11 イチヨ入院中
広い玄関で、ルーチェはアイスマンに一礼した。
「お世話様でした」
「いいずぇ」
舌を巻いて返事したアイスマンに、ブランドンはシンプルに「なんで?」と思ったが黙っていた。この相棒のことを考えても時間の無駄でしかない。
「ひとつだけ、きいても?」
「手短にな」
「沼のあとからずっと、わたしのあとを?」
「ストーカーっていいたいのか。安心しろ、シャワーまで
神祇エンヴィーを倒したあと、ブランドンとアイスマンは待ち合わせ、ひそかに三人を尾行していた。ひとり村に戻ったエントレーを追わなかったのは、体育館や沼での傾向を見るに、まず狙われるのはルーチェとイチヨだと考えたからだった。
時計台広場の近くまで、あとを
「イチヨも交えて、いっしょにシャワーを浴びたい気分だったがね」
「絶対いやです」
「男1:女2の合同シャワーのことをな、マッキンソープランドっていうんだぜ」
「なにいってんの、気持ち悪いです」
彼女のスカートのなかで携帯式テレポンが揺れた。
「失礼。もしもし……」
テレポンの相手はエントレーだろう。アチラでもなにかあり、ルーチェの身を案じてテレポンをかけてきたのではないかとブランドンは推察した。
アイスマンがメガネをくいと直している。急いだほうがいい、その思いが強くなっている。
「うん、大丈夫です……でも、ちょっといろいろあって……イチヨが私をかばってくれて……王都兵団のふたり……ふたりが助けてくれたんです。……治癒局に、はい……でも心配ないって。……はい、また明日に詳しく話します」
混乱がまだ尾を引いているためか、いささか歯切れ悪く話すと、ルーチェはテレポンを切った。
ブランドンは彼女の肩をポンと叩いて、
「いまから家まで送るけどYO、朝まで家の外で護衛してやるから安心しろYO」
「ありがとう……」
ルーチェが微笑みかえしたが、作り笑いなのは隠せていなかった。
――兵士コンビが拠点とする高台の空き家から、上ウンマイの民家がある地区までいくには、古道を通って山をおりる必要がある。
ブランドンのうしろを一歩下がって、ルーチェが歩く。互いに沈黙していたが、気まずさを感じてブランドンが「ほれ、夜景だYO」と、話しかけた。
くだりの古道は
「見張り塔が見えるYO。高い」
「この村もかなり古いですから……昔はあそこから外を見張って、外敵から村を守っていたんだとききます」
村が歴史を持って現存するのは並大抵のことではない。
「いい村だYO」
こんな感じの、似たような田舎の村でおれも生まれた……と、感覚が記憶している。のどかな村を訪れると決まってきゅっと懐かしさがこみあげるのだ。
アイスマンもそうだというが、互いに故郷の記憶も親の記憶も残っていない。幼いときに兵団に売られて、根なし草のまま育ってしまった。
正義から足を洗ったら、こんな場所に腰をすえたい。ノスタルジックに夜景を一望しながら、ブランドンは思った。
古道から畑道にでた。このまっすぐつづく一本道をゆけば、上ウンマイの居住区に入る。
虫たちが、りーん、りーんと夜をささやいている。暑くなる時期がゆっくりと近づくのを知ってか知らずか、待ち遠しそうに。
時間的には、まだ夜に入ったばかりといえる。
カニタマウンマイウンマイ治癒局は、いそがしく
治癒局とは、内科専門の医学博士や、外科専門の
たっぷり五階建て、地下も二階まであるという、この村にしては立派な規模を有するが、それはこの治癒局が近隣の村や町の分の医療もすべてまかなっているからであり、実態を見れば、管理を押しつけられ土地を使われているだけにすぎない。
そんな、村とは浮いた立場にある施設に、シルハノというベテランの中年長衣は所属していた。
――きょうは愛する妻との結婚記念日なのに。
シルハノは、がっくりと肩を落とした。
いつもより早めに帰宅して、愛する妻とおいしい料理を食べながら、結婚生活の思い出話に華を咲かせるつもりだったのだが、路上の喧嘩かなにかでボコボコにされた
兵士は早々に帰還してしまったそうだが「くれぐれも頼む」と局員に言伝したときいて、帰るに帰れなくなってしまった。シフトが薄い時間帯に、よりにもよって王都兵士の要請とはツイていない。
局員に先導されて、彼が地下一階の緊急病棟の病室に入ったとたん、その女性の心肺が停止した。心電図の波形がピーッ……と、ハイウェイのような一直線を伸ばした。結婚記念日をひとまず忘れて、彼は
患者の名前はイチヨ、下ウンマイ村役場職員。知らない仲ではなく、彼女の治療にたずさわるのも今回がはじめてではなかった。イチヨは、なにかと治癒局に運びこまれてくることが多く、この前はスズメバチに刺されたとかで全身をパンパンにふくらませた彼女を治療した。
家に「急患のせいで帰るのが遅れる」と、シルハノはテレポンした。妻の落胆の声に彼は何度も
「イチヨさん、安静にしてください!」
「あんだようるせーな! ルーチェが危ないんだ、こんなとこで寝てる場合じゃないんだよ!」
安静にしてくれないと、安心して家に帰れない……暴れるじゃじゃ馬の頭にハンマーでも振りおろしたくなる。
「もう大丈夫だっていってんだろ!」
「大丈夫なモンですか! 数日は安静にしてないとダメです!」
「しつけーんだよ! もう治った、元気だろ! ホラ元気!」
包帯で巻かれたイチヨがマッスルポーズを作ると、どこからかボキキと体から鳴り、威勢よく暴れ回っていた彼女が完全停止した。
「ほらもー! 先生、お願いします」
「鎮痛剤、あと動物用の鎮静剤も打っちゃおっかな~」
「話せばわかる!」
おびえるイチヨに、情け容赦なくシルハノは注射した。彼女が、がくりと潰れた。効果は抜群らしい。
「おとなしくしてなさい」
不機嫌なまま病室をでると、廊下のベンチに座るリーゼントをビッチリ決めた男と目が合った。とろんとした垂れ目をしているが、全体的に威圧的な、太い男であった。おしゃれな服装をしている。
「んもう、待ちくたびれたわよ」
グロスでぷるんぷるんの
彼はマックス。兵団の末端に所属し、村に配属された兵士を村兵と呼ぶのだが、彼はこの村の副村兵長であった。
「とんでもないじゃじゃ馬ですよアレは。村役場の職員だなんて信じられません。喧嘩でああなったっていうのは納得ですがね」
「あーた、もしかして夜勤ちゃん?」
「とんでもない、帰りますよ。きょうは結婚記念日でね。まったく彼女のせいで遅くなってしまった」
「女を待たせちゃダメ。ダメダメ!」
「……なんの取り調べかは知りませんが、面倒ごとは勘弁してくださいよ」
「安心して帰っていいわよ」
ちゅっとマックスが熱いキッスを投げた。
急激に体調が悪くなる。もう妻の手作り料理が喉を通らなさそうだ。
マックスは局員に外にでるように命じて、げんなりベッドに寝るイチヨとふたりきりになった。
「これでアンタに取り調べすんのは何回目? 百超えたあたりで数えるのやめたわよ~、んも~」
無理にイチヨは笑みを作った。手痛くやられて、心細くなっていたところに知り合いがやってきて少しだけ嬉しかった。知り合いである。決して、友人とはいいたくなかった。それがギリギリの線だ。
イチヨが壱式校一回生のとき、マックスは弐式校六回生。歳の差は十一歳。それだけ離れていながら、イチヨは彼によく面倒を見てもらい、女の美というものをよく教わった。イチヨの日々のセットやケア、ファッションはマックス直伝であった。
「よぉ~、オカマ野郎。いたのならもっと早く医者どもを追っ払ってくれよ」
「アンタは捜査の邪魔なの。そこで寝ててちょーだいっ」
椅子を引き寄せ、マックスが座った。筋肉の重みでみしりと椅子がきしむ。
「でぇ? なんだか騒いでたみたいだけど、どーゆーことか詳しく話してみてぇ、イッチョン」
ことのあらましを、イチヨは語った。
マックスは指をしゃぶりながらきいていた。ちゅばっちゅばっと話の最中、相づちのようにかえってくる。真剣に話をきくときの、この男の悪い癖だ。気色悪いには気色悪いが、いまとなっては見慣れてしまった。
そもそも私は、メガネの兵士に運びこまれたのだと局員からはきいている(おそらくは目が3の奴のことだろう)。私が保護されているという事実から
せめて兵士(3)がいてくれたら話が早かったのだが、伝言すらないのだからなにもわからない。
こんな状況だと、マックスの気色悪い癖のことなど気にしている暇はない。
「んな~るほどぉ。ルーチェちゃんねぇ。でも、引っかかるわねぇ。神祇はアンタをご指名したんでしょお? って、んな。なーんでよ、ふほ、ぶひゅうほほ。なーんでイッチョンなんか狙うのよぉ~」
唇をブルブル震わせて、唾をまき散らしながら、マックスが笑った。
しぶきが肌に触れるのを感じた。すぐにでもハンカチで、顔に吹きかけられた唾を拭きたかったが、手がうまく動かせず、悲しい気持ちになる。
「まぁいいわ。アテクシが調べてあげるから、イッチョンはそこで安静にしてて」
「私もついてく――」
起きあがろうとして、またボキキと鳴った。
「かわいい後輩にご忠告。あーた弱いんだから、おとなしくしてて」
「うるせー……」
息も切れ切れのイチヨに投げキッスを贈って、マックスは立ちあがった。
急ぐという意思は感じられない。それは、彼がイチヨの緊急搬送を知った時点から、すでに手遅れの事象だったと割り切れる話だったからだろう。たら・ればの余地を残さないことだ。彼にルーチェを助けるチャンスは一度たりともなかった。もうなるようにしかならないのだから、イチヨのように焦っても仕方がないと判断しているらしかった。
マックスは治癒局をでて、天井のあいたオープンタイプのマキナ・ビトルに乗りこんだ。前後をほかのマキナ・ビトルに挟まれ、縦列駐車状態になっている。
「アテクシがとめたときは、なかったじゃないのよ」
エンジンをかけて、マックスは発進とバックを繰りかえしはじめた。前後のマキナ・ビトルがどんどんへこんでゆく。
「やだちょっと! 苦手なのよコレ、どうしたらいいのよ!」
縦列駐車から脱出できずにわめくマックスの横で、カウボーイの身なりをした老人が治癒局の入口に立った。散弾銃型のトフェキ、Mイヤヤナを持っている。ただのMイヤヤナではない。Mイヤヤナを四丁束ねた四連イヤヤナだ。バカが思いつく武器である。
「任務を遂行する」
ひどく単調で感情のない声でいうと、カウボーイはポンプアクションで薬きょうを排出した。
「ターゲットは、イチヨ」
診察時間が終了し、急患以外を受けつけない時間帯になった。待合室には人っ子ひとりおらず、局員が眠そうに受付に座っているだけだ。
静まった空気が、粗暴に開かれた玄関の門によって引き裂かれた。
受付局員が窓口から顔をだすと、突然の来訪者である老齢のカウボーイが、かがんで顔を見せた。
「イチヨはどこだ」
あまりに機械的すぎる喋り方と、はりぼてのような
「申しわけありません、面会時間は終了しております」
「関係ない。イチヨはどこだ」
「お帰りください」
カウボーイは――神祇ショットファーザーは、無言で四連イヤヤナを取りだして局員に向けると、迷うことなく発砲した。
「撃ちやがった!」
地下二階の待機所でモニターを見ていた男が、そういって机の上の赤い警報ボタンを握り拳でドンと叩いた。備えつけのマイクを口元に寄せて「謎の侵入者が改造Mイヤヤナで受付局員を射殺、局内に侵入してきている。カウボーイ風の男、総勢一名。局員はただちに患者を連れて、脱出せよ。ハイレン・ヴァイスカ、出動せよ」と放送した。
彼のうしろで、それまで談笑していた者や食事をとっていた者たちはそれらを中断し、
「ローズ隊長、ご指示を!」
……治癒局はその性質上、反体制勢力や神祇のターゲットにされることも少なくない。ゆえに独自の軍事力を持つことが多く、教会によって組織された軍事部隊「ハイレン・ヴァイスカ」が、たいていの治癒局に
彼は隊員たちに比べて、目立って装備が薄い。上半身はもはや裸である。ごつごつとした胸筋にベルトを巻いて、巨大な機関銃タイプのトフェキ、Mイーサッシをぶらさげている。隊長の証なのか、頭にはカラフルなキャップが乗っており、さらにそのてっぺんからはプロペラのようなものが飛びだしている。
「患者の安眠を妨害する輩は許しませんよー、ぼくわーッ!」
葉巻をぐしゃりと握り潰して、笑顔なのか白い歯を見せながら、焦点の合っていない目で叫んだ。
「重火器の使用は!」
「MAXに決まってる! なんでも使って、野郎を地獄の前まで案内してやれ!」
「ラジャ! ほかに必要なものは」
「墓。墓だろうな、それは……いまからくたばるクソタレのために墓……墓。墓を用意しといてやれ、墓を! GO!」
どっと隊員たちが走りだした。重装備を感じさせない走りで迎え撃つは、たったひとりの侵入者。それも見た目は少なくとも人間……神祇とはとても思えぬ凶漢ただひとりに対して、三十名の一体は分散しながら手加減なしに挑むというのだから、彼らの秘めたる激情は
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