第26話 NO TIME TO PRAY⑩

 狭い洞窟内でライトの光があちこち揺れ動くなか、ふたりは走り出す。分かれ道を抜けた。

 その間も天井からは容赦なく土埃と欠片が次々と振ってくる。


 「もうすぐ出口よ! クァン!」


 やっと岩の橋のところまできた。依然としてロープが張られ、その真ん中を兄貴分と子分が必死になって向こう側へ。


 「あたしたちも渡るわよ!」


 ロープを掴んで両足をロープの上で組むと、たぐり寄せるように前へ、前へ!

 兄貴分と子分が端にたどり着いたときはフランチェスカたちは真ん中にいた―――


 どん! と壁をハンマーで叩くかのような音。


 「今度はなに!?」

 「ねえちゃんあれ! あの壁!」


 見ると地下水が染み出していた岩壁に亀裂が走っていた。

 みしりと音がしたかと思えば、だんだんと亀裂は広がり、水が噴き出した。


 ――――鉄砲水!


 「地下水が溢れたんだわ!」

 「ねーちゃん! ヤバいよ!」

 「とにかく前へ進むのよ!」ぺっぺっと口に入った水を飛ばして、びしょ濡れになりながらもふたりは進む。


 ぎしり。


 ロープがいきなりたわんだ。堕ちそうになるところをかろうじて踏ん張る。

 見れば反対側に結びつけたロープが切れかかっていた。


 「ねーちゃん!」

 「クァン、あたしに捕まってて!」フランチェスカがクァンのもとへ戻ると、小さな体をしっかりと抱き寄せる。

 ぷるぷると縄がほどけ、ついに細い一本のみになるとぷつりと切れた。


 「うわあああああ!」


 クァンの叫びがこだまするなか、ふたりは岩壁に叩きつけられた。

 フランチェスカがロープを掴んでいるので、落下するまでには至らなかった。

 今ふたりは一本のロープで垂直にぶら下がった状態だ。


 「ッう……!」叩きつけられた衝撃で顔をしかめ、「大丈夫!?」と心配顔のクァン。


 「あたしはへーき……クァンは?」

 「おいらも平気だよ!」

 「よかった。このまま上まで登るわよ」


 クァンを背中に背負うようにして、フランチェスカはロープを腕を交互に動かして上へ、上へと。

 だが、重さに耐えられなくなったか、掴んでいるロープも解けはじめていた。


 「ウソでしょ!? こんなときに……!」

 「ねーちゃん、もうムリだよ……」


 後ろからクァンの悲痛な声。


 「あきらめちゃダメ! 絶対生きて帰るのよ!」


 そう言うなり、フランチェスカはベルトからピッケルを取り出してブレードを壁にめり込ませる。もう片方の手には登山用ナイフだ。

 ロープがぴりぴりと解け、パンッと音を立ててちぎれた。だが、フランチェスカはすでに二つの道具を巧みに使って上へ、上へと登っていく。


 あとすこし……! あの岩に引っかければ……!


 ピッケルのブレードを抜いて岩に引っかける。ぐいっと力を込めた時だ。

 ごろりと岩が壁から外れた。


 うそ……!


 ピッケルは手から滑り落ちて奈落の底へと……。

 咄嗟に残ったナイフを両手で掴んでその場にしがみつく。


 「くぅ……っ!」


 だが、所詮はナイフだ。宙吊りになった人間を支えられるようには出来ていない。ましてや背中にクァンを背負っているのだ。

 人間ふたり分の荷重にナイフの刃が軋みをあげる。


 もう、ダメ……!


 死を覚悟したフランチェスカがぎゅっと目をつぶる。


 「おい! 捕まれ!」


 目を開くと、そこには兄貴分が手を差し出し、子分が体を支えているのが見えた。

 考える間もなく、手をしっかと握りしめるとそのまま引き上げられた。


 「た、助かったわ……」


 肩で息をしながら礼を言うと、引き上げたふたりも同様に肩で息をしていた。


 「へっ、お前らを置き去りにして死なれたんじゃ寝覚めが悪いんでな」


 兄貴分がにっと唇の端を歪めると、また地鳴りだ。


 「カッコつけてるヒマないわよ! すぐに脱出しないと!」


 四人は立ち上がると、すぐに洞窟のなかへと飛び込んだ。その後ろでがらがらと天井が崩落した。


 †††


 聖ポール天主堂跡地――。

 その日もファサードは日の光を浴びながらそびえ立っていた。

 朝早くやってきたアメリカからの観光客がファサードをスマホのカメラに納める。

 撮った画像の出来映えに満足すると、裏側に回る。だが、良い写真が撮れそうにないことがわかると溜息をひとつ。

 せっかく来たのだからともう少し歩いてみることにする。 

 スマホで地図のアプリを開くと、すぐ近くにナーチャ廟と呼ばれる観光地があったので、そこへ向かおうとした時――。

 ごとりと何か重いものが動く音。

 振り向くと石床のひとつが今にも動き出そうとしていた。

 観光客があ然とするなか、石床が持ち上がり、そこから泥や土まみれの人が出てきた。


 「地底人!」


 そう喚きながら観光客は逃げ出し、あとからぞろぞろと地上に出てきた。


 地底人たち――フランチェスカたちは日の光の眩しさに目を細め、ぷはぁっとひと息つく。

 数時間ぶりの新鮮な空気だ。


 「地底人ですって? こんな可憐なシスターに向かってよく言えたものね。クァン、そんな泥だらけの顔じゃ地底人と間違えられるのも無理ないわよ?」

 「ねーちゃんも泥だらけだよ!」


 あはははと四人が笑う。と、クァンがしゅんとなった。


 「けっきょく……宝、手に入らなかったね」

 「そうね……って、こうして生きてるだけでも奇跡的よ」


 ぽんっとクァンの頭に手を置き、ごしごしと撫でる。髪についた土埃が舞った。


 「あんたたちもこれを機会に心を入れ替えて、まっとうな仕事をしなさいよ。

 “心を入れ替えて幼子のようにならなければ”(マタイ伝第18章3節)と聖書にもあるわ。この子のようにまっすぐ生きるのよ」

 「へっへい!」と兄貴分と子分が口を揃えて頷く。

 「ん、よろしい」


 すっくと立ち上がって埃をパッパッと払う。そしてクァンのほうへ手を伸ばす。


 「さ、家に帰りましょ。お母さんに会いたいんでしょ? あたしも、会いたい人がいるの」


 †††


 アンジローこと、安藤次郎は小さな紙袋を手に商店街のアーケードを歩いていた。ここまで来れば教会まではあと少しである。

 ちらと手にしている紙袋を見る。フランチェスカへの土産だ。


 今日は来てるかな……?


 先週来たときは彼女は奉仕活動でいないとマザーから聞かされたが、まさかマカオとは。


 フランチェスカさんのことだから、ギャンブルとかやりそうなもんだけど……。


 そう考えてふふっと笑う。と、教会が見えてきた。

 木造の両開きの扉を開ける。


 「こんにちは。フランチェスカさん」


 だが、返事はない。代わりにマザーが居住スペースへと通じるドアから出てきた。


 「あら安藤さん。彼女はまだ帰ってきていませんよ」

 「そうですか……」


 しゅんとなる。今日こそはいると思っていたのに。

 帰ろうと踵を返す。すると目の前に人が立っていた。

 スーツケースを手にしたその人はにこりと微笑む。懐かしい人に会えたという顔だ。

 安藤は一瞬、面食らったが、すぐに顔をほころばせる。


 「ただいま。アンジロー」

 「おかえりなさい。フランチェスカさん」


 フランチェスカがスーツケースを置く。

 安藤が思い出したように紙袋を差し出す。


 「あ、あのこれ。バンコクのお土産です。あ、それと寿限無やっと覚えて……あれ? それどうしたんですか?」と彼女の頬に貼られた絆創膏を指さす。


 「ああ、これ? それが聞いてよ。めっちゃ大変だったんだからね!」






次話に続く。

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