渚と夏鬼と少女

「ただいまー」


「おお、おかえり夏輝、夕飯のそうめん出来とるよ」


 台所から出迎えたのは夏輝の祖父だった。

 夏休みの間だけ遊びに来ているこの家は、昔ながらの日本家屋でワビサビというのが感じられとても気に入っている家だった。


「お、そうめんか」


「婆さんが居なくなってから手抜きしか出来んですまんな」


 夏輝の祖母は二年前に亡くなり、この家には祖父だけが住んでいた。

 夏輝が両親の盆休みを待たずに夏休み開始直後に祖父の家に遊びに行っているのは、少しでも祖父の寂しさを紛らわせればと思っての事だった。


「んー、俺はそうめん好きだし、毎日でもいいぜ」


「ははは、流石に毎日だと爺ちゃんが先に飽きちまうよ」


 夏輝はサーフボードをしまうと体中の潮臭さが気になった。


「ちょっと先にシャワー浴びてくるわ」


「行っといで。久々のこっちの海はどうだった?」


「あー、海は・・・・・・やっぱりこっちの海は綺麗だよな。すげー空いてて楽しいぜ」


「そうかい? 何だかいつもよりでんしょん? っちゅうの? が低いんじゃね?」


 そう言われて夏輝はギクリとした。


「それを言うならテンションだろ。じーちゃん、無理して若者言葉なんか使わなくっていいから。ちょっと疲れただけだから何でもねえよ」


 そう言って夏輝は風呂場に逃げ込んだ。


「はあ・・・・・・」


 祖父の言う通り、気落ちしていたのは確かだった。

 心の奥底で、ずっと引っ掛かっていた。

 自分の前から逃げ去ったあの少女の事が。


「きっと、怖がらせたよな・・・・・・」


 別に助けた礼を言われたかった訳ではなかった。

 老若男女問わず皆自分から逃げ出す事は今更気にしていないつもりだった。

 だったら何故気になるんだ?

 夏輝はシャワーを浴びながら自問自答した。

 まぶたを閉じると今にも泣きそうなあの女の顔が浮かんで離れない。


「ああ、くそっ! もう、会う事もないだろ。忘れろよ俺!」


 潮の香りと共に、こんなモヤモヤした気持ちもシャワーで流せれば良いのにと夏輝は思った。




 しかし、夏輝の思惑は外れ、あの少女とはあっさりと再会した。

 それは翌日の事だった。

 いつも通り夏輝はサーフィンを楽しんでいた。

 休憩で砂浜に上がると海辺を歩くカップル達が目に付いた。


「ジュース飲み終わっちゃったー、でもゴミ箱なくなーい?」


「そんなのその辺に捨てとけば?」


「うん、そだね! まいっか!」


 砂浜に捨てられた空き缶を見て、夏輝はキレた。

 そして、体は条件反射の様なもので勝手にカップルに向かって走り出した。


「くおらーーーーっ! てめえら、ゴミを海に捨てるんじゃねえっ!!」


 勿論、無意識にだが『鬼の形相』を標準で装備済みだった。

 その怒声に気が付き、振り返った二人は当然悲鳴を上げた。


「ギャーーーー!! 出たーーー! 鬼ーーー!」


「すみませんでしたーーー」


 二人は捨てた缶を勢い良く拾い上げると猛ダッシュで逃げて行った。


「ちっ、どいつもこいつも鬼とか言いやがって!」


 昨日の事もあり夏輝は苛立いらだっていた。

 そんな時、後ろから背中をつつかれたのに気が付いた。

 その感触は拳だとか、ひじだとかそんな物ではなく、遠慮がちに指先で軽く突いた様な感触だった。


「ああん? 俺になんか文句でもっ!?」


 夏輝は苛立っていた事もあり、その鬼の形相のまま振り返った。

 が、夏輝はすぐにそれを後悔した。

 後ろには昨日の少女がまたも泣きそうな顔で、かつ体を震わせて立っていた。


「げっ、これは違くてだな!」


 夏輝は慌てて両手を振り、弁解しようとした。

 自分が今どんな表情なのかも分からず、また怖がらせているんじゃないかと思いつつも、どんな表情なら良いのかも分からず顔は不自然に引きつった。

 そんな努力も少女の目には鬼の顔から悪魔の顔に変わった様に映っているだけだった。

 どう弁解しようかと夏輝が考えていると、少女は夏輝の目の前にスケッチブックを見せた。


「えっ?」


 そこには予想もしていない事が書かれていた。


【昨日は助けてくれてありがとうございました】


 望んでなどいなかった。

 だけれど、今まで心のどこかで期待していたのかもしれない言葉がそこにあって、夏輝は心がほどけるような気持ちになり、自然と柔らかい笑顔で「おう!」と言った。

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