5-3『一番のSと越権裁判』
「はぁ……」
色々な感情に揉まれたから、大きな溜め息が出てしまった。
まだまだ至らない自分の探偵としての能力や、重要人物像を怒らせてしまったこと、そして、住浦さんから僕への態度…。
自責や呆気、反省、そんな様々な感情が、部屋から追い出されたことによる疎外感を引き金に、思わず口から息として漏れ出てしまったようだ。
自分はまだまだ新人だ。
だからと言って甘えるのはダメなことだってのは解ってる…。
それでも、なにかにすがって甘えてしまいたいと思ってしまうのは、詐欺師としてのクズさを、まだ僕が抱えているからだ。
そう背後霊が呟いているような気がする…。
「大変だね」
「ほんと……って、うわっ!」
突然聞こえた慰めの声に頷いてから、僕は彼がそこにいることに気づいた。
今日は一段と驚いてばっかりだな…。
「水原くん…いつのまに?」
僕が聞くと、水原くんは僕に向けてマイペースに手を振った。
彼も郷仲さんと似て、神出鬼没に現れる時があるんだよな…。
「聞き込みが予想以上に早く終わったんだよ。居酒屋からここまで結構近かったし…」
水原くんはスマホ片手に微笑む。
「そ…そう……。それで…店員側の証言は…?」
「まぁ…簡単に言えば『皿を下げに行こうとしたら、言い争ってる声が聞こえて、扉を開けたら、男の人が女の人を押し倒してたから通報した』って感じだった…。それ以外はなにも変わらない。怪しいと言えば怪しいけど、まだ確証をつけないから、なんとも言えないんだよね…ほら」
そう言って彼が僕の目の前に出してきたのは、スマホのボイスレコーダー画面。
小さな音声で流れてきたのは、第一発見者と思われる男の声だった。
「そっか…」
言葉を聞く限り、特に変わった所は無しのように思えた…。
個人的な感情を持ち込むのであれば、正直、第一発見者である店員も怪しい人間の一人ではあるのだが、先ほど住浦さんに『中立的立場でいれない』と指摘された所だ。
あくまでも、第三者としてしっかりと状況をみなければ、きっと水原くんの足も引っ張ってしまう。
だから、例え少し怪しいと思っても、その怪しさ自体を用心せねばならないな…。
「でも…調査してたら、ちょっと面白い物見つけたり…」
「なに…?」
「まぁ、事件にはそこまで関係ないだろうから、またこの事件が解決したときにでも話すよ…」
「そ…そう…」
いったいなにを見つけたというのか…。
水原くんは大人びた少年だけど、こういうところは子供っぽいな…。
ふと、一台のバイクが通りすがる音が聞こえる。
その癖、軽く聞き耳を立ててみても、部屋の中の話は聞こえない。
そんなもどかしさが、壁に飾られた二人の愛し合っている沢山の写真が、今の情景と悪い意味でマッチしていた。
兼井さん自身は、こんな筈じゃなかったって思っているのかな…?
それとも、ただ罪を軽くしたいだけで、僕らをいいように使っているのかな?
正直、自分は前者を願っていたいな…。
なんて、依頼者寄りの考えをしているから、自分はまだまだなんだろう…。
「そういや、スミウラくんは…?」
ふと、水原くんが首をかしげる。
「二人で話し合ってる。彼は…もうカネイさんを逮捕する気でいるみたいで…」
「まぁ…捜査してる時は、そんな考えを持っている人もいるさ…。今は仕方がない…」
彼はそう言うと、フゥと息を吐きながら、水原くんは後頭部に腕を組んで壁に寄りかかった。
確かに、考えと言うのは元から様々で、真実がそれぞれの考えと合っているかはその時になってみないとわからないものだ。
住浦さんが進めている物が合っている場合もあるし、自分が間違っていない場合もある。
それをよく解っている上で、水原くんはそう言ったんだろう…。
なんか…彼は住浦さんよりも中立的な感じするな…。
「スプリミナルの仕事って…こんなことばっかりなの…?」
なんとなく、気になったことをふと聞いてみる。
「…まぁ、捜査依頼の場合はこんな感じかな…。自分も何度かこういうのしたことあるし…直に慣れるよ…」
「そう……」
水原くんは嫌気を出すこと無く、普通に答えてくれた。
これを聞きたかった
少し、自分の中の彼らの印象を整理してみる。
水原くんはどちらが悪いとも言わない、言わば"どちらにも余計な感情を持たない"という考えが強い。
逆に住浦さんは自分の考えを曲げず"あくまでも結果論"という考え。
郷仲さんは…まぁ、よくはわからないけど、自由人って感じが強いかな…。
他にも、あと何人かいる先輩達や、きっと叶さん達にも、事件で対峙したときの考えの方向性は其々だと思う。
事件の解決のための考えというのは誰にでもあって、それが自分の
結末や結果が解らない限りは、彼らのような中立でいなければならないのだと思う。
ただ、それでも自分はどう考えても、彼女が彼氏の事を完全に見限ったとは考えられない…。
彼らもそれを解っているのか、それとも解らないのか…。
それすらも解らないから、探偵というのは難しい…。
ガチャ
「おい、終わったぞ」
なんて考えていた途端、話の終わった住浦さんが部屋から出てきた。
「お疲れさまです…。次は、どこに行きますか?」
気持ちを切り替え、僕が声をかけると、彼はさっと扉を閉めながら僕に次の指示をする。
「あぁ……お前は帰って良い」
「はい……え?」
彼の指示に僕は思わず二度聞きしてしまった。
だって、新人講習ならばこれからまた着いていかないと行けないだろうに、まさかの帰社指示がくるなんて思わないじゃないか…。
「お前がいると気が散るんだよ。こっからは水原と行動しろ。んじゃ」
「えっ、あー!ちょっとぉ!」
微かな罵倒をした後に、住浦さんはそそくさとこの家から出ていってしまった…。
「行っちゃった…」
なんともいい加減に匙を投げられたような気がする。
まるで、まだ味のなくなっていないガムを、道端に吐き捨てられたような気分だ。
「ま…僕らは僕らで別で行動しよう。周りの人に聞き込むのも、仕事さ」
あんぐりと口を開ける僕を見かねて、水原くんが次の仕事を提示する。
扉の向こうにいる彼女が少し気がかりだったが、あんまり好かれていない自分が行っても、なにも教えてくれないんだろうな…。
「わかったよ…」
渋々、僕らは互いに情報交換や聞き込みをしながら、またスプリミナルへと戻ることにした。
というか…住浦さんよりも水原くんの方がよっぽど先輩をしている気がするな…。
◆
夕方、空に橙が浮かびだし、日が少しずつ西へ落ち始める頃…。
「ハァ…疲れたぁ……」
客がほぼいなくなったカフェテリアの中、ここまで集めてファイリングした有力情報資料を前に、僕は机に突っ伏した。
「お疲れさま…」
隣に座る水原くんが僕の肩をそっと叩く。
その変哲もないワンアクションが、元詐欺師の僕にとっては大きな励ましになるから嬉しい物だ…。
正直、詐欺師の時よりは心にはこないけど、身体的には疲労が蓄積するな…。
「二人とも、コーヒーかなにかいる?」
見かねたあおいちゃんが、食器を片付けながら、僕らに聞いた。
「あ、んじゃお願い…」
「僕はいつものね」
「は~い♪」
僕らの返答を聞き、彼女は鼻唄を歌いながら、意気揚々とサイフォンを手に取った。
そういえば、彼女も特異探偵課だった筈だけど、どっちかと言うとカフェの仕事しかまだ見ていない気が…。
まぁ、今はそれどころではないか…。
「結局、事件についてはあまり進んでない件について…」
帰ってきてから、色々と捜査をして、兼井さんの事件までの行動や、日之出さんのいつもの態度であったりと、色々とわかったことはあった。
けれど、結局は事件と直接的な関係が見られなかったため、依頼解決の糸口にはならなそうだ…。
「今のところ…完全にカネイくんが悪い感じだなぁ……」
「そう…だよね……」
勿論の事だが、なにも進まないと言うことは、結局『兼井さんが有罪のまま』と言うことだ。
依頼を遂行するためには、このままではいけない…。
集められた資料を観察しながら、もっと確信につくようなことを考えなければ…。
「ユウキくんはどう思うの…?カネイくんのこと」
ふと、水原くんが頬杖をつきながら僕に聞いた。
「……僕はまだ信じてる…。だって、あの人が暴力振るうようには見えないし…それに、ヒノデさんもなんか、告訴とかじゃない何かに必死な感じがして……」
僕の答えに迷いという物は一応ない。
中立的な立場にならないといけないから、冤罪ということ自体を疑うのも大切だろうが、僕としては、依頼者をまずは信じるということが、第三視点に立てることに繋がるるんじゃないのか、とも思っている。
ただ、冤罪という言葉を疑うとなると、兼井さんが嘘をついている可能性も無くはないだろうから、裏切られるのが怖いけれど…。
「とりあえずは、カネイさん無罪派…ってわけね」
彼はそういって、
水原くん自身は、どっちを信じているのか聞いてみたかったが、それを聞くこと自体、野暮な気がしたため、そっと口をつぐんでおいた。
ガチャン!カランコロン…
そんな時、閉店間際の店の扉が開く。
「よぉ。進んだか?」
単独行動をしていた住浦さんが帰って来たようだ。
「いや…全然ですね…。とりあえず現状報告を…」
僕はそう言ってファイルを開くと、住浦さんはめんどくさげに「んだよ…」とぼやきながら、僕目の前の椅子に腰をかけた。
改めて、これまでに調査した情報を簡単に整理しよう。
大人気の動画投稿者『カテキン』として、仕事に一生懸命な兼井さんと、彼が構ってくれなかったことで倦怠期になっていたカメラマンの日之出さん。
事件当日の20時頃、二人は久々に外食デートをするために、近所の少し高級な居酒屋へ行った。
兼井さんの証言では、その後は久々に楽しく会話をしたり、小さなゲームをしたりと、これを機に今まであまりできなかったことを沢山していたらしい。
その中で、酩酊状態のまま手押し相撲をして遊んでいたのだが、そこで彼女が押し倒されてしまい、尻餅をついたところで、店員がそれを暴力と見間違えてしまったとのこと。
しかし、店員である利郷さんの証言によると、入店してから
その時、たまたま利郷さんが皿を下げに行こうと部屋に入ったところ、兼井さんが木元さんを押し倒していた、とのことだ…。
利郷さん以外の店員さんも『言い争いのような声を聞いた』との証言を多数していたのだが、高級店と言っても居酒屋だから、それが兼井さんと日之出さんの声だったとは断定できない。
それに、水原くんが監視課と呼ばれる場所で貰った来店情報を鍵に、事件当時に来ていたお客さんに色々と聞いて回っていたのだが、言い争いをしてしまったり、他の部屋から騒音が聞こえたと証言している人もいれば、酔いすぎて記憶がないと言う人もおり、カテキン暴行事件の解決の鍵には、残念ながら届かなかった。
結局、多くの情報を集め終わったとしても、残念ながらここまでしか整理は出来なかった…。
「そういう感じねぇ…」
僕の説明を聞き終わると、住浦さんは広げていた資料を閉じて、背もたれに体重を掛けながら仰け反った。
「以降は…これと言った情報は見つかりませんでした…」
こんなに手がかりが見つからないと言うのを体験するのは、勿論始めてで、これが"事件を捜査する"ということなのか。
なんて思うと、僕自身、この仕事自体に、煩わしさすら感じ始めていた…。
「まぁ…もう伝えるっきゃねぇだろぉ…。信憑性が高いのは店員の証言でした。こっちはもう手伝えません…ってなぁ…」
しかし、完全に諦めきっているような彼の発言が癪に障る…。
「でも……やっぱり僕はなんか…諦めたくないというか……まだ、カネイさんが嘘をついてるとは思えなくて…」
仕事に煩わしいと思っていようが、自分の依頼者への思いは捨てられない。
少しだけそんな反論をした途端、自分とは対照的な意見を持っているであろう住浦さんの眼光が、急に鋭くなる。
「しつけぇなぁ……お前は何がそんなにひっかかんだよ…」
その口ぶりは、まるで"手前のことが面倒臭い"とでも言いたげだった。
「だって!彼はスプリミナルに頼ってくる程なんですよ!?まだ裁判までもう少しだけ時間はありますし…それに!彼女の証言には、まだなにかムラがある気が…」
「裁判では証言と証拠が全てだ。感情論で動くな新人…」
興奮状態の僕の言葉を、住浦さんの言葉がぴしゃりと遮る。
「それに…さっき色々回って、カネイの事を色々調べてみた。あいつは地域で偏差値下位のバカ高を卒業している上に、修学中は大人しいだけの性格だったって言うじゃねぇか…。それを踏まえた上で動画見てみろ。そんなのとは段違いに性格が違うんだぜ…?」
そう言って、住浦さんが出してきたのは、束ねられた書類ファイルだった。
それを手に取って見てみると、書かれていたのは、確かに兼井さん一人だけに関する情報の数々だった。
学校の偏差値や、事務所への悪評、カテキンとしての顔の悪評、それに加えて、今まで出てきたフェイクニュースすれすれのネットニュースの画像まで書かれている…。
彼としては、あくまでも参考までにと言うわけだろうが、きっと彼の主張したいことは『兼井さんの本性は別にある』と言うことなのかもしれない…。
「それに…俺とタイマンで話してたときのヒノデの証言では、カネイは相当なダメ男だったみたいだぜ…?相談なしでカメラは買うし、なかなか売れなかった時はヒモに近かったらしいしな…」
総ての言葉を束ねてみると、確かに彼の推理は納得がいくものだ。
しかし…彼の態度はまるで、諦めて早く仕事を終わらせろ、とでも言いたげな物だった。
「それこそ……感情論じゃないんですか…?」
その態度に堪忍袋の緒が切れる…とまではいかないけれど、住浦さんが今吐き出した言葉のせいで、完全に僕の怒りの感情に火がつけられていた。
「んだと……?」
眼光がさらに鋭く熱くなるが、僕は怯まない。
「被害者の主張と兼井さんへのマイナスの印象だけで動くのは、納得できないんです…。それに、今あなたが言ってるのは、ヒノデさんの感情だけじゃないですか!」
僕がそう声をあげた瞬間、住浦さんが立ち上がり、乱暴に僕の胸ぐらを掴んだ。
「新人が…調子に乗るなよ…」
強気に釣った目が僕の心を突き刺そうとする。
思わず弱気になりそうだったが、それでも僕は彼を睨み返す。
どちらかと言うと、僕は臆病な性格だけれど、この時の住浦さんは怖くなかった。
間違っているのはこの人だ。
どれだけ頭が良くても、どれだけ上の先輩であっても、根本的な尊厳として、間違っていることを僕は指示できない。
ここではいはいと頷くことをしては、僕はヘタレから愚か者に成り下がってしまう。
ダンッ!
「ブルーアイ二つと、カドヤスペシャル一つ!」
にらみ合いが続いて少し経った後、突然、机の上にドリンクの乗ったトレイが音を立てて置かれ、あおいちゃんが大きく声をあげた。
「ここで喧嘩しないの!テツヤくんも、シュウくんに何言っても無駄なんだから!一旦冷静になるの!」
間をわって喧嘩寸前の状態を止めたあおいちゃんに、僕と住浦さんは呆気にとられる。
彼女の怒りの一声によって、ヒートアップしていた僕らは、まるで大量の水をかけられたように冷静になった。
こんな憩いの場所で、口論をしてしまって申し訳ない…。
「ったく……」
落ち着きを取り戻した住浦さんは、僕から手を離して再び椅子に座り、僕らの目の前に置かれたコーヒーを手に取った。
「…僕は諦めてないですから……」
負け犬の遠吠えのように捨て文句を言ってしまったが、これは紛れもない本心だ。
まだ救うための兆しは見えないけれど、僕は兼井さんを救わなければならないのだから…。
「……間に挟まれててめんどくさい所あれなんだけどさ……」
こちらが勝手にヒートアップしてしまい、すっかり忘れられていた水原くんがふと声をあげる。
「その事件の第一発見者である店員の情報も、一応見てもらって良い?」
そう言って、水原くんも資料を取り出して机に広げ、第一発見者の説明を始めた。
ホウセキカナヘビ型の
彼自身は、バラーディアでも有数な高校を出ている上に成績も優秀な方だったらしいのだが、現在は22歳のフリーターとのこと。
両親は裁判所と大企業で、父母共に重役として働いているから裕福だったらしく、小さな頃からピアノや合気道と言った色んな教育を受けてきたようだ。
しかし、大学受験に失敗して生き場所がなく、今はずっと両親の
同じバイトの方からの印象として、利郷さんはいつも生気が抜けているような態度で、仕事はしっかりしているのが、愛想が悪いとらしい。
何を目指しているのかわからないし、バイト以外は何をしているのかもわからないから、近寄りがたいとも言われているのだとか:。
尚、彼は第一発見者として、明日の公判に証人として出るようだ。
「まぁ…特に気になる点はなさそうだけどもね…」
水原くんの言うとおり、確かにこの事件に関連して、なにか怪しいところがあるのか?と言われると、そうではないのかもしれない。
単純にたまたま見つけて勘違いした…と言う考えの方が強そうだ。
まぁ、一応、参考人として覚えておいた方がいいのだろう…。
カランカラン!
すると、間もなく閉店だと言うのに、突然お店の扉が開いた。
「いらっしゃいま……あっ!ユイちゃん!フミカちゃん!」
客を見るなり、先程まで怒っていたあおいちゃんの顔がパッと明るくなった。
気になって振り返ってみると、そこには、下校中だったであろう高校生が二人、来店していた。
「やっほ!アオちゃんおひさしぶり~!」
一人の少女は、学生服の下に黄色いパーカーを着込み、スラッとした脚に、ショートカットの後ろ髪がぴょんと跳ねた、如何にも活発そうな子。
「お邪魔…します……」
その後ろには、一冊の本を片手に持ち、少しボサッとしたロングヘアーと、縁のない眼鏡が特徴的な女の子が、少し恥ずかしげにあおいちゃんに挨拶をする。
「久しぶり~!最近来なかったから心配したよぉ~?」
あおいちゃんは嬉しそうに彼女らに駆け寄った。
「ごめんねぇ~。最近ダンスチームの練習で忙しかったりしてて…今日はお休みだったから来ちゃった」
「私は…ちょっと色々と勉強が立て込んじゃってて…。今日はユイちゃんに誘われた…から……」
二人は申し訳なさげにあおいちゃんに弁明すると、彼女は、そっかと頷きながら納得する。
「色々大変だったんだねぇ…。そうだ、折角来たんだし、なにか飲む?」
「あっ!それじゃ、いつものゆずレモンスカッシュ!」
「私…アイスコーヒーで…」
二人のお客さんの注文を、あおいちゃんはにっこりと笑って了解し、足取り軽やかに厨房へ行き、ドリンクの準備を始めた。
彼女の期限の盛り上がり様を見るなり、どうやら、あおいちゃんはこの女子高生二人とは友達のようだ…。
「彼女達は…?」
正直、見る限りはあおいちゃんの友人と言う以外、何の変哲もない普通の女子高生たちだが…。
「あぁ、うちの常連の高校生。たまにちょっとやかましく感じちゃうかもだけど、二人とも良い子だよ」
毒舌混じりに水原くんが彼女らを紹介する…。
彼が何か物を言うときは、いつも毒が混じっている気がするな…。
「おっ?なになに?今日も事件?」
「大変…ですね……」
すると、突然二人の女の子が僕と水原くんの間からニュッと顔を出し、机に置かれた資料に目をやった。
「あ!こ、これは見せられなくて!」
慌ててファイルを隠そうとしたが、水原くんが僕の手の上に手を置いて止める。
「大丈夫だよ。二人とも、僕らのこと知ってるから」
「そ…そうなの…?」
僕が聞き返すと、水原くんの説明に納得するように住浦さんが頷いた。
「こいつらは郷仲が認めた協力者兼、情報屋の人間だ。意外と口も固ぇし、そんなに気を張る必要はねぇよ」
彼はそう言うと、持っていたコーヒーカップを置いて、僕らの近くにあった資料を全て手にとって、改めて自分の膝の上に広げて眺める。
情報屋…。
ここには情報捜査課があるから必要ない気がするし…こんな普通の高校生の彼女らがそうとは思えないが……?
「あ!アオちゃん、もしかしてこの人、新人さん?」
すると、跳ね髪の女の子が僕の顔を見ながら、あおいちゃんに聞く。
「そう!ついに後輩できたんだよ!ユウキ テツヤくん!」
すると当人は、まさに歓喜の言葉を体現したかのような、眩しく可愛い笑顔を情報屋の二人に向ける。
確かに…僕が入ることになったって聞いたら、跳び跳ねて喜んでたって引っ越しの時に聞いたな。
ただ、カフェの勤務が忙しく、引っ越しの手伝いには来れなかったらしいが…。
「そうなんだ!よかったじゃーんっ!」
「ずっと…欲しがってたもんね…」
嬉しさが伝染したかのように二人もにっこりと笑顔を浮かべて、あおいちゃんを
「はじめましてユウキさん。私、サキハナ ユイって言います!開発課に友達がいるから、ここの事はちょっと知ってるんだ!それでこっちが…」
「ヨサノ フミカ…です。いろいろあって、一応スプリミナルの協力者になって…ユイちゃんとは、同じクラスの同級生で…友達です」
跳ね髪の女の子、
「あ、よろしくお願いします…」
久々にこういう年がほんの少し下の女子と話したから、ちょっと緊張してよそよそしく挨拶をしてしまった。
まぁ…ここにいる人間では僕が最年長ではあるけども…。
「まぁ、友達って言うより彼氏だけどねぇ~」
「ちょ…ちょっとアオちゃん!恥ずかしいんだから!」
「意外とピュアだよね」
「フミカちゃんまでぇ~」
先ほどまで興味津々だったはずの僕を他所に、三人が
なんか、こう"誰かが友達と過ごす"って言うシーンというのも、なんか久々に見る気がする。
学生時代は、特に誰かとざけ合ったりすることはなかったし、どこかのグループに入るということも特に無かったな…。
そう言えば、中学に上がってから別れてしまった親友の女の子は元気にやっているのだろうか?
こんな風に、また誰かと笑いあっていると良いんだけどな…。
「なぁ…。お前ら、これなんかわかんねぇか?」
ふと、住浦さんが資料ファイルを情報屋二人に見せる。
優衣ちゃんがファイルをそっと手に取って広げ、それを文華ちゃんと一緒に眺める。
「ふーん…今回カテキンが依頼人なんだぁ……。あっ、カテキン今ヤバイよ?SNSで『聖人の皮被った鬼畜野郎だった』ってめちゃくちゃ叩かれてるし、学校でも、チョー話題なの!しかも住所や学歴まで晒されてるし、変な人はSNSに刑務所まで行ってみたって動画あげて逮捕されてるし!」
見せてあげようか?と優衣ちゃんは資料を文華ちゃんに渡し、(頼んではいないのに)スマートフォンを立ち上げ、即座に色んなSNSの画面を僕らに見せてくれた。
百数十文字のみの言葉を吐き出せるSNSには、彼女の言ったような『聖人の皮を被った鬼畜野郎』だとか『一生くたばってろ』だとか『死ね』だとか、そんな罵倒な言葉が、インターネットの中で埃のように積もり積もっている。
写真を投稿するSNSでは、全く関係のない画像と共に『カテキンサイテー』と言った、軽い売名のような罵倒を、メッセージでのやり取りを基本としたSNSでは、タイムラインの欄に『カテキンくたばれと思う人はグッドか共有を』とチェーンメール紛いの投稿。
そんな、汚れた色とりどりの罵倒が、SNSで繰り広げられていたのを、僕らは殆んどしらなかった…。
「と、こういう風に、俺らがつい見逃してしまうような場所の情報を、こいつらが手に入れてくれてるわけだ」
「な…なるほど……」
住浦さんの備考に、僕は納得した。
確かに、自分達は先ほどから、ずっとSNSとか他愛ない会話とかに眼もくれず、ただ手元に集められた資料を元として事件を調べていただけだった。
というか、手元に集められた資料だけでも精一杯だったのが本音かもしれない。
そんな手の届かない範囲を、彼女らが自然に提供してくれている。
どんな理由で優衣ちゃん達が採用されたのかは知らないけど、この子達が僕らに介入する価値は確かに存在するな…。
「カテキンさん……そんなことしないって…思ってたのに……」
ふと書類を閉じて、文華ちゃんが物悲しげに呟いた。
確かに、聖人で有名な人が暴力事件を起こしたと言われたら、失望に似た思いを持ってしまうよな…。
「でも、スプリミナルに頼むくらいなんだから、きっと違うって私は信じたいかなぁ…」
対して優衣ちゃんは結構徹底して信じようとしている感じだ。
そういえば、日之出さんにもさっき、"信じてあげるのもファンだ"みたいなことを言ったからな…。
勿論、僕自信も彼のことを信じている。
「一応、僕もユイちゃんやユウキくんとは同じ思いだけど、今のところ有罪になるかも…って、スミウラくんは主張してるんだよね」
「えー……。まぁ、まとめサイトとかでも、あることないことバンバン書かれてるもんねぇ…。そう思ってもしょうがないかなぁ…?」
そう言って、二人は横目に住浦さんを見ながら話し合う。
人数的には、やっぱり兼井さんを信じたいという人が多いようだ。
きっと、兼井さんがカテキンとして善き行いをしてきたからこそ、誰かの信じたいという思いが、こんな小さなところで、まだ小さく残っているのかもしれないな…。
友達もあんまり作らず、詐欺を働いてきた僕とは大違いだ…。
というか…水原くんも一応信じてくれてはいたのか…。
「……あ」
ふと、文華ちゃんがなにかに気づいた。
「どうした?メガネ」
住浦さんが腕と足を同時に組みながら彼女に聞くと、文華ちゃんは第一発見者である利郷さんの写真に指を指す。
「この人の着てるTシャツ…知ってる……」
「え……?」
文華ちゃんの言う通りに見てみると、彼の着ている黒いTシャツに、独特なフォントで『LiSSa』と描かれた小さなワンポイントが、さりげなくデザインされているのに気づいた。
すると、目を細めて写真を見ていた優衣ちゃんが、突然「あっ!」と大きな声を上げる。
「これ、リッサと同じやつじゃない!?ほら!カテキンと同じ動画投稿者の!」
彼女が口に出したその名前に、僕ら探偵は、各々首をかしげる。
「リッサ…?」
動画投稿者にまで詳しくない僕らを見かね、優衣ちゃんはスマートフォンを即座に取り出して調べ、その画面を僕らに見せた。
「これこれ!」
彼女の携帯に写されたのは、動画投稿サイトの個人チャンネル画面。
その動画のサムネイルには、自分の顔面を狐のお面で隠している人が写っている…。
「去年の6月にチャンネル開設をしてて、現在までのチャンネル登録者数は50256人、総再生回数約298万回の炎上系動画投稿者。デマや誹謗中傷に関する動画とかをあげてる上に、今回のカテキン騒動でも『やっぱりカテキン屑だった』って言う動画で、100万再生も稼いでる」
僕らが画面の隅々を見るよりも前に、文華ちゃんが全てを解説してくれた。
「く…詳しいね……」
「私…一度見たことは…基本忘れないですから……」
そう言って、どこか得意気に眼鏡をクイッと上げる文華ちゃん。
なるほど、瞬間記憶能力がこの子にはあるのか…。
普通の人間でも瞬間記憶ができる人が希にいるとは聞いたことがあるから、彼女が異能力者なのかどうかはわからない。
けれど、確かに情報屋にするにはうってつけの人間だし、ここに事務員や情報捜査課として働いていても不思議じゃないだろうな…。
「それにこの金髪もそうだよ。天然な金色って感じのは、リッサ位しか考えられないもん!」
少し興奮気味な優衣ちゃんの言うとおり、画面に写っている人の髪は稀にも見ないほどの美しい金色で、資料に貼り付けられた写真に映る利郷さんも、確かに綺麗な金髪だ…。
「もしかして…」
ふと、リッサの事についてあまり反応を示さなかった水原くんが、なにかに気づく。
「カドヤ、なんか閃いた?」
「推測なんだけどね…こいつもしかして…二人を嵌めたんじゃないか…?って……」
アオイちゃんへの水原くんの返答が鍵となり、僕もその真意に気付かされた。
「……っ!そっか!キモトさんが告訴を取り下げなかったのは、カネイさんが嫌いなんじゃなくて、"キモトさん自身が脅されていた"ってことに…!」
同じ動画投稿者なら、自分よりも上の人間を妬まないわけがない。
勘違いしたのをきっかけとして、自分の動画投稿スタイルを利用すれば、嘘を流すことも容易な上に、第一発見者であることを利用すれば、それよりも悪い印象をインターネットに流すことだってできる…!
パチパチパチ…
ようやく全ての謎が繋がったところで、突然、住浦さんがニヤリと笑いながらテンポの遅い拍手をする。
「ッハハハ…ようやくわかったかぁ~」
急に発されたその言葉に、僕の脳内はハテナでいっぱいになった。
「お前らがうちの部下だったら、給料アップさせてやってるところだな」
「え、ど…どう言うこと…ですか?」
僕だけが混乱している中、周りの人々は「あぁ~」と納得のような声を次々に挙げる。
「やっぱり、スミウラくんは気づいてたわけね…」
「まぁな」
水原くんが彼にそう言ったところで、未熟で白痴な自分が、住浦さんに騙されていた事にようやく気が付いた。
「あっ…!じゃ、じゃあ!あなたは僕を試してた…ってことですか!?」
彼はあくまでも僕の新人研修として、自分が分かっていたことを、あえて言わなかったのかもしれない。
全てはスプリミナルの探偵として、僕を成長させるために…。
「いや、単純にからかってただけ」
なんて思っていたのだが、住浦さんは即座に僕のその言葉を否定する。
「えぇ…」
この人…本当に人を見下すようなことが好きなんだな…。
「
「そこをつけ狙って脅迫していたんじゃないか…ってことですか…?」
僕は推理に続くつもりで言ったのだが、住浦さんから、少しだけ負の感情を持った目を向けられた。
「お前、続き言おうとしたときによく割り込んでくんな…」
「す…すみません……」
でしゃばってしまった新人をジッと睨む住浦さんに、僕は平謝りをする。
にしても、まさか彼が、ずっと兼井さんだけではなく、日之出さんのことまでも、怪しんでいただなんて…。
自分をからかうためだけに嘘をついていたが、彼にも彼なりの中立的な立場という価値観があるのだろうな…。
しかし、何故そこまで日之出さんが脅されているという推理を僕達から隠していたのかは少し不思議ではあるな…。
「サイッテーだよそれ!サイッテー!」
なんて思ってた途端、優衣ちゃんが怒りの声をあげ始める。
「ずーっと思ってたけど、こいつ本当に屑だよ!私の好きな有名なダンサーさんもこいつのネタにされて、変なアンチがたっくさん付いたし、もーっ!」
興奮気味の優衣ちゃんは顔を真っ赤にして怒る。
「ユイちゃん…抑えて抑えて……」
その彼女を文華ちゃんがなだめると、優衣ちゃんはブスッと口を尖らせながら、近くの椅子に座った。
あんまり、動画投稿者のことは知らないけれど、そりゃあ、好きな人を貶されたりしたら、誰だって怒りたくなるよな…。
それは僕だって…。
……おっと、つい自分のちょっとした黒歴史を思い出しそうになってしまった。
いけないいけない…。
「ミズハラ、裁判はいつだった?」
住浦さんが聞くと、水原くんは資料ファイルに貼ってあった付箋を見る。
「明日の10時から公判だって」
「よし、俺はその時に動く。お前らは傍聴席にでも座って、その屑の味方が来ないかを見張っとけ。俺はもうちょっと調べるもんがあるから、離脱する」
住浦さんは僕らに指示をしてから、意気込むように立ち上がり、机に置いてあるものと、水原くんや文華ちゃんが持っていた資料ファイルを全て取り上げた。
「ファイル借りてくぞ」
彼はそう言うと、出口に向けて駆け出す。
「な…なにか他にわかってることがあるんですか!?」
彼に聞くけれど、質問に全く応じることなく、住浦さんはCafeを出ていってしまった…。
「なにも言わず行っちゃった…」
なんとも自己中心的と言うか、我がままに生きていると言うか…。
「スミウラくんはそういう人だよ…。ちょっと変だし、大切なことはあんまり言ってくんない。自分の手柄や利益のためにね」
水原くんがそう言うと、その場にいる女の子達が同調して頷く。
「確かに、スミウラさんって結構やばいもんねぇ…」
「変だし…ちょっと難アリな人ですよね…結構…」
「ついでに罪も相まって、激ヤバって感じだよね~」
ドリンクを作っているあおいちゃんまで参加して…。
「そ…そんなに…?」
「「「「うん。しかも結構クズ」」」」
「えぇ……」
まさか、四人が声を揃える程にヤバイ人だとは…。
まぁ、僕をからかうだけで真実を隠すような人だから、確かに変人ではあるが、クズという面はよくわからないな…。
「どれだけクズなのかってのはね、真実はよくわかってないけど…」
自分が疑問に感じていたことを解説してくれるためか、優衣ちゃんが口を開こうとする…。
「実はスミウラさんって…」
「はーい、ゆずレスカとアイスコーヒーね」
しかし、ついに到着したフェイバリット特製ドリンクが、優衣ちゃんの言葉を遮った。
「あっ!ありがとっ!」
「いただきます…」
女の子二人はウキウキと微笑みながら、あおいちゃんから飲み物を受け取った。
「え、ちょ!スミウラさんの事は!?」
「ごめん!実は結構長いから…また誰かに教えてもらって!」
僕の疑問よりもドリンク優先なのか…。
まぁ、まだ彼女らは高校生だし、ここのメニューはどれも美味しいから仕方ないか…。
なんて思いつつ、僕らの今日の勤務は終わったのだ。
住浦さんに振り回されたような初勤務で、正直疲れた。
今日なんとか掴めた真実が、明日の公判で兼井さん達を救ってくれることを、僕は沈み行く太陽を見ながらそっと願った…。
◆
裁判所ってのは、面倒くささの固まりだ。
誰が悪いのか、誰が罪人じゃないのか、それを決めるためだけに、時に何十年もかけて話し合いばかりしやがる。
その結果、冤罪のままブタ箱にぶちこまれた奴は、そこから出てもひたすらに汚名を着させられつづけ、人を殺したのにぶちこまれなかった屑は、罪の意識なぞ忘れてのうのうと生きている。
リージェン国家になってから、法整備が進められたが、裁判制度はあまり変わっていない。
冤罪が起きるのは変わんねぇし、俺らがいるお陰で、少しは簡潔に裁かれるようになったが、裁判による闇が全て払拭されることは未だにない。
ただ、ヤクザ並みの徴収方法してた放送団体やら、何人ものガキを轢き殺しておきながら、他人のせいにしてたような上級国民だかは、今の国家のお陰で、解体やら懲役やらに、少しは早く処分が決まるようになったらしいがな…。
「ッチ…めんどくせ……」
この面倒の権化たる場所で、そんなことを呟いていたのは、俺だけではなかった。
「めんどくさがりなんだなぁ…真犯人って奴は…」
少し離れた場所でめんどくさがっているそのリージェレンスに、俺は声をかける。
「あ…?」
奴はトカゲ類だけあって、眼光もなかなかに鋭い。
「リサト ジュリだよな?カネイ キノミを騙し、ヒノデ キミカを恐喝していた犯人は…」
俺は近づきながら聞くと、奴は顔色を変えずに応える。
「……本当だっつったら?」
ガァンッ!
ふざけた答えをした利郷の胸ぐらを掴み、俺はそいつの体を壁に打ち付ける。
質問を質問で返すような物は正直好きじゃねぇ。
こちらが主導権を握っているのにもかかわらず、無様に奪おうとしやがる弱者を見ている感覚に駆られるからだ。
まぁ、今そう言うのは関係ねぇか。
「なんだてめぇ……俺は本当だとは言ってねぇぞ?」
少々苛立っているのか、利郷の眼が黒みがかり、ギョロりとこちらを見つめている。
恐らく、母親リージェンの特性が遺伝しているからこのようになっているのだろう。
「シーッ……」
バリバリにやる気っぽそうな利郷だが、そういう気は更々ない俺は人差し指を立てて、奴に静粛を求める。
「お前さぁ…捕まりたくねぇんだよなぁ…?」
俺が聞くと、利郷は首をかしげる。
奴がなにがなんだかわからないような顔を浮かべる傍ら、俺はポケットの中から、今時古い有線カナルイヤホン付きのMP3プレイヤーを取り出した。
「ちょっとこれ聞いてみてくれや…」
そう言って、俺は奴の耳にイヤホンを入れ、プレイヤーのスイッチを押した。
イヤホンから流れてきた音声を聞いた利郷は瞳孔をかっ開いて驚いている。
ちなみに、いまMP3にはこんな音声が流れている。
〈私は……あいつを絶対許しません…。私を殴ったあいつを…カネイ キノミを…!〉
あくまでも一部分だが、勿論、声の主は日之出 公佳、本人だ…。
「これ……」
レコーダーから流れた音声に利郷が食いついたところで、俺はプレイヤーの電源を切る。
「お前が脅迫した女…元々カネイへ嫌悪があったみたいでなぁ…」
俺がそう言うと、驚きのまま利郷はそっとイヤホンを外して手渡す。
「陥れようがなんだろうが、あの女は別れたい。そんで、お前はカネイを地獄に叩き落としたい…」
奴から生唾を飲んだ音が聞こえる。
ようやくここから本題だ。
「どうだ?こちらの法廷がひっくり返るような代物、50万で取引してやるけど…?」
俺が奴に話しかけたのはそういう理由だ。
個人的利益のため、俺は利郷に取引を持ちかけた。
いろいろと理由はあるが、これが俺のやり方だからな…。
「正気か…?」
さすがに利郷も怪しむか…。
だが、案ずることはない。
「こっちの方が…お前の立場上困らねぇだろ…?」
単純、このボイスレコーダーを法廷で使った方が、こいつにとってのメリットになり変わるるのだ。
「う……」
やはり、安い買い物じゃないから迷っているな…。
「支払いはどんな形式でも良いぜ?小切手だろうと、なんだろうと、俺は利益さえ出りゃ良い。お前が望んでいるように書きゃいいのさ…」
トドメに俺がそう言うと、利郷はようやく眼の色を、良い方向に変えた。
「……わかった」
利郷はポケットの中から白紙の有価証券(小切手)を取り出し、そこに口座や支払い人の名前等を書き、俺に渡した。
これで全ては計画通りに進んだ…。
「まいどあり…」
俺はボイスレコーダーを渡すと、利郷は笑いもせず、適当に頭だけを下げて、法廷の中へと足を進めた…。
計画が完了したことで、俺の手元に比較的デカイ利益が入ることが確定した。
これで、後は裁判が上手いこといきゃ、スプリミナルとしての仕事も完了だ…。
「…傍聴席に行っとけって、覚えてなかったか…?」
だが、
「なんでここにいる…?」
俺が聞くと、奴は目障りな程に混乱している。
「どういうことですか……あれ、なんなんですか!?」
ガヤガヤとうるさい…。
正直、郷仲にはちゃんと『俺のやり方でやる』と言ったのだから、新人ごときが口を出しても仕方がないだろう…?
「なんか渡してましたよね……?もしかして…カネイさんが不利になることを…!?」
怒っている新人が近づいてくる。
この五月蝿い勘違い馬鹿を無視し、俺はこいつの横を通りすがってこの場を去ろうとするが、こいつは遂に俺の肩を掴みやがる…。
「なんか言ってくださいよ……スプリミナルはこういう場所なんですか!?こんなの本当のこと知ってるカネイさんが可愛そうじゃないですか!」
バキッ!
ほら見ろ。
あまりにも畳み掛けるもんだから、つい俺の怒りが弾けてしまった。
「素人が黙ってろ…」
俺は、俺が殴った新人の胸ぐらを掴んで、顔を近づける。
「俺は綺麗事してんじゃねぇんだよ…。俺は全て自分の利益のために動いている…。この世は金、名声、世間、全てを
新人に伝えている俺の言葉こそが、この世界の摂理だ。
今も頭の中にこびりついている、義務教育と言う社畜製造機関の呪いに翻弄され続ける俺たちは、どれだけ普通に生きていても、いつかは溢れ落ちて堕落していく…。
だが、堕落せずにしがみつけられる人間は、授業で聞いた「他者への思いやり」やら「年功序列」なんかよりも、結婚やら友愛すらにも含まれる「自分自身の利益」が大切であることに気づくことで、なんとか生きているわけだ。
それもわからず、ただ目の前の人間を救いたいなんぞと言う、こいつの発言には、心底、反吐が出る…。
「スプリミナルに来て、たかだか数日のペーペーが調子のってんじゃねぇよ…」
奴の胸ぐらから手を離し、俺はため息をひとつ付く。
「あぁ…一気に面倒になったわ…俺、ちょっとこっから出らぁ…。なにかしてぇなら、先に勝手にやっとけ…」
唾を道に吐き捨てるように言葉をこいつに放り、俺は歩き出す。
心底こいつには呆れる。
考えが浅はかすぎるから、ここからスプリミナルに残るのは無理だろうな…。
「…それでも……」
声が聞こえて振り向くと、新人は殴られた頬を拭いながら立ち上がっていた…。
「それでも…あんたは探偵なのか!」
一丁前に、強がって遠吠えすること位はできるんだな。
「た~んて~いでぇ~す…」
その声に応えてやるように、俺はニヤリと笑いながら、その場から歩きだした。
負け台詞を吐けるなら、まだ強くなれる筋道はあるわけだな…。
あとは、こいつに噛みついたまま剥がれないような『個人的利益』がありゃ、少しはやってけるんじゃねぇかな…。
……にしても、殴ったときの感触が、いつもよりも違っていたのは気のせいだったのだろうか…。
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