第26話 NO TIME TO PRAY④
「ただいまー
着くなりクァンが帰宅を告げる。狭い食堂の奥の厨房から母親が出てきた。
「おかえりクァン。お客さんって……」
「このねえちゃんだよ!」
クァンに引っ張られて出てきたのは修道服に身を包んだ少女だったので、母親が面食らう。
「初めまして。フランチェスカです」とぺこりと頭を下げる。
「あ、はじめまして……クァンの母です。あの、うちの息子がなにか……?」
「いつもウチに来る取り立て屋をやっつけてくれたんだよ! このねえちゃん強いんだよ! こうバケツをバシッてさ!」
クァンが興奮気味にジェスチャーをしながらまくし立て、母親が目を丸くする。
「そんなことが……うちの息子が大変お世話になったみたいで……」
「かあちゃん、そんなこといいからさ、このねえちゃんに美味いもん食わしてやってよ!」
†††
「痛ゥ……!」
「あ、兄貴。気がつきましたか」
痛みに顔をしかめながら、兄貴分が目を覚ます。子分が隣で体を支えていた。
「クソ、あのシスターめ。俺の鼻がひん曲がっちまったじゃねーか……今度会ったら、ひんむいてやる!」
「け、けどよぉ兄貴。
「うるせぇ!
くそっと毒づく。
「あのガキの家から、なにか金目のものでも盗らない限り、俺の怒りは治まらねぇよ……ってて」
また痛みが走ったので鼻の頭を押さえる。
ふと、目の前を見ると目当ての少年の店が見えてきた。
兄貴分がにやりと口を歪める。
†††
「お待ちどおさま」と母親が卓に料理の乗った皿を置く。
「ありがとうございます。これは?」
皿には茶色に炒められた挽き肉の上に目玉焼きが乗っている。
「
クァンからレンゲを受け取る。そして目玉焼きを崩して混ぜると口に運ぶ。
ピリッと胡椒が効いた味だ。挽き肉の中に小さくカットしたフライドポテトと玉ねぎも入っている。
言うなれば甘辛く煮たそぼろといったところか。昔ながらの家庭料理といった味わいだ。
「
「うん! だけどマカオでは
「じゃ、ホウセッ!」
あははと親子が笑う。
あっという間に料理を平らげ、最後に茶をご馳走になる。
ほぅっとフランチェスカがひと息つく。
すると、ぐらぐらと卓が揺れた。いや卓だけではない。建物全体も揺れはじめた。
程なくして地震は治まった。
クァンの母がほっと胸をなで下ろす。
「マカオで地震なんて珍しいですね?」
「ええ、なんでも100年周期で起こる地震だそうですよ」と母が説明した。
「ねぇ、ねえちゃんはシスターなんだよね?」
「うん。まだ見習いだけどね。この近くの教会でお務めの代理をしてるの」
ホントはシスターになりたくないんだけどねと茶をすする。
「なんでさ?」
「あたしのフルネーム、フランチェスカ・ザビエルって言うのね。もちろんあのフランシスコ・ザビエルの末裔よ。
先祖代々続いてるからってだけでやんなっちゃうわよ」
湯飲みを口から離すと、クァンが驚いたようにこちらを見ていた。
「ちょっとまって。ホントにねえちゃん、ザビエルの子孫なの?」
「うん」
「スゲェ! 信じられねぇ!」と目を輝かせる。
「そんなに驚くこと?」
「だってうちのご先祖様、ザビエルの通訳務めてたんだぜ!」
「そうなの?」
「うん! でさ、なにかお宝を見つけたらしくて、それを書いた日記があるんだよ。でも外国語で書いてあって読めないんだ……」
「へぇ……」
お宝、か……。
「ね、その日記ってまだあるかしら? あたしスペイン語も英語もペラペラだからさ。もしかしたら読めるかもしれないわよ」
「ホントに!?」
クァンの顔がぱあっと明るくなった。そしてフランチェスカを奥の方へと引っぱっていく。母親の制止も聞かずにふたりは厨房を抜け、ドアを開けて中に入った。
†††
「おい、聞いたか?」
「へいっ。なんかお宝があるとか……」
食堂の外にて聞き耳を立てていたふたりの取り立て屋はうなずく。
「こいつぁカネのにおいがするぜ……」
「どうしましょう? 兄貴」
「あわてるな。まずはもっと話を聞いてからだ。あいつら奥へ行ったな……」
兄貴分がそう言うと食堂の裏へと回る。幸い、壁の窓が開いており、そこから話し声が聞こえた。
クァンとフランチェスカのふたりが入ったのは居住スペースの狭い居間だ。
クァンが靴を脱いで向かった先は仏壇だ。手を合わせて御経を唱える。
次に仏壇の引き出しから箱を取り出す。ゆっくりと床に置いて、蓋を開ける。
そこには紐で綴じられ、表紙は字が滲んで読めなくなっていた日記があった。
「これがその日記なの……?」
「うん! うちのじーちゃんのそのまたじーちゃんのずーっとそのまたのじーちゃんが保管してたんだ」
クァンが日記を手に取ってページを丁寧に開く。なにしろ五百年以上も前のものなのだ。
最初のページは漢文で書かれていた。クァンによればザビエルと出会った時の様子が書かれているそうだ。
ページを進めていくと、地震で落盤が起き、そこに洞窟を発見したことが書かれていた。
だが、ここから先はクァンの言うとおり、外国語で書かれていた。
「これ、ラテン語だわ」
「読めるの!?」
「子どもの頃にラテン語を叩き込まれたから、ある程度は読めるけど……でもこれはかなり古いものよ。今ではほとんど使われていないものだわ」
でも、と続ける。
「文脈や文章の前後でなんとか解読できるかも……」
じっくりと筆で書かれたラテン文字を読み、最後まで読むと、また最初から読み直す。
「わかったわ。一部わからないところはあるけど、読んでみるわね」
フランチェスカの隣でクァンがごくりと唾を飲む。
『我、ザビエルたちと共に発見し――を保管せしめるため、教会を建立するものとす。
しかして、あれは――――。よって、人目には晒さないよう、――――厳重に――とし、相応しき者のみが鍵をもって、パウルの
ゆえにこの日記も人に知られぬよう、ラテン語で記す』
フランチェスカが読み終え、クァンのほうを向くと、案の定、目を輝かせていた。
「すごい! やっぱりお宝はあるんだよ!」
「そうみたいね。でもここに書かれている『鍵』がないと開けられないみたいよ?」
「だいじょーぶ! その鍵がなんなのか、おいら知ってるよ。死んだじーちゃんととーちゃんから何回も聞かされてきたからさ!」
†††
「おいおい……こいつぁ、すげぇもん聞いちまったぜ……」
「け、けど兄貴、鍵がないと話には」
「そこでなにしてる?」
ふたりが振り向く。そこには黒服にサングラスの、いかにもその筋の男が立っていた。
ふたりの顔がみるみる青ざめる。
「ボスがお呼びだ。さっさと車に乗れ」
兄貴分と子分が「ひっ」と息を呑む。
だが、黒社会に身を置くものとしてはボスには逆らえない。
ふたりは素直に黒のセダンに乗り込んだ。
⑤に続く。
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