第13話 TOMORROW IS ANOTHER DAY

 朝、駅のホームにて俺は電車を待つべく、先頭に並んでいた。


 ……電車はいい。行きたいところへどこへでも連れて行ってくれる。


 後ろを振り返ると学生やサラリーマン、若いカップルがそれぞれスマホをいじっていて、こちらには見向きもしない。


 ……俺が今から飛び降りようとしても、気づかないだろうな。


 そう考えていると、アナウンスが電車がまもなく到着することを知らせる。

 程なくして車両がライトを点しながらホームに入ろうとしてくる。


 ……電車はいい。どこまでも遠くへ連れて行ってくれる……。


 俺はスーツの内側のポケットに入れた封筒に手を添えると、前に歩き出した。


 †††


 「原田ぁ! どうするつもりなんだ!? せっかくの商談をパーにしやがって!」


 部長が丸い拳を机にバンッと叩きつける。部内の何人かがビクッと肩を震わせる。

 原田というのは俺の名前だ。そしてこの部長にガミガミ言われているところである。いわゆるパワハラというやつだ。


 「だいたいよぉ! おまえやる気あんのか? あ!?」


 部長が俺が若い時はな……とお決まりの昔話をはじめる。

 俺はただ、黙って聞き、その後に「すみません」と頭を何度も下げる。


 「もういい。さっさと仕事に戻れ」


 俺はもう一度すみませんと頭を下げ、自分の机へ戻る。

 パソコンの画面やそばに山積みとなった書類を見て俺は溜息をついた。


 また、今日も残業か……。


 この会社に入社して三年。入社三ヶ月目でちまたで言われるブラック企業だと気づいた。

 同期はだんだん辞めていき、気づけば俺一人だけが残った。それに伴って業務量も増えていく一方だ。

 むろん辞めたいと思ったことは何度かある。それでもまだここにいるのは自分のプライドからだ。我ながら安っぽいプライドだとは思うが……。


 「原田ぁ! さぼってんじゃねぇぞ!」


 23時半過ぎ。終電ギリギリで帰宅した俺はシャワーも適当にして、そのまま泥のように眠った。

 翌朝、スマホのアラーム音で目を覚まし、顔を洗って電動シェーバーをあてたあとはトーストと昨日の残り物で朝食を適当に済ませた。

 シワでよれよれのスーツに袖を通して、誰に言うともなく「行ってきます」とドアを開けた。

 これが俺の日常だ。いつもと変わらない日々。そしてそれはいつまでも変わらないだろう。


 オフィスに着いて、昨日のやりかけの仕事を片付けようとした時だ。ぽんっと肩を叩かれた。


 「原田ぁ。いつになったら仕事覚えるんだ? お前は」


 部長の粘着質な声が耳に絡みつく。そしてぎゅっと強く掴まれた。


 「辞めたっていいんだぞ。お前より仕事の出来るやつはいくらでもいるんだからな。せいぜい給料分働けよ」


 これもお決まりの日常。最初は腹が立ってきたが、今では軽く聞き流すことにしている。

 俗に言うスルースキルというやつだろうか?

 だが、腹の底でなにかがくすぶっているような感じがある。

 よそう。つまらないことを考えるのは。


 気を取り直して、俺はキーボードを叩きはじめた。


 アラーム音で目を覚まし、いつもと変わらぬ朝を迎え、「行ってきます」と家を出る。

 今日もパソコンと向かい合って忙しなくキーボードを叩く。資料とにらめっこしながら処理していき、一段落ついたところでコーヒーを飲もうと席を立とうとすると、粘着質な声とともに肩を掴まれた。


 「原田ぁ。頑張ってるな。ところで今日の夜空いてるか? 花金だから空いてるよな?」


 みしりと力がこめられる。まるで逃がさんと言わんばかりだ。断るという選択肢は俺にはない。


 †††


 「いぃ~つぅうのひぃか~、ゆめぇを~」


 部長の調子外れの歌唱にスナックの嬢たちが拍手する。


 「部長ー! ステキー!」

 「さすが部長ー!」


 お相伴として連れられた俺は形だけの拍手をする。

 曲が終わり、また嬢たちが拍手する。


 「いやぁやっぱり演歌が一番だねぇ」


 どっかとソファーに腰を下ろしながら部長が言う。左右の嬢がそれぞれお世辞をかける。


 「いやぁそれほどでも、いやあるけどな!」


 がはははと笑いながら俺に水割りを作るよう指図したので、ウイスキーをグラスに注ぐ。


 「ねぇ部長さん。このお兄さんって部長さんの部下さん?」

 「ん? ああ俺の部下だ。もっともこいつは仕事はなかなか覚えないわ、こないだなんて商談をパーにしやがってよぉ」


 おかげでこっちは苦労してんのよ、とぐいっと水割りをあおる。


 「おい! ウイスキーが薄いじゃねぇか!」ガンっとグラスを荒々しく置く。


 「まあまあ部長さん、私が代わりに作りますから……」

 「良い子だねぇ~ハルミちゃんは。どこぞの役立たずと違って」


 ハルミによって新しく作られた水割りをあおると、「んんっ!」と唸った。

 「かぁ~っ! やっぱりハルミちゃんの作る水割りが一番だよぉ」

 「またまた~部長さんお世辞が上手いんだからぁ♡」


 がはははとふふふふという不協和音が俺の前で響く。

 まるで、この世界に俺が、俺という存在がなくなってしまったかのように笑い声が響いた。



 「うっ……!」


 こみ上げてくる吐き気を押さえられずに俺はたまらずに道端で嘔吐した。

 つんと鼻を突く酸っぱい臭いと味に顔をしかめる。

 電柱に寄りかかりながら肩で息をつく。


 …………なに、やってんだ……俺……。


 終電ギリギリまで残業して、部長から罵倒され、たいして好きでもない酒を無理やり飲まされる。そんな日々がこれからも続くのかと思うと突如激しい無力感に襲われた。

 自分の中でなにかがぷつりと糸が切れたような感じがした。


 もういやだ……なにもかも、この世界から逃げ出してしまいたい。


 また吐き気が襲ってきたので胃液をぶちまける。唾を舌から嘔吐独特の酸味が消えるまで何度も吐き、だいぶましになってからよろよろと歩く。


 ……死にたい。


 血中で濃度の高くなったアルコールが巡るなか、そんな考えが浮かんだ。


 ……どうやって死のう? 首を吊るか? いやあれは糞尿を垂れ流すと聞いた。ならば薬でも……ダメだ。あれも死には至らないらしい。そうだ、電車だ。なに、飛び降りてしまえばあとはあっという間さ……。


 ふらふらと頼りない足取りで俺はなんとか家路につく。今日は疲れた。死ぬのは明日でいい。


 †††


 「――! ――い! おきなさい!」


 がんがんと頭に響く声で目を覚ました。まず目に入ったのは知らない天井だ。少なくとも俺の家でないことは確かだ。


 「ちょっとあんた! 勝手に入ってきてどういうつもり!?」


 見ると、金髪に青い目をした可愛らしい少女がこちらを睨んでいた。服装から察するにシスターだろう。ということは、ここは教会か。

 どうやら酔って家だと勘違いして入ってしまったようだ。


 「……すまん。酔っぱらってて……」

 「すまんで済んだら神様はいらないわよ。ま、鍵をかけ忘れたあたしも悪いけどさ……っていうか、アンタ酒臭いわよ」

 「すまん」


 シスターにしては乱暴な言葉づかいだ……。


 俺はズボンについた埃を払いながら立ちあがる。


 「待ちなさいよ」

 「?」

 「寄付金として宿泊代くらい置いてきなさい」

 「……はぁ?」


 こいつ本当にシスターなのか? まぁいい。どうせこれから死ぬのだから、金など必要ないが。


 「これで足りるか?」


 万札を数枚取り出す。予想外の金額にシスターの少女が面食らう。


 「意外と素直ね……」

 「もう使うこともないから……」


 じゃあ、と礼拝堂を出ようとする。


 「待って!」ぐいっと腕を掴まれる。

 「今度はなんだよ?」いらついていたからか、つい口調がとげとげしくなってしまった。


 「あんた、もしかして死のうって言うんじゃないでしょうね?」

 「……それが?」

 「だとしたら、このお金は受け取れないわ。なにもかも諦めて、死ぬような弱い人からはね」


 シスターの余計な一言に俺はキレた。


 「お前みてぇなガキになにがわかんだよっ」


 掴まれた手を振りほどく。


 「毎日毎日パワハラ受けて、それでも必死で仕事して生きているヤツの気持ちなんてわかんねぇだろ!」

 「だからといって死ぬなんて短絡的よ!」

 「もうほっといてくれよ! 生きてく価値なんかねぇんだよ! 俺なんて」


 その先の言葉は出なかった。目の前のシスターに殴られたからだ。


 「生きる価値がないから死ぬ? 上司からパワハラ受けてるから自殺するなんて、あんたそれでカッコつけてるつもりなの?」


 うるさい。


 「カッコ悪くたっていいじゃない。どんなに無様ぶざまでも、それでも前に進むひとのほうが何倍もカッコいいわよ」


 黙れよ。


 「あたしは見習いシスターだけど、なりたくてなってるわけじゃないわ。神さまなんて信じてないし」


 黙れって……。


 「神に祈ってるヒマがあったら、あたしは少しでも前に進むわよ」


 …………。


 いつの間にか目から涙が溢れていた。俺は悪態をつきながら目を擦る。

 俺の手に札が握られる。そしてどんと背中を押された。



 週明けの月曜。駅のホームに車両がやってきた。

 スーツの内側のポケットに入れた封筒に手を添えた俺は前へ進む。

 ガタンと音を立てて開いた両扉から車内へ入り、つり革に掴まる。

 『発車します』のアナウンスの後に車両が動き出す。

 俺はもう一度ポケットの中の封筒――、辞表に手を当てる。

 これから先、どうなるかは俺自身にもわからないが、ただひとつ言えるのはこの電車のように、前へ進むだけだ。




次話に続く。

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