な場所、もしくはトラップの仕組まれた場所へ誘導されていると考えるのが自然です――です、が――」


 瑞穂は翔真へと顔を動かす。少女と視線が合い、翔真は息を呑んだ。


 青い髪の少女の瞳には涙が溜まっていた。


「奈留さんの言う通り、このままだとエリスちゃんの命が危ない――これは、私のせいです――私が、自分の身を優先してしまって――エリスちゃんから注意を逸らしてしまったせいで――こんなことに――」


 唇を震わせる少女の目尻に、今にもこぼれ落ちそうなほどの滴。


「もっちー! いつものツンツンした態度はどうした! あなたは最善を尽くしたんだから自分を責めないの!」


「な――奈留さん――でも――いえ、すみません――」


 励ますような奈留の言葉に、俯きながら力なく頷く瑞穂。


 翔真は向かい合っている2人の少女へと声をかけた。


「とりあえず、早くあの人を追いかけて、エリスちゃんを助けないと――僕も行く。いや、僕は何の役にも立てないけれど――瑞穂ちゃん」


 翔真は屈み込み、瑞穂の目線に顔を合わせる。制服の袖をめくり、右手の手首に嵌められた枷を出しながら囁いた。


「何かあったら、これを断ち切って欲しい――最後に頼れるのは、これに封じられた【俺】の力しかないと思うから――」


 瑞穂は鼻を啜り、目の前に差し出された翔真の枷を指先で触れ、そして小さく頷いた。


「ありがとうございます、翔真さん――その【力】、遠慮なくお借りします」


「さっさっ! 早く追いかけるよ!」


 奈留は細い光の筋が指し示す先を見つめ、歩きながら腕をぐるぐる回して急き立てる。


 翔真と瑞穂は見つめ合い改めて頷き合うと、今にも駆け出しそうな勢いの奈留の背中を追いかけた。


「問題は――」


 駆け出そうとする間際、翔真は青い髪の少女がぽつりと呟く声を聞いた。


魔族マギアイドラに寄生されているとはいえ、あれが人間である以上、安易に斬るわけにも、殺すわけにもいかない――同化しているのなら、断ち切り離すのもまた難しい――」


 瑞穂は横目で翔真をちらりと見て、彼もまた瑞穂の目を見返す。その時、翔真が見た少女の瞳は、先ほどまでの涙に潤んだ子供のものとは大きく異なる、深く暗い色を奥底に湛えていた。


「さすがに人を殺すのは――もう――誰も死なせたくありませんから」


 もう、誰も死なせたくない。


 少女は確かにそう言った。


 駆け出し、身体を動かすことによって段々と思考が纏まらなくなっていく中で、翔真は考えていた。


 青い髪の少女の能力チカラ――神秘斬滅ルナイレイズ――人間離れした跳躍――小学生ほどの小柄な身体から放たれたとは思えない、疾く鮮やかな剣技――そして、不意に口にした言葉『もう君は誰も誰かを死なせたく死なせてありませんしまったことからがあるの?


 このは、その瞳で、かつて何を視たのだろうか――と。



 ○●



 そこは古ぼけたアパートだった。


 奈留の指先から伸びる細い光を辿りながら、錆びついた階段を上り、行き着いたのは203号室。それはどこにでもあるような、生活感すら感じられるほどのごく普通のドア。


「本当にこんな場所に、さっきの魔族マギアイドラの男の人がいるんだろうか――?」


 思わず率直な感想を漏らした翔真の横で、瑞穂は小さく首を振った。


「いえ――あの人が元々人間だったのなら、こういう普通の住居に住んでいても不自然ではないかと」


「もっちーの言う通りだね。寄生型魔族マギアイドラは、能力を使わずに魔力消費を抑えている状態の時は、普通の人間と見分けがつかないことも多いんだ」


「とにかく、私たちは実質的に誘き出されているようなものです――慎重に入りましょう」


 瑞穂はその手に長く鋭い剣を握り、奈留はその指先に魔術の種火を浮かべ、突然の敵襲に備える。翔真はドアノブに手を掛け、ゆっくりと引く。


 ギイギイと軋んだ音を響かせて、扉は開いた。翔真たちは周囲を警戒しながら、扉の向こう側へと広がる暗がりへと足を踏み入れた。


「これは――」


 翔真は、【部屋の中】を見回し呆然とした声を出した。


「うわ――マズいなこれ、【領域・白アルバレア】だ――」


 奈留もまた呆然としたように、目の前に広がる光景を眺めながら呟いていた。


 【部屋の中】に広がっていたのは、無限とも思えるひたすらに真っ白な空間。


 地面も空も全てが白色に染め上げられ、それ故に、遮るものも何もない無限にも広がる領域。あまりにも白一色でありすぎて、地面の果てと天との境界である地平線すら、どこに引かれているのかわからないほど。


 それはとても【アパートの一室】に収まっていられるような広さではあり得なかった。


 無限の広がり、無限の白。いつの間にか、ここに入ってきたときに使ったはずの扉すら、それらの白に塗りつぶされたかのように消えていた。


 背後からドアが消えたことに気付き、奈留はちっと軽く舌打ちを鳴らす。


「しまった――出入り口を塞がれたか――」


「あの――【領域・白アルバレア】って――?」


 眩暈でも起こしているかのように、翔真はフラフラと周囲を見回す。


「要は結界みたいなものの一種だね。閉鎖された空間を全く別の領域へと置換する高等魔術。置換された内界領域と外界とは完全に隔絶され、内界へ収納した何かしらを秘匿することができると同時に、広さ、高さ、長さ、重さ、温度、湿度、気圧、衝撃、その他諸々すべての外界由来の影響を受けず、またその制限からも解放される。だから、こんなにもだだっ広い領域を展開することだって出来てしまう。だけど――」


 奈留はひたすら続く白い景色を、その果てなき遠くを眺めながら口許に手をやった。


「【領域・白アルバレア】ほどの高等魔術を、一介の魔族マギアイドラに過ぎないあの男が単独で展開できるとは思えない――たぶん、他に高位魔術を使える誰かがいて――」


 そこで奈留の言葉は途切れた。不意に視界に入った【揺らめいている白】を目の当たりにして、あぁと声にならない溜息を漏らす。


 瑞穂も同様に、その【揺らめいている白】を見上げ、小さく呟いていた。


「奈留さん――あの男の人がこの結界内に【秘匿したかったのは】これ、ですね――」


 それは、ただの白ではなかった。翔真は目を凝らし、それを見つめる。揺らめくは宙に浮いた液体。白は領域の色を写す透明。そして、その中にうっすらと見えるのは――人間の裸体。


「は……裸の……お……女の……ひと……?!」


 翔真は思わず声を漏らす。宙に浮く透明な液体に囚われていたのは、若い女性の眠っているかのような裸体。それもひとつだけではなかった。連なるように何体も、数え切れないほどの女性の身体が、まるで【蒐集品コレクション】のように整然と並べられていた。


「あの男の人によって、誘拐された女性たちですね――でも、この状態で生きている――?」

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