第44話 Where have all the flowers gone?②
翌日、安藤は通学している高校の夏期講習の帰りに商店街のアーケードを歩いていた。
「あれ? フラちゃんのお友だちじゃないか」
呼び止めたのはラーメン屋のおばさんだ。
「あ、こんにちは」
「今日はあの子と一緒じゃないのかい?」
「はい」
「そう……あ、そうだ。フラちゃんに会ったら伝えてくれる? 貸した浴衣はいつでも返していいからって」
「わかりました」
それじゃとぺこりと頭を下げ、ふたたび歩き出す。程なくしてアーケードを出た。ここまで来れば教会まではすぐだ。
教会の前で足を止め、扉を見つめる。押してみるが、鍵がかかっているらしく、びくともしなかった。
やっぱり、いるわけないか……。
安藤の脳裏に昨夜の記憶が思い起こされる。
「ごめん、アンジロー……あたし、スペインに帰る」
そう言葉を口にした見習いシスターは教会の隣に位置する住居スペースへと戻った。
十五分後に彼女が戻ってきたときには
兄のフリアンが「僕が運ぶよ」とスーツケースを取る。
「ん、ありがと……」
礼を言い、くるりとマザーのほうへ向きなおる。
「マザー、今までお世話になりました」
深々と頭を下げるその姿は、今までのお転婆な彼女からは考えられない佇まいであった。
マザーがこくりと頷く。
「気をつけて行くのですよ。シスターフランチェスカ」
そうして我が子のようにぎゅっと抱きしめる。
「あなたに神の加護があらんことを……」
「マザーも、お元気で……」
マザーが体を離すと、見習いシスターは弱々しくも、なんとか微笑みをたたえていた。
ふたたび頭を下げると、踵を返して礼拝堂の出口へと向かう。
扉にはフリアンが開けながら待っている。そしてその途中で、様子が飲み込めない安藤が立つ。
「フランチェスカさん!」
彼女に駆けよろうとするが、従者であるふたりの修道士がそれを阻む。
「無礼であるぞ」
「フランチェスカ様に近寄るな」
それぞれスペイン語で注意するが、安藤は無視してなおも彼女に近づこうとする。
フランチェスカが振り向くと、安藤はふたりの修道士によって取り押さえられていた。
「フランチェスカさん! 戻ってきますよね? こんなのあんまりすよ! いきなり帰るなんて……!」
「……っ! ごめん……」
フリアンが彼女の肩に手を回し、「さぁ、行こう」と促し、安藤を睨みつける。
「妹には二度と近づくな」
そのまま彼女は教会の前に停めた車のなかへ乗り込み、修道士が安藤を解放すると自分たちも車に乗り込むとすぐに発進させた。
安藤が慌てて後を追いかけたとき、車はすでに遠くへと走り、テールランプが闇の中に消えるまで安藤はその場で見送るしかなかった。
そこまで記憶を巡らしたとき、いきなり扉からかちゃりと解錠の音。
ついで扉がゆっくりと開いた。
「フランチェスカさん……?」
だが、出てきたのはマザーだ。
「あら安藤さん。こんにちは」
「あ、あの……」
意図を悟ったマザーが口を開く。
「残念ですが、彼女はここにはもう戻ってきません」
「え……」
「どうぞ中へ。詳しいことをお話しますわ」
マザーに礼拝堂の中へと通され、背後で扉がぱたりと閉められた。
礼拝堂は誰ひとりおらず、がらんと沈黙を守っている。
「どうぞおかけになって」とマザーが長椅子を指したので、腰かける。その隣にマザーが腰を落とす。
「昨夜は失礼しました。突然のことで驚かれたことでしょう」
「あ、いえ……それより、彼女になにかあったのですか? スペイン語は少ししかわかりませんので……」
「彼女がかのフランシスコ・ザビエルの末裔だということはご存知ですね?」
「はい。彼女からじかに聞きましたから」
初めてフランチェスカに会った日のことが思いだされる。その時、彼女は祭壇を背にしてこう言ったものだ。
「いい? あたしの名はねぇ、フランチェスカよ。フランチェスカ・ザビエル!」
去年の夏の終わり頃のことなのに、今では遠い昔のように思える。
「安藤さん?」とマザーの呼ぶ声で我に返った。
「すみません、ちょっと考えごとをしてたもので……」
「先日、私のところにスペインから手紙が届きました。安藤さん、あなたは誓願式というものをご存知でしょうか?」
「せいがん……と言うと、誓いの儀式ですか?」
マザーがこくりと頷く。
「彼女のような見習いシスターは二年の見習い期間を経て、あらためてシスターとして清貧で、貞潔かつ従順な生活を送ることを誓うのです。手紙にはその見習い期間が終わりを告げ、彼女を迎えに行くことが記されていました」
「それがスペインで……彼女の家で行われるんですね?」
「はい。そして誓いを立てたあとは、もうここには戻らないことでしょう。非常に厳格な家柄と聞いておりますから」
「そうですか……フランチェスカさんは……」
スペインに行ったきり、そのまま帰ってこないんですねと言おうとしたが、飲み込んだ。
自分の知らない、日本とは異なる世界へ彼女は飛び立ってしまうと思うと、やりきれなかった。
それほど彼女と過ごした日々や時間は濃い。
「……お邪魔しました」
ぺこりと頭を下げ、礼拝堂を出る。彼の背中を見送ると、マザーは十字を切って祈りの言葉を唱える。
少年とやがて遠くに行ってしまう見習いシスターに幸あれと。
†††
神代神社の巫女、舞にばったり会ったのは駅へ向かう途中であった。
彼女も夏期講習の帰りだったらしい。
「あ、アンジロー……」
「あ、神代さん。今から帰りですか?」
「う、うん……」
そう言う巫女はどこかよそよそしげだ。
「あ、あのさ、昨日は途中で帰ってごめん……」
「別にいいっすよ。門限あるんすから」
「うん……」
もちろん嘘だ。
昨夜の花火大会で安藤とフランチェスカが仲睦まじく話しているのを見て、いたたまれなくなった舞はそう言い訳を繕った。
「そういえば、フランチェスカは?」
駅までの道を歩きながら尋ねると、安藤は顔を曇らせる。
「実は昨日……」
昨夜、花火大会から帰って起こった出来事をかいつまんで話すと、舞が目を見開く。
「じゃあ、スペインに帰っちゃうの……?」
「はい……もう戻ってこないみたいです。向こうで正式にシスターとして生活するそうで」
「そうなの……」
駅の改札口が見えてきた。
「じゃあ俺はこれで……」
「うん、またね……」
手を振りながら安藤の姿が見えなくなるまで見送る。
そして、ふぅと溜息をついてから踵を返す。
そっか……帰っちゃうのか。あいつ……。
そこまで思うと舞はぴたりと足を止める。
あたし、ホッとしてる……?
胸の前に手を当て、きゅっと奥歯を噛む。
あたし、ヤな女だ……。
胸の中で湧き上がるもやもやとした思いを断ち切るかのように舞は神社への帰路を走りだす。
③に続く。
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