8-1『Aの炎、殺戮の信教』
パチパチと火花を撒き散らしながら、コンクリートの上で炎が揺れる…。
化学的な立証不可能な現象に巻かれている中、僕の隣で涙にまみれた顔をしている女の子は、共にその惨劇に度肝を抜かす…。
「そ…そんな……」
煙の中から出てきたその女は、片手にナイフをもちながら、傷だらけの僕らに向けて微笑んでいた。
僕らがこの事件に巻き込まれてしまったのは、水原くん達と別れてからのことだ…。
◆
時間を、彼らと別れた後に遡る。
郷仲さんから、フェイバリットでの仕事を命じられた僕は、同じくカフェ業務を命じられた赤城さんと、行動を共にしていた。
「ユウキくんは、喫茶店の仕事どう?」
エレベーターから降りるちょっと前、赤城さんがふと聞いてきた。
「一応、講習が終わった後にすぐにやって、それからも何度かかフェで働かせてもらってたんですが…やっぱり自分はまだまだですね…。でも、大変だけど今までの仕事よりも楽しいです」
今までやってきたというよりも、前職の詐欺よりは破格にホワイトだから、強くそう感じるのだろう。
ちなみに、探偵業よりも楽しいのは内緒だ。
「そっか、ならよかった。楽しんでくれてるなら、あおいちゃんも喜んでると思うよ」
そう言ってくれる赤城さんは、曇りの無い笑顔を浮かべていた。
今まで出会った特異点の中でも、彼はなんとなく取っつきやすい性格をしていて、僕は好きだ。
もしも僕が次男だったら、こんなお兄ちゃんが欲しかったな…。
なんて、変な幻想を浮かべていたところで、赤城さんがフェイバリット裏口の扉を開けた。
「あおいちゃーん?今日のヘルプに来たけど~?」
彼が声をかけると、厨房からいつも通りの三点癖っ毛を跳ねさせながら、あおいちゃんが顔を出した。
「はーい…あっ!リュウセンくん!帰ってきてたの!?」
「うん。ちょっとキモくて大変だったけど…なんとか帰還しました」
苦笑いを浮かべる彼に向けて、あおいちゃんは笑顔で敬礼をする。
「お勤めご苦労様ですっ!」
その可愛らしい仕草と激励に、彼は思わず笑みを溢した。
「アハハ。んじゃ、今日も頑張ろうか」
笑みを浮かべたまま赤城さんはエプロンに着替えるために自身の赤いカーディガンを脱いだ。
「今日はなにすればいい?」
僕もマゼンタの上着を脱ぎながら、彼女に役割を聞く。
「んじゃ、リュウセンくん今日はウェイターさんね!ユウキくんはこの前と同じで厨房おねがい!」
はいと軽く返事をしてから、僕らは深緑色のエプロンに手を取った。
自分は料理だけは得意だから、今日も厨房勤務はありがたい物だ…。
「へぇ…ユウキくん、お料理できるんだ」
エプロンの紐を結びながら、赤城さんは僕に聞く。
「はい。家庭で色々あって、幼い頃から料理してたんで」
「そうなんだ…。実は僕も結構できるんだよ~」
また一緒になにか作ろうね、なんてことを言って、赤城さんはトレーとメニューを持って、持ち場へと行った。
こんなに愛想のいい人でさえも特異点、そしてスプリミナルの人間だなんて想像できないな。
彼にとても罪があるとは考えられないが……。
いけない。
ボーッとしてないで、僕も厨房の準備をしないとな…。
それから、開店時間から1時間のこと…。
「「いらっしゃいませー!」」
入ってくるお客様に、あおいちゃんと赤城くんが活気よく挨拶をする。
本日のフェイバリットは焼き菓子10円引きキャンペーン中。
二人が接客をしている最中、僕は裏で作り終えたワッフルやら焼きドーナツやらを、見映えよく盛り付けてカウンターに置いていた。
客の入りを見てみると、今日は人が結構多いようだ。
幸い、まだお昼時じゃないからそこまで大変な料理はないけれど、この多さはなかなか骨が折れそう…。
まぁ、がんばるしかないんだけどね。
「ブルーアイと、チョコレートワッフル…かしこまりました!」
ウェイター業務中の赤城さんが、先程も見せていた笑顔で注文を取っている。
彼の曇りなき笑顔に、お客のおじいさんも紳士的な笑みを浮かべていた。
「すみませーん!」
「はい!しばらくお待ちください!」
突然の呼び出しが来ても、赤城さんは即座に注文を厨房に通し、嫌気一つなく小走りでテーブルに向かう。
カランコロン…
その最中、男女二人の子どもを連れた犬型の女性リージェンが入店した。
「いらっしゃいませ!あっ、来てくれたんだね~!」
彼らに気づいた赤城さんは、しゃがんで子供たちに挨拶をする。
女の子は、元気に手を上げて挨拶をし、男の子は、母親の足に身体を隠しつつ、少しシャイ気味にこくりと頷いた。
カフェで働いていると、こういう可愛らしい光景で癒されるからのが良い。
「後でおしぼり持ってきますね!空いてるお席にどうぞ!」
親子に案内をして、彼は先ほど呼んでいた客の方に駆けつけていった。
常連やお客のふれあいを大事に。
かといって先客をあまり長くは待たせず、そして注文も間違えのなく取る…。
「ね?アカギくん接客スキルすごくない?」
僕が心の中で同じ事を思うよりも先に、あおいちゃんが割って入ってきた。
「すごく早いね…。なんであんなにテキパキできるの?」
鳴り響いたタイマーを止めてワッフルの盛り付けをしながら、彼女と会話をする。
「バイト歴長いんだって。一応、彼も元々はサトナカさんと同じく画家さんなんだけど、ユウカちゃんを大学まで行かせるために、中学の頃から、いろんな所に頭を下げて、なんとか働かせてもらってたって、前に言ってたよ」
「そ…そんなに昔から…。僕なんかとはぜんぜん違うなぁ……」
自分がバイトを始めたのは高校の夏休み位からだったから、なにかレベルの違う物を見せつけられているような気がする。
それに自分は、今に至るまでずっと失敗ばっかりで、何度怒られたことか…。
「でも、それは私も言えたことだよぉ…。ほぼ生まれた時からここに住んでるけど、リュウセンくんの仕事の腕はすごいんだよね。ほんっと天の才能!」
あおいちゃんの興奮ぶりに苦笑いを浮かべつつ、作っていたワッフルの上にミントを飾り付けて完成させた。
「仕事の適応力が高いって事なのかもね。なんか憧れちゃうなぁ…。あっ、これ8番テーブルさんにダブルベリーワッフルね」
「はーい!」
カウンターに出来上がった商品を乗せると、あおいちゃんは笑顔でその商品を手に取った。
「……てか、私よりも美味しくフードメニュー作れるユウキくんもスゴいけどね…」
「なんか言った?」
「今日の店番二人は役に立つなーって言った~♪」
彼女は鼻歌混じりでコーヒーと一緒に丸トレイの上に乗せた。
「役に立つ……か」
何気なくいったものであって、その言葉は僕の中ではなによりの賞与だ。
誉められることなんて、社会人になってから殆ど無かったし、あの事件から誰に見向きもされなかったから、なんか嬉しかった。
「注文お願いしまーす!ブルーアイ5とチョコワッフル2でー!」
「「はーい!」」
互いに楽観している僕らは、お客の注文を受けて、また意気揚々と仕事に向かった。
◆
店が落ち着いたのは、それから数時間後の13時辺りのこと。
「「「ありがとうございました~!」」」
最後に出ていった年配のお客さんに全員でお礼を言って、午前の業務は終わった。
「ふぅ…とりあえず一段落だね…」
トレイを抱きつつ、赤城さんは近くの椅子に腰を掛けて息をついた。
今日はちょっと多めだったから、さすがに僕も疲れたな…。
「一旦お疲れさま。二人とも、コーヒー淹れてくるね」
「ありがとう~」
太刀川店長のご厚意に甘え、僕も近くの椅子に腰を掛けて休憩に入った。
ふと、窓を眺めてみると人の姿は無く、さんさんと照る日光を浴びている花菜村の景色だけが姿を見せていた。
ここら一帯の昼下がりは、皆リラックスしたり、仕事に励んだりするから、少し人が少なめになるのだろうな…。
この生活もちょっとは慣れてきたと思う。
探偵業としてはまだまだ新人どころか、まだ1にも慣れていないし、覚醒って言うのもまだ来てない。
けれど、こうやって本当にしっかりとしたお仕事ができて、ちゃんとした対価を貰えて、上司からは『お疲れさま』とか『役に立つな』とか言ってくれるだけで凄く満足感が高い。
今まで、ブラック企業思考だったのが漂白されて行くようだ。
これに、いまだに目覚めない妹が居てくれれば、100点満点なんだがな……。
「ユウキくん、なかなか仕事の腕が立ってるね」
ふと、目の前の席に座っている赤城さんが声をかけてきた。
「あ、ありがとうございます。アカギさんも、ウェイター上手いですね」
僕がそう言うと、彼は気恥ずかしげに後頭部に手を回して目線をそらせた。
「そう?まぁ…僕も結構バイト歴長いからなぁ…。ユウキくんも料理上手かったし…もしかして君も?」
「まぁ、そうですね。それに、妹もいましたし…」
ふと、彼は妹と言う単語に反応し、顔をピクッと揺らし、僕に顔を寄せる。
「妹さんがいるんだ~僕と同じだね」
なにかシンパシーを感じたたからか、彼は笑顔を浮かべている。
「アカギさん、妹さんいるんですね」
「まぁね。色々あって二人暮らしなんだけどね…」
「そうなんですか…それも同じですね…」
笑顔と言葉の裏に忍んでいる曇天に、此方もなんとなく彼とシンパシーを感じた…。
「もしかして、君も親無し?」
赤城さんの問いに首を縦に振る。
「はい。一応…昔はいたんですが…過労で死んでしまって…」
あまり思い出したくはないけれど、母が死んだと聞いた瞬間と、雨降る夜の暗い病室で亡骸と対面した時のショックは、油性塗料で壁に描かれた拙い落書きのようにこびりついている。
はやく落として楽になりたいと思う反面、これだけは残しておきたいと言う思いが今もせめぎあっているから辛いものだ。
「そうなんだ…。僕は、理由は分からないけど、捨てられちゃったんだよね…まぁ、両親はもう事故で亡くなっちゃったらしいけど…」
彼の過去に密かに驚いていた。
こんなに笑顔を振り撒ける人なのに、さらに壮絶そうな過去を持っているなんて…。
「なんか…僕らちょっと似てますね…悲しい理由で…」
「アハハ…でも、同じような人がいて…なんか僕も落ち着くかも」
「僕もです。なんか一人じゃない気がするんで」
他者から見たら不謹慎っぽそうな物で笑い合う僕ら。
同士がいることでこんなに気楽になれるのかと思うと、なんか気が軽くなれた。
前の職場でも、自分だけが罪を犯してるわけじゃないって思って気軽になってたけど、絶対にそれとは別だと信じていたい。
そもそも、彼と背後霊達とは、背負っているもののベクトルが違うのだから…。
「あのさ…二人とも結構空気重いよ…」
「「あ、ごめーん…」」
あおいちゃんは苦い顔をしながら、僕らの目の前に、持ってきてくれた珈琲を置いてくれた。
そうだよな…不謹慎以前に、両親がいないことで盛り上がるなんて、結構重いよな…。
「でも、なんか二人とも本当に似てるよね!料理が得意なところとかそっくりだし!」
何気ない彼女の言葉に、僕らは目を丸くしながらお互いを見つめる。
「いやいや…でも、いろんなもの作れる悠樹くんの方が…」
「いえいえ…接客態度はアカギさんの方が上ですし…」
「いやいやいや…僕なんて他に比べたら鯨と鰯位の差だし…」
「いえいえいえ…それを言っちゃったら僕なんて月とすっぽんのスッポンの方ですよ…」
謙遜し合う僕ら。
「ほら、やっぱり」
それをニヤニヤと見ているあおいちゃん。
彼女になにかを見透かされたような気が恥ずかしさを産み、僕らは顔を赤らめた。
そもそも僕は誉められ慣れてないのだ。
「そんなに気が合うなら、二人とも仲良くなれるよ!きっと!」
僕らに向けて、あおいちゃんは満面の笑みを浮かべていた。
仲良くなれる…か…。
あんまり仲が良かった人っていないから、なんか恥ずかしい。
けれど、目の前にいる彼は、そんなことはないようだ。
「じゃあ改めて…。スプリミナルにようこそ。これからもよろしくね、ユウキくん」
彼は僕なんかに手を差し伸べてくれた。
それがなんだか嬉しくて、僕は両手でその手を包むように握った。
「はいっ!アカギさん!」
僕らは名刺替わりの笑みを交換した。
「さ…お昼からもがんばろうか。ここら辺は、午前中に比べて人が少ないかもだから、気楽にやろっか」
グッと延びをしながら赤城さんはいつの間にか飲み終えていたコーヒーカップを洗い場に運ぶ。
久々に心の底から仲良くなりたいと思った人に出会ったような気がする。
今まで、あまり人に関わりを持ってこなかったし、前職でも誰もが目の前のことでいっぱいいっぱいだったから、仲良くなりたいと想える人も、仲良くしてくれと願ってくれる人もいなかった。
幼馴染みの親友はいるけど、それも昔の話だ…。
それでも、この変人揃いの殺伐とした職場の中で、ようやくまともそうな先輩ができたのが嬉しかった。
こうやって、初めから手を握り会えるような人に出会えるのが、自分にとっては何よりもありがたいことだな…。
カランコロン!
なんて思っていると、蛾のリージェレンスの女性客が来た。
「「「いらっしゃいませー!」」」
お客は軽く会釈をして窓から一番遠い席に座った。
こんな時間に珍しいな。
なんて思いながら、僕はまだ飲み終わっていないコーヒーを一旦カウンター裏に置き、仕事の準備に取りかかる。
「あ、どうせなら悠樹くん、ウェイターもやってみる?今後も必要だろうし、今一人しかいないからさ」
確かに今後、赤城さんもあおいちゃんも居なかったら、大変だしな…。
「やってみます」
赤城さんからペンのついた伝票ホルダーと飲み水、おしぼりを受けとり、僕は毅然としてお客さんの下へいく。
ウェイターが初めてってわけではないけれど、やっぱりなんか緊張するな…。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりですか?」
少し引きつった笑顔を浮かべながら、僕は机に水とおしぼり置き、リージェレンスの女性に注文を聞いた。
「あの……」
すると、蛾のリージェレンスは、何故か血の気のない顔を浮かべながら口を開く。
「青い瞳の珈琲…お願いします…」
突然の注文に、僕は首をかしげる。
彼女の頼んだ商品名は、この店のメニューにはない…。
もしや、僕のように『青い瞳の珈琲の店』と噂を聞き付けて、来たのだろうか?
「もしかして、ブルーアイコーヒーのこ…」
「ごめん、ユウキくん。やっぱり変わって」
その途端、赤城さんが僕を押し退けて、再度、役職を交代させられた。
はてなが僕の頭に浮かんでいる最中、彼の顔を見てみると、そこに笑顔は無かった…。
「失礼しました。青い瞳ですね。種類はいかがなさいましょうか?」
何事もなかったかのような毅然とした態度で赤城さんに、彼女は鼓動を押さえるように胸を押さえながら応える。
「ホット…ブラック……」
彼女の注文を聞き入れると、赤城さんは上手に作り笑いを浮かべた。
「ご注文、承りました…すぐに持っていきます」
彼は丁寧に会釈をすると、そそくさとカウンターの方へと戻っていく。
「アカギさん…今のは?」
僕も彼に着いていきながら、小声で先程の『青い瞳の珈琲』について聞く。
「スプリミナルの隠語だよ。ブルーアイじゃなくて『青い瞳の珈琲』を頼む人は、SOSを求めている。さらにホットブラックは"今すぐ助けてくれ"という意味もある」
赤城さんは真剣モードのまま、快く答えてくれた。
なるほど…。
そう言えば水原くんも、初めてであった時に、フェイバリットとは言わずに『青い瞳のコーヒー』と僕に伝えていた。
ミラーマフィアやヴィーガレンツに見つからないように、あえて隠語にしているのだろうか…。
なんにしろ、彼女が僕らに助けを求めている事に、変わりはない。
「できてるよ。青い瞳」
赤城さんが注文を通す前に、あおいちゃんが商品をこちらに出してきた。
よく見ると、ソーサーとカップの間に紙が挟まっている…。
この中に彼女がすべきことへの指示が書かれているのだろう。
「ユウキくん、持っていって」
「あ、はい」
赤城さんに言われ、コーヒーを受け取った。
温度はあえてあまり熱くないように冷ましてある。
即座に対応できるように、飲みやすくしてあるのだろう。
「お待たせしました」
お客様の目の前に珈琲を置くと、彼女は入店の時と同じく小さくお辞儀だけしてくれた。
ごゆっくり、とだけ言葉を掛けて、僕はカウンターへと戻る。
一応、あくまでも緊急事態であることを偽るためにいつも通りの言葉を掛けたが、これで大丈夫なのか心配だ…。
「お渡ししてきました」
僕がそう言うと、赤城さんは外に目を向けながら、お疲れと返答してくれた。
「お客さんがコーヒーを飲んでる間、現在の情報を僕らが観察して把握する。誰かが追ってきているのか、命を狙っているやつがいるのか…等をね…」
「なるほど……」
彼の言うとおりに、僕は窓の外を見てみたが、それっぽそうな人はいない。
午後の閑静な時間、人や物がいたとしてもすぐにわかる。
しかし、目の前に命を狙われている人がいると言う緊張感と、その人を守りきらねばならないと言う使命感が、弱気な身体を軋ませた。
とにかく、できる限り赤城さんの邪魔にならないよう、僕なりに注意を払っておかねば…。
◆
その後、リージェレンスの女性に追手がいないことを確認し、僕らは裏口を使って彼女を護衛、応接室に連れて来た。
特殊組織の応接室といっても、外見同様に凡庸な空間だから、彼女もそこまで畏まりはしていなかった。
「それでは、なにがあったか、お聞かせ願えますか…?」
彼女と机を挟んで目の前の席に座る赤城さんが聞く。
「はい…」
恐怖かトラウマか、彼女はうつむき加減のまま話し始めた。
今回の依頼者は、ツバメガのリージェレンス、
一般的な中小企業でOLの仕事をしていて、どちらの至上主義というわけでもなく、まさに普通に暮らしている一般人とのこと。
事件の発端は一昨日。
会社の同僚との飲み会に誘われた冴羽さんだったが、その帰り道、たまたまミラーマフィアが物陰で麻薬の取引をしていたのを見てしまったらしい。
彼女は驚いて駆け出し、なんとか自宅へと帰ってこられたのだが、窓から外を見ると、ずっと彼女のことを観察しているようなリージェンがいたとのこと。
そうではないと信じたいが、マフィアの構成員に命を狙われていると思うと仕事に出るのも恐ろしく、どこにもいけないと嘆いてた。
そんな時、たまたま風の噂で知っていたスプリミナルの存在を思いだし、逃げるようにしてここに来たのだという…。
「それで…そのマフィアを倒して欲しい…と言うことですか…?」
赤城さんが聞くが、彼女は頷かない。
「できれば…そうして欲しいです…。でも…」
「それよりも第一に安全な場所に行きたい…ということかい?」
彼女の言葉の続きを紡いだのは、僕ら組織の長だ。
「サトナカさん」
いつも通り、感が鋭い人だな…。
「そうなんです…っ!実は…私の会社には防災防犯対策として、地下にシェルターがあるんです!電話で許可はとったので、なんとかしてそのシェルターにたどり着いて、事が終わるまでそこに入ってやり過ごしたいんです!」
焦りか安心か、彼女は少し早口になりながらだが、依頼の本質を僕らに伝える。
社長の言葉に安心したのか、恐れのようなものに押さえつけられていた彼女はようやく感情をさらけ出せたようだ。
「シェルターか…確かに、普通の民家よりはマシだね…」
郷仲さんの言うシェルターは、ここでは事故や災害等の防止のための強固な部屋のことだ。
かつて、他国よりも天災の多かったこの国は、リージェン社会に置いても防災技術の研究はまだまだ進められている。
近年ではノーインによる事故やマフィアの被害も多発するため、企業の中にはもしもの時のための避難場所のために、シェルターを設置している所があるらしい…。
「なるほど…でも、なんでそこまでして会社のシェルターなんですか…?他にも、避難所として使われているところもあれば、武装警察からの助けも借りれるのに…」
確かに、赤城さんの言う通り、護衛だけなら僕らじゃなくても、武装警察にも依頼が出来るようになってる筈だ…。
「それもそうなんですが…。やっぱり…武装警察には……あまり信用がなくて…」
彼女が提案を拒否した途端、僕の脳裏には、始堂くんと斐川さん、陪川さんの姿が浮かんでいて、彼女に少しムッとしてしまった。
「なんでですか?武装警察はそんなに悪いところじゃ……」
「そう思われても、仕方ないんだよ、ユウキくん」
言葉を言いきる前に、郷仲さんが僕の肩に手を置いて、感情のまま動く口を止めさせた。
「武装警察は普通警察よりも信頼感がない。と言うのも、武装警察は普通警察よりも後に設立され、基本的に異種族系の事件や普通警察にはできない危険な事をしなければならない。その影響で『武装警察は力を振りかざしているだけ』だとか『所属している人は基本的に横暴』や『分署したのは警察が暴力を降るって粛正したいから』なんて根も葉もない噂が、溢れているからね…」
そう伝う郷仲さんの表情は随分と冷たく、少しやるせい感情が言葉の中にも漂っていた。
彼も僕と同じで、脳裏に親友である陪川さん達の顔が浮かんでいるのだろうか…。
「この世界では、何かを成そうとすると、必ず対抗して反対する者が出てくる。人間もリージェンも、動物も虫も、ましてや植物や細菌でさえもね」
真剣な顔で物哀しい言葉が告げられる。
確かに、彼の言葉は間違ってない。
遥か昔に起きた世界大戦では、互いの反感感情で仕方なく起きてしまったり、国が暴走したことから拡大してしまった事案もある。
現代でもリージェンへの偏見と人間への偏見がせめぎあって、互いの至上主義が生まれてしまった。
何の気ない芸術品でさえも、基本的には自由であるはずなのに、性的差別や嘘の歴史冒涜やらで、こじつけてわめき散らす奴等がいるくらいだからな…。
自分は、そういうやるせない偏見は大嫌いだ。
なにかをこじつけて、自分の思いどおりにしたいだけのワガママを言っているようにしか聞こえないからだ。
それに、子供の頃のあの日を思い出すっていうのも理由の一つだが…。
まぁ、思い出しすぎない方が吉か…。
「はぁ…やっぱり、サトナカさんの言葉って良いなぁ……」
その傍ら、あおいちゃんがうっとりとした目で社長を眺めている。
彼女は本当に郷仲さんが好きなようで…。
水原くんが居たら、上下関係問わずに助走付けてに殴りにかかりそうだな…。
「オッケイ。それじゃ簡単におさらいします」
やるせない是可否について考えていた所で、赤城さんが今回の依頼をさらう。
「命を狙われている可能性があるため、冴羽さんは勤める会社のシェルターまで帰りたい。そのために、僕らがそこまでの護衛をする。そしてその後、安心して暮らせるように捜査、そして安全を確認して欲しい…と言うことで良いですね?」
確認の後、彼女は小さく頷く。
「はい。お願いできますか…?」
「任せてください。マフィアが関わったとなれば、これは僕らのお仕事ですから!ですよね?先生」
笑顔で胸を張って宣言する赤城さんに、郷仲さんも同意している。
「…あぁ、問題はないよ。こう言った仕事も、しっかりこなせるようにしないとね」
さっきまで冷たい表情だったのに、今ではいつも通りにニヒルに笑えている郷仲さん。
うちの社長は表情と共に全体の雰囲気をすぐに変えられるから、どこが根元の性格なのかが捕めないな…。
「というわけで、依頼を受理させていただきます。ここからは僕が会社までお伴させていただきますね」
赤城さんがそう言うと、冴羽さんは立ち上がり、大きく頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
感情こもった大きな声で、礼を言う彼女。
その態度に、赤城さんだけではなく、ここにいる誰もが思わず口角をゆるめていた。
この礼儀正しい彼女が、先輩の手でこの恐れから解放されて、安心できるようになるのを、僕は祈っている…。
「そうだ、ユウキくんも行くと良い。様々な依頼のケースを覚えて、臨機応変に対応していくことが大切だよ」
……って、やっぱり自分も行くことになるか…。
「そうですね。一緒に行こうか」
まぁでも、赤城さんとならまだマシか…。
「はい。よろしくお願いします」
僕は赤城さんに素直に返事をし、依頼者の冴羽さんにも頭を下げた。
なんか、今から生死が関わる仕事だってのに、いつもよりも気楽な気がして申し訳ない…。
人選って大事。
「あぁ、あとアカギくん。君の妹も連れていくと良い。きっと役に立つ」
「え?」
突然、郷仲さんはそう提案すると、赤城さんの動きが固まる。
妹さんを連れていく?
それでは、もしも抗争やら人知にやらに巻き込まれたら、大変なことになるんじゃないだろうか…。
「りょ…了解です…あまり賛同したくないですけど……」
一首を縦に振る赤城さんだが、あくまでも渋々の了承だ…。
郷仲社長の事だから、なにか考えているのかもしれないとは思うが…なんだかより一層心配になるな…。
「と言うわけで…もう一人連れててくるので、もう少しだけ待ってもらえますか?」
「あ、はい」
一応、赤城さんは依頼者にここで待機するように伝え、妹さんを迎えに行くようだ。
僕も赤城さんの妹さんに挨拶をしないといけないから、彼に着いていくことにしようか…。
「ユウキくん」
次に行動しようとした途端、郷仲さんが僕に話しかけてきた。
「…君にはもう一つだけ助言をしておこう」
彼は青色のジャケットから一枚の写真を取り出した。
「ヴィーガレンツには気を付けたまえ…。その中でも…この人間は危険だ」
差し出されたそれに写っていたのは、一人の女性。
片方だけ刈り上げられた髪に、ワイルドな釣り目の顔立ち、右側に泣き
服装は白地と赤ラインの大きなローブを着ていることだけしかわからない。
「この人は…?」
「ヴィーガレンツで一二を争う程の強者だ…。名をコウサカと言う…」
名を告げる瞬間の彼の表情は、さっきの冷たさとは種類が違う。
悲しみや恐れのような、怒りのような…そう言う、もっとわかりやすいネガティブな感情だ。
コウサカ…。
写真だけで実感は沸かないが、彼女も犯罪者なのだから、身を引き締めておかないといけないか…。
「君も、もうそろそろ彼らと出会っても不自然ではない。もしも対峙することとなれば…」
「逃げた方が良い……ですか?」
戦術的撤退を指示されると思ったが、郷仲さんは半分否定する。
「いや…それも勿論、実行して欲しいことなのだが…君に言えるのはひとつ」
すると、彼は僕の肩に力強く肩手を置いた…。
「必ず仲間を守りきれ…」
重くのし掛かる言葉と、肩にのし掛かる腕の重さに、心が潰されそうになる…。
「わかり…ました…」
緊張を声に出して昇華させて、僕は妹を呼びに行った赤城さんの後を追った。
先ほどの郷仲さんの腕と言葉、両方の重みの衝撃が未だに肩に残り、心臓がドクドクと波打っている。
この時はまだ、ヴィーガレンツが恐ろしいなど、他人事くらいにしか思っていなかったのかもしれない。
しかし今日、その恐怖が他人事ではなくなると共に、郷仲さんのこの言葉に本当に感謝する事になるとは思っていなかった…。
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