距離感



 まあ、そんなこんなでおじ様には「二週間以内に整備する。家にいてもいいが遊ぶなよ!」と迎え入れてもらえる事になったわけだ。

 その夜、夕飯後にあてがわれた部屋へ行くとテラスからまん丸の月が見えた。

 ガラス戸を開けてテラスへ出ると、横から「あ」という声が聞こえてそちらを見る。


「おやおや、エラーナ嬢」

「…………」


 夜着の彼女は肩にショールを掛けて、夜風に髪を下ろしてなびかせていた。

 月明かりに浮かぶ白い肌。

 風呂上がりであろう、ほんのり赤らんだ唇や頰。

 いやいや、目に毒。

 実に毒。

 でも眼福。


「ラ…………ラナで、いいです」

「ん? へ?」


 なんて?


「だ、だから! ラナと呼んでもいいですっ! ……わ、わたくしと貴方は、夫婦なんでしょう? もう少し親しくしないと……ドゥルトーニル家の人たちに怪しまれる……かもしれないし?」

「…………」


 いや、事情は今さっき話したばかりだしな?

 それはないと思うけれど……え、なに?

 俺明日死ぬの?

 一生分の運使い切ってない? 大丈夫?


「……それはそれは、光栄の至り。では俺の事もフランとお呼びください、お嬢様」

「ふ、ふざけないでよ! こっちは真剣に……お、お、お……お礼を言ってるのよ……」

「?」


 …………お礼?

 ……あ、ああ、お礼……なるほどお礼で『ラナ』と愛称呼びが許されたのか。


「…………」


 一応俺の事を気遣ってくれてはいるわけか。

 素直ではないところは俺も君も一緒だな。

 まあ、君の方が幾分分かりやすい、かな?

 それでも俺の機嫌が上限なく昇っていくのは仕方ないだろうけど。

 気をつけないとうっかり口元が緩みっ放しになるな。


「……じゃあちょっと真面目な話をしよう。ちょうど今なら誰も聞いていないだろうしな」

「え? ん? なに?」

「ラナ、君はこの先どうしていきたい? 俺は『アルセジオス』に君が帰りたいと言うのなら、帰る事自体は不可能ではないと思っている」

「!」

「君がリファナ嬢を虐めたという話。あの話をリファナ嬢に事実確認して、それがないと認められればあんたは帰れるだろう。これまでと同じ、公爵家のご令嬢として生きていく事が出来るはずだ。無理にこの国に根を下ろそうとする必要は、ない」

「………………」


 じっと、顔を見る。

 ずっと眺めていたくもあるが、彼女薄着だからな。

 サクッと話してサクッと部屋に戻らせないと風邪引かせちまうかも。


「君が望めば……」

「帰らないわ」

「…………。なぜ?」

「そ、それは……ええと……、……こ、こんな侮辱を受けて、すごすご帰って、そのあとどんな顔で生きていけばいいっていうのよ。……そ、それより、こっちも貴方に聞きたい事があるわ!」

「俺?」


 なんだかしっくりくるようなこないような理由だが、ラナはビシッと俺を指差す。

 なんだ?

 急に『ラナ』って呼んだから怒ったのか?

 自分から言い出したのに?

 え、なんかごめん?


「あの、ペンや石鹸、ドラ……髪を乾かす竜石道具、全部貴方が作ったって本当!? だって、あの……みんな……アレファルド、様たちが、全部自分で作ったって自慢してたのよ!? リファナもそれを信じてたし……」

「ああ、あいつらならそう言うだろうな。好きな女の子の前で、いいところ見せたいって思うのは男の性というかなんというか……。けど、ペンや石鹸なんかは消耗品だ。同じやつを作れと言われれば、俺がいないあいつらには無理だろう。はは、ザマァ!」

「…………。……じゃあ……じゃあ、本当に…………」

「?」


 なにかぶつくさと呟き、深刻に考え込むラナ。

 なんだかここからではよく聞き取れないが「こいつただのモブキャラじゃなかったの?」とか「名前も出てないキャラなのに?」とか「もしかしてご都合主義のしわ寄せ?」とかわけの分からない言葉がちらほら聞こえる。

 ……やはり公爵家のご令嬢が国外追放されたのは相当にショックだったんだろうなぁ……。

 それとも初めての旅で頭も疲れているんだろうか。

 これはさっさと寝かせた方がよさそうだ。


「ラナ、今日はもう寝なよ。明日から髪留め作り手伝ってもらいたいし」

「え! ……あ、そ、そうね! 分かったわ! 任せて!」


 不安だなぁ。

 まあ、なんにしても「おやすみ」と挨拶を交わしてお互いに部屋へと戻る。

 ガラス戸を閉めると、部屋の暖かさと顔の熱さでずるりと床に座り込む。


「ラナ……」


 口を覆う。

 ……とんでもない女だな、本当。

 こっちの気持ちなんか微塵も知りっこないんだろうけど……。


「ラナ」


 頰や目の下が熱い。

 下から上にかけて手をずらして顔を覆う。

 あーまずい。

 顔のにやけが止まらない。

 なんだアレ、可愛い。無理きついつらい。


「…………頑張ろう」


 明日も頑張れる。うん。

 ……少しは距離が縮んだと思って、いいよな?




***




 ほんの少しだけ、昔の話をすると——……。


 十四歳になったばかりの頃、俺は他の公爵や侯爵家の令息たちと同様に王太子の『友人』として社交界にデビューした。

 とはいえ、俺の場合は王子からの注目度もそれほど高いわけでもなく、身分的にも性格的にも華々しい連中の影役と言ったところ。

 王子も他の『友人』も、ほどよくパシれる位置の俺にそれはもう、あれやこれやと命令してきた。

 本人たちからすれば「ちょっと頼んだだけ」だったんだろうけど。

 さすがにその中の数人はウザいのでそれとなくご退場頂いた。

 王子の『友人』に相応しいとも思えなかったからな。

 まあ、だがしかし、残った奴らが相応しいかと言われるとそれも微妙だ。

 どいつもこいつも……王子を含めて勉強出来る意味ではない方の頭は、あんまりいいとは思わなかったから。

 奴らは法を軽んじる。

 王族という、絶対的な『法』を信じているからだ。

 だが、親父の司る『法』は国を支えてきた数多の賢王たちが記した『知恵』。

 それを今の王の権威の方が正しいと、なぜ思うのやら。

 無論、現王がアホだとは俺も思わないけれど。

 少なくとも、今の王子や王子の『友人』たちはアホだ。

 そんな彼らを見ていて、なんだか自分の人生にもがっかりした。

 俺はこんな奴らに一生使われる人生なのか、と。

 親父のように、昔の賢王たちの叡智を守るだけであてにされるのは便利な駒。

 有事の際は切り捨てられるだけの……。

 そんながっかりした十四の社交界。

 その日に、絶望と同時に俺の目に飛び込んできたのがエラーナ・ルースフェット・フォーサイスだった。

 王子のエスコートで会場に入って来た彼女は誰よりも初々しく、美しく、愛らしい少女だったんだ。

 一目で心を奪われて、同時に永遠に届かない存在だと……その手が重ねられた先を見て俯いて笑う。

 彼女を眺めながら、色々と婚約話を断っていたらいい歳にもなってしまいましたとさ。

 けれど、人生はなにが起きるか分からないもので——。




「銅貨二枚だな」

「ま、妥当ですね」

「…………」


 おじ様が俺に差し出して来たのは二枚の銅貨。

 それを受け取り、ラナにそのまま手渡した。

 ラナはきょとんとそれを眺めて、そして首を傾げた。

 おやおやー?


「まさか、お金の価値も知らないとかじゃないよなー? お嬢様〜?」

「んなっ! 知っ…………、……お、教えてください」

「マジかよ」

「ったく、しっかり教えておけよ! ユーフラン! 今後必要になるぞ!」

「へーい」


 この国に来て一週間は経つ。

 ラナは髪留め。

 俺は石鹸を作って売り始めた。

 とりあえず卸先はおじ様。

 おじ様やおば様の方で、近場の貴族の社交場に赴き、髪留めや石鹸をリークしてもらう手はずになっているのだ。

 そこから、貴族を中心に売りさばいて行く。

 貴族にこれらの認識が広まれば、平民の方にもやや質を落としたものを売買出来るようになる。

『アルセジオス』に帰るかどうかは別として、生活して行く上でどうしても金や住む場所は必要。

 どうなるのかは分からないが、ラナ本人は帰るつもりはないらしいし……それなら本格的に腰を据えて今後どうやって生きて行くかを考えないといけないだろう。

 そして、その為にはまず……おじ様に売った、自分の作った髪留めの値段ぐらいは、自分で把握してもらわねば……!


「はあ……。んじゃあー、説明するぜ? まず一番価値が低いのがこれ。銅貨だ。銅貨一枚。これより安い金額はない。大きさも一番小さいし、流通量も一番多い。オーケー?」

「お、おーけー……」

「次に銀貨。銅貨百枚で銀貨一枚と交換出来る。そして、銀貨は百枚でこの金貨一枚と交換出来る。つまり……」

「っ! ……しゅ、シュシュってそんなに安いの!?」

「そう。…………。しゅしゅ?」

「あ! いやあのその、えっとー! ……ほ、ほら! 商品名よ商品名! 商品名があった方がいいかと思って!」

「ふーん、なるほどねぇ? いいんじゃないか? 覚えやすいし、女子ウケしそうな商品名だ」

「でしょう!」


 商品名……それは確かに考えていなかったな。

 売るんだったら品名も重要になる。

 ふーん、ラナは意外と商才もあるんだな?


「じゃあその調子で石鹸にも名前をつけてもらおうか。ただの石鹸じゃあ他のと差別化出来ないし」

「うっ! ……ま、まぁ、いいわ。でもその、石鹸に色ってつけられないの? ……これじゃどれがどれだか……」

「色? ……色か、それは考えた事なかったな……。けど、確かに使う油によって色をつければ効能の違いも一目瞭然になる。ラナ、あんたすごい事考えるなぁ? いや、マジで商才があるんじゃないか?」

「え? そ、そぉ? ……えーと、それじゃあついでに香りつけもしてみたら? な、なーんて?」

「香りつけ? なんか意味あるのか?」

「あ、あるに決まってるわよ! だって香水もえーと……なんか意味はあるんでしょ?」


 ……なんか意味はあるんでしょって……。

 香水には臭い消しの意味があったはずだけど?

 どちらかというと女がそういうのを気にしているような気がするんだが……。

 いや、しかし、平民の女は香水なんて高価なものは手に入らない。

 安い香油も、せいぜい髪に塗る程度だよな?

 精油を作って混ぜてみるか?

 今から試作するのはちょっとキツイ。

 けど試してみる価値はある。

 追い追いそれも試してみよう。


「そうだな、今度試作してみよう。面白そうだ」

「! ……ほ、本当に作るの?」

「ああ、せっかくのアイデアだしな。……俺、こういうのが欲しいとか、そういうのがないからアイデアをもらえると助かる」

「…………。……そうか、貴方は『作り手』なのね」

「まあ、そうだな。だから、他にもなにか欲しいものがあったら教えてくれよ。多分、なんでも作れる」

「……うん、それなら……頼りにさせてもらう」


 やる気を起こさせる天才か?


 そうして、また更に一週間。

 ラナの言っていた試作品の為に精油を作り、色つけの為に木の実や草の汁を試しつつ新しい石鹸も作った。

 シュシュ、と名づけられた髪留めは早くも近隣の貴族の中で人気になっており、直接注文も入るようになってきたほど。


「ふう、こんな感じかな……ミシンがあれば楽なのに〜」

「みしん?」

「あ、えーと……自動で縫ってくれる機械……みたいな? まあ、進めたり、止めたりは人間がやらなきゃいけないんだけど〜……みたいな?」


 なんだ「みたいな?」って。

 ……自動で縫い物をする、道具……竜石道具で作れそうかな?


「ふーん、手のひらサイズでいい?」

「え?」



 とりあえず三日ほど掛かったけど、作ってみた。



「はい」

「ホントに作ってきた!?」

「え? 要らなかったか?」

「いや……ありがたいけど……まさか本当に作ってくるなんて思わなくて」

「……。普通、公爵家のご令嬢が裁縫なんかしないだろう? よく文句も言わずやってるなー、と思ってたんだ」

「えっ」


 なんか意外、というよりは『ギクリ!』みたいな顔してるんだけどなんで?

 まさかこのお嬢様、針仕事した事あるのか?

 まさか?

 公爵家のご令嬢が? まさか?


「でもそれまだ試作品だから。とりあえず試してみてくれよ。使い心地悪かったら改良するから」

「う、うん。ありがとう」

「いいけどな。君が頑張ってくれるから、シュシュも注文が途切れないし、出荷も出来るし……」

「そ、そんな! ……このくらいはするわよ。衣食住お世話になってるんだし……」

「……そう」


 まただな。

 このふんわりとした違和感。

 業突く張りでプライドが高く高慢ちきで人の話なんか聞きゃしない高飛車我儘お嬢様が……こうもおとなしくしおらしい。

 労働を厭わず、針仕事を喜んでやる……この違和感。

 婚約破棄って人をこんなにも変えてしまうものなんだなぁ。


「おーい! ユーフラン! エラーナ嬢! 朗報だぞ!」

「! カールレートさん、お帰りなさい。なにかあったんですか? 朗報って……」

「牧場の整備が終わったんだ! ……あ、元牧場な。あはは、つい。ほら、ルーシィがいるから厩舎も直したからつい!」

「「…………」」


 ラナと顔を見合わせる。

 まあ、確かにルーシィがいるので厩舎も直してもらわないと。

 しかし、この様子だと……。


「どうする? すぐに見に行くか?」

「ここから向こうまで馬車でも丸一日近く掛かるじゃないですか。明日にしますよ」

「そ、そうですね。ええ、明日にします。……でも、そうか。もうそんなに時間が経ったんですね……」

「ああ、まあ、な。あ、けれど、うちのお古だが家具も椅子とテーブル、ベッドも用意したよ。けど、悪いがそれ以上は金も時間もなくてね……。まあ、ユーフランが色々作ってたし、二人ならすぐにやっていけるようになると思う」

「いや、十分だよ。…………ちなみにベッドって……」

「もちろん一つだ!」

「「……っ!」」


 そんな気はしてたけどね!


「ははは、じゃあ明日からは夫婦らしく新居……まあ、ボロいけど……で、よろしくやってくれよ! ……いや、しかし新婚で新居があれってちょっと可哀想だな……。……俺からもなにか……ああ、そうだ。しばらくの食事ぐらいは彩が添えられるようになにか送るようにするよ」

「……アリガトウ〜……食糧はホントに嬉しいし助かるー」

「ああ、任せておけ!」

「「…………」」


 無言。

 うん、俺もどう声を掛ければいいのやら。

 第一、結婚……夫婦と言っても緊急避難的処置的なものだ。

 彼女は俺の事なんて微塵も興味もないだろう。

 迂闊に手を出して嫌われたくないし……。


「……心配しなくても手は出さないから」

「っ! ……え、あ、う、うん!?」

「うん?」

「う、ううん!」


 ……なんだそれ?

 よくは分からないが、安心はしてくれたかな?


「まあ、ベッドぐらいなら新しいのを作ればいいか」

「……! ……そ、そうか、貴方はそういうの得意だものね!」

「ああ、ベッドなら一日か二日で作れるよ、多分」


 とりあえず明日。

 新居に着いたら即作ろう。

 とはいえ、一日近く掛かるから着くのは夕方か夜。

 一晩だけなら床でもいいか。


「…………」


 いつか一緒に寝られる日、来るのかねー?

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