月の雲隠れ

月桂樹

第1話

ひんやりと冷えきった教室。換気を理由に開け放たれた窓。冬の終わりを告げるうららかな今日はほのかに暖かな風を吹かせ、教室の少女の髪を撫でる。時間はもう放課後。教室にいた生徒たちも疎らになってきている。朗らかな声がグラウンドから響き、どこからか吹奏楽部の練習する音が聞こえる。

どこか浮世離れしたような、そんな雰囲気を醸す彼女は長い黒髪がなびくのも気にせずぼんやりと外を眺めていた。高嶺の花、と言えば聞こえはいいがどちらかというと彼女は近寄り難いタイプだ。現に教室に僅かに残る生徒達も誰一人として彼女に目を向けることはあっても声をかけることはない。

しかし、そんな彼女にも1人だけ例外がいた。

「ゆきのー!」

隣のクラスから朗らかな笑みを浮かべてボブの髪を揺らしながら教室中に響く声で彼女の名を呼んだのは、真逆と言っても過言ではないタイプの少女だった。走ってきたのか、息で肩を弾ませながらドタバタと雪乃に近付くと少女はもう一度大きめの声で声をかける。

「ゆきの!放課後だよ!」

「えぇ、そうね。夏海、そんなに大きな声で言わなくてもわかるわよ?」

ツン、とした声で雪乃は返事をしながら少し顔をほころばせる。雪乃は夏海がこうして放課後になると毎日自分の元を訪れるのが内心嬉しいのだ。


雪乃と夏海の出会いは一年前に遡る。

入学したばかりに行われるテスト直前。夏海は受験もギリギリで通った、所謂この学校の中では劣等生だったためこのテストで何とか巻き返さなくてはと気合を入れていた。しかし出題範囲はとても広くヤマを張ろうにも無謀が過ぎる。だからといって範囲全部をカバーできるほど余裕はない。

まだ相談できるほどの友人もいない中、廊下で参考書を広げてウンウン悩んでいた時だった。雪乃に声をかけられたのは。

「その参考書だったら3ページ先の問題が出るわよ」

「えっ?」

バッと顔を上げると雪乃はニコリともせずさも当然なことを言ったような顔をしてしばらく夏海を見つめると他には何も言わずに去っていった。その時夏海は半信半疑ながらも雪乃の言ったページを念の為重点的に見ておくことにした。この時までは夏海は雪乃のことを変わった美人さん、という認識だったのだがいざテストが始まるとその認識を一瞬で改めることになる。

「うそでしょ……」

夏海が言ってくれた範囲が出たのだ。そっくりそのまま。


これ以来夏海は雪乃を探しては積極的に話しかけるようになった。雪乃は時折テストの範囲を当てて見せたようにちょっとした未来予測を夏海だけに教えるようになった。例えばそれは明日の天気だったり、誰が体調を崩して休むとかだったり、校庭の花がいつ咲くかとかだったり。それはいつも当たりその度に夏海は驚いたり喜んだり表情をころころと変えて楽しんだ。雪乃は夏海が未来予測をしないときっといつか飽きてしまうだろうと思っていたがいつまでたってもその日は来なかった。むしろ日が経つごとに夏海は雪乃と取り留めのない話を楽しむようになっていた。雪乃も最初は怪訝な表情をしていたが、夏海がただの面白半分で来ていないことがわかると次第に心を開いていった。


「どうしたの?夏海、ぼんやりして……」

「いやぁ、ゆきのちゃんも丸くなったなぁって。しみじみねぇ、思い出してたの!」

「あら、それって悪口かしら」

くすりと雪乃はわざとらしく意地悪なことを言う。こういったやりとりも出来るようになったことが夏海は嬉しくて仕方がなかった。最初の頃の雪乃はなにか諦めたような、どこか寂しげな表情をすることがよくあったが今は違う。雪乃が自分とだけ仲が良かったらいいとは思わない。それでも二人きりで話すときだけに見せてくれる表情が増える度に夏海はたまらなく嬉しくなるのだ。

二人はいつも放課後に落ち合うと屋上へ取り留めのない話をしながら上がる。パタパタと二つのスリッパが軽快な音を立てながら少女達の楽しげな声と共に階段に反響する。

屋上の扉を開けると教室より僅かに冷たい風が髪をくすぐる。そんな些細なことにもくすくすと笑い合い、いつもの定位置であるグラウンドが見渡せる場所に座った。ここから見える遠くの山にうっすら積もった雪ももう少ししたら溶けてしまうだろう。そう考えると夏海はどこか寂しい気持ちになった。

「ねぇ、夏海」

「どうしたの?ゆきの」

どことなく寂しげな声色で雪乃が話し始めるものだから夏海は心配になって顔を覗き込む。しかし、雪乃は遠くの山を見たままだ。

「雪が溶けきってしまう頃に私……私が遠くに行くって言ったら夏海は悲しむのかしら……」

「引っ越しちゃうの?そうだなぁ……でも手紙も書けるし、メールも、LINEもする!休みの日には遊びに行くよ!だから大丈夫。ゆきのはきっと」

ちらり、と雪乃の顔から少し目を逸らして夏海は恥ずかしげに続ける。

「きっと私を気遣ってくれてるから聞いたんだよね?」

「…………メールもLINEもいらない。遊びにも来なくていい。ただ……」

そこで雪乃は1番遠くの山を指さした。まだうっすら雪の積もる山。

「あの山に向かって手紙を紙飛行機にして投げて」

雪乃の冗談のような言葉に夏海はぽかんとした。しかしその横顔はどこか真剣でなにも言えなくなってしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る