第14話 HEAVENS JUSTICE BOYS⑤
本番の日、すなわち成人式まであと4日と迫った日――。
フランチェスカをヴォーカルとして迎えた新生ヘブンズジャスティスボーイズはその日も教会の地下室にて練習を続けていた。
「だめ! 音が合ってないわ!」
フランチェスカがマイクを持ってストップをかけた。
「またタイミング合わないすね……」
何度目かもわからないミスでジュリアンがげんなりする。
「楽譜を書き直しましょうか?」マルティノが楽譜を手にして言う。
「とは言ってもあたし、そこまで音楽に詳しいわけじゃないし……」
メンバー全員が重い空気に包まれていた。何度もリハーサルしてもイメージ通りの音が出せない。音に厚みがないのだ。
先日、スマホの動画で見た演奏はベースあったればこそだったのだ。それほどまでにベースのミゲルこと、千々石のリードのスキルは高かったと言える。
「やっぱりベースがいないとダメね……」
「で、でもシスター……」
「ミゲルはもう辞めた人間なんすよ! 今さら戻ってくるわけがねぇっすよ!」とジュリアンが声を荒げる。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう! もう本番まで時間がないのよ?」
しばし地下室に静寂が訪れ、ふたたびフランチェスカが口を開く。
「どんな事情かは知らないけど、とにかく確実に言えるのは彼の、ミゲルのベースがないと満足出来る演奏は出来ないってことよ」
とにかくミゲルがバンドに戻ってくれるよう交渉するわ、と決意を露わにした。
†††
がちゃりと音を立ててビール瓶の籠を積み重ねると、千々石はふぅと額の汗を腕で拭う。
ミゲルこと千々石の実家は酒屋である。店内に戻ろうと踵を返したときだ。
目の前に懐かしい顔が三つと、修道服に身を包んだ金髪の可愛らしいシスターが立っていたので、千々石は面食らった。
「お、お前ら……」
「あなたがミゲルね?」単刀直入にフランチェスカが声をかける。
「……その名前、久しぶりに聞いたな。みんな揃ってどうしたんだ?」
前髪で隠れた目でかつてのメンバーを見回す。
「あたしはフランチェスカ。ヘヴンズジャスティスボーイズのヴォーカルとして新しく入ったの」
「ヴォーカル? そりゃどういう……」
「今度成人式でライブやることになったんだ」困惑する千々石にリーダーのジュリアンが説明する。
「でも、どうしても思い通りの音にならないんだ」とマルティノ。
「頼む。俺たちのバンドに戻ってきてくれ!」
ジュリアン、マルティノ、マンショの三人がサングラスを通してじっと千々石を見る。
「…………お前ら、知ってるだろ? 俺はもう辞めたんだ。いきなりやってきて、今さら戻ってこいなんて……」
「ミゲル、お願い。どうしてもあなたの力が必要なの」
千々石がヴォーカルのシスターを見、そしてうつむく。
「……悪い、力にはなれねぇ。仕事で忙しいんだ」
「ざけんなよ! 俺たち仲間だろ!?」
ジュリアンが掴みかかったのでマルティノが押さえる。
「お前ら、俺たちはもうすぐ卒業なんだぞ? この大事な時期にそんなこと」
「1回だけなんだ! せめて、卒業前にもう一度ライブをやりたいんだ!」
「俺からも頼む。楽譜は出来てるし、歌詞だって、このフランチェスカさんが考えてくれたんだ。マンショもお前に戻ってほしいと言ってる!」
マンショがうんうん! と力強くうなずく。
「俺たちは、音楽が好きで好きでどうしようもないバカだけどよ……もう一度、お前と組みたいんだ!」
ジュリアンの叫びに近い懇願に千々石は歯噛みする。
「お前ら、音楽で食っていけるヤツがどのくらいいるのかわかってんのか? ほんの一握りなんだぞ? いいかげん現実を見ろよ」
仕事の邪魔だ、と千々石が店に戻るべく、踵を返す。
ジュリアンがまた掴みかかろうとしたのでマルティノが止める。
「ミゲル。そこまで言うのならもう無理強いはしないわ。でもこれだけは覚えておいて。やって後悔したほうが、やらずに後悔するよりも遥かにいいのよ。聖書にもチャンスは活かせとあるわ。(エペソ人への手紙第5章16節)
もし、戻る気になったらいつでも来て。あたしたちは聖ミカエル教会で練習してるから……」
場所はわかるわよね? そう言うとフランチェスカはくるりとメンバーのほうへ向き直る。
「戻って練習しましょ。マルティノの言うとおり、楽譜を書き直しましょう」
「でも……!」となお抗議しようとするジュリアンを引っぱって去りゆく四人を千々石はしばし見送ってから、舌打ちをすると店内に戻った。
†††
その日の夜、千々石は自室の机にて問題集と格闘していた。参考書を片手にノートに解答を記していく。
ふと今日の出来事を思いだす。そして引き出しを開けるとそこから一葉の写真を取り出した。
部室で撮られたそれはメンバー全員がそれぞれポーズを取っている。
しばらく眺めたのちに部屋の隅に視線を移す。そこにはスタンドに立てかけたベースギターがあった。時々暇があれば弾いている。
席を立ってベースギターを手に取り、チューニングして一曲弾いてみた。
久しぶりに出した音は寂しげだった。そしてスタンドに戻すと机へと向かう。
†††
「ダメ! もう一度よ!」
フランチェスカがストップをかける。
「やっぱりダメですか……」
成人式まであと3日。書き直した楽譜でリハーサルをしているが、それでもイメージ通りの音にならない。
「クソっ! いったいどうすりゃいいんだ!?」ジュリアンが苛立ちを露わにする。
「それもこれもミゲルが戻ってこねぇから……!」
「やめなさい! じたばたしたってどうにもならないでしょう!?」
「けどよぉ!」
フランチェスカとジュリアンの間にマルティノが割って入ろうとした時、マンショが肩をぽんぽんと叩く。
「どうした?」
それに答えるかわりにマンショが上を指さす。
「上? 上にだれかいるのか?」
全員が地下室から出る。すると礼拝堂を出ようとする千々石の背中が見えた。
「ミゲル!」
ジュリアンに呼び止められ、千々石が立ち止まる。
「来てくれたんだな!」
ジュリアンが駆けつけ、その後にメンバーが続く。
「いや、俺はここをたまたま通りかかっただけだ……」
「じゃあその手にしてるのはなに?」フランチェスカが指さすその先はベースギターのケースだ。
「こ、これは楽器店にメンテで持っていこうと」と千々石が下手な言い訳をしたので、四人が破顔した。
「来てくれると信じてたわよ」
「戻ってこいよ。ミゲル」
「そうだぜ、また俺たちとバンドやろうぜ」
だが、千々石はうつむく。
「…………悪い。やっぱ俺には出来ねぇよ」
くるりと扉のほうへ向く。ノブに手をかけようとした時だ。
「まって……まって!」
振り向くと、三人がマンショのほうを見ていた。サングラスから一筋の涙が伝っていた。
「おれ、もういちど、みんなとバンドやりたい」
その巨体に似合わぬか細い声だが、懸命に腹の底から思いの丈を吐き出そうとしていた。
「おれ、頭わるいから……むずかしいことわかんないけど、みんなで、音楽やりたいよ……!」
あらん限りの声を振り絞る。
「マンショ……」ケースを持つ手に力が込められる。
「……悪い。お前らでやってくれ」
仲間たちの制止の声を背中に受けながら、扉を開けて外へ出た。
その足取りは重い。一歩踏み出すたびにどんどん重くなっていくかのようだ。
やがて教会から少し離れたところで、ぴたりと足が止まる。そして顔を上に向ける。夜空に星が瞬いていた。
「クソッタレ!」
そう吐き捨てると、踵を返して教会へ戻った。
扉を開けると、下から音が響く。祭壇の後ろへ回り、蓋を開けるとさらに音が響いた。
階段を駆け下りると、メンバー全員が驚いた顔でこちらを見ていた。
「マルティノ! 楽譜をよこせ!」
差し出された楽譜をひったくる。
「ここ! 半音あげろ! それからここはテンポを速めにするんだ!」
次にマンショのほうを向く。
「マンショ! シンバルからタムタムへはもっと流れるように叩け!」
ジュリアンへ向き直ると、「ジュリアン! チューニングし直せ! それとピックを硬めのやつに変えるんだ!」
最後にフランチェスカのほうを向く。彼女がこくりとうなずく。
「しょうがないから、付き合いますよ。やるからには中途半端は許さないっすよ」
ケースからベースギターを取り出し、ストラップを肩にかける。
曲はここに来たときから聴いている。そして千々石、いやミゲルはピックを手にするとコードを弾き、音を奏でた。
その音を下地にメンバーが音を織り上げていく。
曲が最後に差しかかり、フランチェスカが歌い終わると同時に四人がフィニッシュを決めた。
ミゲルが肩で息をする。久しぶりのバンドは思ったよりも体力を消耗した。
彼の前に手が差し出されたので、見上げる。フランチェスカだ。
「ありがとうミゲル。今まででサイコーの音よ」
「やっぱお前はスゲェよ!」
「おかえり、ミゲル」
マルティノの後ろでマンショがサムズアップした。
「俺、やっぱ音楽が好きだ。お前らとやるのが一番好きだ」
ミゲルが顔を上げる。前髪で隠れた目には揺るぎない決意がありありと見て取れた。そしてフランチェスカの手を握る。
「んじゃ! メンバー全員揃ったことだし、リハーサルするわよ!」
「おう!!!」
こうしてヘヴンズジャスティスボーイズのメンバーが揃った。
⑥に続く。
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