第五十二節 不安への払拭と成功への礎をなす

 ヴァダースとメルダーが恋人として結ばれてから、ちょうど二年の時が過ぎようとしていた。

 その日、ヴァダースとメルダーはローゲに呼ばれ、本部の地下深くにある地下牢に来ていた。先日、カーサに工作員が潜入していることが判明したのだ。その人物は元々世界保護施設の人間であり、カーサに関連する情報の外部への漏洩と、組織の内部破壊を画策していたのだという。先程で尋問は終えて、あとは処分をするだけ。その処分担当として、二人が呼ばれたという経緯だ。


 カーサ内での裏切りに対する刑罰は、殺処分一択のみ。弁明も弁解も許さず罰するというのが鉄則だ。ヴァダースも今まで何人か裏切者を手にかけたことはあるが、最高幹部となってからは初めての処刑になる。


「それにしても、どうして裏切者を処刑するのに俺たちが呼ばれたんですかね?」


 メルダーが裏切者の処刑の場に立ち会うのは、今回が初めてである。だからなのだろう、最高幹部が裏切者を処刑するという行為に疑問を持ったらしい。その質問にヴァダースはこう回答する。


「ああ、それは私の能力を実際に目にしてもらうためだそうですよ」

「ヴァダースさんの能力って、その右目の?」

「ええ。言葉で説明するよりも実際に見てもらった方が早いと、ボスが判断したそうです。実際私も、この右目についてどう説明したらいいか考えあぐねていましたので、ちょうどいい機会だと」

「確かその右目って、魔物の攻撃を受けて呪われてしまったんですよね……?」

「そうですね。そのせいで邪眼になってしまったんですが……。まぁ、そう悪いことばかりではありません。自分のペースで付き合っているので、お気になさらず」


 会話を交わしている間に、地下牢へ到着する二人。門番の部下たちに敬礼され、鉄製の重い扉を開いてもらう。アジト本部の地下にある地下牢への出入り口は、この鉄製の扉のみとなっている。

 ボスであるローゲの術が施されているその扉には、あらゆる魔力を無効化する仕掛けがある。またこの地下牢に投獄される際、術を発動できないよう、術者には金の指輪を嵌めるのだ。マナ結合を阻害する効果のある、呪いの金の指輪といわれる代物。これもローゲが開発したというのだから、彼の能力の高さには脱帽させられる。


 実際ローゲがどのような人物なのか、理解しているようで見えていない面が多い気がする。初めて会った時は彼は医師と名乗り、また密輸業者としての顔もあり、そしてこのカーサのボス。カーサのボスとしての彼の目的は知っているが、その背景がどうにも不透明だ。疑いとまではいかないが、どうにも掴めない存在と言うのが、ヴァダースの中のローゲへの印象だった。


 しかし今はローゲのことについて考えている場合ではない。思考を切り替えるように軽く頭を振って息を吐いたヴァダースは、一番奥の牢獄で二人を待っていたローゲのもとへと近付くのであった。


 牢獄には一人の工作員とローゲの二人だけがいた。ローゲはヴァダースたちが来たことを確認すると、中に入るよう指示する。目の前の工作員は既にぼろぼろの状態であり、あとは殺処分をするだけとなっていた。

 目の前の人物に一度視線を送り、小さく唇を噛む。忌々しい、世界保護施設の工作員。とうの忘れたと思っていたが、胸の内に私怨が蘇ってくる感覚を覚える。面識はない。しかし世界保護施設の人間と言う一点だけで、目の前の人物が敵だと判断するには十分。


「では始めようか、ダクター」

「承りました。さてメルダー、一つだけ注意事項があります」


 いつも着けている眼帯を外し、右目を閉じたまま一度振り返る。


「彼の殺処分が終わるまで、絶対に私の前にも横にも立たないでください。最悪の場合、貴方もので」

「あっ……は、はい!」


 メルダーの敬礼を確認してから、ローゲに対して一度頷く。直後に彼は防音結界をその牢獄に張った。結界が張られたことを確認したヴァダースは工作員に向き直り、ふう、と一つ息を吐く。ゆっくりと右目を開眼させてから工作員に近付き、彼の首を掴む。ぐ、と小さく力を入れながら詠唱を始めた。


「我は汝の異を裁く者──」


 最初の一言目で、工作員の目はヴァダースの右目に捉えられる。白目だった部分は黒く塗りつぶされ、月の色の瞳だったそれは深い紫苑と怪しい赤の光を孕んだものに変化している。先程自らが告げた邪眼と呼ぶにふさわしい瞳。

 その瞳から見える景色には、視界に映る人物の魂の在り方が映し出される。ヴァダースが祝詞を唱えれば邪眼の力が発動する仕掛けになっていて、魂に直接触れることが出来るようになるのだ。


 ヴァダースがこの力の運用を知ったのは、邪眼を宿してから随分後のことだった。そもそもヴァダースが最高幹部に就任してから、現場仕事のほとんどはメルダーが引き受けていた。さらに邪眼を必要とする機会がなかったこともあり、なかなか力を発動させることもなかった、というのが現状ではあったが。


 ヴァダースの右目に囚われた工作員は、文字通り彼の右目から目を離すことが出来ない様子だった。当然だ。工作員の魂は今、己の右目によって自身の身体に縫い付けられているのだから。これで彼の魂と肉体は直結したことになり、魂が砕かれるとそれに連動した身体の部位も破壊されることになる。これも邪眼の力の一端だ。

 基本的に、魂の在り方は自由でなければならない。魂を身体に縫い付ける行為は、少なくとも人間には不可能だという定説がある。しかしその定説を覆せる力が、この右目。今の状態はいわば、相手の生死を握ったことと同意義だ。あとはこの魂をどう砕くか──。


「我は汝の歩みを否定する──」


 ヴァダースの言葉に反応して、工作員の両足がひしゃげていく。通常ならばありえない方角に曲がり、圧を加えられて押し潰される様子は凄惨の一言に尽きる。彼の口から発せられる、絹を裂くような悲鳴とはこういう声なのか。そう何処か他人事のように思いながらも、祝詞を紡ぐ口は止めない。


 身体は魂の入れ物、という言葉を遠い昔に誰かから聞いたような覚えがある。魂の在り方が自身の在り様を示すものだとするのなら。自分の魂の形はきっと、歪なものなのだろう──。


「我は汝の生命を否定する」


 最後の祝詞の言葉を紡ぐと、工作員だった男はもはやヒトとしての形状を失うかたちで息を引き取った。否、息を引き取るといういい方には多少語弊がある。ヴァダースによって殺されたヒトの残骸は、死に顔すらこの世に残すことなく命を終えた。


 眼帯を付け直したヴァダースは、やれやれと一仕事終えたように息を吐く。一部始終を見守っていたメルダーは、緊張から解き放たれたように大きく息を吐いてからヴァダースに畏敬の眼差しを送ってきた。


「ざっと、こんなものですね」

「す、すごい……」

「この右目は、対象の人物に生きながら死を身に刻む呪いを付与することができるのです。輪廻転生も、この右目に魅入られた者には未来永劫訪れることはありません」

「っ……文字通り、死を刻むってことなんですね……」

「ええ。普段滅多に使うことはありませんが、こういった場合でしたら、まぁ」


 ヴァダースの説明に、メルダーは固唾を呑む。驚き入っている彼をひとまず差し置いて、ローゲに死体の残骸処理について尋ねる。このまま死体を野ざらしにしてしまっては、地下牢に腐敗臭が充満してしまう。その指摘に対しローゲからは残骸処理班自らが手配する、と告げられた。


「ご苦労だった、二人とも。あとはこちらで処理する。仕事に戻れ」

「はっ」


 ローゲの命を受け地下牢を後にしようと踵を返した時、ヴァダースは彼に呼び止められる。あとでボスの執務室に来るように。たった一言だけの命令に、いつも通り敬礼で返事を返す。特別な任務なのだろうかと一人考えを巡らせながら、最高幹部の執務室へと戻った。


 その後、メルダーは現場任務の指揮のため執務室を後にすることに。支度を整え、あとは出立するだけという時に、彼は照れ臭そうにヴァダースを呼ぶ。何の用かと彼の顔を見れば、メルダーは顔を少し赤らめながらぼそぼそと呟く。


「あの、ですね……。こう、いってきますのキスをしてもいいですか?」

「……」


 どんな重要な要件かと心配した自分を殴りたい、と思ったのは久々だった。突然のメルダーの言葉に呆れて盛大にため息を吐く。そんな新婚の夫婦みたいなことをする犯罪者集団のトップがどこにいるのかと叱ろうとして──彼の言葉にあながち嫌な気分になっていない自分がいたことに気付かされ、自己嫌悪に陥った。思わず言葉をなくしたヴァダースをおずおずと見てくるメルダーに、妙に負けた気分になる。


 ええい、こうなればままよ。


 自棄になったヴァダースはメルダーのところまでぐい、と近付くと彼が言葉を発する前にその唇を塞ぐ。数秒の後に小さくリップ音を立てて離れる。メルダーの顔は熟れたリンゴのように、真っ赤に染まっている。自分の行動が予想外だったのだろう。目をぱちくりとさせている彼に対して内心でしてやったり、と優越感に浸った。


「これで満足ですか?」


 とどめに一言喰らわせてやれば、幸せそうに頬を緩めたメルダーが答える。


「はい、大満足です。いってきますね!」

「……ええ、いってらっしゃい」


 メルダーの背中に言葉をかける。ボスの執務室に向かうには少々時間が早すぎる。その前に少しだけ、と書類整理を始めるヴァダースであった。

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