第五十三節 孤独

 孤児院を後にして、士官学校の宿舎に戻ってきたスグリとヤク。一通り荷物を片付けた後、明日の座学の予習でもするかと考えて提案したスグリだが──。


「……すなまい、私は実技の自主練習に行ってくる。明日の予習をしておきたい」


 ここのところ、ヤクは何かを一人で抱え込んでいる。レイと話していた時は、以前のように笑顔も見えていたのに。今の彼はまるで、あの時と同じだ。初めて出会ったときに見せていた、周囲の人間が信じられずに恐怖している状態。本当なら、この場で殴り倒してでもその理由を聞きたい。

 しかし一昨日──レイと初めて出会った日──の夜、ヤクから謝罪の言葉を投げられた。あの謝罪には、自分は悩みを抱えているがそれを告げることはできない、という意味が込められている気がした。自己解釈するならばそれは、拒絶を意味しているのだろうか。なんにせよ、ヤクはそれらを自分に語るつもりは今のところはないのだと思わせるには、十分な言葉だった。ならば今ここで引き留めても、きっと無駄なのだろう。


「……あんまり無理はするなよ」

「わかっている……」


 それだけ告げられると、ヤクは己の武器を手に部屋を出てしまった。閉じられたドアをしばらく見つめながら、一人考える。いったいいつから、自分たちの間で擦れ違いが起きてしまったのだろう。いったいいつから、彼の笑顔が消えてしまったのだろう。ほんの数ヶ月前の、笑いあっていた自分たちが、今はもう遠くに思えた。

 一つため息をついて気分転換のつもりで座学の予習を始めたが、どうしてもペンが止まる。


 今まで自分は、衝突もしたがヤクを支えていたつもりでいた。それは彼がたった一人の幼馴染ということもあるが、彼は庇護の対象であると強く感じていたから、という理由もある。自分とは違い厳しい環境下で育てられ、実験動物として身体も心も壊された彼。そんな彼を守りたい、どんな脅威からも救いたいと。自分がヤクを守らなければ、誰が彼を守るのかと。


 見返りを求めているわけではない。感謝してほしいわけでもない。ただ、自分の隣で笑っていてほしいだけ。それがたった一つのスグリの本心なのだ。


 肺に溜まった濁りを吐き出すかのようにため息をついて、ちらりと壁にかけかけてある時計を見る。ヤクが自主練習に行ってから既に四時間が経過しようとしていた。いくらなんでもオーバーワークになる。スグリは座学の予習を切り上げて、いつも自分たちが自主練習をしている場所へ向かうことにした。


 いつも自主練習をしている場所は、グラウンドの近くにある林の中の一角だ。適度に広さもあり障害物もあるので、練習するにはもってこいの場所である。士官学校に入校して数日経った頃に偶然その場所を見つけ、二人でここを自主練習用の場所にしようと決めたのだ。

 そこにいるだろうと考え歩いていると、やがて奥の方から彼の声が聞こえてきた。夜風とは違う冷たい空気は、それがヤクが放出しているマナであるということを証明している。ただ、普通に迎えに行ったところで追い返される可能性もある。少しだけ気配を消して、物陰から様子を窺ってみることにした。


 目の前には、自主練習をしているヤクがいた。主にステップの練習をしてるようだ。不規則に浮かんでいる球体が発光した瞬間に弱めの攻撃術を発動して、それを破壊する。その直後に、また別の球体が発光して、破壊される。この繰り返しだ。

 一見すると単純な動作の繰り返しだが、発光するタイミングを速めることで、自身の反応速度を上昇させる練習になるのだろう。こんな練習を四時間も繰り返しているのか、彼の執着めいた動きに一種の恐怖すら覚える。


 これ以上は、自分が見ていられなくなってしまう。スグリは手中に風のマナを編み込んで球体を作り出し、ヤクに向かって投擲する。不意打ちのような攻撃だったが、ヤクはそれに反応して見事に打ち抜いた。

 しかし感触がこれまでと違っていたからか、一度顔を上げてスグリがいる方角を見た。肩で息をして、顔から汗が噴き出しているところを見る限り、やはり一度も休憩を取っていなかったのだろう。スグリはため息をついて、物陰から姿を現す。


「始めてからもう四時間も経ってるぞ。いい加減休まないと、明日に響く」

「四時間……?」

「その様子じゃ、一度も休んでないんだろ。そんな急ごしらえで練習を重ねたって、いいことなんか何一つない。わかってるだろ?」

「しかし……私は、強くならなければならないんだ……今よりも、もっと」

「それで倒れたら元も子もないだろうが」

「やりすぎなんてことはない……これでもまだ足りないくらいだ……!」


 ヤクの頑なな態度に、いい加減苛立ちが募る。こちらにも、我慢の限界というものがある。そちらがそのような態度を取るというのなら、こちらも強行突破させてもらおうとスグリは心に決めた。ヤクの胸ぐらを掴んだスグリは、怒りの表情を隠すことなく恫喝した。


「お前、ふざけんじゃねぇぞ。こっちがずっと黙っているから大丈夫だと思ってんのか?……何様のつもりだ!」

「ちが、私は逃げてるつもりなど……!」

「逃げてるだろうが!こっちが何度聞いてもはぐらかすだけで、何も言わないで!今だってそうだ。俺が何も聞かないことに甘えるのも、いい加減にしろ!!」

「っ……!」

「そんなに信用ないってか?そんなに俺は頼りないってか!?」

「ッ、違う!そんなんじゃない!お前を信用してないわけじゃ──」

「だったら大人しく白状しろ!今日ばかりはもう許さねぇ。正直に吐いてもらう!」


 一気にまくしたてるように啖呵を切って睨みつければ、ヤクはとうとう観念したのだろう。やや時間を要してから、弱弱しくわかったと告げられる。彼の答えを受け取ったスグリは胸ぐらから手を放し、ため息を一つ吐く。


「……今の言葉、聞いたからな」

「……ああ……」

「風邪をひくと悪いから、先にシャワー浴びてから部屋に戻ってこい。……いいか、逃げるなよ」

「わかっている……。二言はない、から……」

「なら一度、宿舎に戻るぞ」


 スグリの言葉に素直に頷いたヤクと共に、一度宿舎に戻る二人。帰り道は一緒に歩いたが、二人の間に会話はなかった。そのまま宿舎の玄関に到着すると、ヤクはシャワー室のある方向へ、スグリは自分たちの部屋がある方向へと歩き出した。


 部屋に戻ったスグリは明かりをつけて、自身の机に広げたままにしてあった座学の教科書類を片付ける。感情を抑えられず、恫喝なんて真似をしてしまった。そのことに反省はしているが、あの時あの行動に出たことは後悔していない。

 もしあのまま妥協するような行動に出てしまっては、また何かしらの事実を隠されてしまうと考えたのだ。無理矢理にでも、ヤクに話を吐かせるように態度に示す必要があった。今更ながらに自己嫌悪に苛まれるが、仕方のないことだと飲み込む。


 数分後。シャワーを浴び終えて訓練着から就寝時の服装に着替えたヤクが、恐る恐ると言った様子で部屋に戻る。椅子に座って彼を待っていたスグリは、首を振って椅子に座るようにヤクに指示した。おずおずと椅子に座るも、しばらく沈黙が流れる。このままでは埒が明かないと考え、話を切り出す。


「それで?なににそんな切羽詰まっているんだ?」

「っ……」

「おい、言ったよな?話をするって言葉に二言はないって。ここまできて嘘を吐くつもりか?」


 ヤクの煮え切らない態度に怒りの渦が腹の中でうねりを上げそうになるが、それを自制心でなるべく抑えつける。嗜めるように言葉を投げれば、やがて意を決したようにぽつぽつと語る。


「……お前は、今から話すことが夢の話だったとしても……信じてくれる、か?」

「夢の話?」

「……昨日、レイを寝かしつけた後……。夢を、見たんだ──」


 それからヤクは、予想とはかけ離れた話を始めた。いわく、成長した姿のレイが夢のに出てきたと。いわく、レイも含めて自分たちは何かと戦っていたと。いわく、その戦闘中に目の前でレイが殺されてしまったと。

 その夢を見て、ヤクはひどく恐怖したのだと語る。震えている己の手を見下ろしながら、その時に見た光景が忘れられないと告白する。


「成長している姿だったとはいえ、自分より年下の子供が目の前で殺されたあの瞬間……心臓が握り潰されたような気がした。夢のことだと何度も忘れようとした、所詮は夢の中の出来事だと言い聞かせようとした。けど、駄目だった……!」


 そう言うとヤクは己の腕を抱え、まるで何かから守るかのように背を丸める。話を続ける彼の声は震えていて、それが演技ではないことがひしひしと伝わってきた。


「何の面識もない、ただ自分と境遇が似ているというだけで知り合いでもない。それでもその日に出会った子供が目の前で死ぬ夢を見た、だなんて……怖くて言い出せなかった……!」

「そうか……」

「その夢が現実になってしまうかどうかわからない。ただの夢でしかないかもしれない。ただ、あの夢を実現させたくない……!」

「じゃあお前は……レイを守るために、強くなりたかったのか?」


 そう質問を投げかければ、こくりと首を縦に振った。ヤクの異常なまでの訓練の原因がわかり、しかし最初にスグリは大きくため息を吐いた。そうか、一言呟いてからスグリはヤクを守るように抱きしめる。


「……この、大馬鹿野郎」

「スグリ……?」

「確かに最近のお前の言葉は信じられなかったけど、怖いことがあるなら一人で抱え込むなって何度も言ってるだろ。それにレイに関しては、俺だって無関係じゃないんだ。今度からは、絶対に俺に相談しろ」

「っ……ごめん、なさい……!こわ、かったんだ……!」

「もうわかったから」


 落ち着かせるように片手で背中を、もう片方の手で頭を撫でれば、ヤクは縋るようにスグリに抱き着く。かたかたと肩が震えているところを見ると、今の話に嘘はないと確信する。しばらくの間、スグリはヤクを慰めるのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る