10-4『秘書Sと奴隷オークション』
僕は司会者を追い続けていた。
匂いもなく光の少ない廊下の中、タンタンと足音を二つ鳴らしながら、二人と一人、タイルの床を走っていく。
「くそっ…くそっ!くそっ!」
目の前を走る司会者は、被害者の入った荷台を走らせ、僕から必死に逃げていた。
「逃げねぇと…逃げねぇと殺される!あいつに……奴に!」
ハァハァと息を切らしながら走る司会者。
先ほどまでの狡猾的な饒舌さのある言動は、もう微塵も感じない。
ドン!ドン!
自分が売られることへの恐怖からか、運ばれている少年がガラスをがむしゃらに叩いている音が、同時に響いていた。
「うるせぇ…うるせぇうるせぇ!!ちょっとは黙れよ糞ガキがぁ!!」
ダァンッ!
苛立ちで少年の口を紡ごうと振り上げたその右腕を、僕は弾丸で貫いた。
「うぐっ!!」
腕から鶸茶色をした血が勢い良く吹き出すと共に、司会者は痛みで腕を抑えながら、少年の入った檻と共に地面に転がる。
ようやく、足を止めることができたか…。
人を撃つ罪悪感は背後霊と共に染み込んでいるが、僕よりも未来があるはずの少年を見殺しにしたくない一心で、僕はその邪魔な感情を圧し殺していた。
「その子を渡せ…っ!」
司会者に銃を向けながら、僕は被害者の解放を要求した。
遠目からだからわからなかったが、瞳孔狭めのつり細目で、なかなかの悪人面をしている。
「くっ……糞が…男の癖にピンク色つけやがって…」
その上こんな事を言いやがるもんだから、さらに嫌な奴に感じてきた。
「ピッ……!ピンクじゃない、マゼンタだ!」
くそっ…僕が地味に気にしてることまで突っ込みやがった…。
今すぐ弾丸を脳天に撃ち込んでやりたいが、このまま殺してはスプリミナルの規約に引っ掛かる。
とりあえず、あくまでも奴が受け渡した上で、確保できるかを探らねば……。
「ハッ!こんなやつを救ってなんになる…?生かしておいても、こいつはてめぇみたいに誰かを殺す事になるだろう…?」
急に彼が口に出した言葉が僕の正義感に引っ掛かった。
「なに…?」
「人間ってのは傲慢なクズだ!自分たちと違う形を嫌がり、しまいにはそんな訳わかんねぇ能力まで身につけやがって!」
非常口の明かりが点滅し、司会者の口からは、次々に悪態が溢れだしてくる…。
「その点、俺はなんだと思う?国によっては神の扱いを受ける種族…スカラベだ!貴様らみたいななんよ特別感も価値もねぇ奴に!俺を止める義務なんかな…」
ダァンッ!ダァンッ!
「ぐっ!あぁぁっ!」
微かな灯りに蝿は焼かれ、司会者の身体からは血が吹き出した。
激怒を必死に抑えつけたから、こいつの両足に一つずつ弾丸を撃ち込む迄で済んだ…。
だが…それでも、僕の中からその怒りが消えることはない。
「ふざけんじゃねぇよ……」
久々だ、自分以外の人に、腹が立ったのは…。
「幾らこの世界に置いてのカーストが上だと思っているからといって……僕はお前みたいに、別種を蔑んで、生き殺しにさせるような人間じゃないっ!」
上部だけ清潔な渡り廊下に、僕の怒声は響き渡った。
「じゃ…じゃあ、警察はどうなんだ!人間が俺らを捕まえて!収監して!それこそ生きごろ…っ!」
奴がまた僕を怒らせるよりも前に、傷ついたに力強くプリズンシールを刺した。
「それを悪人が喋るな……」
パンッ!
独特な破裂音がすると共に、奴の身体はその掌サイズの監獄のなかに格納された。
非常口ランプの明かりも、プツンと音を立てて消える。
熱湯のようにぐらぐらと沸き立っていた苛立ちは、奴を確保したタイミングで少しずつ治まり始めてきた。
だが、この組織があの子を邪険に扱ったこと、そして彼に罪の意識がなかったこと、そのどれもが、未だに怒哀として染み込んでいる。
この染みが落ちることは恐らく無いだろう。
罪のない人間を、自らの利益がために貶めるなんて間違ってる。
ましてや…こんな年齢の……。
「……なに言ってんだよ…」
他者の行動を卑下すればするほど、自分自身が愚かに思えてきた。
罪のない人間を、自らの利益がためになんて間違ってる?
そんなの…僕が言えた義理じゃないだろう…。
罪のない人々に詐欺を繰り返して…それを自分の資金にして…。
「あぁ……バカかよ…僕は…」
片手で軽く頭を掻き、自分に染み付いた罪を引き剥がそうとするが、そんなもので、その罪悪感が消えるわけがない。
自分のしでかした罪から目を反らすようなことをするな。
そう言って、背後霊にバカにされたような気がした。
「…あっ、そうだ!あの子を!」
自分の罪悪感に苛まれていた所で、この任務に置いて一番大切なことを思い出した。
僕は彼を確保したプリズンシールをポケットにしまいながら、急いで放置されていた球体の檻に近づいた。
「鍵…鍵……」
中にいる男の子がドンドンと檻を殴って鳴らす中、僕は必死にその檻に鍵穴やヒビ等の綻びがないかを探った。
しかし、いくら探して見ても、このA玉のようにつるつるの球体からは、そのような物は一つも見あたりない。
どうやら、これは一般的な方法で開けられるようなものではなさそうだ。
恐らく、商品にする人間やリージェンを中に入れて、水晶のような形に溶接してあるのだろう。
音を吸い込む特殊なガラスで作られていて、男の子の声は全く聞こえてこない。
早く彼をこの鬱屈とした空間から出してあげないといけないけれど、試しに強く殴ってみても傷ひとつ付かない。
銃で撃つという手もあるが、仮に割れたとしても、この子に怪我をさせる可能性があるから使えない…。
僕の能力は、赤城さんみたいに火で炙ったりもできないし、あおいちゃんみたいに重力で割ることも無理だから、…。
「くそっ!」
やけくそにアーツで何度か殴ってみても、ガラスには傷すらも付かない。
それどころか、打撃の反動が大きいから、こっちの腕が壊れてしまいそうだ…。
このままじゃダメだ…。
じゃあどうするんだ…?
なにをすればここから彼を出せる??
この組織に入ってから、いつも頭をフル稼働させられるから、即座に対策を考える位には慣れてきたが、まだまだ時間はかかるのだ。
溶接後も見当たらない上に、割れない最強の檻。
自分が持ってるのは、ルストロニウム性、アーツ銃と、無効化の特異くらい…。
無効化って言っても、こんな所でなにを無効化すれば良いんだそもそも…。
無効化…ん?
「…そうだ!」
特異点を利用して、このガラス自体を攻撃だと意識すれば、高坂沙羅のように物質自体を分解できるのでは?
そうだ…高坂だってあくまでも『封印』から応用できるのだから…僕だって……。
「よし…」
そうと決まれば、実践あるのみ。
僕はそっと、自らの手を玉の監に置いてみた。
内部からも外部からも叩いた影響からか、少しぬるい。
まずは深呼吸をして、集中しろ…。
これは攻撃だ、これは攻撃だ。
僕を倒そうとしてしかけた大きな爆弾だ。
爆弾の中には、罪のない人間がいる。
解体せよ…解体せよ…。
このくそったれなごみ屑を、割り捨ててしまえ……。
……。
「さすがに無理かぁ……」
手を離して地面に腰を落とす。
いくら特異点だからと言っても、やはり僕には高坂のような無効化の応用が全然できていないようだ…。
しかし、だからと言ってこのまま彼を出さないわけにはいかないし、この中に酸素が供給されてないと仮定されたら……。
"打つ手がない"って決めつけるのが早いのもわかってる。
でも、もうすればこれを壊せるんだ…。
なにか…僕よりも強くて、固い素材でも壊せそうな物があると良いんだが…。
あぁ…やっぱり、ここは僕なんかじゃなくて瀬田くんみたいな先輩の方がよかったんじゃ……。
「……あっ」
◆
先輩というワードで、僕はふと思い出したことがある。
確か今日の昼頃、まだ会社にいた時の事だ。
あの後、水原くんも出社してきたが、それからは特に山も谷も他愛すらもない、事務的な仕事を淡々としているだけだった…。
「すみません、先に仮眠取らせていただきますね」
「はーい。僕も後で行きま~す」
深夜に仕事をするため、瀬田くんと僕は仮眠を要されていた。
仕事をするのが早い瀬田くんは先に仮眠室に行ったが、未だ新人の身の僕はもう少し時間がかかったのだ。
「そういや今日、夜勤だったね」
その時、話しかけてくれた水原くんは、書類やキーボードではなく、様々な占い道具を広げていた。
「うん…ちょっと怖いけど…まぁ頑張んなきゃね」
「そう…。まぁ、大きな事故にならないことを祈るよ」
いつも通り、ちょっとそっけなく返す水原くん。
相変わらず、相手に対して何を思ってるのか、いまいち読みづらい。
まぁ、別に嫌な感じはしないけども…。
「よっし…これでいいか……」
思ったより早く仕事が終わって一息着こうと思った頃。
「あのさ、ちょっとこれ適当に引いてくれない?」
ふと、水原くんが机の上に円状に広げたカードを指す。
「ん?う、うん……」
何事かと思いつ、要望通りに目についたカードをピッと引いてみた。
カードの表面を見てみると、なにか妖怪等を題材とした漫画に出てくるような木製の輪っかが描かれていた。
しかも、それを逆にとってしまったから、僕は位置を直そうとする。
「あ、そのままで」
だが、水原くんに止められてしまった。
「ごめん…で、これが…?」
絵柄の面を見せながら聞くと、彼は僕の持っていたカードを回収した。
「いや、特になんでもないよ。選んで欲しかっただけ」
カードを再度机に置くと、彼はコインを少し上からカードの円の上に落とした。
くるくると回りながらコインは僕の手に着地する。
面は表で、またそのまま彼はそれを回収する。
恐らく何かしらの占い遊びの一貫なんだろうけど…彼の我流占いは、素人が見ていてもよく意味が分からないな…。
「ちょっとアーツ貸してくれる?」
「アーツ?わかったけど…」
突然の要求に疑問は残ったが、僕は望み通りにエンブレムをアーツに変えて彼に渡した。
彼はその拳銃型アーツをパッと手に取ると、それをひっくり返して底面を見せる。
「ここにさ、スイッチあるでしょ?」
「あぁ、確かにあるよね…」
グリップ底面の目立たない場所には、ポツンと四角いボタンのようなものが掘られていた。
以前、暇潰しにアーツを調べていたときに見つけ、なにか強化的なことが出きるのか?と少しワクワクしながら、押してみたけれどなんにもなかったのを覚えてる…。
ちょっと恥ずかしいから仲間には言えないけど。
「これをこうすると…」
水原くんが親指でそのボタンを押すと、元々のマゼンタ色から、水原くんのシアン色にぽうっと光りだした…。
「あっ、光った…けど?」
「これで、僕の特異がこの中に保存された」
何気なく明かされた新機能に、僕は驚いた。
「えっ!?そんなことできるの!?」
そうか…だから、僕が押してもなんにも起きなかったのか…。
まさか、こんなに小さなスイッチにそんなすごい機能の道標となっていたとはな…。
「ただ、使えるのは一回キリだけどね。アーツ本来の威力は上がるけど使いにくいからあまり使う時ないんだよね」
「へぇ……」
一回だけ他者から特異を献上してもらえる機能。
けれど、能力と戦闘スタイルにも相性があるから、あまり推奨はされていないようだ。
それに大体、自分の特異で回避できそうだし、いざとなったら瀬田さんが助けてくれそうだから、今回は必要な時があるのか微妙だな…。
「ま、勉強程度に一応持っときなよ」
「わ…わかった」
◆
「なるほど…だから…!」
ようやく水原くんの考えがわかった。
グリップの下にあるスイッチを押すと、マゼンタ色のアーツに水原くんのアーツのシアンが混ざる。
「これなら…っ!」
拳銃を逆手に持った瞬間、円月輪のような水の刃が出現する。
バギィンッ!!
それをガラスに向けて思いきり打ち付けると、中にいる男の子の身体すれすれの場所を機転に、球体が綺麗に真っ二つに切り裂かれた。
「割れたっ!!」
二つに割かれた檻の片方は、地面を転がった挙げ句壁にぶつかって静止し、もう片方には被害者の身柄が、川を下る一寸法師のような状態で、僕の目の前をくるりと回りながら静止した。
それが確認されると同時に、アーツに浮かんだ水とシアン色は消え、元の色へと戻った。
まさか、こんな場所でも水原くんに助けられるとは…。
本当に頼りになる先輩だ。
「よかった!早く行こう!」
僕が手をさしのべると、男の子は怖々としながらも頷き、玉の檻から出て僕の手を握った。
「あっ」
よし行こうと僕がその手を引っ張った瞬間、男の子の温もりが消える。
違和感に振り向くと、地面の上に砂が溜まり、男の子の掌が消え、代わりに断面から大量の砂が小さい滝のように生成されていた…。
「ごめんなさい…」
ふと、少年が俯き加減で口を開く。
「ぼく…まえからこうなんだ…。わかんないけど…からだが…すなになっちゃうんだ…」
未熟な言葉と声で、砂にまみれた体を震わせている…。
「だから……だから…すてられちゃったのかな…」
すると、貯まっていく涙と共に、肌から淡香色の結晶がポツポツと生え始めた。
そうだ、彼は特異点だった…。
「へんなひとたちにさらわれてから…ずっとまってるのに……。おとうさんも…おかあさんも…ぼく、ずっとまってるのに……ずっとずっと……だいすきなのに……」
嗚咽と共に次々に流れ出した涙すら、頬から落ちれば直ぐに砂となって溶ける…。
彼は、どれだけの恵まれた場所にいたのだろう。
その喪失感は、どれだけ大きなものだったのだろう。
大きな光が喪失することによる失望は、僕にだってわかる…。
それを考えれば考えるほど、彼自信を自分と重ねてしまう…。
この子を本当の意味で助けてあげないといけない。
どころか、絶対に助けなくてはならない存在だ。
僕のような存在にならないように、僕ら大人が見守っていないといけないんだ…。
「待ってて…」
僕はズボンの中からルストロニウム製の包帯を取り出し、彼の二の腕に結ぶ。
「これ…ほどけないようにね…」
その場でしゃがみ、結晶が消えていく少年と目線を合わせた。
「大丈夫。きっとお父さんもお母さんも、君のこと探してる。まだ見つけられていなかっただけだよ」
少年がグスンと涙をすすると、僕は涙で濡れたその頬を撫でてあげた。
「必ず、家族に合わせるから。絶対に」
未熟な力のままで彼に誓うと、希望を感じてくれた少年は、ルストロニウムの効果で修復された腕で涙を拭いながら、大きく頷いた。
彼が未だに家族を愛している気持ちを理解した僕は、その小さな腕を力強く握り、出口へと歩きだした。
罪人のお前がこんなことしてなんの意味があるのか、そんな資格あるのか?と背後霊が五月蝿いが、それでも僕はこうすべきなのだと思っている。
まだ愛してくれる家族がいる彼は、まだひとりぼっちになってはいけない。
もう、彼が特異で泣かなくて良いように、必ず望む場所へ帰してあげないと…。
「そこの人~!大丈夫ですか~!?」
二人で歩いていると突然、正面から一人の男性が走ってきたのに気づいた 。
逆光で人間かリージェンか分別がつかない為、念のために男の子を僕の後ろに回して、アーツを握る…。
「あぁよかった……スプリミナルの人でしたか…」
しかし、走ってきた人の台詞と服装で、彼が武装警察だとり、アーツからそっと手を離した。
「大丈夫でしたか?お怪我は…?」
逆光の中から、ようやく彼の顔面の形が見えた。
清潔感を感じないうねりのある長髪と、あまり映え揃っていない無精髭の男性…。
…あれ?この人どこかで見たような気が……。
「……あ!あなた、さっきカジノで一発当ててた人!」
「わっ!シーッ!シーッ!」
いけない、つい驚いて大きな声を出してしまった…。
そうだ、カジノに入ったとき、あまりにも廃人っぽかったから、目に止まったんだ。
先ほどとは違い、服装はしっかりと制服を着ていたから、再認識するのに時間がかかった…。
「えっと…自分、武装警察巡査の
「そ…そうでしたか…」
というか、僕ら以外にもカジノを張っていた人がいたのか…。
彼の昔に何があったのかは気になるが、とりあえず味方が来てくれて助かった。
ただ、これがバレたら処分は免れないだろうけど……。
「そっ、それよりも!救助対象者は彼だけですか…?」
彼が確認を取った瞬間、僕の脳内に観客席の光景がフラッシュバックした。
「いえ…。まだです」
まだ助けなきゃいけない人がいる。
あのとき、この子と同じく、私利私欲にまみれた汚ならしい感情を向けられた人たち…。
まだ、オークションの引き渡しは終わってなかった筈だから、恐らくまだ何人かいるはず…!
「タケムラさん!この子、お願いします!」
「あっ!は、はい!」
僕は竹村さんに男の子を任せると、彼は心配そうな目をこちらに向けた。
「おにいちゃんは…?」
弱々しい言葉に、胸を締め付けられる。
恐らく、始めて見る人につれていってもらうのが怖いのだろう。
「大丈夫…。他に捕まってる人を助けてくるだけ。そのおじさんに着いていって」
僕は優しく男の子の頭を撫でると、心配を振り落とすように、彼は彼なりに逞しい顔を作って頷いた。
彼はそんなに弱虫じゃないようで、僕は親のように安心した。
「タケムラさん。この子、特異点です。ルストロニウム性の包帯があったので、応急処置しましたが、気を付けてあげてください…」
僕の状況説明を聞くと、少し頼り無さげだった顔から一辺、武装警察としてのプライドを賭けて力強く敬礼をした。
「了解しました!ご武運を!」
受命した彼へのエール代わりに、僕も同じく敬礼をする。
彼は腕を下ろすと、少年の腕を強く握り、二人で灯りのほうへと走り出した。
よかった…彼はこれでもう大丈夫だ。
きっと両親にも会えるだろうし、特異点の事も郷仲さん達がなんとかしてくれるだろう…。
光に飲まれていく二人を見て、僕もとりあえずは安心だ。
「よし…」
さぁ、僕も彼らを助けにいかなければ…。
今の自分ができることはきっと、涙を流させないことだけだけだ。
奥で頑張ってる瀬田さんのため、皆の期待に沿うため。
僕は走りだ…。
ドスッ!!
「っ!!」
走り出そうとしたその瞬間、突然、背中から身体を貫く程の激痛を感じた。
何が起きた?
何があった?
なんでこんなに…腹…が……。
「あっ……ああぁ…」
喉から鉄の味が漏れだした。
恐る恐る自分の体を見てみると、毒々しく禍々しい無数の黄色い足がついた細長く巨大な虫の胴体が、僕の腹を思いきり貫いていた……。
痛いすらも感じない。
怖い。
ヤバい。
不意打ちだ。
なんでこんなものが……?
なんで…
なんで、なんで、なんで!?
「よかったなぁ~。ガキを救える位の活躍はできて…」
少し高めの男声。
それが聞こえると共に、僕の体から、その禍々しい胴体が引き抜かれた。
風が通る腹で後ろを向くと、そこにいたのは、ムカデのリージェン……。
「だが残念。お前みたいなスプリミナルは高く売れるんでなぁ?」
高級そうなスーツ姿に、なにかゾッとするようなハイライトの薄い目、そして腕から延びていた百足の胴体…。
間違いなくこいつはマフィアの一人。
しかし、彼を組員とだけ呼ぶには、あまりにも強すぎる力と、それを持て余せるだけの威圧感を、僕は肌でビリビリと感ていた…。
「まぁ、そのまま眠ってくれりゃ悪いようにはしねぇさ。こっちも利益が大切なんでね…」
先程とは違い、好青年のように微笑む姿が、またこのムカデのリージェンの恐ろしさを感じさせる…。
「くっ…お前…!」
特異がギリギリで仕事をしてくれているからか、血液もギリギリでとどまり、なんとか死なずにすんでいる……。
「このっ!」
それでも膝が落ちていく中、僕はなんとか取り出したアーツの引き金を引いた。
ダァン!
しかし、その弾丸は命中する筈 もなく、ムカデリージェンの鞭のようにしなる胴体が、ハエを叩くかのように、軽々しく弾かれてしまった。
「お前素人だな…ダメージを負っているにしても、銃の照準が全然あってない…」
嘲笑を浮かべながら、ムカデリージェンは懐から先端がドス黒く染まっている拳銃を取り出した。
「銃ってのはな…こう使うんだよ…」
ダァン!!
「いっ…だぁあっ!」
鈍い音を立てながら放たれた弾丸は僕の肩を貫通する。
激痛を抑えようと腕を伸ばした刹那、身体の活力が一気に削がれ、地面に片方の肩をつけて這いつくばるような体制になってしまった。
しまった、ハイドニウムか!
肩から血が流れると共に、腹に留まっていた血液もジワジワと滲み出してきたのを体感している…。
「頭じゃないだけましだと思え。大事な商品なんだから……殺しちゃダメだろう?」
彼の言っていることは意味不明だ。
奴は僕を失血死させようとしているのではないのか……?
ここまで僕に傷をつけておいて…こいつはなんなんだ…?
ダァンッ!
疑問が血のように滲んでいく中、新たに緑色の結晶弾丸が飛来し、ムカデリージェンの持っていを黒色の拳銃を弾いた。
「ッチ……今度は射撃の玄人か…」
その弾丸の威力は僕と違ったようで、ムカデの胴体からは赤い血液が流れ出していた。
「ユウキさんっ!」
聞き覚えのある少し低い声…。
「セタ…くん……」
ダメージが蓄積されている中、なんとか首を回し、瀬田くんの怒りを含んでいる顔と姿を確認した。
彼は
「アナタのことはわかっている…。
通常状態の
「調べは付いてるわけか…。まぁ、お前の性格だ。調べられる手の内はとことん調べてんだろう?」
鼻に着く口車だが、瀬田くんがそれに乗せられているような素振りは見られない。
これから戦闘に入るのかもしれないと思っていたが、逆に緋伊戸は拳銃を下ろした。
「だが…今日はやめた方がいいぜ?ちょいと面倒なことが起きそうだからなぁ…?」
「なに…?」
他になにが起きるのかと、警戒するよりも先に、その"面倒なこと"と言うのは現れてしまった…。
「ヒイド」
突然、緋伊戸の裏から、一人のリージェンが現れる。
刀のように巨大な二本の角と、四本の腕に、筋肉のついた体躯…。
ヘラクレスオオカブトの姿をしたそのリージェンに、瀬田くんの表情は絶句を表していた…。
「どうなっている?ここにネズミを呼んだ覚えはないが?」
見て数秒の僕でも分かる…。
この大きなリージェンには…僕ら二人だけでは、絶対に歯が立たない…。
「これはこれはマイマスター…。申し訳ございません、私もこれは計算外でした…。しかしご安心を」
マスターと呼ばれるリージェンに、頭を下げながら微笑む緋伊戸は、僕の髪を強く引っ張って、体を強制的に起こさせた。
「ぐっ…」
「新たな収益元も見つけましたし…あのデカブツはそこまで強くない」
僕への物化と瀬田くんへの罵倒に苛立たない筈がないが、今、自分になにかできる術は、残念ながらない…。
「
瀬田くんが感情を表すことはないが、自身のアーツの銃口を或マス首領に向けるが、相手も同様に顔色一つ変えることはない。
「煩わしい…」
すると、或マス首領は背中から、血管の通った透明な羽を大きく広げ、それを大きく前後に動かし始める。
「ぐ…っ!」
すると、彼の羽ばたきから瀬田くんに向けて暴風が吹き荒れ、軽い力では銃の照準すらも合わせられない程、体制を崩された。
「その名前は嫌いだ。今の俺は、マスターヘラクレス……。いずれ、リージェンを統べる者になる名だ…」
涼しげな顔に、立てなくなるほどの攻撃を軽々と発動している事が、その言葉に重みを与えている。
アングラなリージェンにとっての強く重い意志が乗っかった言葉が、一層このミラーマフィアと言う組織の重鎮さを垣間見たような気がした。
ただ、名前が超ダサいな…マスターヘラクレス……。
「勝手に…決めるなっ!」
普段、仏頂面の瀬田くんが、風と怒りで顔を歪ませながら、火事場の馬鹿力で銃を再度掲げる。
「プラントアルマ!
災害球の爆風の中でも瀬田くんは、なんとか銃の形状を変えて、弾丸を乱射する。
「無意味なことを…」
ポツリと呟く緋伊戸。
その瞬間、或マス首領がまた強く風を呼び起こすと、強力な風圧によって、弾丸が宙で止まった…。
「ぐっ…そっそんな…っ!」
ダンダンダンダンッ!
狼狽えているその一瞬、4つの弾丸が、瀬田くんの身体に打ち込まれた。
「ぐぁぁああっ…!」
発射したのは全て或マス首領の持つ拳銃。
「虫のリージェンは…手が二つ多くて助かる」
虫のリージェンの身体だからこそ持てる、4丁もの多くの銃口から、火薬の香りが舞っていた…。
「く…あぁ…ぐっ!」
バランスを崩しそうになるも、彼は弾痕から血を吹き出しながら、なんとかその場に根を張っているが、もう一度攻撃を食らえば、恐らく足が使い物にならなくなる…。
「これで特異点が2体かぁ……。だいぶ資産がたまりますね」
立っているのがギリギリの瀬田くんを眺める緋伊戸。
恐らく、この二人が瀬田くんの確保に協力すれば、ほぼ敗けは確定だ…。
僕より強い瀬田くんが捕まってしまったら勝ち目はない。
僕のせいで…彼も捕まって競りに出される……。
「うぅっ!」
そんなの嫌だ…っ!
ドンッ!!
「なに?」
一か八か、僕は弱った身体を無理やり動かし、瀬田くんを捉えようとする或マス首領の身体に抱きついて、動きを止めた。
「セタくん!逃げて!」
身体を動かして振り払おうとする或マス首領にしがみつきながら、僕は瀬田くんへ退避を叫んだ。
「そんな……そんなこと、できません!俺は!」
「このっ!」
ダン!ダン!ダンッ!
瀬田くんの声を遮るように、或マス首領の銃声が鳴り響く。
しかし、彼の放たれた弾丸は普通の鉛弾丸だった上、ハイドニウムの効果はもう切れていたため、僕の身体には着弾しない。
「なんと!弾丸が体をすり抜けたっ!」
或マス首領の顔を伺いながら、オーバーに驚く緋伊戸。
僕は瀬田くんの顔色を好転させるために、彼に作り笑いを見せた。
「ほら……僕なら大丈夫だから!今は全員撤退してっ!まだ、カジノを潰せるチャンスはあるっ!」
「…なりません!それでは、ユウキさんは!?」
僕を心配してくれる間、或マス首領は僕にドスを突き刺したが、それも通らない。
未だ眉をひそめる瀬田くんの心を静めるために、僕の特異は未だに攻撃を避け続ける。
「僕は平気だ…。助けに来てくれることを願ってるから…っ!だから今は!」
ブスッ!
「ウグッ!!」
今は逃げてくれ。
そう伝えようとした瞬間、背中に多きな針の刺激が走った。
「う…ううっ………」
なんだ…急に眠気が…!?
「ハイドニウム製の超強力麻酔だ」
黒い針のついた注射器を持った緋伊戸が、僕の顔を覗いている。
「まさか、こいつが激レア特異点だったとは…。こりゃあやべぇ代物になりそうだな…」
ニヤリと微笑むその顔は、背筋に百足が這うかのような悪どさだ。
「ユウキさぁんっ!」
また無理をしてアーツを構える瀬田くんに、僕は最後の力を振り絞って、彼の前に掌を広げた。
「はやく…この事を…ミズハラ君…達に……」
眠気とダメージで限界の中、僕はなんとか、彼に言葉を残して目を閉じた。
「行った方がいいんじゃねぇのぉ~?早くしねぇと…マイマスターが本気だしちゃいますよ?」
耳に入る緋伊戸の声がうざったらしい…。
これ以上、煽ってやらないでくれ。
きっと…瀬田くんは、責任を強く感じるタイプの人間だから…。
「……っ!ごめんなさい…っ!」
震える低声が聞こえると、走り遠ざかる足音が耳に響いた。
「これで……良いんだ……」
掃討作戦関係者に置ける被害者は、僕だけで済んだ…。
これでもう…心配しなくて済む……。
「ようやく静かになりましたね」
「あぁ…」
或マス二人の声が聞こえたから、恐らく瀬田くんを敢えて逃がしたのだろう…。
「それで、マイマスター?捕まった顧客や下っぱ達はどういたします?」
「放っておけ。そこまで大きな損害にはならんだろう」
薄れ行く意識の中、最後に聞こえたマスターヘラクレスと名乗る人間の一言が、飛散したペンキのように心にこびりつく…。
「第一…ここが崩壊したところで、損害は1%にも満たん」
投げつけられたその言葉が引き金のように、僕はそっと静かに眠りについてしまった。
これからどうなってしまうのかなんてわからない…。
ただ、これが絶望ではないことを、僕は麻酔と言う暗闇のなかで、必死に祈るしかなかった…。
To be continue…
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