111bit 波は何を攫うのか


「視聴者の皆さんこんにちは、えみりりです! 夏真っ盛りの今日この頃、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。 夏といえばキャンプ、お祭り、花火大会など、ワクワクするイベントが目白押しですよね。 私も心を躍らせています。 賑やかなイメージが強い夏ですが、一方でしっとりした雰囲気を味わうことだってできます。 陽炎かげろうさざなみ、熱帯夜など、夏の奥ゆかしい一面は、あなたをチルアウトな気分にいざなうはず。 さて、今回歌う曲は、潮風しおかぜに漂いながらそっとそばで寄り添ってくれる、そんな夏ソングをお送りします。 それでは聴いてください『Mermaid Lullaby』」


 「あ、私の好きな曲だ」


 瀟洒しょうしゃなレースがあしらわれたフカフカのベッドに寝転びながら、井倉はスマホでウニウニ動画を視聴していた。


 えみりりのピカイチな選曲にはいつも舌を巻いてしまうが、今回はことさらに良いチョイスだった。


 古い曲ではあるけれど、聴けばなぜか安心してしまう曲。


 そして、この曲はママが好きだった……。


 井倉はえみりりが歌い出す直前で、動画を一時的に停止させた。


 私は、ひどいことを言ってしまったかもしれない。


 井倉はMANIACの四人を思い出していた。


 私だって最初は大場糸と同意見だった。


 電子書籍があるからといって、紙の本がすたれるわけない。


 そう思っていた。


 しかし、SNSの広告や街中まちなかで電子書籍を読む人々の姿を目撃するたびに、私の心の中で黒い嵐が吹き荒れた。


 そして、とうとうパパまで電子書籍を推し進めようとしていて。


 嵐は雷鳴をとどろかせながら、私を容赦なく掻き乱した。


 もう、私がどれだけ藻掻もがいたって無駄なのだろう。


 時代の潮流をかんがみても、アナログ志向に勝ち目なんてない。


 今後、紙の本はせいぜい歴史の遺産として展示されるか、コレクターの標的となるのが関の山。


 そうなるのであろう。


 私の前にそびえ立つのは、嵐によって生み出された目がくらむほど高くうねった波。


 その波はきっと、私の大切な何かを一瞬にしてさらうのだ。


 わかっている。


 なのに、私はその場に立ちすくんだまま。


 どうすることもできず、ついには耐え切れなくなって高波に背を向けてしゃがみ込む始末。


 もろく未熟であるにもかかわらず自分の殻に閉じもり続ける私は、偉そうな口だけを叩いてMANIACの四人を一方的に突き放してしまった。


 もう、会うことなんてないのだろうけれど……。


 もう、えみりりとも……。


 コンッ、コンッ、コンッ。


 部屋のドアをノックする音が鳴った。


 「遅くなりましたが夕食の準備が整いました。 お召し上がりになりますか?」


 「わかった、すぐ行く」


 佐門の呼びかけに応じた井倉は、グイッと体勢を起こし、ベッドから両足を降ろす。


 そして、スマホの側面のボタンに、右手の親指をくっつけた。


 一時停止中だった画面が、真っ黒にまれる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る