第二十八節 心の安らぎ
何が起こったのか、ヤクはすぐに理解できなかった。唯一理解できたのは、ルーヴァが片腕で己を守るように抱き、空いているもう片方の手で何かをかざしているということだけ。いったい何が起きたのだろうか。そんなヤクの混乱はいざ知らず、ルーヴァは目の前にいた男たちに向かって冷静に言い放つ。
「未成年者誘拐の現行犯で、お前たちを拘束させてもらった。大人しくこちらの指示に従うんだ」
「んな……!?て、てめぇは……!」
「まさかてめぇ、"海風の札使い"か!?」
「黙ってくれるかな。抵抗するようなら、こちらも容赦しない」
底冷えするようなルーヴァの声に、ヤクは恐る恐る前方に視線を向ける。何が起きたのか理解しようとするためだ。そして目の前の光景に、ヤクは思わず言葉を失う。
目の前の男たちは鎖のようなもので体を拘束されていた。なおかつ、その鎖の先は地面に突き刺さり、身動きを完全に封じている。そしてその鎖は、ルーヴァがかざしている札のようなものから出現していたのだ。
男たちはやがて自分たちの不利を悟ったのか、抵抗をやめて大人しくなる。その様子を確認したルーヴァは、近くにいた衛兵を呼ぶ。次に鎖の形状を小型のものへと変化させたと思ったら、ヤクを連れ去ろうとしていた男たちの手首をそれで拘束した。
その場はちょっとした騒ぎとなっていたようで、いつの間にか数人の通行人がこちらの様子を遠巻きに見ていたことに気付く。ルーヴァは自分が呼んだ衛兵が男たちを連行した様子を確認してから、ヤクに向き直る。その表情は先程の男たちに向けていた冷たいものではなく、いつもの優しい彼の笑顔だ。
「……もう大丈夫だよ。怪我したところはないかい?」
「あ、はい……」
「そうか、よかった。それにしても、どうして一人で?孤児院のみんなと一緒じゃなかったのかい?」
「え、と……帰る途中で、はぐれて……。迷子になった時はこのリボンがあるから、あまり動かない方がいいかなって、それで……」
「なるほど、リゲル院長たちが見つけてくれるのを待っていたわけだね?」
彼の問いかけに一つ頷く。自分が一人でいた理由に納得した様子のルーヴァは、ヤクの頭に手を置いてから、もう一度大丈夫だよと微笑みかけた。その直後、人込みをかき分けてリゲルがヤク達の前に現れた。リゲルたちを視界に捉えたヤクは、そこでようやく安心感を覚える。リゲルや、ともに来てくれたスグリはヤクとルーヴァを見ると、ほっと表情を和らげた。
「ああよかった、見つかって。無事だったんだなヤク」
「はい。その……心配かけて、ごめんなさい……」
「いいんだ、こちらこそ心細い思いをさせて申し訳なかった」
「大丈夫か?怪我してないか?」
「うん。スグリも、心配かけてごめん」
「俺のことは気にすんな、大丈夫だから」
彼らとのやりとりで、ヤクにも笑顔が戻る。その様子を見て大丈夫だと判断したのか、ルーヴァはリゲルに挨拶をした。
「じゃあリゲル院長、あとはよろしくお願いします」
「ああ。こちらこそ、ヤクを保護してくれてありがとう。助かった」
「これが僕の仕事ですから。じゃあ二人とも、僕はまだ仕事があるからもう行くね。夕方には孤児院に迎えに行くから、夜は一緒に楽しもうね」
「わかった。お仕事頑張って!」
「えと、ルーヴァさん。助けてくれて、ありがとうございました」
二人の言葉に片手を軽く上げ、笑ってから踵を返すルーヴァ。その後ろ姿を見ながら、ヤクの心の中である思いが芽生え始めていた。力ない自分と違って己の力で敵を圧倒し、弱きを助けるその姿。その背中があまりにもかっこよく、そして羨ましいと強く感じた。あんな風に強くなれたら、あんな風に自分の力を思うように使いこなせたら、どんなにいいだろう。思わずぽつりと、言葉を零す。
「……あんな風に、なりたいな」
「ヤク?なんか言ったか?」
「え?」
不意にスグリに話しかけられ、上の空だったことに気付かされる。ヤクの心ここにあらずな様子を見たせいか、スグリはもう一度確認するかのように声をかけた。
「本当に大丈夫か?やっぱりどこか痛かったり、怖かったり……」
「ううん、違うよ。僕は大丈夫」
「本当か?」
「うん。なんともないよ、ごめんなさい」
「いや、お前が大丈夫ならそれでいいんだけどさ。何かあったら言えよ?」
「ありがとう、スグリ」
「さぁ二人とも、まずは帰ろう。みんなも心配しているだろうからな」
話しかけてきたリゲルの言葉で、そういえば今の今まで迷子になっていたということを思い出したヤク。今度は離れないようにとリゲルの手をしっかり握りながら、三人で孤児院まで帰るのであった。
******
その日の夕方。約束通り仕事を終わらせ、ヤクとスグリを迎えに来たルーヴァと共に、鮮やかにライトアップされていく街へと繰り出す。商店街通りには様々な露店が展開されている。時間帯が夜になっていくにもかかわらず、そこにはまだ多くの人だかりがあった。離れないようにと、ヤクとスグリは彼の手をしっかりと握る。
お祭りでにぎわっている街に三人一緒のお出かけということで、ヤクもスグリもその雰囲気にテンションが上がる。目をキラキラとさせ、露店が並んでいる商店街通りを練り歩く二人の姿に、ルーヴァも楽しそうだ。
「すげぇ、いろんなのがある!」
「うん。楽しい……!」
「それはよかった。じゃあまずは、腹ごしらえに何か食べようか」
「食べたい!」
「僕も食べたいです」
ルーヴァの提案に賛成した二人は、それぞれ気になった露店で夕飯を購入してもらうことに。スグリはタレがきらきらと輝いている牛肉の串焼きを、ヤクは香ばしい香りのバター醤油味の焼きトウモロコシを、そしてルーヴァは焼きたてのソースの匂いに食欲がそそられる焼きそばを手に持つ。
飲食可能スペースまで向かい、三人一緒に座れる席を見つける。まずは一息つき、三人は露店で購入した夕食を食べることにした。
「いただきます!」
「いただきます」
「うん、いただきます」
食事前の挨拶をしてから、ヤクはまだ温かい焼きトウモロコシにかぶりつく。ぷちっと弾けたトウモロコシの粒からじわりと溢れた汁から、焼かれた醤油の香ばしい味わいが口内に広がる。さらに噛めば噛むほど醤油の味わいと共にまろやかなバターの甘みも行き渡り、ただトウモロコシを焼いただけのはずが、大いにヤクの口を楽しませていた。そして鼻を掠めるのは、いい塩梅に焦がされた醤油の香り。
今まで感じたことのない味に、一口で焼きトウモロコシの虜になったヤクである。自然と笑みがこぼれた。
「美味しい……!」
「俺のも美味い!……なぁ、そっちも一口食べてみていい?」
「うん。でも、僕もそっち食べてみたい」
「もちろん!ほら、美味いぞ」
スグリから手渡された牛肉の串焼きを手に持ち、一口。噛み応えのある牛肉は噛めば噛むほど肉汁が溢れ、絡まっていた甘めのタレと肉の脂が口の中で混ざり合う。刺激の少ない甘めのタレは肉の脂を包み込み、全体の味をまろやかに整えている。
「こっちも美味しい……!」
「だろ?でもこの焼きトウモロコシもうっまい!」
「二人だけで楽しんでずるいな、僕も混ぜてほしいよ」
「うん!ルーヴァさんのも食べてみたい!」
わいわいと楽しいひと時を過ごす一行。腹ごしらえを終えた三人は再び商店街通りへ向かい、今度は簡単なゲームをしている露店へと向かう。魔力の弾を込めて撃つ射撃や、輪投げなどの簡単なゲームから、特殊な加工が施された板に切り取り線が施されていて、その線通りに板をくり抜けたら景品がもらえるようなものまでと、普段はなかなか体験できないようなゲームまである。
心行くまで遊びつくした一行。しかし楽しい時間はあっという間というもので、もう帰らなければならない時間が来てしまう。
「さて、もう帰らなきゃだね」
「え、もう帰らなきゃダメなのか……」
「もっと遊びたかったです」
「うん、そうだね。でも帰らないと、リゲル院長が心配しちゃうから。大丈夫、お祭りは何も今回だけじゃないんだから。また来年も、三人で一緒に来よう」
「約束、してくれる?」
「もちろんさ」
ルーヴァの言葉にそれならまた来年と約束を交わし、大人しく帰路につく。
そして孤児院に到着してすぐに、ヤクとスグリは一気に眠気に襲われる。どうやら自分たちが思っていた以上に、体の方はとっくに疲れていたみたいだ。
帰ってからもまたルーヴァと色々話したいと思っていたが、のしかかる眠気に敵いそうにない。うつらうつらと船を漕いでいる二人は、ルーヴァに声をかけられながらどうにか部屋まで辿り着く。ベッドに沈み込めば、もはや抵抗も空しく二人は一瞬で眠りにつくのであった。
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