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「リオネル・クザンは罠にはかからなかったようですね」

 オリヴィエが差し出してきたよれよれの書状を受け取りながら、ヴァレリーは渋い顔で頷いた。

「まさかあの場面で大声を上げて人を呼ぶとは思わなかった。てっきりジアンの甘言に乗るものとばかり考えていたんだがな」

「あの者の覚悟は本物だった、ということなのでしょう」

「かもしれないな」

 珍しく素直に負けを認めたヴァレリーは、深いため息をついてオリヴィエから受け取った書状に目を落とした。そして、いまごろ自分と同じようにひどい敗北感に苛まれているであろう監察府長官のことを思い、皮肉な笑みに頬を歪めた。

 昨日、ヴァレリーが自らクザンの取調べにあたったのは、もとはといえばガスパール・ソランの発案によるものである。

 国王から今回の一連の叛乱――ユベール・シャニョンらによる蜂起とアドリアン・トレイユによる扇動――についての裁きを任されていたヴァレリーは、遅々として進展しない事態に苛立ちを隠せずにいた。

 エヴラールからは話を聴くことができていたものの、クザンは相変わらずひと言たりとも喋らない。捕えられたほかの叛徒どもから聞けることなど真相からはほど遠く、ヴァレリーにとってみればなんの価値もない屑のような話ばかりだった。

 国王からはとくに期限を示されてはいないが、一刻も早く叛乱事件の真相を明らかにしなくてはならないことは、云われるまでもなく理解していることだ。いまだ治安の回復しない地域もあるというし、民の抱えるそこはかとない不安がいつしか不満に変わる可能性もある。

 依然として王家は絶対であると、東国の政に揺らぎはないのだと、そうはっきりと示していくことこそが豊かで平和な将来に繋がるのだ。

 なのに、ことの真相すらいまだ完全に把握できていないとはどういうことだ――。

 そして、ヴァレリーが焦りを抱えるそのすぐ近くでは、同じようにガスパール・ソランが苛立ちを募らせていた。

 自らトレイユの追跡に乗り出し、縛に就けたはいいものの、その後トレイユは大きく体調を崩し、いまは病床にある。身内に同様の病を抱えた者を知るモルガーヌ・カスタニエの話によれば、いったん悪化した病状が劇的に回復することはむずかしいらしく、それであれば小康状態を待って話を聴くしかない。

 しかし、聴取についての許可を求めても、老いた薬師はなかなか肯わない。さらさらと零れ落ちる砂のように命を削っていくトレイユが、完全に死の腕に抱かれてしまう前に真相を聞き出さねばならないというのに、とソランが歯軋りしたところで、こればかりはどうにもならないのだった。

 トレイユが落とせないのならば、残るはクザンしかいない、とソランの目は牢の中へと向かい、そしてそこで自分と同じように四苦八苦しているヴァレリーを見つけた。

 ここはひとつ手を組むしかあるまい、とソランはヴァレリーに協力を依頼し、ふたりは手に手を取ってクザンを罠に嵌めるべく、一芝居打つことにしたのである。

 ヴァレリーとソランが考えた罠とは、ありきたりで単純なものだった。

 つまり、リオネル・クザンの複雑な――ゆえに、脆い――心を揺さぶり、これまで泳がせておいた餌――彼らの指導者であるユベール・シャニョンに繋がっているであろう、ギャエル・ジアン――に食いつかせる。

 強い使命感と覚悟を持っていたクザンも囚虜となって長く、また連日の厳しい取調べに、あるいは心も弱くなっているかもしれない。殿下が自ら揺さぶりをかければ、あるいはやつも襤褸を出すかもしれません。

 ソランの言葉にはヴァレリーも納得した。

 手練れの監察官らの聴取にも落ちなかったクザンが、素人である自分の言葉に揺らぐだろうかとは思わなくもなかったが、別の見方をすれば、自分には彼らにはない身分がある。せいぜい高圧的に振る舞い、クザンの心を乱せば――怒りにしろ、失望にしろ、嘲弄にしろ――それでいいのだ。なにも、核心に迫る言葉を引き出さなくともよい。

 実際、ヴァレリーと対峙したクザンは、これまで同様なにひとつ語らなかった。

 だがそれでも、気持ちを砕くことはできたのだろう。ずいぶんと打ちひしがれた様子で、牢へと戻されていった。

 このぶんならあるいは、とソランが仕掛けたのは、その日の夜のうちだった。

 ジアンに買収された――と、彼には思わせてある――牢番をわざと夜勤に当たらせ、彼をおびき寄せる。おそらくは脱獄を唆すであろうジアンの言葉にクザンが頷くのを待ち、なんなら実際に牢を破らせたっていい。いずれシャニョンと落ち合ったところを一網打尽にしてやろう。

 それが、ヴァレリーとソランの狙いであり、まさに苦肉の策と呼んで差し支えのない愚策であった。

「自ら縄につき、牢に囚われてからの数か月を沈黙のまま耐えるような男ですよ。殿下や長官の思惑など、どこかで見破っていたのに違いありません」

 オリヴィエがあきれたように云うが、ひと言の反論もできないヴァレリーである。

「いまお渡ししたその書状は、ジアンがクザンに渡そうと隠し持っていたものです。中を検められますか」

 ヴァレリーは手元に目を落とし、穴でも開けるつもりかというほど熱心に草臥れた封書を見つめる。たった一度顔を合わせたことがあるだけのユベール・シャニョンを思い出せば、そこになにが書かれてあるか、読まずともわかるような気がした。

 ヴァレリー率いる鎮圧軍と叛乱勢力とが対峙したあの草原で、話合いを求めてきたシャニョンは、目の前にいるヴァレリーよりも人質に取っているエヴラールよりも、背後に残してきたクザンをこそ気にかけているように見えた。

 エヴラールのはったりにあれほど動揺させられたのも、エヴラールとトレイユが通じていたことにではなく、クザンがその事実を知っていたかもしれないと思ったせいだ。実際のところは、エヴラールとトレイユのあいだに密約などなく、クザンも潔白だったわけだが、たったあれだけのことであっても、シャニョンにとってクザンに裏切られるということがどれほどの痛みを伴うことなのか、想像することは容易い。

 シャニョンを救うため自ら囚われの身となったクザンがそうであるように、シャニョンにとってもまた捕縛すなわち死である。どんな正当性を主張しようとも――そしてそれが、ある部分においては事実であっても――、王家に対する叛逆は大罪で、その代償はその者の命であると定められている。

 ヴァレリーはこれまで一度たりとも、そうした定めの正しさを疑ったことがなかった。王家が法に守られることを当然だと思っていたわけではない。そんなふうに思うまでもなく、ただ空が空であるように、大地が大地であるように、いわば世界の成り立ちのひとつであると、そんなふうに感じていたのだ。

 王家の支配にはいずれ終わりが来ると知りながらも、しかし本当のところではラ・フォルジュに終わりの来る日などないと、そう思っていたのかもしれない。

 いまを生きる人が、その瞬間瞬間には己の死など考えもしないように――容易く明日を約束するということは、明日の命を疑いもしていないからこそだ――、いまを栄える王家は、己の衰退など考えもしない。

 結局おれは、骨の髄まで王家の人間で、そこから離れることはできないのだ。

 ヴァレリーはそんなふうに思いながら、シャニョンがしたためたクザンへの書状を、まるで慈しむようにそっと撫でてからこう答えた。

「いいや、読まぬ」

 ヴァレリーはオリヴィエに書状を戻し、もしも機会があるのなら、と低い声で付け加えた。

「クザンの手元に届くよう、取り計らってやれ」

 かしこまりました、とオリヴィエは答えた。彼は努めて感傷的にならぬよう、ごく事務的な手つきでその書状を決裁済みの書類の上に置き、殿下、とヴァレリーを促した。

「時間か」

「はい」

 オリヴィエが頷くのを確かめても、ヴァレリーはなかなか立ち上がろうとしない。さぞや気が重たいのであろう、と主に同情を寄せる側近は、しかしこのときばかりは非情に徹して、殿下、となおも促す。

「陛下をお待たせするおつもりですか」

 わかっている、とヴァレリーは不機嫌そのものの声で応じたが、オリヴィエの言葉の正しさに逆らうことはできない。しぶしぶながら父の私室へと向かうため、のろのろと重たい腰を上げた。


 国王ピエリックの私室は、この大陸の雄である大国を統べる者のそれとは思えないほどごく質素なものである。妻である正妃や側妃らの部屋、あるいは息子である王太子の部屋のほうが、よほど手がかけられている。

 もっとも父上はこの部屋にとどまる時間などないに等しいのだろうがな、とヴァレリーは思った。もっともこれまでを振り返ってみても、父と顔を合わせるのは謁見の間か、よくてもそれぞれの執務室がほとんどで、親子でありながら互いの私的な空間に足を踏み入れる機会はほとんどなかった。

「遅くなって申し訳ありません、父上」

 ヴァレリーが父の部屋を訪れると、そこにはすでに部屋の主が待っており、湯気を立てるあたたかな茶までが淹れられてあった。

「おまえも多忙であろう。時間を割いてもらってすまぬな」

「とんでもありません」

 許しを得てから部屋に入り、父の目配せを受けてオリヴィエを下がらせる。ふと見てみれば、父の側近である国務大臣や国王付侍従長の姿もない。ここから先は完全なる親子の時間である、と父王の表情は物語っていた。

「それにしても、父上がこのような形でおれを呼ぶとは珍しいですね」

 ごくごく幼いころならばいざ知らず、ヴァレリーが記憶している限りにおいて、父はつねに国王であった。それは、自分がいついかなるときにおいても王太子であらねばならないことに似て――否、それよりももっと厳しい意味をもって――、父はつねに国王であらねばならなかった。

 ひとりの子を慈しむ親であるより前に、国を継ぐべき後継者を育てる国王であらねばならない。同じ軛に囚われて最愛の存在を失いかけたヴァレリーの目に、父の姿はかつてとは異なって映る。

 なんと不自由で、なんと憐れな――。

 父は、ヴァレリーの母であるルシール・ジラルディエールを深く愛しながらも、国のためにエヴェリーナ・ヴラーシュコヴァーを正妃とした。ルシールにしてもエヴェリーナにしても、己の立場、相手の立場をよくよく理解し、互いに――もっと云えば、父王自身も――納得しているというが、果たして本当にそうなのだろうか。

 エリシュカと寄り添いあうことを許されてはじめて理解したように、愛とは途轍もなく我儘で自分勝手な感情であるとヴァレリーは思う。愛する相手には自分だけを見つめてほしいし、自分だけに触れてほしい。誰もよりも自分を優先してもらいたいし、自分のことだけ考えてほしい。

 そしてまた、自分もそうしてやりたい。

 けれど、国王にそれは許されない。国王の心と身体は国のためにあり、民のためにある。

 国を統べ、民を導くためには、たったひとりに心を注ぐわけにはいかないのだ。愛する者に不遇を強い、必要だからと望まぬ者の手を取る。そして己は、自身の不実に長く苦しむことになる。

 位人身を極めながら、しかし人としてこれ以上惨めなことはあるまい。

 結局、曇りなき幸福などありはしないのだな、とヴァレリーは思った。

 父は政治のために正妃エヴェリーナを娶ったが、彼女を愛することはいなかった。エヴェリーナは見目麗しい愛人を幾人も囲い、好き放題の贅沢をして暮らしているが、生涯東国を出ることは許されない。

 母は愛のために側妃となった。大切な男とのあいだに息子を授かり、やがて国王の母として女の栄誉を極めるだろう。だが、彼女の名は愛した男の隣には決して残らず、ともに葬られることもない。

 このおれとて、とヴァレリーは思う。父のように愛する女を側妃になどするつもりはないが、父とはまた別の意味で、彼女を苦しめることにはなるだろう。身分も立場も後ろ盾もない女が、この王城で生き抜いていく苦労は並大抵ではない。そして、おれは――この国の頂点に立つ自分には――、その苦しみを永劫理解してやることはできない。

 それでも。

 それでもおれはエリシュカを望む。それが我儘でなくて、なんだというのか。

「おまえに会わせたい、否、おまえと私とで会っておかねばならぬ者がいる。それが誰であるか、云わずともわかるな、アラン」

 父王がこうして自室に呼び、人払いをした上でなおも名を呼ぶことを避ける者など、ヴァレリーにはたったひとりしか思いつかない。

「……トレイユ将軍ですか」

 そうだ、とばかりに父は頷く。

「将軍は病床に伏せておられると聞いていますが」

 ああ、と今度は痛ましげな表情になって、父は息子の言葉を肯定した。

「薬師や侍医の見立てによれば、明日をも知れぬ、と」

 さすがにそこまでとは想像していなかったヴァレリーは大きく目を瞠る。

「病を得てから長く、さらに気候の厳しい折の強行軍が仇となったようだ。いまはもう一日の大半を眠って過ごしておる。」

「父上は将軍に会われたのですか」

 声を潜めてのヴァレリーの問いかけに、ピエリックは躊躇うことなく頷いた。

「トレイユが王城へ到着した翌日にな」

 アドリアン・トレイユの身柄は、現在、監察府の監視下にある。本来であればリオネル・クザンと同じように牢に投ずるべきところ、病の重い老人に無体を強いるわけにはいかないだろう、とソランが配慮した結果、使用人が使う部屋のひとつを宛がわれ、そこで療養しているのだった。

「ソランはなにも申しておりませんでしたが」

「ゆえあってのこと」

 あのガスパール・ソランが、己の領分で他者に勝手を許すとは、と驚きながらも、国王たる父にできぬことはないのかと、あらためて気づかされてもいた。

「父上」

 ヴァレリーはあらたまった口調で父王を呼ぶ。

「ひとつ、お尋ねしたいことがあるのですが、よろしいですか」

「申してみよ」

「アドリアン・トレイユ将軍のことです」

 ほかにあるまい、とばかりにピエリックは肩を竦め、息子に話の続きをうながした。

「今回の叛乱、つまり、ユベール・シャニョンやリオネル・クザンらが率いていた叛徒どもによる蜂起は、将軍が黒幕となり、扇動して引き起こされた事態であると考えられます。誰が計画し、準備をし、引き金を引いたのか、おのおのの役割は定かではありませんが、いずれにしても彼の者が重要な役割を担っていたことに間違いはない」

 事実、叛徒どもの蜂起の折に王城に差し向けられたはずの使者は、何者かによって足止めを食らわせられ、また北の要塞においては、火急の使者のために用意されていた内燃自動車の燃料が故意に劣化させられていた。

 国の大事を知らせる使者は複数放たれたが、最終的に王城にたどり着くことができたのはわずかにふたりで、そのうちのひとりは二十日に及ぶ加療が必要なほどの深手を負っていた。

「すべてはトレイユが加担していたからこそなしえたことです。使者が辿るべき街道は軍部の機密事項ですし、内燃自動車の管理はそれを保管する者の義務です」

 ピエリックはじっと黙ったまま息子の言葉を聞いている。

「そうしたごく表面的な事柄だけをとらえれば、トレイユは国を乱し、王家を蔑ろにした罪で即刻死刑に処されてもおかしくはない。ですが、父上はあの者を手厚く看病するよう指示なさり、さらにはお忍びで顔を合わせたとおっしゃる」

 どう考えてもおかしい、とヴァレリーは呟くように云った。感情豊かな息子がそうして穏やかに話を進める様を見て、ピエリックは、わが子はすでになにかを知っているのに違いない、と考えた。

「ジェルマンが云っていたのです」

「なにをだ」

「トレイユは謀反など起こす気はなかったと。彼はただ……」

「ただ?」

「父上に会いたかっただけなのだと」

 気づけば父は瞑目していた。ヴァレリーは父の邪魔にならぬよう口を噤んだ。

 実際にはそうでもなかったのであろうが、己の鼓動を数えながら父の心が定まるときを待つ時間は、ひどく長く感じられた。

「私がなぜ長いことトレイユを遠ざけていたか、その理由がわかるか」

 父は口の中でひとつひとつ言葉を選んででもいるかのように、ごくごくゆっくりとそう云った。

「いいえ」

 ヴァレリーは素直に首を横に振った。

「トレイユの意図は私にも伝わっていた。朝議や議会に議論を呼び込み、よりよき政策を形にするべく努めていたのだ、ということはな」

 拙速な政策は民を救うどころか、より苦しめる結果にしかなりえない、というのがトレイユの持論である。戦乱の世とそれに続く平和の時代、時代の変遷に伴う価値観の移り変わりを肌で感じてきた彼には、ほかの誰にもない口癖があった。――時に流されるな。

 トレイユの云うことはいちいちもっともだった。力で強引に押し流すには無視のできない意見ばかりだった。朝議や議会での議論は長引いた。重厚な議論の果てに磨き抜かれた政策が残り、多くの民に資する結果になることも多かったが、反対を云えば、政治の鈍重さへとつながっている面もあったのである。

「私は時流を読み、先んじて手を打つことこそが優れた政治であると信じている。多くの大臣たちもまた同じだ。そんなわれらにとって、トレイユの云うことはもっともなだけにひどく煙たくもあった。われらは彼を疎んじ、彼もまたそのことを理解していた」

 それでも、それだけであったなら、私もトレイユを遠ざけようとは思わなかった、と父は云った。

「トレイユを北へと送る決意をしたのは、議会の招集について検討していたころのことだ」

 つまり、父上と叔父上が決裂したころのことか、とヴァレリーは頭の中を整理する。

 議会を招集することに反対の立場を取っていた王弟は、朝議の場で国王の意見に異を唱えることの多かったトレイユに同調し、議論を掻きまわすようになった。

「まるで反対のための反対、議論のための議論をしているようでな。われらは次第に疲弊していった。民のためのまつりごとを標榜しながら、しかし、おまえのしていることのいったいどこが民のためか、とジャンを叱っても、あいつは聞く耳を持たぬ。耐えかねて議論から外そうとすれば、当時まだ存命だった母御を巻き込んでの大騒動だ」

 われらとジャン、それからトレイユ、朝議の場は常に三すくみの硬直状態が続くようになった、と国王は苦しげに云った。

「そのうち徐々に弟がトレイユに近づき、放置しておけばいずれ明らかな対立軸が築かれてしまうであろうことが、容易に想像できるようになった。民からは政治参加への要請の声が日増しに大きくなり、しかし、朝議の場での議論は一向に進まない。あのころはまだ議会を招集することに対する反対意見も少なくなかったから、採決を強行するわけにはいかなかったという事情もある」

 私は決断を迫られていた、と父王は遠くを見るような目つきをする。

「トレイユとジャンのいずれかを中央から遠ざけなくてはならない、とな」

「誰かがそのようなことを進言したのですか」

「当時の国務大臣だ。彼はとても冷静だった。いずれを遠ざけるにしても、私も一緒に退きましょう、と老いた彼は云ったよ」

 政の場をあらためるのです、陛下。新しい風を呼び込み、新しい時代を築かねばなりません。

「そう云われれば、選択肢はひとつしかないも同然だった。仲が拗れていてもなお、弟可愛さに私はトレイユを遠ざけることを選んだ。はじめは朝議にも議会にも籍を置くことを許していたが、そのうちそれも禁じて北の要塞へと閉じ込め、あの者の声をすっかり遮断してしまった」

 死期を悟ったアドリアンが極端な手段を取ったことを、私は責めることができない、と国王は力ない声で云う。

「すべては、政の場で身内を選んだ私の愚かさがさせたことだ。やむにやまれぬ選択であったというのは、云い訳にしかならぬであろう。私は彼の言葉を聞かねばならぬ。そしてまた、おまえにも聞いてもらいたいと思う」

 おまえに父と同じ轍を踏ませるわけにはいかぬからな、と国王は薄い笑みを浮かべて息子を見遣った。

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