第23話 『Sorella dell'apprendista in Italia』⑦

 

 フランチェスカがイタリアの爪先に位置するポッチェロ村にきて一週間が経ったころ、ノートパソコンに一通のメールが届いた。

 クリックして開くと注文の動画が完成したとのことだ。

 動画のファイルも添付されている。ディスクを取りだしてパソコンにセットし、コピーを開始する。

 中古のパソコンなので動作が遅いが、この際贅沢は言ってられない。

 そのあいだに一朗にお礼を。

 デスクトップからアプリを開いてお礼のメッセージを送る。

 するとさっそく既読がついた。


 『本当にありがとうございます! 思ったより早く出来ましたね?』

 『無事送れたようですね。技術が発達したので、最近では簡単に手軽に出来るようになったんです』


 それにフランチェスカが『wow!』と驚くキャラのスタンプ。


 『それで、問題のですが、手に入りましたか? あれがないと話にならないので』

 『電機屋に取り寄せてもらっているんですが、時間がかかりそうで』

 『そうですか。こちらでは出来ることはここまでです。幸運を祈っています』

 『一朗さんはよくやってくれました。本当にありがとうございます』


 チャットを終了してアプリを閉じる。ちょうどコピーが終わったところだ。

 ディスクをケースにしまう。


 「幸運が必要だわ……でも、やるしかないもんね」


 よし! と自分を奮い立たせるように頬をぱんぱん叩いて立ちあがる。


 †††


 教会へ続く道を上がって扉を開けようとした時、呼び止めるものがあった。


 「おい、よそ者のシスター!ソレッラ!


 フランチェスカが振り向くと数人の村人が固まっていた。


 「なにかしら?」

 「なにかしらじゃねぇよ。教会に入れさせてくれねぇってどういうことだ」

 「ごめんなさい。いろいろ準備があって……」

 「そんなこたぁ知るか! よそ者のすることなんざ、どうせロクでもねぇことだ。」

 「そうだ! さっさと出ていけ! シスターはあの子ひとりで十分だ!」

 まわりからも「そうだそうだ!」の声があがる。

 言い返したい衝動に駆られるが、ぐっと言葉を飲み込む。


 「あなたたちの言うことはごもっともだわ。でもお願い、私を信じて。この教会もアンナもきっと救ってみせるから……!」 

 「なら、さっさと救ってみせろ! 奇跡とやらを起こしてみろよ!」

 ふたたび「そうだそうだ!」とはやし立てる声。


 「うるさい!シレンツィオ!


 シスターらしからぬ怒声でぴたりと騒ぎが治まる。


 「あんたたち、黙って聞いていれば! 奇跡を起こせですって!? 起こしてみせるわよ! でもあんたたち、この村のためになにもしてないじゃない!」


 よく言うわよ! ぷいっとそっぽを向いて礼拝堂のなかへと入る。

 アンナが駆け寄ってきた。


 「あ、あの、お姉様……外でなにが?」

 「べつになんでもないわよ。それよりリハーサルはじめるわよ」

 「は、はい。その、動きの確認ですよね? でもそれが何に……」

 「起こすのよ。奇跡をね」


 †††


 リハーサルを終えたフランチェスカが宿屋に戻ってきた頃には、すでに日はとっぷりと暮れていた。

 階段を上がろうとするフランチェスカを主人が呼び止める。


 「お客さん、あなたに電話ですよ。マリオって男から……」とカウンターの電話の受話器を渡す。


 「もしもしチャオ? マリオ?」

 「お嬢さん! 聞いてください! 奇跡ですよ! まさに奇跡だ!」


 興奮状態でマリオがまくしたてる。


 「もったいぶらないで早く教えて」

 「いやあ、例のブツなんですが、シチリア島に来ていたテレビ局のクルーがたまたまその機材を持ってましてね……で、事情を話したら、快く貸し出してくれたんで!」

 「ステキじゃない!」

 「その代わり、その教会を取材させてくれと」

 「もちろんよ! じゃんじゃか取材して!」

 「そう言うと思いましたぜ。すぐに車でそちらへ運びまさぁ」

 「ありがとう!グラッツェ! 愛してるわ!ティ ヴォリオ ベーネ!


 マリオが受話器を手にしたまま感極まる。その横でルイジが「にいさん、その情報手に入れたの僕だけど……」と口を挟む。


 「うるさい! さっさと車で運ぶんだ!」


 †††


 翌日、礼拝堂にてフランチェスカが脚立から降りる。


 「これでよしと」

 「お姉様、これは……?」


 見上げると扉の上に設置された箱状のそれは、レンズが三つ並んでいた。


 「百聞は一見にしかず、よ」


 フランチェスカが傍らのノートパソコンを操作してエンターキーを押す。

 すると連動してレンズから光が出たかと思うと、教会の壁に投射される。


 「こ、これは……!」


 †††


 三日後の夜。村人たちが総出でわらわらと教会へと入る。

 そのなかには宿屋の主人とコックもいた。


 「いってぇなにが始まるってんだ?」

 「俺に聞くなよ。あのよそ者のシスターが全員ここに来いと言うからよ」

 「やっぱりよそ者の考えることはわからねぇや」


 礼拝堂ががやがやとささやかれるなか、その隣の部屋ではふたりの見習いシスターが様子をうかがっている。


 「こんな大勢の前で説教するなんて……お姉様、私、むり……!」

 「しっかりして、アンナ! ここでくじけたらあんたは一生後悔することになるわよ」

 「で、でも……」


 フランチェスカがコツンと自らの額をアンナの額に当てる。


 「成長するのよ。勇気をもって。大丈夫、あたしがついてるから」とウインク。

 「はい……お姉様!」


 部屋からアンナとフランチェスカが出てきたので、話し声はぴたりと止んだ。

 アンナが祭壇へと歩くなか、フランチェスカは扉のほうへ向かう。


 「みなさん、こんばんは。えっと、今日は出エジプト記エクソダスのお話をします。今回は歌いながら朗読しますので、ぜひ聴いてください」


 歌いながらだって……? どよどよとざわめくなか、照明が消された。


 「おい、なんで消すんだ?」

 「これじゃなんにも見えやしないじゃないのさ!」


 ざわめく村人たちを見ながら、フランチェスカがにやりと口の端を歪める。


 そろそろ時間ね。


 「“光よあれ!”(創世記第1章3節)」


 ノートパソコンのエンターキーを押す。

 途端、ぱっとアンナにスポットライトが当てられた。

 村人たちが見守るなか、アンナが手を上に向ける。

 すると、祭壇の後ろの壁に聖書が現れた。アンナが手を横に動かすと、それに連動するかのようにぱらぱらとページがめくられたので、礼拝堂に驚きの声があがる。


 「な、なんだ! これは!?」

 「信じられねぇ! 俺は奇跡でも見てるのか?」


 ページがぴたりと止まる。アンナがすぅっと息を吸う。


 ♪シナイ山にきたモーゼは神なる者にお告げをたまわん


 モーゼはエジプト王に神の言葉を伝えるが、王はこれを聞き入れなかった。


 ♪神を恐れぬ不届き者よ! エジプトに十の災いを!


 アンナの力強い歌声に呼応するかのように壁の左右の窓から赤い液体が滴り落ちた。それは血であった。

 ひっ! と誰かが悲鳴をあげる。

 十の災いのひとつめ、“ナイル川の水が血に染まる”だ。

 次に蛙が、ブヨ、アブが不愉快な羽音を立てて壁を縦横無尽にまわる。

 驚きの声と悲鳴がない交ぜになるのも無理はなかった。

 次第に雹が降り始めたかと思えば、次はイナゴだ。

 大群となってアンナの周りを囲んでも、彼女は歌うのをやめない。

 ふたたび照明が消され、暗闇になった。三日間エジプトが暗闇に包まれた場面だ。

 照明が点き、村人たちが目をしばたたかせている間に窓から水が流れ込んできた。

 水はやがて壁を覆うまでに溢れ、アンナが手を上げると、真っ二つに割れた。


 ♪さあ目指せ! 約束の地、カナンへ!


 メゾソプラノの歌声が礼拝堂中に響き渡り、村人たちの琴線に触れ、ある者は涙し、またある者はしっかと手を組んで祈りを唱えている。

 やがて場面はクライマックスへと向かう。

 アンナがみたび、手を上げると後方の壁が崩れはじめ、しだいになにかを形づくっていく。


 「おお、見ろ! 十戒じっかいだ!」とは誰の言葉だったか。


 見れば確かに、崩れたあとに残ったのは、モーゼがシナイ山で神から受け取ったとされる十戒が刻まれた石版だ。

 アンナの歌声が最高潮に達し、同時に石版に刻まれた十の戒律が黄金色に輝く。


 ♪ヘブライの民に自由を! ヘブライの民に自由を!


 拳を天に向け、余韻を響かせるように歌い上げる。

 しばしの静寂。

 次に割れんばかりの拍手が起こった。


 「ブラーヴォ! ブラーヴォ!」

 「メラヴィリオーゾ!」

 「ファンタスティコ!!」


 長椅子から村人たちがそれぞれ賛辞の声を贈る。惜しみない拍手とともに。

 アンナが一礼してフランチェスカのほうを見ると、彼女がウインクしながらサムズアップする。


 プロジェクションマッピング。

 コンピュータで作成した映像を専用のプロジェクターで壁や建物などに投射して、音楽と動きをリンクさせる技術である。


 †††


 村の入り口でスーツケースを手にフランチェスカがアンナと向かい合う。頭には麦わら帽子を被っている。


 「ありがとうございます。お姉様。でもすごいですね……あんなアイデアを思いつくなんて」

 「宿屋で偶然思いついたのよ。それで日本にいる友だちのお兄さんに頼んで作ってもらったってわけ」


 今回はけっこう無理言ったけどね、と苦笑いする。


 「でも本当によかったです……村の人たちもとっても喜んでくれてましたし……」

 「ま、ね。三日間でよく間に合ったと思うわよ? なかなか映像と動き合わなかったからヒヤヒヤしたし」

 「あはは……」


 後ろでタクシーの運転手が「そろそろ出発しないと間に合わないですぜ」と窓から顔を出す。


 「それじゃ飛行機の時間迫ってるから……」

 「あ、あの」


 スーツケースを置いて同期の見習いシスターを抱きしめる。


 「アンナ、奇跡は思ってたよりそこらに転がってるものよ。大事なのは自分からつかみにいくの。ずっと待ってるだけじゃダメ」

 「お姉様……私、やります! ひとりで頑張ってみます!」


 アンナの決意あふれる顔を見てフランチェスカが「うん」と頷く。


 「じゃあまたね。泣き虫ヨローナのアンナ」


 タクシーが村から遠ざかってアンナは見えなくなるまで見送る。そして手を組む。


 やっぱり、お姉様はすごいひとです……。


 一ヶ月後。


 「カラブリア放映局のガブリエラです。私はいまポッチェロ村という小さな村に来ております」


 キャスターがマイクを持ちながら実況し、カメラが彼女の後を追う。


 「一ヶ月前まで、この村の教会は閉鎖の危機にあっていました。ところが現在では参列者がひっきりなしに訪れる名所となっています」


 村人たちにインタビューを行う。村人たちはみなにこやかに快く質問に応えていった。

 やがて目的地の教会へと到着する。


 「こちらの教会は10世紀ごろに建てられたものです。そして私はこれから奇跡を目にしようとしています」


 扉が開かれ、プロジェクションマッピングによって彩られた礼拝堂がカメラに収められていく。


 「ブラーヴォ! なんということでしょう! この歴史ある教会と最新技術によるコラボで奇跡が起きています!」


 と、礼拝堂の奥からアンナが出てきて一礼する。


 「はじめましてガブリエラです。ステキな教会ですね。それにあなたもステキだわ」

 「ありがとうございます」

 「あなたがこの見事なコラボレーションを立案されたのですか?」

 「あ、いえ。これを考えたのは私じゃないんです。神学科で同期だったシスターでして……」

 「なるほど。それでそのシスターはどちらに?」

 「任地の日本に帰りました。そのひとは私の憧れのひとで、私に大事なことを教えてくれたんです」

 「大事なこととは?」


 マイクを向ける。


 「奇跡とは、自分からつかみに行って、自分で起こすものです」


 そして胸の前で両手を組む。その顔には泣き虫だった頃とは違って力強い瞳をしていた。



 日本、聖ミカエル教会本部。その執務室にてマザーは報告書を読んだのちに認可の印を押す。

 コンコンとノックの音がしたので、「どうぞ」と許可する。

 「失礼します」とシスターが便箋を手にして入ってきた。


 「マザー宛てにエアメールが届いております。英語ではないので私には内容が分かりませんが……」


 シスターから便箋を受け取って差出人を見る。イタリア語だ。だが、心当たりはない。

 ペーパーナイフで開封して中身を取り出して広げる。


    クレジットカードご利用明細


 ・レッジョ・ディ・カフェ

 入会金 9ユーロ

 利用料 12ユーロ


 ・マリオ&ルイジ電機店

 BAIO NX-2000モデル ノートパソコン

 540ユーロ

 ルーター 49ユーロ


 ・パケット通信料 247ユーロ


 合計857ユーロ(約103,675円)


 請求書を手にマザーの手がわなわなと震える。


 「フランチェスカァアアアア―――ッ!!」


 マザーの怒声が執務室をびりびりと震わせる。




次話に続く。

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