それは【僕】をも縛る【枷】


 少し離れて真正面に立ちながら、少女は問いかける。


 アシャは眺めるような視線を少女へ向けた。


「ほう、謎掛けのつもりか?」


「いえ、【あなた】は【ショウマさん】だったはずです。そして、その【瞳の色】とその【力】、この世界のルールに精通しているかのようなその知識……今の【あなた】は私と同じように、この世界へ飛ばされた普通の人間【ショウマさん】ではない、別の【誰か】であるかのように見えます」


 金色の瞳を見開き、アシャは口の端を上げ、歪んだ笑みを作って見せた。


「ふ……【誰か】ではない、俺は【俺】だ。お前が【ショウマ】と呼ぶ人間は、俺の【器】に過ぎん」


「器……要は、【あなた】は【ショウマさん】の身体を乗っ取っていると解釈していいんですかね?」


「【そうだ】と言ったら?」


 少女は手にした剣を振りかざした。


「その身体は【ショウマさん】のもののはずです。だから、【あなた】と【ショウマさん】との繋がりを【断ち切り】ます」


「やめておけ」


 遮るように短くアシャは言い、紅い腕を静かに前へと掲げて見せた。手首を取り囲むように走っている光の輪。それは、先ほどよりも更に強い光を帯びつつあった。


「これは俺を縛り続ける【夢幻拘束ソルバインド】だ。俺の無限の力を封印し続けるこれは、確かにお前の【神秘斬滅ルナイレイズ】によって一時は【断ち切られた】」


 その時だった。


 少年の右手首を取り囲んでいた光の輪が瞬いた。同時に、強烈な空気の渦が光の輪を中心に巻き起こる。その勢いは、少し離れてて立っている少女たちすらも吸い込まれかねないほどで、ミズホとナルは咄嗟にその場に屈み込むしかなかった。


「断ち切るという概念そのものである【神秘斬滅ルナイレイズ】は、拘束するという概念そのものである【夢幻拘束ソルバインド】を見事に断ち切った……しかし、その拘束を永遠に無効化するには至らず、拘束の断切は一時的なものに留まった。何故ならこの2つの力は同格で、それぞれが矛盾しないため互いに力を弱め合うしかなかったからだ」


 猛烈な空気と光の渦の中で、アシャは言葉を続ける。


「さて――見ての通り、【夢幻拘束ソルバインド】は再びこの【俺】の力を拘束しようとしている。それも、この【器】ごとな」


「う……器ごと……!?」


 ミズホは困惑したような声を出す。


 少年の金色の瞳が更に強い輝きを帯びた。口の端を大きく歪めたその表情は、嘲るような笑みのようであり、しかしどこか激しい痛みを堪えているような、それを表に出さないようするための強がりようにも、見えた。


「お前なら、【夢幻拘束ソルバインド】のこの勢いを見て察すると思うが――この拘束は本来、【俺】の力を縛るためのものだ。お前が【俺】と【器】とを断ち切るのは勝手だが、しかし【俺】という中身を失ってもなお【夢幻拘束ソルバインド】は【器】に残り続けるだろう。【俺】という中身から切り離された【器】だけで――ただの人間ひとりの力だけで、【夢幻拘束ソルバインド】の拘束をまともに受けたとしたら――さて、どうなると思う?」


 眉を潜め、ミズホはアシャの腕へと視線を移す。猛烈な風と眩い光の渦は少しずつ凝縮していき【枷】のようなカタチを形成しつつあった。そしてその【枷】は、少年の右腕の手首を噛みちぎらんばかりに深く強く喰い込んでいた。


「中身の無くなった器を強く縛りつけたら――その器は――潰れますね」


 蒼白な顔で呟いたミズホを見つめながら、アシャは金色の瞳を細めた。爛々とした瞳の輝きは、右腕に喰い込む枷の輝きと反比例するかのように、色を失いつつあった。


「そういうことだ小娘――おっと、そろそろ時間か――」


 そこでアシャの言葉は途切れた。


 少年の発するすべての音を掻き消さんとする、のたうつ暴風。

 少年の姿すべてを掻き消さんとする、暴れ狂う閃光。


 空気と光の渦はより一層凝縮し、少年の右腕手首に絡みつき喰い込み、薄れつつあるその瞳の金色を、屈強な右腕の膨らみを、そこに走る溶岩のような滾る筋を、すべて飲み込むかのように封印し【拘束】した。



 ○●



 僕であって【僕】ではないそれは、深い眠りにつくかのように、すっと消えた。


 【俺】は、僕の頭の奥底の方へと沈んでいった。


 【僕】は、目を開いた。


 眼前に広がるそれは、先程まで【俺】が見ていた景色。


 【俺】が【僕】を押し退けて表に出ている間、ずっと【僕】は薄ぼんやりとした視界の中にいた。【俺】越しにしか周囲を見渡すことが出来ず、【俺】経由でしか声を聞くことが出来ず、まるで磨りガラスで密閉された部屋に閉じ込められているかのような感じだった。


 だからその景色は【僕】にとって、とても久しぶりのような、新鮮なもののような気がした。


 まず見えたのは、青い髪のツインテールの女の子と、金髪の法衣を纏った女の子。


 その背後には溶けてドロドロになりつつある鉄屑が転がり、青緑色の草漠が無限に広がっていたけれども、それはあまり気にならなかった。


 女の子のひとりは心配そうに眉を潜め、泣きそうな顔をしていた。もうひとりの女の子は、唖然としたように口をぽっかりと開けていた。ふたりとも僕のことを食い入るように見つめていた。


「もとに……戻った?」


 ナルと名乗っていた金髪の女の子は訝しげに呟いた。


「あなたは、ショウマさん……ですね?」


 ミズホと名乗っていた青いツインテールの女の子は、ホッとしたかのように息を吐き、少し泣き出しそうな表情で問いかけた。


「うん、そうだよ。僕は……」


 僕は口を開いた。続けて、自分の名前を名乗ろうと。


 その時だった。


 右腕に激痛が走った。


 僕の言葉は、悲鳴とも呻きとも叫びともつかない、混濁とした音へと変わり果てて喉から迸った。


 右腕が、その手首が、灼かれるように熱く、噛みちぎられているかのように鋭い何かが喰い込み皮膚を裂く、肉や骨が焦げ鮮血が噴き乱れる臭い――痛みとだけ表現するにはあまりにも複雑で激烈な感覚。


 激痛に朦朧とする視界の中で、こちらへと駆け寄ろうとする少女の動揺しきった表情が揺らめく。


 僕は思わず少女に手を伸ばした。その拍子に、右腕が視界の中へと入ってきた。


 【僕】は意識を失う間際に見た。手首に喰い込む血の色をした【枷】が妖しく光るのを。



 ○ 第1話 終わり ●

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