第八十節  君ありて幸福

 非番だったその日、ヤクはスグリに誘われ外出していた。正式に防衛軍に所属してからの、久々の休日。任務漬けの日々から解放されたひと時は、ヤクの心に安寧をもたらしていた。

 学生時代に通っていたカフェでお茶をしたり、本屋で新刊の魔導書を購入したりと、有意義な時間を過ごせたと思う。

 そしてその日の終わりに、スグリからいい場所があると案内された高台に到着する。そこは大通りから少し離れた閑静な場所にあり、見下ろせば街の景色を一望できる展望台となっていた。頬を撫でる風は心地よく、安心感さえ覚える。


「こんな場所、良く知っていたな」

「ああ。昔、ルーヴァさんに教えてもらったんだ。何かあった時はよくここに来て、色々考えてたもんだ」

「……そうか」


 さあ、と風が吹く。少し間をおいてから、スグリが話しかけてきた。


「……この間、孤児院に行った。そしたらレイに頼まれたんだ。弟子入りの説得を手伝ってほしいってな」

「今日の外出の本題はそれか」

「まぁな。でもお前と出かけたかったのも本当だ。ここ最近忙しくて、こうやってゆっくり話せる機会もなかったからな」


 彼の言葉に、仕方ないとため息を吐く。とはいえ、スグリの話す内容には気が重くなるというもの。

 レイの弟子入りについては、何度も駄目だと断っていた。だと言うのにレイの諦めの悪さには、正直辟易させられていた。

 子供の向上心は大事にしてやりたいというのは、自分とスグリの共通認識だ。だから学園の話をしたとき、入学したいと言ったレイの気持ちを汲みしてミズガルーズ国立魔法学園中等科の入学を許可した。強くなりたいと思うのは、年ごろの子供ならば誰でも思うことだからと。ただしそれ以上のことを、よりにもよって自分に教えてほしいだなんて言われるとは思わなかった。


「やっぱり、弟子入りは無理か?」

「ああ、無理だ。……あの子が普通の子供であったなら、よかったのだがな」

「なるほどな。お前が意固地になる理由が、ようやくわかった」

「っ……」


 彼の自分への弟子入りは、認められるものではない。レイが弟子入りするということは、魔術の──マナの扱いを習得するということ。レイが必要以上にマナの扱いになれるのは、ヤクとしては避けたいところなのだ。

 何故なら、レイは普通の子供ではなく"戦の樹"なのだから。


 戦の樹。世界樹の中で数百年単位で成熟し、産み落とされる原初の人間の子孫。世界の危機を知らせるために世界樹に造られ、女神の巫女ヴォルヴァとなることが運命づけられている存在。

 そんな彼がマナの扱いに慣れてしまうということは、それだけ女神の巫女ヴォルヴァの力を解放する可能性が高くなるということ。そしてレイが女神の巫女ヴォルヴァとして覚醒したとして、後に待っているのは確実な死だ。


「マナの扱いに慣れたことで、万が一あの子が女神の巫女ヴォルヴァとして覚醒してしまったらと思うと……。とても、師事することなどできない」

「怖いんだな」

「当たり前だ!私のせいで、あの子の未来を潰したくはない……!」

「……そうだな。お前の気持ちも分かる。レイはまだ何も知らない子供で、選べる未来がある。その未来を決め付けてしまうようなこと、したくはないよな」


 そう、彼には彼の未来がある。自分の未来を選べる選択権は、その人だけのものだ。それを他者が──女神でさえも、決めつけていいものではない。


「……でもな、ヤク。だからってレイの何もかもを抑圧していい権利は、俺たちにはない。それはわかるだろ?」

「それは……」


 痛いところを突かれた。反論の余地がない彼の言葉の前に、口を噤む。

 そんな自分に言い聞かせるかのように、スグリが続ける。


「たとえマナの扱いが上達したからって、必ずしも女神の巫女ヴォルヴァに覚醒するわけじゃない。それにレイのことは二人で守るって、約束しただろ」

「そんな楽観的な……」

「女神の巫女ヴォルヴァに覚醒することだって確定事項じゃない。考えすぎて思考に囚われるなんて、それこそ世話のない話だ」

「だが……」


 たとえスグリの言葉通りに、女神の巫女ヴォルヴァの力が顕現しなかったとしても。可能性が少しでも残っていると考えると、不安が払拭されることはない。

 言葉が思い浮かばず言い淀んでいたところに、スグリが肩に手を置く。


「とはいえ、最終的に決めるのはお前だ。レイには説得を手伝ってほしいって言われたが……。俺が出来てやれるのは、お前にあまり一つの考えに固執するなってアドバイスするだけだからな」

「……まぁ、善処はする」

「そうしてくれ。ただまぁ、弟子入りしたい本当の理由を話しているレイの姿は、昔のお前とよく似ていたぞ。ルーヴァさんに恩返ししたいって言ってた、お前とな」


 だから、まずは話を聞いてやれと。

 その言葉に一理あると考え、次の非番に久方ぶりに孤児院に行くことにした。


 ******


 スグリと外出した日から数日後の非番の日。

 最近は随分とご無沙汰だった孤児院に赴いたヤクはまず、子供たちから遊んでほしいという歓迎の攻撃を受けることになった。スグリよりここに来る頻度が低いせいもあってか、子供達のなかでは自分と遊べることが貴重なこととなっているらしい。ゆえに息を吐く暇もなく、右から左から次々と子供たちから要望が飛び交ってくる。これは子供たちを遊ぶだけで一日が潰れてしまいそうだ。そう苦笑しつつも、この忙しなさは悪くないと思えた。


 子供たちの相手がようやく一段落したのは、陽が大分傾いた夕方時だった。文字通り子供たちに引っ張りだこにされながら過ごした一日は、防衛軍で訓練や任務に赴いた時とはまた違った忙しさがある。

 そんな風に独り言ちていたところに、目的の子供レイが現れた。食堂の入り口からひょっこりと顔を出し、おずおずと自分に話しかけてくる。


「ヤク、今ちょっと……いい?」

「ああ、構わん。私に話があるのだろう?」


 スグリから聞いたことは伝えずに、レイの反応を見る。

 特段怒っているわけではないのだが、レイはどこか遠慮がちに近付いてきた。恐らく、また弟子入りの話をして断られると思っているのだろう。そう考えるのも仕方ないと言えば、まったくその通りだ。とはいえ、今日はそれだけではないのだと予めわかっている。まずは彼にその旨を伝えねばならない。


「ここ最近ここに来なかったのは、私自身が忙しかったからだ。別にお前の話を聞きたくないというわけではないから、安心しなさい」

「本当?」

「嘘は言わん」

「よかった。俺、嫌われたのかと思った」

「馬鹿なことは考えなくていい。さて、話があるなら聞くぞ。悠長にしていては、夕食の時間と被ってしまう」

「うん!」


 懸念している様子ではない自分であると分かった途端に、持ち前の明るさと元気を取り戻すものだから、まったく現金な子供だ。向かい合うように座ってから、それでと話をするように促した。

 レイは最初に、先日スグリから話を聞かされたことを語る。強さの種類やそれに伴う善悪のことを、スグリはかなりわかりやすくレイに教えていたらしい。その話の中でレイは、誰かの助けになれる魔術師になるために強くなりたいと考えたそうだ。


「助けてもらって、色んなことをヤクから教えてもらって、思ったんだ。俺も、ヤクみたいに誰かを助けられる人間になりたいって。それで、最初は自分が大好きな人たちにありがとうって恩返しがしたいんだ」

「そうか。ただ、強くなることと恩返しに、なんの接点があると思っているんだ?」

「えっと……たとえば、ここの孤児院が困っていたら、手を伸ばして助けてあげられる。今まで俺を大切にしてくれたから、今度は強くなった俺が守るんだって」


 上手く説明できない、とレイは困惑の表情を見せながらも自分の意見を述べる。その姿を見て、スグリの言っていたことが理解できた。

 確かに、似ている。ずっと守られていたばかりだったが、誰かを守れる自分になりたいと強く思っていた、あの頃の私に。


 ……ルーヴァさんも、私やスグリから学園や士官学校に通いたいと言われた時は、こんな気持ちだったのだろうか。不安はあれど、子供の成長を微笑ましいと思える、優しい気持ちに。

 本当は自分が思う幸せだと思う人生を送ってほしいが、それは育てる人間側の勝手であって、押し付けるべきではないもの。それを理解しているつもりだったが、どうやら育ての親として自分は失格らしい。視野が狭いとスグリに指摘されても、致し方あるまい。そもそも子供は、自分たちの思うように成長するわけではない。だが、だからこそそれを見守り、導くことは尊い。


(そういうことなんですよね、ルーヴァさん……)


「お前の考えは分かった」

「うん。だから、えっと……俺を弟子にしてください」


 お願いしますと、レイが頭を下げる。

 正直、今でも怖いことには変わらない。この子に魔術を教えて、それがきっかけで女神の巫女ヴォルヴァとして覚醒する可能性は、ゼロとは言えない。それでも、そんな私を支えてくれるスグリがいる。一人ではない。だから──。

 レイの頭に手を置き、優しく撫でる。


「私の課題は、厳しいぞ。そうそう免許皆伝を与えられると思うな?」


 そう答えを告げる。ヤクの言葉に、ばっ、と顔を上げたレイの目が輝く。


「そ、それって……!」

「ああ。お前の弟子入りを認めてやろう」

「……!ありがとう、!!」


 何処でそんな呼び方を覚えたのやら。妙にこそばゆい感覚に、小さく苦笑するヤクであった。


 ******


 それから一年が経ち、ヤクとスグリは二十歳になった。防衛軍で様々な実績を積み、成績を残していった結果、二人は史上最年少で各部隊の部隊長に任命されることとなった。防衛軍に所属してから僅か二年ということもあり、最速記録も更新してしまった時はさすがに驚愕したことを覚えている。

 就任式は明日行われる予定だ。だがその前にと、ヤクはある場所へ赴いていた。その場所は、国が管理している共同墓地の一角。そう、ルーヴァが眠っている場所だ。


 ルーヴァの墓には今も花が供えられている。ヤクも同じように用意してきた花を供え、祈りを捧げようとした。


「やっぱり、お前もいたか」


 背後から聞こえてきた声に振り替えれば、自分と同じように花を携えたスグリの姿が目に入った。どうやら、考えていたことは同じだったらしい。スグリが花を供えるのを見届けてから、共に祈りを捧げる。


「ルーヴァさん。今日は報告があるんだ。俺たち、部隊長への昇進が決まったんだ。明日が就任式で、今日はその前準備があるんだが……。その前にどうしても、ルーヴァさんに伝えておきたかったんだ」

「なかなか来れなくて、申し訳ありません。でもこれでやっと、貴方と同じ舞台に立つことが出来ました。貴方から受け継いだ知恵を活かして、これからは私たちも貴方みたいに国を、国民を守っていきます」


 ここまで成長できるまで、本当に長い時間がかかった。弱くて力のなかった自分たちがこんなにも強くなれたのは、ルーヴァの力に他ならない。今でも感謝している。

 でも恩返しがまだできていない。貴方はもう空の向こうに逝ってしまったけれど、貴方が生きたこの世界の平和が、これからも続くように守り続けていくこと。それが貴方への恩返しでも、いいですか?

 二人の言葉に応えるかのように、一陣の風が吹く。応援しているよ、なんて声が聞こえてきそうな気がした。


 第四話 END


 Fragment-memory of lilac- Fin

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