ディタリエール伯爵邸【1】



 そして、最低限の準備を終わらせた翌日。

 俺とラナは朝早くに家に来たクラナたちからファーラを預かり、わざわざ見送りに来てくれた レグルスとグライスさん、クーロウさんに軽く挨拶をして馬車に乗り込んだ。

 御者は雇えなかったので俺がやるとして……借りた馬がルーシィに色目を使うのが気になる。

 貴様ら、雄か……!


「ねぇねぇ、お兄ちゃん。『青竜アルセジオス』まで一日かかるんだよね?」

「うん。まあ馬を休ませながらだから、明後日までかかるかもね」

「結構遠いねー。でも、『緑竜セルジジオス』の王都より近いんだねー」

「うん、そうだよ」

「そういえば、そうね? 『青竜アルセジオス』の王都って『緑竜セルジジオス』に近過ぎない?」

「…………」


 ラナは歴史を本当にぽかーっと忘れ去っているなぁ。

『青竜アルセジオス』は主に食糧を求めて『緑竜セルジジオス』に攻め入った記録があるんだよ。

 ついでに言うと隣国『黒竜ブラクジリオス』も『緑竜セルジジオス』に幾度となく攻め入っている。

 二つの国に同時に攻められる事も多かったらしい。

『緑竜セルジジオス』は王都を次第に北へ北へ移し、他所の国より国境から離れているのだ。

 ……と、まあ説明していいが……。


「まあ、その辺は歴史の授業で習ったはずだから頑張って思い出してください」

「うそ……」


 ラナはガチで絶望した顔をしていた。

 ……マジで忘れてるやつだ、アレ。



 ***



 そんなほのぼのとした道中を経て、『青竜アルセジオス』に入る。

『青竜アルセジオス』に入ったあとも丸一日馬車で移動し、いよいよ王都郊外に近づいてきた。

 目指すのはディタリエール伯爵邸である。

 ラナの実家は王都の中にあるからな……ファーラを預けるにしても、俺の実家の方がいいのだ。


「…………」


 今年の四月頭に国から出たので、約九ヶ月ぶりの実家。

 二度と戻れないと思っていた割にあっさり帰ってこれたものだ。

 見送りに出てきた弟たち……次男ルースと三男のクールガンの、あの泣き顔と泣きそうな顔。

「たまには帰ってきてもいいんですよ!」なんてツンケンして言ってきたクールガンの横で、ギャン泣きしていたルース。

 二人ともちょっとは大人になっただろうか。

 長男の俺がいなくなって、最年長になったルースは泣き虫を卒業しているといい。

 あと、ついでに婚約者のご令嬢とも、上手くいっていればいいのだが……。

 クールガンは鍛錬をサボっていないだろうな?

 まあ、それは親父が許さないか。

 怖いねぇ、きっと相当強くなっている事だろう。

 絶対戦いたくねーや。


「お帰りなさいませ」

「ただいま〜。って、言う事になるとは思わなかったな〜」

「ははは、まったくでございますなぁ」


 屋敷の門の前で、なんと使用人が待っていてくれた。

 馬車とルーシィたちを任せて、荷物を持って出てきたラナからカバンを預かる。

 ファーラはようやく終わった馬車の旅と、俺の実家にテンション上がり気味。


「…………」

「? ラナ、どうかしたの? ガッチガッチになってるよ?」

「え……いや、まあ、それは、だって……よ、よく考えると、フランの実家、でしょ? フランのご両親がいるって事でしょ? わ、わたくし、はははは初めて来るのよ……? ご、ご挨拶もまともにしないまま、貴方の事を『緑竜セルジジオス』に連れて行ってしまって……! き、嫌われているわよね? ああああっ!」

「……なんだそんな事……」


 ない。

 絶対にそれはない。

 確かに俺をラナへつけたのは陛下の提案だろうが、それを了承してルースフェット公爵に話を持って行ったのはうちの親父だ。

 そしてルースフェット公爵が『陛下の依頼』である事を知らなかったらしい事を思うと、親父のやつはその部分を伝え忘れたか、なぜかあえて伝えなかった可能性がある。

 ……多分前者。

 親父もなかなかにテンパっていた気がする。

 そしてうちの母は……非常に天然だ。

 若干頭痛を覚えるレベルの適当さなので、下手したら俺が『緑竜セルジジオス』に行った事すら気づいていないかもしれない。

 いや、ほら、俺は元々実家に帰ってくる事が少なかったし?

 学園に入学したあとなんて『お使い』で各国渡り歩いてたし?

 ………………いや、まさか……『長男』の存在すら忘れてたらどうしよう……。


「エラーナ様、大丈夫ですよ。旦那様はご子息たち以外にはお優しい方ですから」

「え? あ、そ、そう……って、え? ご子息以外?」


 あ、そこに気づいてしまわれましたか?

 みたいな顔すんなし。

 でも実際その通りだしなぁ。


「応接間にてお待ちください」

「……ルースたちは?」

「もちろんお揃いですよ。お部屋でソワソワと待っておられましたから。……というより、先程窓からユーフラン坊っちゃまがお帰りになったのを覗き見ておりましたよ」

「…………」


 バレてるぞ、お前ら……。

 さすがうちの使用人たちだな、と感心しつつ、通された応接間で数分待つ。

 久しぶりの我が家だが、応接間というのも少々変な感じだ。

 しかし、明らかに家の中がざわざわしている。

 気配ただ漏れで、きっと弟たちはあとで親父に大目玉食う事だろう。


「待たせたな」


 ガチャリ、と扉が開き親父が入ってくる。

 ラナがカッキーンと背筋を正したので、ファーラまで緊張してピーンとなった。

 ま、まあ……いい事……かな?


「母さんは?」

「開口一番それか! 今日は乗馬に行くと言って留守だ」

「おふぅ……」


 安定のドマイペース……。


「じゃあルースたちは?」

「…………。入れ」

「兄様お帰りなさい!」

「あ、ずるっ!」


 一番に入ってきたのはルース。

 次にクールガン。

 比較的大きな二人が、横のラナとファーラをスルーして飛びついてきた。

 いや、ルース……お前はそんな歳ではなかろう。


「チビたちは? クールガン」

「昼寝してる」


 感情爆発のルースと違ってクールガンは入り口で止まり、佇んでどこか拗ねた顔をして答える。

 首に抱きつかれて身動きとりづらいが、まあ、おいで、と手招きするくらいはね。

 おずおず近づいて来て隣に座るので頭を撫でる。

 ああ、可愛い。


「まあ、この二人にくらいは……同席させてもよかろう」

「んー、まあ、そうだなぁ」


 ルースは心配だが、クールガンは大丈夫だろう。

 ……というか、現在進行形で固まったままのラナの方が心配。

 本当、うちの親父はラナがそこまで緊張するような相手ではない。


「ではまあ、改めて自己紹介をしよう。パーティーで何度かお会いしておりますが、覚えておいでではないでしょう。チャールズ・ディタリエール・ベイリーと申します、エラーナ嬢。よくぞご無事で戻られました。お変わりはありませんかな? うちの愚息が失礼な事をしておりませんか?」

「……え、あ……いえ! とんでもありませんわ! こ、こほん。あ、改めまして……エラーナ・ルースフェット・フォーサイス……今は……ただのエラーナとなりまして、その、ディタリエールの苗字をお借りしておりました。此度はわたくしどもの受け入れを許可頂き、感謝致します。……それに、あの……わたくしが国外追放を言い渡された際に、フランを、っ、じゃなくて、ユーフラン様をつけてくださった事も……。お礼を申し上げる機会がなくて……こんなに遅くなり申し訳ございません。おかげで、本当に……本当に救われました」


 ……「助かりました」ではなく「救われました」……?

 首を傾げるが、目元が潤んでいて口を挟めない。

 親父の方は少し目を見開き驚いていた。

 そのあと、目を伏せる。

 なんなんだ?


「そうですか。……まあ、こんな愚息でよろしければ、どうぞ今後もこき使ってください」

「! ……そんな……、……いえ、でも、はい……この先も……一緒にいる事を認めて頂けるのでしたら……」

「もちろん。その辺りはエラーナ嬢と愚息の自由です」

「!」


 ここまで話が進んでようやく「形だけの結婚」ではなくなったのだと察した。

 あれ、俺ちょっと実家で気が緩んでいたのだろうか?

 今ようやく分かるとは……。

 あとルース邪魔。そろそろ膝の上から降りろ十四歳男子。


「…………」


 ラナが見上げて、俺が見下ろして、目が合う。

 親父に許しをもらえた。

 あとは宰相様……ルースフェット公爵に改めてお許し頂くだけだな。

 次は俺が頑張る番かぁ。

 まあ、頑張るけど。

 ……だって、叶わないと思っていた恋なのだ。

 結婚なんて、夢のまた夢だと思っていた。

 こっそりと手が重なり合う。

 この手を、俺はちゃんと、ラナのご両親に許してもらって握り返したい。

 その時初めて、本当の意味で「夫婦」になれる気がするから——。


「で、ルースはそろそろ降りろ。マジで」


 幼児かよ。

 背中をバシバシ叩くと「えーっ」と不満の声を上げるので親父がかなり低い声で「ルース」と名前を呼ぶ。

 うん、仮にもお客人の前である。

 貴族にあるまじき行為。

 いくら「妻」という「家族」の前でも、正直親父がよく今まで許していたなぁと思う。

 さすがに親父にそんな声で名前を呼ばれれば、ルースも顔を青くして降りる。

 一人がけソファーへ移動して、唇を尖らせつつ座るが……親父の氷点下の眼差しでお察しだ。

 ……ルースはあとで地獄を見る事だろう。


「……あれ? そちらのお嬢さんは?」


 ファーラに声をかけたのはクールガン。

 ああそうか、俺の隣はラナ。

 ファーラは端。

 ルースが俺の上に座っていて見えなかったんだな。

 クールガンはファーラの存在に今頃気づいたのか。


「ああ、今日帰って来たのはこの子をうちに預けるつもりだったからなんだ」

「…………」

「クールガン?」

「はっ!」

「?」


 ファーラを覗き込むクールガン。

 そしてクールガンの存在に気がついたラナが謎の声を上げて口を覆う。

 なんだ?

 左右でなにか起きてる?

 親父も不思議そうな顔をして、とりあえず見守っているが……ファーラがおずおずとラナの体からクールガンの方へと顔を覗かせると、事態はようやく動いた。

 クールガンが立ち上がり、ぐるりと親父の後ろを通ってファーラの横に立つ。

 始終無言。

 元々それほど口数の多い奴ではないが、空気がちょっと変。

 そしてファーラの前で跪く。

 で、そのたまたまなのだが、口を覆っていたラナの横顔を見て、俺はますます「?」と疑問符を浮かべた。

 ラナの顔がかなり気持ち悪い部類の笑みを浮かべていたのだ。

 まあ、その理由はあとから教わるのでいいとして、驚いたのはクールガンが放った次の言葉だろう。


「う、麗しいお嬢さん、一目で貴女が俺の運命の人だと気づきました。どうか俺と結婚してください!」

「え?」

「「「「……………………は?」」」」

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