エラーナ


 ラナいわく、それは『物語』の中で語られた光景だったらしい。

 唯一違うのはセルジジオスが共に飛び回り、風の圧力で邪竜の体をバラバラにしていくところ、だそうだ。

 だが、水の国である『青竜アルセジオス』で生まれた邪竜は体が水のようで、アルセジオスがリファナ嬢から与えられた『聖なる輝き』の力で水を浄化をしていき、ようやく邪竜の体は消えていく。

 それこそ『物語』の通りに——。


「…………聖なる輝きとは、王竜クリアレウスと共にもたらされた異界の神の力であったか」


 ゲルマン陛下がその力を眺めながら呟く。

 謎の多かった『聖なる輝き』……。

『王竜クリアレウス』。

 異世界より現れ、この世界を創造し、この世界の大陸となり、今もこの世界の全ての命の根源となっている——という言い伝え。

 守護竜は『王竜クリアレウス』の子孫たちであり、竜力によってこの世界を支えている……。

『聖なる輝き』は、『王竜クリアレウス』と共にこの世界に来た、『浄化の力』?

 人が使うにはあまりに強いため、砕いて撒かれ、素養がある者にだけ使える……。

 その素養ってなんだよ、と思うが……まあ、それがいわゆる『魂の輝き』とか『清い心』とかなのかもしれない。

 だからあながち間違いではなかったのか?

 まあ、守護竜にもう少し詳しく聞きたいような気もするけど……。


「…………邪竜が消える」


 アルセジオスとセルジジオス。

 二体の守護竜相手に邪竜は消えていく。

 それを見届けてから、セルジジオスはアルセジオスと逆……こちらの方へと戻ってくる。

 小さなあの体から、なぜあんな凄まじい風を生み出す事が出来るのか。

 やっぱ竜ってヤバいわ。

 そりゃ町の一つ二つは吹き飛ぶわ……納得。


『おつかれー、おつかれー。セルは帰るよー』


 ゆるい。

 しかし、やはりゆるい!

 セルジジオス、喋り方がトワ様みたいだよ!

 あんなにすごいのに、なぜこんなにゆるいのか!


「か、感謝する、セルジジオス」

「ありがとうございます、セルジジオス様! お会い出来て光栄でした。本当はもっと、わたくしお話ししてみたいと思いましたけれど……」

「セル! ありがとー!」

「あ、ありがとう、セル! お姉ちゃんとお兄ちゃんと、みんなを守ってくれて……」

『聖なる輝きを持つ者が二人いたから良かったよー。トワはブラクジリオスのだけど、ファーラはセルジジオスにいてくれるの? セルと契約する? そしたらセルもっと強くなるのに』


 帰るよ、と言っておきながらファーラの勧誘!?


「!?」


 そしてなぜ俺の頭の上に乗っかる!?

 長い首をにょろっと下にいるファーラに向けるが、いや、あの、別に重くはないですが、なぜ? なぜ俺の頭の上に? 本当、なぜ?

 あのー、セルジジオス様ー?


「…………う、うん。『緑竜セルジジオス』に帰るよ。『緑竜セルジジオス』には家族がいるから。ユーお兄ちゃんとエラーナお姉ちゃんも帰るし……ファーラも帰る……」


 少しだけ、ファーラは目を泳がせた。

 もしやクールガンの事が気がかりなのだろうか?

 ……そういえばゲルマン陛下はうちのクールガンがファーラに求婚した事知ってる……?

 いや、知るわけないか?

 ……し、しっ、知ってたらどどどどうしよう……すげー面倒くさい事になる未来しか見えない……。


『やったー! じゃあ、『緑竜セルジジオス』に帰ってきたら会いに来て! セルと契約しようね! ね! あ、そうだ! それじゃあアルセジオスの爪使い、セルの爪も貸してあげるからファーラの護衛をよろしくね』

「はい?」


 なんて?


「いっ!」

「フラン!?」

「い、痛……なに今の……」


 左の目ん玉が痛かった。

 痛い、なに今の〜。痛い〜。

 なんか目玉に直接デコピンされたような……。


『帰るね、帰るねー。おつかれー、おつかれー!』

「あ」


 俺の頭の上から飛び立ったセルジジオス。

 ゆるいし、ノリが軽いし……風のように飛び去り、あっという間に見えなくなった。

 んー、まだ痛くて左目が開かない……。

 なんかさらりとえぐい事言われたような気がするんだけど、気のせい?

 気のせいだよな?

 誰か気のせいだと言ってくれないか?


「フラン、大丈夫? 目、痛いの?」

「う、うん、なんか開かない……痛い……」

「む、むう……セルジジオスの言葉が本当ならば、ユーフラン、お前、セルジジオスより『緑竜の爪』を授かった事になるな?」

「…………。返却したい」


 やはり空耳ではなかったのか。

 ゲルマン陛下が俺の片目を覗き込むが、俺は痛くて開けないので無駄である。

 つーか『緑竜の爪』とか、マジいらない。

 いや、そりゃ、『青竜アルセジオス』から出て、クールガンが『青竜の爪』の最大本数所持者となった今、俺の『青竜の爪』が発現しなくなるのは仕方がないと思ってた。

 それでもまあ、なんとかラナもファーラも守ろうと……思ってはいたけど……。

 ここに来て『緑竜の爪』とか……マジで要らねええええぇっ!


「な、なんて事を言う! 『緑竜セルジジオス』に帰ったら、お前らには子爵になってもらうからなぁ!?」

「えー、要りませんよさすがに〜」

「ならん! 『緑竜の爪』ともなれば……そうだ、ドゥルトーニル家の養子になれ! そうすればすぐに伯爵の爵位に……」

「ゲルマン陛下、ちょっと落ち着いてくださいませ! フランの具合があまりよくなさそうなんです!」

「そ、そうですわ、お父様」


 ……いかん、目から痛みが頭にもジクジク侵食してきてる。

 片目を押さえたまま、突っ立ってる事しか出来ない感じで頭がうまく回らない。

 ラナが横で支えてくれてないと立ってるのもちょっときつい……。


「フラン、大丈夫? ……あぁ、どうしたらいいのかしら……! 神殿はめちゃくちゃだし……」


 辺りもセルジジオスの風でかなりやられている。

 町の民は、逃げられただろうか?

 避難は?

 アレファルドたちは?

 親父や宰相様は……。


「兄様、大丈夫か?」

「……ルース、護衛は俺がするから、親父たちを探してきて。あと適当でいいから騎士がいたら連れてきて」

「わ、分かった! すぐ連れてくるから、待っててくれよ、兄様!」


 要人の数に対して、護衛が俺とルースだけというのは少なすぎる。

 一番元気なルースに、報告と他の護衛の確保を頼んで、それから……。


「ラナ、ラナはファーラとトワ様を……ロザリー姫は寒くありませんか?」

「だ、大丈夫ですわ。ユーフラン、あまり無理してはいけません! 目から血が!」

「へ?」

「ぎゃぁぁああぁっ! ほ、ほんとだぁぁっ! フラン、目から血が出てるー!」

「んん……あ、本当だ」

「本当だ、ではない! 座れ! 休め! 娘たちの護衛なら俺がやるわ!」

「いや、王様にそれはちょっと」

「ユー! 痛いの大丈夫!?」

「ユーお兄ちゃん! 血が出てるよ〜!」


 ………………。

 賑やか。



 ***



 あれからの記憶は実はぼんやりとしている。

 なんとなく誰かが迎えに来て、城の一室に連れて行かれ、主にラナに怒鳴られながら寝た気がするのだが……さて、どこまでこの記憶が正しいだろう?

 ただ、あんな状態の時にラナたちを傷つけようとする奴がいたら、たとえラナやファーラがいても目の前で殺してしまってただろうな、と思った。

 なので誰も殺していないといい。

 さすがに誰かの命を奪うところを見せるのは、優しいあの子たちにはとても辛いと思うから。


「…………んん……」

「フラン、水飲む?」

「……、…………ここは」

「あら?」


 なんかやけに豪華な天井だし、ふわふわしてるな?

 そう思いながら上半身を起こす。

 窓。……外が眩しい。

 その前に佇むラナ。……眩しい。


「…………ラナ、怪我は?」

「してないわよ。みんな無事。誰も怪我してないわ」

「……そう……」


 ベッドの横にある椅子。

 それに座るラナは、コップを差し出した。

 透明な液体……水よ、と言われる。

 水か。

 受け取って、一口飲む。

 なんか久しぶりに飲んだ気がする。


「丸一日ボーッとしてたの、覚えてる?」

「丸一日? ボーッとしてたの?」

「そう。会話もあんまり出来なくて……」

「…………」


 もう一口、水を飲む。

 コップを傾けて、飲み干す。

 その間に思い返すが……んー?


「よく覚えてない」

「そう……まあ、仕方ないかもね。……わたくしにはよく分からないけれど、二体の守護竜の竜力が体内で混じり合って、体調が整わなかった……みたいな事をお義父様がおっしゃっていたわ」

「…………」


 ラナが椅子から立ち上がって、ベッドの縁に座る。

 それから俺の頰に手を当てて、微笑む。

 綺麗で、でもどこか切なくて……ああ、そうか……。


「なんか、心配かけて、ごめんなさい」

「今回ばかりは貴方のせいじゃないので怒ってないわよ……」


 俺のせいだったら怒ってたのか……怖。

 ……んん……頰撫で撫でされるの気持ちいい。


「…………。複雑よ」

「?」

「わたくしが、邪竜の生贄にならないから……邪竜は生まれないと思ったのに……」

「ああ、うん……」


 けど、邪竜は生まれた。

 生贄には、あの偽者の医師がなった。

 そういえばあの辺りはどうなったのだろう?

 宰相様もアレファルドたちも噛んだのだ、嫌疑は晴れたと思うが……。


「邪竜誕生は回避出来なかった……」

「…………」


 ラナ……。

 もしかして、偽医者が死んだ事が気がかりなのだろうか。

 頰から手が離れて、ぼんやりと窓の外を眺める小さな背中。

 その肩に、額を乗せた。

 そんな奴の事じゃなくて、もう少し俺を心配してくれてもいいんだけど?


「……君のせいではないし、邪竜信仰者にあの死に様は本望だと思うけど」

「そ、そうかもしれないけど……」

「なんにしても、これで君が死ぬルートは完全に潰えた。君はもう……『物語』の『悪役令嬢』じゃない」

「…………」


 振り向かなくてもいいし、正直体がまだだるいのでこのまま倒れ込みたいのだが……それでもこれだけはちゃんと自覚してもらわねばならないと思う。

 ラナはもう『物語』の『悪役令嬢エラーナ』ではなくなったのだ。

 その運命は、君が自分の力で手繰り寄せた『縁』というやつで回避した。

 ラナは——


「君は、今は……ただの、俺の奥さん」

「………………。……そうね……」


 額を肩から離す。

 ラナが腰を捻って……俺の頭を抱き締めた。


「そうね、そうよね……わたくしは貴方の、ユーフランの奥さん。ただのエラーナ。貴方の……」

「…………うん」


 抱き締める。

 小さな背中。

 今彼女がどんな気持ちなのか、俺には多分、すべて分かってはやれないのだが……でもこの先は、側に……いや、この先もずっと——……。


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