第3章 狩りの使い(かりのつかい)

第1話

 これは夢ではない、現実だと思っていても、結局は夢だったという経験がこれまでも業平には幾度となくあった。

 それでほっとすることもあればがっかりすることもあったが、今回ばかりは現実であるようだ。斎宮寮の家人たちが格子を上げる。その外の庭は、昨夜月の光に照らされていた庭に間違いなかった。

 ほとんど一睡もしていない業平は、目をこすって重たい頭を振った。そして月下佳人の来訪を思い出す。すると急に胸のあたりで、熱球が炸裂した。

 絶対に夢ではない、現実だったという確信があり、またため息が出る。だがあれが現実だったとするにはあまりにも当たり前の日常が、まぶしすぎる朝の光とともに始まろうとしていた。それを見るにつけ、やはり夢だったのかと疑いたくなる。それほどまでに、あの出来事は現実離れしていた。

 朝餉が来るまで業平はこのままこの部屋で待つことになるが、女房に着付けをさせている間も、頭はまだ朦朧の中をさまよっていた。

 昨夜のことを一つ一つ、頭の中で再現する。斎王は人目を忍んでここへ来た。身近に自分と語らった。しかし結局、神のまがきを乱越することなく斎王は戻って行った。果たして斎王は、今頃どのような気持ちでいるのだろうかとも思う。すると、またため息が出る。

 そしてもうひとつの懸念は、斎王の来訪が誰かに見られてはいなかったかということである。もし見られていたら、何もなかった、話をしていただけだと主張しても通用するまい。密通という烙印が押されるのは必至だ。

 それにたとえ何もなかったとしても、深夜に男の部屋に忍んで行ったということは、斎王としては重罪である。恐らく斎王は罷免されるであろう。

 ええい、ままよ、と、業平は開き直った。


 斎王の来訪が夢でなかった裏付けは、割と早く来た。朝餉の前に庭に童女が来て、小さな手で業平のいる部屋に結び文を投げ入れていった。

 歌だった。


  君や来し 我や行きけむ 思ほえず

    夢か現実うつつか 寝てか醒めてか


 業平はまたもや大きくため息をついた。こちらから斎王に使いをることもできず、その心持ちを確かめるすべもなかったところへ、斎王の方から歌を送ってよこした。

 斎王とて、昨夜のことについては自分と同じ思いだったのだ。夢か、現実か……ましてや彼女は自ら訪れたのか業平の方から訪れてきたのか、それすら分からないくらい混乱しているようだ。

 業平の胸はますます熱くなった。同じ想いなら、もはやその熱い想いをぶつけるしかない。

 だが、露骨にそう言うのは、彼女の立場上問題がある。斎王と奉幣使の恋など物語の中でなら冴えるかもしれないが、現実なら醜悪なスキャンダルにすぎない。

 そこで業平は、返し歌を送ることにした。童女はまだいる。歌はすぐに浮かんだ。業平にとってこのときばかり自分が歌人であったことを、光栄に思ったことはなかった。

 

  かきくらす 心の闇に まどひにき

    夢現とは 今宵定めよ


 業平はもう一泊、この斎宮寮に泊まっていくことになっている。

 伊勢守兼斎宮頭の宴が今夜開かれる。解斎げさいのあと最初に酒が出る宴だ。そのあとに忍んで来てくれ、それによって昨夜のことが夢だったのか現実だったのか分かるはずだと、業平は送ってやったのだ。

 自分自身もまた、知りたくもある。もし斎王がまた来れば、昨夜のことも現実だったということになる。

 その日は斎王御殿の向かって右隣にある主神殿へも大神宮同様に奉幣して、その後は斎宮頭の案内で歩いてすぐの所にある海岸に引き網などを見に行った。

 漁民たちの姿を見るのに、貴人としての遠慮は業平にはない。むしろ武蔵の海辺を思い出して快くもあった。

 だが、頭にこびりついているのは、斎王恬子のことばかりである。あのしぐさが、クスッといった笑みを作る笑顔が、声が、そしてその存在のすべてが心の中から離れない。

 過去のものだと思っていた恋が、彼女の笑顔の面影とともに目の前にある。未来は考慮の中にない。今がすべてだった。

 夜が来るのが待ち遠しい。そして今夜も彼女が来てくれたら思いを遂げよう……決して好色からではなく、身も心もひとつになって自分の彼女への思いを実現させたい……あとはどうなろうと知ったことではない。

 そんな思いがふと彼の頭をかすめたが、あくまで頭をかすめたにすぎなかった。目の前には神風の伊勢の海があり、明るい陽射しもある。広い。遠くに低い山が見えるだけで、とてつもなく広く感じられる平原があってその中に彼はいる、

 ただの田舎ではない。ここは神のす国であり、この地帯一帯が聖域であってその中に自分がいると考えると、頭の中に浮かんだことの是非は……。

 業平はもう、何も考えないことにした。夜を待とう。いずれにせよ夜は来る。その時に返事は出る。それまでは頭の中を白くしておくことだ。すべては成りゆきに任せればよい。すべて神のまにまに、そして成るも成らぬも縁の有無で決まる。

 その、夜が来た。

 宴が始まる。斎宮頭はここでも業平をつかまえて離さない。とにかく都の話を、寸時を惜しんで聞き出そうとしている。

 彼は斎王が無理やり卜定されたのと違い、自ら申文もうしぶみを書いて伊勢守に任ぜられたはずだ。それがこんなにも都を恋しがっている。ただ、彼の場合は神に仕える身でもなく、伊勢の国の国司であり斎宮寮の長官にすぎないから、都を恋しがっても許される。

 宴は舞いも歌もない質素なものだったが、十分都ぶりは移されていた。業平にとって新鮮だったのは、瑞々しい海のものが目の前にふんだんにあることだ。都ではなかなか口にできない魚の生肉が、小さな皿にうずたかく詰まれている。魚を生で食べるのは、唐から伝わった習慣である。

 話も尽きない。業平も酒が入って饒舌になっていた。時を告げるものがここにはなく、どのくらい夜が更けたかも分からない。

 斎宮頭の話は、ああでもないこうでもないと延々と続く。次第に我に返って、そろそろ斎王が自分の寝所に来る頃ではないかと業平は気が気でなくなってきたが、どうすることもできない。気持ちばかりいらいらしても、席を立つわけにはいかない。何しろ斎宮頭が宴のお開きを宣言しない限り宴は終わらず、業平は自由にならないのだ。

 そのうち、格子の外は明るくなってきてしまった。

 業平は愕然とした。しまったと思ったが朝を夜に戻すことはできない。そして今日は、都に戻る日だ。結局は、これが運命だった。

「勅使殿は今日おちなれば、少しはお休みにならねば」

 斎宮頭のそのひと言で、宴はお開きとなった。気遣ってくれるなら、せめてもう少し早くしてもらいたかったものだと業平は思った。斎宮頭はとにかくじれったい人で、言葉とは裏腹に内心はちっとも気遣ってくれてはいない。それが業平には口惜しくもある。

 もしかして斎王は自分の歌どおりに今宵――もう昨夜になってしまったが――来てくれたかもしれない。そして宴が続いているのを見て、きびすを返してしまったのかもしれないのだ。もしそうだったら斎王に対し、かえって申し訳ないことであった。

 だがそれは思い過ごして、実は来なかったのかも……どちらかは分からない。分からないだけにもどかしくて、じれったかった。今では確かめようもない。

 明るくなってから、業平は寝た。斎宮寮の家人は業平に気遣って、格子を上げずにいてくれた。そして目覚めた時が、この地をあとにしての業平の旅立ちとなる。

 現実は、所詮このようなものである。これが今の業平には、一番ふさわしい成りゆきだったかもしれない。誰が悪いというわけでもない。それでもこの空も海も青く、清浄な伊勢の国を離れるのは後ろ髪を引かれる思いだった。ここでのことは旅の思い出として、都でのこれからの生活の活力源となろう。


 勅使が都へ戻るときは、斎宮頭とともに斎王も大淀の渡しまで見送るのが習慣だった。もっとも斎王はその輿から出ることもなく、姿を拝することはできない。ましてや今は公的な儀式としての見送りである。斎王はあくまで斎王でしかない。恬子という一人の女ではないのだ。そして業平もまた奉幣使であって、ひとりの男ではなかった。

 大淀は、斎王の禊の場である祓川の河口に近い。そこに大きな松があって、勅使と斎王の二つの行列はここで分かれることになる。

 行列の全体が止まって、業平は車を降りた。斎宮頭も車から降り、徒歩で業平の前に来た。ここで立礼のまま儀礼的な挨拶が交わされる。それが済んで車に乗れば、いよいよ伊勢の地ともお別れだ。

 潮風が頬に当たる。今日も海は青く輝いて、空には高い所に刷毛で描いたような雲が出ていた。秋風に松の小枝が揺れる。

 多くの供を従えて程近いところにある斎王の輿を業平は見た。やがてその輿の御簾が少しだけ上げられた。そのそばに童女が召される。童女はすぐに両手で杯ののった盆を高く掲げ、ゆっくりと業平のもとに近づいてきた。

「これは、斎王様よりの御酒の賜りでしょう」

 したり顔で、ゆっくりと斎宮頭が言う。業平はその盆の上の杯をやはり両手で頂いて、斎王の輿の方に向かって一礼してから杯を干した。そして童女が捧げている盆に、その杯を戻そうとした時である。業平の目の動きと動作が止まった。盆に歌が書いてあったのである。


  徒歩人かちびとの 渡れど濡れぬ えにしあれば


 上の句だけの歌だった。上の句だけを示されたということは、すぐに下の句を返歌としてつけるのが礼儀だ。

 その前に業平は、ため息が先に出てしまった。斎王は自分との縁を、所詮は浅い縁としか見ていないのかと思う。

 やはり、斎王は昨夜も来たようだ。ところが寝所に業平がいなかったので、浅い縁だったのかと歎息したのか。

 しかし、彼は浅い縁ということを肯定したくなかった。未練といわれようとも、肯定する下の句はつけたくなかった。

 歌はできた。しかし、筆も墨もない。そこで業平は大淀の松の小枝に松脂まつやにをつけ、杯の盆に歌の下をつけた。


 また逢坂の 関は越えなむ


 逢坂の関を越えてほしい――また会ってほしい……また逢坂の関を越えるだろう――またお会いできることもあるでしょう……どちらとも意味の取れる歌にしておいた。斎王が判読すればよい。

 そしてついに業平は、牛車に乗り込んだ。彼は一応の満足感を覚えていた。もし斎王とあれきりだったら何とも後味が悪かったが、この歌のやり取りで一応の区切りがついたともいえるからであった。

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