25

 エリィ! エリィ! と騒々しく呼び立てられて、エリシュカは握りしめていた人参を目の前に置いてある桶の中に放り込んでから立ち上がった。

「どうしたの? ジーノ」

「ああ、こんなとこにいたのか、エリィ」

 こんなとこってなんだよ、と近くにいたロレッタ――海猫旅団の厨房を取り仕切る壮年の女――に怒鳴られながら、ジーノは湯気の上がるいくつもの鍋のあいだを縫うようにしてエリシュカに向かって突進してくる。片手に握った小ぶりな包丁で人参の皮を剥きながら、エリシュカはもう一度、どうしたの、と問いかけた。

「オルジシュカが戻ってきた」

 そう、とエリシュカは落ち着いた声で応じる。視線は手元の人参に集中しており、ジーノのほうを見ようともしない。

「エリィってば!」

「だって予定どおりじゃない。今日か明日か、そう云ってたんだから」

「それはそうだけどさ……」

 ジーノ、とエリシュカは薄紫色の瞳を、不服そうに唇を尖らせる少年へと向けた。

「いまは忙しいの。オルジシュカにはあとで会うわ。あっちへ行ってて」

 邪険にされて膨れる少年をあしらうように軽く笑いかけながら、エリシュカはもとどおりに腰をおろし、人参の皮剥きへと戻っていった。


 オルジシュカに誘われ、アルトゥロ率いる海猫旅団にエリシュカが加わってから、すでに十日ほどが過ぎようとしていた。いまの旅団は、東国のやや内陸地域を西に向かって進んでいて、さらにあと十日もしないうちに南国へと至る予定だった。

 季節はすっかり春を過ぎた。例年よりも冷え込みが続くとはいえ、海沿いの街道を急ぎ足で歩めばすぐに汗ばむほどには暖かくなっている。

 はじめて顔を合わせたときにはひどくおそろしい男のように思えたアルトゥロだったが、こうして旅団の一員となってともに旅をするうちに、その印象はすっかり変わってしまっていた。

 精神的な柱として海猫旅団を支えるアルトゥロは、旅団の仲間の誰からも慕われていた。面倒見がよく、人情に厚く、厳しいことも云うが親切で、そしてなによりも懐が深かった。

 どこの馬の骨とも知れぬエリシュカを受け入れてくれたことを見てもそうだが、アルトゥロはその者が海猫旅団を害さない限り、誰かを拒むということがない。エリシュカのあとにも女がふたりと男がひとり、気がつけば仲間に加わっていた。

 ジーノもまたそうやって連れてこられた。ジーノを伴ってきたのは、彼と彼の養い親であるエルゼオを衛士に突き出したシルヴェリオだった。

 ジーノとの思わぬ再会に目を剥いたエリシュカは、思わずあたりを見回してエルゼオの姿を探してしまった。シルヴェリオの気が変わり、彼らを金に換えることをやめたのかと思ったのだ。だが、よくよく聞いてみれば、もともと賞金をかけられていたのはエルゼオだけで、衛士はジーノの身柄を受け取ることを拒んだのだという。

 放っておけば路頭に迷うことが明らかな状況では放り出すこともできず、ここへ連れてきたのだ、とシルヴェリオは憮然とした口調で云っていた。

 シルヴェリオやジーノに対する不信感と不快感を拭い去ることのできないエリシュカは、正直なところ彼らとの再会を快く思っていなかった。だが、この海猫旅団こそがシルヴェリオの本来の居所であるのだということは、説明されずとも理解することができたので、あえて口に出すことはしなかった。

 ジーノの面倒はシルヴェリオがみることになった。新参者は連れてきた者が面倒をみる、というのが、この海猫旅団の決まりごとであるらしかった。

 エリシュカも、いまだにオルジシュカに面倒をみてもらっている。同じ天幕に寝泊まりをし、連れ立って街道を進む。食事も入浴も一緒にすませるし、天幕を張れないような場所で眠るときには同じ寝袋にも入る。

 女同士で夫婦みたいだわ、とはじめの頃のエリシュカにはひどく抵抗があったのだが、そのうちすっかり慣れてしまった。

 なにしろオルジシュカは並みの男よりもずっと男らしい。

 着ているものこそ露出が高く、おまけに出るべきところが出て引っ込むべきところが引っ込んでいる素晴らしい体型をしているし、紅い髪と紅い瞳が奇異に映るとはいえ相当な美形なのだが、いかんせんその性格は漢気に溢れている。まっすぐで情に厚く、困っている誰かを見捨てることができない。

 体力的に充実していて、武術にも優れ、おまけに親切なオルジシュカに、エリシュカがすっかり心酔するのにたいした時間はかからなかった。

 ひとりで進むよりはだいぶ時間もかかるだろうが、とオルジシュカは云ったものだ。そのぶん安全だし、気も楽に保てるだろう。しばらくは彼らと、いや、あたしらと一緒に進んでみないか。

 オルジシュカにそう云われたのは、旅団が移動をはじめる日のことだった。しばし迷ったのちにエリシュカは頷いた。あのときにはひとりで歩むことに対する恐怖が、まだ生々しく残っていた。

 だけど、そうでなかったとしても、この旅団に残ることを選んでよかった、とエリシュカは思う。ひとりで街道を進んだ時期――エルゼオたちとの道行みちゆきを含めても――はそう長くはなかったが、エリシュカの心身はかなり疲労していたらしい。

 騙されていたことを知った衝撃もあったのかもしれないが、旅団と合流した翌日、エリシュカは珍しく発熱して起き上がることができなかった。幸いにして熱はすぐに下がり、旅団の旅立ちに迷惑をかけるようなことはなかったのだが、身体だけは丈夫だったはずなのに、とエリシュカは自身を不思議がった。

 だが、オルジシュカには、あたしに云わせりゃ熱ぐらい出さないほうが不思議だよ、と呆れられてしまった。旅も疲れるもんだが、王城での暮らしもろくなもんじゃなかったんだろう。

 オルジシュカはことさらに労わるような言葉をかけることはしなかったが、喉を潤す水を切らさぬよう気をつけてくれていたし、三度の食事も運んできてくれた。

 ほどよい距離を保ったままのあたたかな気遣いに、エリシュカは疲弊した心と身体が癒やされるような心地がした。熱を出して寝込んで、そのくせ癒やされているなんておかしな話だけれど――。

 はじめの数日、体調を崩したこともあってオルジシュカにべったりと張りつき、まるで彼女の附属物のように過ごしていたエリシュカだったが、やがて元気になると、ここにいるつもりならなにかの役に立て、とアルトゥロに云われるようになった。なにかできることはないのか、と問われたもののすぐに答えられずにいたエリシュカは、次に同じこと訊くときまでに考えておけよ、と苦笑いをされた。彼女が実際に新たな仕事を得たのは、それから数日後、旅団が移動をはじめる日のことだった。

 エリシュカが旅団に加わってからその日までは、ずっと同じ草原に天幕を張っていた彼らだが、今日から移動をはじめる、というアルトゥロの号令に、みながいっせいに動きはじめたのである。

 なにをどうしていいかわからずに所在なさげにしていたエリシュカは、ふとした拍子にアルトゥロに呼び止められ、おまえはなにができるんだ、とあらためて尋ねられた。おどおどと、馬の世話ができる、と答えると鼻で笑われた。

「馬の世話なんざ、ここではみんな自分でやる。飯炊き、繕い、髪結い、なんかねえのか」

 あの、その、と云い澱むと、夜の世話でもいいぞ、と付け加えられ、顔を真っ赤にして黙り込む羽目になった。そばにいて見かねたオルジシュカが助け舟を出してくれなければ、危うく娼婦まがいの真似をさせられるところだった。実際、旅団の中にはそういう役目を請け負っている女もいるのだ。

「寝言は寝てから云え、アルトゥロ。エリィがそういう女に見えるのか」

「見えねえ。だから訊いてやってるんじゃねえか」

 アルトゥロとオルジシュカのやりとりに目を丸くしていたエリシュカは、エリィ、というオルジシュカの厳しい声に、はっとしてわれに返った。

「ぼんやりするな。なにができるのか考えたのか」

 はいっ、とエリシュカは弾かれたような返事をした。

「つ、繕いなら」

 繕いねえ、とアルトゥロはなにやら思案するような顔をした。しかしやがて、だめだな、と首を横に振ると、飯炊きだな、と云い足した。

くりやに人手が足りねえ。ロレッタに話は通しておいてやるから、今夜からあいつの手伝いをするんだ」

 頭ごなしになにかを命じられることに慣れているエリシュカは、そのアルトゥロの言葉に、はい、と静かに応じた。

 当初、野菜の皮を剥くこともまともにできなかったエリシュカだったが、厨を仕切るロレッタという女は幸いにしてとても親切な性質だった。

 包丁の握り方から野菜の持ち方にはじまり調理の初歩まで、どんな細かいこともきちんと教えてくれた。そればかりか、あたりまえに仕事をするということがどういうことかまでをも、エリシュカに叩き込んでくれたのである。

 当初、慣れぬ仕事にしくじることの多かったエリシュカは、そのたびにその場にひれふさんばかりにして謝罪した。神ツ国でも東国でも、与えられる罰を少しでも軽くしてもらうためにはそうすることがあたりまえだったからだ。

 そんなエリシュカに、ロレッタは顔をしかめてこう云った。――いいかげんにしておくれよ。失敗なんざ誰だってするんだよ。大事なのはその失敗をどうやって挽回するかということと、次に失敗しないためにはどうするか、このふたつを自分の頭で考えることだ。そんなに謝られたって鬱陶しいだけでなんの足しにもなりゃしない。

 自分の頭で考えろとはどういうことか、とエリシュカは思った。そんなことをすれば、余計なことをするな、と叱られるだけではないのか。

 云われたことしかできない木偶の棒に用はないよ、とロレッタは云った。ここで暮らしたいなら、頭の使い方を覚えるんだね。

 言葉は乱暴で、云い方もやさしくはなかった。

 けれど、ロレッタは真摯だった。己の務めに対しても、エリシュカに対しても。

 エリシュカは必死になってロレッタの云うことを理解しようとした。いくつも失敗し、何度も叱られ、しかし諦めたりはしなかった。ロレッタの言葉が身に馴染み、頭で理解するよりも身体で覚え、――そして瞬くうちに、厨はエリシュカの居場所になった。

 厨という居場所ができたことで、海猫旅団におけるエリシュカの暮らしは激変した。

 旅団の食事は昼が中心である。厨で働く者たちは朝と昼を担当する者と、昼と夜を担当する者とに分けられており、エリシュカは朝の係を割り振られた。

 一団の人数は日々変動する。新しい者が増えたり、離脱する者がいたり、そうかと思えば長く行動をともにする客分がいたり、長期不在にする者がいたりする。

 移動する距離も、馬に半日も早駆けさせることもあれば、夜間にほんの少しばかりを進むだけのこともあった。

 厨の仕事をこなすうちに、エリシュカは自然とそういった旅団の事情を知っていくことになる。用意しなければならない食事の量や献立は、ほかの誰に訊くよりも正確に今日これからのことを教えてくれた。

 そして、この海猫旅団がいったいどういった集団であるかということを知ったのも、ちょうど同じ頃のことだった。

 海猫旅団が何者であるのかということは、最初からずっと気になっていたことだった。だがエリシュカは、自身の疑問を誰かにぶつけることに慣れていなかったし、周囲も積極的に説明しようとはしなかった。

 かろうじてオルジシュカには一度だけ尋ねたことがあったが、そのうちわかるさ、とはぐらかされて、それきりになっていた。

 オルジシュカは親切な性質ではあるが、エリシュカのことを甘やかそうとはしなかった。知りたいなら訊けばいい、と云ってはくれるが、訊いたからといって必ず教えてくれるわけではない。それは彼女自身のことについても同じだった。

 何者ともわからぬ者たちに囲まれた暮らしは――たとえそれが、これまでのどこの暮らしよりも穏やかで、満ち足りた、憂いのないものだったとしても――不安をもたらすものだ。エリシュカはあるときどうにも堪えきれなくなり、その不安をロレッタに打ち明けたのである。

 いったいみなさんは何者なのでしょう、と俯きながら問いかける美少女にぽかんとした顔を晒したロレッタは、やがてこみあげてくる笑いを堪えきれなくなったのか、妙に歪んだ顔で、そうかそうか、と頷いてみせた。それが気になっていたから、どうにも落ち着かない風情だったのかい。

 そんなつもりもなかったエリシュカだが、ロレッタの言葉を否定することはできなかった。不安を抱えていたことは事実だったからだ。

 あたしらはね、とロレッタはまるでこどもが悪戯を告白するときのような調子で云った。

「盗賊団さ」

「盗賊?」

「そう、盗賊」

「盗賊……」

 聞かされた言葉の意味がうまく飲み込めなかったエリシュカだが、物騒な言葉が身に沁み込むにつれ、だんだんと顔を青褪めさせていった。ロレッタの笑顔は少しも変わってはいないのに、なんだかとてつもなく悪辣なものに見えてくる。エリシュカは慌てて首を横に振った。

「驚いたかい?」

 大きく目を瞠ったままのエリシュカにロレッタが問いかける。エリシュカはすぐには返事をすることができなかった。

 神ツ国においては教主の宮の、東国においては王城の暮らししか知らぬエリシュカは、いわゆる犯罪行為とは無縁の身である。そんな彼女にとって、盗賊団とはいかにもおそろしげな響きを持つ言葉であったことはたしかだ。

「怖いかい?」

 ロレッタの声に真剣な響きが混じった。エリシュカは顔を上げる。どこか寂しげな色を帯びてしまったロレッタの顔を見つめ、エリシュカはすぐに首を横に振った。

 エリシュカは暴力や窃盗を知らないわけではない。教主の宮や王城の中では、むしろその被害者になることも多かった。

 そうか、とエリシュカは不意に目を覚まされるような思いがした。

 エルゼオに襲われて恐怖と嫌悪に喚き叫んだ。シルヴェリオに騙されて腹が立った。

 外の世界は怖いところだと思った。ひとりで旅路を行くなど無理だと思った。

 だけど――。

 だけど、本当はそうではなかったのだ。

 わたしはずっと、おそろしいところで生きてきた。

 暴言を浴びせられることも、暴力を受けることも、望まぬ伽を強いられることも、ひとつ部屋に閉じ込められることも、当然だと思っていた。

 そうではなかったのに。

 決して、決してあたりまえなどではなかったのに。

 わたしは泣き叫んでもよかったのだ。怒りを露わにしてもよかったのだ。

 エルゼオに対して、シルヴェリオに対してそうしたように、侍女さまたちにも、そして、――アランさまにも。

 なぜ、そうしなかったのだろう。

 泣いて喚いて叫んで、力の限り抵抗すればよかった。望まぬ場所へと追いやられてしまう前に、なぜ、わたしはそうしなかったのだろう。

 知らなかったのだ、という云い訳は通用しない。

 だってわたしは知っていたのだから。

 誰に教えてもらうでもなく、エルゼオの手を拒もうとした。シルヴェリオの仕打ちに腹を立てた。

 知っていたのだ。そうするべきだった、と。

 いわれもなく殴られそうになれば、その拳を避けてもよかった。

 いわれもなく罵られれば、なぜそんなことを云うのかと問い返してもよかった。

 望まぬ男に迫られれば、その胸を押し返したってよかったのだ。

 なのに、わたしは、それをしなかった。

 そうするべきだと、知って、いたのに――。

 同じなのだ。わたしがいまいる外の世界と、かつて生きていたあの囲いの中とは、なにも変わらない。同じなのだ。

 だから――。

「怖くはないです」

 そう答えた言葉は、エリシュカの本心だった。

 ここは怖くない。そう、これまで気づかなかっただけで、教主の宮や王城のほうがよほど怖かった。

 だってここの人たちは、わたしをいきなり殴ったり罵ったりしない。厭な男の手を拒もうとすれば助けてもくれる。

 だからここは怖くない。

「そう」

 ロレッタはほっとしたように微笑んだ。その笑顔にエリシュカはまたも同じことを思う。――ここは怖くない。

 そう気がついたエリシュカからそれまでの緊張が抜けたことに気づいたのか、オルジシュカもまた、その日からそう遠くないうちに自分のことを少しだけ話してくれた。

 オルジシュカは自分の商売を故買屋だと説明した。聞き慣れない言葉にエリシュカが首を傾げると、盗品を買いつけては売り捌く商売だよ、とこともなげに付け加えた。この旅団はあたしにとっては商売仲間なのさ、とオルジシュカは云った。こいつらがどこかからぶん捕ってきたお宝をあたしが捌く。そういう仕組みでね。

 自分の話におとなしく頷いているエリシュカを不思議に思ったのか、オルジシュカは顔色を窺うような様子を見せながら、こう尋ねてきた。

「厭じゃないのか、こういう連中は」

 自分の胸を指差すようにしたオルジシュカに向かって、エリシュカはロレッタに向かって答えたときと同じように、厭じゃないです、とすぐに答えた。

「だって、オルジシュカはわたしを助けてくれました。アルトゥロもここの方たちも、わたしを罵ったり殴ったりしなかった。だから厭ではありません」

 オルジシュカの紅い瞳が細く眇められた。

「あたしたちはあんたを騙しているのかもしれないよ。親切面して助けてやって、いつか盗みの手助けをさせようとしているのかもしれない」

「そのときは厭だと云います」

 わたしはもう、そうしてもいいのだということを知っているから、とエリシュカは思った。

「そうか」

 オルジシュカは頷いて、とてもやさしく笑ってくれた。エリシュカの心の奥底を知っているかのような、それは微笑みだった。


「オルジシュカが帰ってきたら、頼みたいことがあるって云ってたのはエリィじゃないか」

 不貞腐れたようなジーノの声に、エリシュカは、そうね、と顔を上げないまま答えた。野菜や果物の皮剥きは、最初に比べればだいぶ慣れたとはいえ、まだあまり得意ではない。一瞬でも目を逸らすと、すぐにでも手を切ってしまいそうで、ジーノの顔を見ることはできなかった。

「帰ってきたから教えに来てやったのに……」

 ありがとう、ジーノ、とエリシュカは応じた。

「けど、そんなことより、山羊は全部集めたの?」

「集めたよ」

「このあいだみたいに一頭足りないとか、ないでしょうね」

 ねえよ、とジーノは低い声で答えた。

 盗賊団とはいえ、この海猫旅団には盗みに直接は手を貸さない者たちも大勢いる。エリシュカたちのように食事の支度や縫物をして暮らす女たちや、遊牧している羊や山羊の面倒をみる男たちなどがそうだ。ジーノはそうした男のひとり、山羊飼いの年寄りについて仕事を教わっている最中なのである。

 ジーノの面倒をみているのは、彼を連れてきたシルヴェリオだが、シルヴェリオは賞金稼ぎという自分の仕事をジーノに手伝わせるつもりはないようだった。

 同じ盗賊団の中に、盗賊とそれを捕らえる賞金稼ぎとが共存しているというのは、なんだかおかしな図であるようにも思えるが、食う口の多い旅団を養うためには仕事を選んでいられない、というのが実際のところであるようだった。

 もしも海猫旅団の誰かが手配されたときにはどうするのだろう、とエリシュカは思ったが、アルトゥロやオルジシュカの前にいるときのシルヴェリオを見ていると、彼にとって大切なものはこれ以上ないほどはっきりしているように思えた。

 シルヴェリオは旅団のためならば、懇意にしている衛士さえ簡単に斬り殺すであろうし、自らが捕縛されることも厭わないであろう。そういう意味ではたいそう正直な人なのだ、とエリシュカは思った。

 エルゼオを捕らえるために利用されたときには腹も立ち、悲しくさえなったが、しかし落ち着いて考えてみれば、たしかに彼の云うとおりである部分もなくはなかった。

 わたしは本当になにも考えていなかったのだ、とエリシュカは自分に呆れ、同時に、二度と同じ過ちは繰り返すまい、と思った。いずれはこの旅団を離れる日も来るだろうが、ひとりの旅に戻ったときにも、この誓いだけはやぶるまい、と。

 シルヴェリオを許すつもりはない。ジーノに対する蟠りも完全には晴れない。

 それでも自分も愚かだったと気づいたエリシュカは、彼らに対してもほかの者たちに対するのと同じ態度で臨もうとしているのだった。

「ならいいけど。わたし、まだ仕事があるの。オルジシュカにはあとで話をするわ。知らせにきてくれてありがとう」

 エリシュカに持ち場を動く気がないことをようやく悟ったジーノは、そうかよ、と短く云ってそばを離れていった。

 エリシュカはふたたび人参の皮剥きに専念する。これまであまり経験のなかった料理だが、やってみると意外におもしろく、仕事でありながら楽しみにもなっていた。

 東から西、西から東、と常に旅路を行く海猫旅団では、食事はそのときどきでさまざまなものを用意することになる。パンひとつをとっても、黒パンや白パン、ライ麦パン、やわらかいもの硬いもの、ようするにそのとき訪れている地域で手に入る材料に合わせて多様な調理をしなくてはならない。それに、同じものばかりでは飽きてしまうから、日々新しい献立も考えていかなくてはならない。

 覚えなくてはならないことは限りなくある、さっさとこの人参たちを片づけてしまおう、とエリシュカはここで働くようになってから憶えた明るい顔で自分に気合を入れた。

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