2 懐かしのゲーム

 ファンタスティック・ワールドのアプリをインストールしてから、初期データをダウンロードするのにかなり時間がかかっていた。

 真波は周りを見渡した。見た目から営業マンらしいスーツの人も、ショップ店員らしい派手系や可愛い系ファッションの人も、疲れ切った表情で線路を見つめている。

 電車を待っている間の表情こそ、その人の本性を表すのだと真波は思う。大勢の赤の他人と待つことを強いられた時間。近い距離にいるのに、お互い無関心ゆえ表情を繕う必要はない。同じ空間にいるはずが、違う次元でそれぞれ時間が過ぎるのを待っている。静寂にそぐわない音を鳴らしてはいけない。絶妙な次元と空間のバランスが一気に崩壊する。だから考えることしかできない。

 母はこの時間、どんな表情をしているのだろう。母は電車通勤である。今日も新幹線で出張先へ行ったはずだ。家にいるときの母は、母親という表情を作っている。仕事も家事も大忙しなくせに、真波に心配をかけないように無理している。

 真波も大多数と同じようにスマートフォンを注視することで、周りから表情を隠す。まだダウンロードは終わらない。LINEを開くが、メッセージが来ていたのは通知をオフにしている広告くらいだった。やることがなくなってダウンロードの進捗具合を確認したり、ホームに戻ってただ画面をスワイプしたりして、時間を持て余す。

『★shiorin☆さんが投稿にあなたをタグ付けしました。』

 真波はため息をついた。投稿に『いいね!』するために、通知をタップしてinstagramを開く。表示されたのは、先週の学校からの帰り道に詩織しおりが撮影した加工写真に、『新作の自撮りフィルターで撮ってみた★』という短い本文と大量のハッシュタグだった。

 写真中央の頬を膨らませている、フィッシュボーンを左右にさげた、こちらに向かって腕を伸ばしている撮影者が詩織。目線を逸らしてピースを片目に押し当てている、ふわくしゅパーマで前髪にゴールドのヘアピンを付けているのが柚果ゆずか。左上で仕方なく口角を上げている、小さく写っているのが真波である。

 新作のフィルターとやらのせいで、化粧などしていないのに(詩織と柚果はばれない程度――いや、よく見たら誰でも気づく程度でしているが)、頬や唇がピンク色で、目が異常にでかくなっている。肌をきれいに見せるためか全体的にぼやけており、雪などこの辺りでめったに降ることはないが、写真には雪の結晶が散らついている。

 有名人でもないのに、こんな写真を投稿して何が楽しいのだろうか。真波にはさっぱり分からない。ただ、二人にとって『いいね!』の数は、周りに見せつけるアクセサリーのようなものなのだろうと思う。口には出さないが、暗黙のうちに周りと数を競っている。それは詩織と柚果、お互いも同じ。

 詩織が投稿したのを知ってか、柚果も写真をアップしたようだ。カフェと思しきテーブルの上に、スタバのフラペチーノ二つと、問題集が置いてある。向かいの席には顔をハートマークで隠された男性の姿がある。大学生の彼氏に勉強を教えてもらったとの内容だった。

 真波もインスタとツイッターのアカウントは持っているが、投稿したことは一度もない。詩織と柚果の投稿に『いいね!』を与えるための単なる要員に過ぎない。二人の投稿を本当に良いと思ったことはないに等しい。

 しかし『いいね!』しないと、学校で責められたり、無視されたりするのではないか。想像の中の不安だが、確かな威圧感がある。今日も友達でいてくださいという切符を買うように、真波は二人に『いいね!』を送ってインスタを閉じた。

 データのダウンロードは、あともう少しで終わる。電車が来るまでには終わりそうにない。

『二番乗り場に、電車が参ります。黄色い線の内側まで、お下がりください』

 大音量のポップなメロディーとともに滑り込んできた車両から、大量の人が吐き出された。まだ降りる人が数人いるのに、列の先頭は車両の中へ突っ込んでいき、みんなそれに続いてもみくちゃになる。なんとか車両に乗った真波は、扉の近くで密集している人の隙間を縫うように中へ進み、わりと余裕のある座席の前にポジションを見つけて、いつものように鞄を足の間に挟んでつり革を掴んだ。

 不意に隣の男性のスマホの画面が目に入り、反射的に目線をそらしたが、ファンタスティック・ワールドをプレイしているのが分かった。中年の男性だった。ファンタスティック・ワールドは親の世代のテレビゲーム機用に発売されたソフトが一番最初のシリーズである。その後、新しいゲーム機が発売されるたびに新しいシリーズが開発されてきた、不朽のロールプレーイングゲーム。

 電車が動き出した。ダウンロードが終わり、オープニングアニメーションが流れた。剣を振り回す剣士に、弓を射る弓士、魔法を操る魔導士のキャラクターが登場する。フェードアウトしたと思ったら、かっこよくレタリングされた、『Fantastic World』の文字が浮かび上がった。

 父が、子供のころからこのゲームが好きだったらしい。真波が小学校中学年のころ、父が買ったファンタスティック・ワールドを、よく父と兄で遊んだものだった。

 架空の西洋文明の世界が舞台で、剣使いの剣士や弓使いの弓士、魔法を使う魔導士や竜など、さまざまなキャラクターがいる。シリーズによって若干ストーリーは違うらしいが、真波が覚えているのは、主人公の王子が統率していた国が敵国に追われたあとの話。バラバラになった仲間を集めながら、乗っ取られた国の奪還に挑む。

 バトルモードでは、その時点で仲間になっているキャラクターを四人選んでチームを編成する。一人プレイではバトル中にキャラを切り替えて操作できる。四人まで同時にプレイでき、一人ずつ特定のキャラクターを操作できる。父にも兄にも真波にもお気に入りのキャラクターがいて、父はガタイのいい銃使いの猟師、兄は王子の親族である弓使いの少年、真波は可愛い氷の魔導士だった。

 武器や能力によって戦闘上の有利不利があり、銃、弓、魔法は遠距離攻撃は得意だが近距離戦が不得意である。そのためいつも三人で協力プレイをするときは戦力のバランスが偏っていたが、父や兄はゲームが上手く、最後の強敵まで余裕で倒せたものだった。

 今回のスマートフォン版は、主人公の顔や姿、武器や能力を自分でカスタマイズすることができるらしい。アカウントの登録が終わり、自分のキャラを作るステップまで進んだ。性別は女、黒髪のボブに白い肌。一からキャラクターを考えるのも時間がかかるので、とりあえず自分に似せる。次の武器・能力の設定では、悩まずに氷の魔導士を選んだ。服装は青色のローブ。

 最後に主人公の名前を決める。自由に決めるのが普通だろう。しかし、『自分の名前から作る』というボタンがあったので、気になって押してみた。自分の名前をひらがなで入力するよう指示がある。『おだわらまなみ』と入力して、『名前を作る』ボタンを押す。

 少しロードを待ったあとに表示された名前は、『ミランダ』だった。『やり直す』『自分で決める』ボタンがあったが、案外かわいい名前だったので、これに決めた。

 主人公の設定を終えると、ストーリーのプロローグが始まった。電車がトンネルに入った。

 ――ここは、どこ……? 私は、誰……?

 黒い背景に、白い文字が浮かび上がる。

 ――君の名前は、ミランダじゃ。

 ――私の、名前?

 ――君は記憶を失っているんじゃよ。醜悪な魔導士の術にかかってのう。

 ――あなたは、誰?

 ――記憶を失う前の君にとって、そもそも私は重要な存在ではない。しかし、私は君を知っている。

『ドア付近を広く開けて、降りられるお客様を先にお通しください』

 気づけば、もう目的の駅だった。真波は一旦スマホをコートのポケットにしまうと、なかなかどいてくれない扉の前の人だかりを押し込みながら進んだ。

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